タイトルの通りです。
今日、2022年11月29日(火)
いい肉の日に、手術をしました。
このブログは私の日記として書いているものなので、記録として残すために術後すぐではありますがしたためることにしました。
今日の記事、読み終えて楽しい気分になる方はおそらくいらっしゃらないと思います。
ご理解いただける方のみお進みください。
2022年11月29日(火)
朝8時30分、病院到着
入院手続き(日帰り)を済ませ、病棟へ。
病室(個室)を案内され着替え。
(上2人は私が病院へ行ってから登園。夫が連れて行ってくれました。末っ子くんは夫とお留守番です)
そして点滴開始
私は血管が細く、そしてほとんど見えないため、いつも点滴は右腕のここ!と決まった場所がある。
ただ今日は麻酔で眠ってしまうため、その位置だとよくないとのこと。
手の甲側で点滴できそうな血管を探しまくられる。
なんとかイケそうな血管が見つかり『ここトライしてみます!』と言われ震える。
トライて
ガクブルでしたが1発で成功
喘息があるため、念のため吸入をする。
そしてすぐに処置室へ移動。
流産の手術です。
実は、4人目を妊娠していました。
しかし、稽留流産してしまいました。
私、2021年7の月に予言していました🔮
末っ子くんが生まれ、引っ越しをして、お姉ちゃんが幼稚園入園、弟くんが保育園入園。
バタバタバタバタ、本当にバタバタな毎日でしたが、やはりどこかで“お姉ちゃんに女の子のきょうだいを作ってあげたい”という気持ちがありました。
でも、私は不規則抗体を持っていて、私の型は胎児を攻撃するタイプではないけれど、妊娠するたびに母体をダメージを与える(つわりや妊娠期間中のしんどさが妊娠回数が増えるたびに増加する)タイプだとかで、妊婦しながら子どもたち3人をワンオペできるのか?と自問してみても無理でしょって感じで
実は4人目は、夫の希望でした。
『子どもは多ければ多いだけ賑やかでいい』
『女2、男2の方がバランスいいなー』
『もう1回女の子のにおい嗅ぎたいなー』
『お金のことは気にせんでええ』
『4人目できたら車買い替えやなー』
毎日のように言っていました。
私はお姉ちゃんに女の子のきょうだいを作ってあげたいという気持ちはありながらも、3人抱えての妊婦生活を思うとどうしても積極的にはなれませんでした。
それでも時間は有限。
30代のうちに出産するならば、1周期たりとも無駄にはできない。
産後1ヶ月半も経たずに再会した生理の理由は、4人目を迎えるためだったのかもしれない。
そう思いながら4人目妊活開始。
生理が来てホッとしてしまった1周期目。
失望しました。
覚悟も決まっていないのに妊活した自分自身に。
毎周期葛藤していました。
実際のところ、稽留流産を告げられる2日前にようやく覚悟が決まりました。
でも、赤ちゃんはもう心拍が見えませんでした。
最初から、なんだか今までの妊娠とは違っていました。
妊娠検査薬も2度しましたが、クッキリハッキリって感じの気持ちいい線ではありませんでした。
(逆転現象!?みたいな線を期待していました)
きっと心拍確認できるだろう!と思ってウキウキして行った初診で心拍が確認できませんでした。
このときはまだ産後そんなに経っていないし排卵も安定していないだろうから心配しなくていいと言われていました。
2週間後の健診で、心拍はかろうじて確認できましたが小さいと言われました。
そのとき最終生理日から計算すると8週でしたが、赤ちゃんは4.1ミリでした。
そしてそれから2週間後、昨日の健診では心拍が見えませんでした。
赤ちゃんは2.8ミリになっていました。
健診前日の日曜日、13時頃から出血が始まっていました。
その前日の土曜日には、もうつわりの症状もなくなっていました。
覚悟はできていました。
でも、おなかの赤ちゃんの生命力も信じていました。
自分の気持ちがあべこべで、自分が自分でないような、長く苦しい、でも赤ちゃんと一心同体でいられる幸せも感じる2週間でした。
去年の12月、末っ子くんを取り上げてくれた院長先生から『稽留流産です』と言われた瞬間、涙が溢れて止まりませんでした。
子どもたちといるときは、不思議と涙は出ませんでした。
子どものパワーって本当にすごい!
昨日は子どもたちが眠った後、これでもかというほど泣きました。
悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。
子どもたちの寝かし付けの間に夫がお寿司を買いに行ってくれてました。
お寿司食べてもよくなったから。
夫も眠った後、また泣きました。
泣き疲れて眠りにつきましたが、2時間後には目覚めてしまい、そこからもう眠ることはできませんでした。
赤ちゃんがおなかにいてくれる残りわずかの時間を、大好きな家族の寝顔を見つめながら過ごしました。
流産の手術、、、か
その手術のその処置室が、11ヶ月前に末っ子くんを産んだ場所でした。
そっか、分娩台で手術するのか。
ついこないだ新しい生命と出会った場所で今日はサヨナラをするのか。
そう思うと、もう枯れたと思っていた涙がまた溢れてきました。
先生に『泣いたら呼吸が乱れるからな、落ち着いて!ゆっくり息吸って吐こか!』と言われる。
『まさか産む場所と同じところで(手術を)すると思わへんかったから』とグスグス泣いていると
『次はここで産もな!』と言われました。
涙腺崩壊。メンタル崩壊。何もかも崩壊。
『今日は流産することがあーゆさんの仕事です!』と言われ、一通りの説明を受けました。
『お薬が入ったら10も数えられへんから!すぐ寝てしまうよ!今入れてる薬はまだ眠くならへんから安心してね~』という先生の声が私の記憶の最後。
めっちゃ眠なる薬ですやん
意識が戻ったとき、とても恐ろしい光景を目の当たりにしました。
今思い出しても恐怖です。
信じられないことが起こりました。
夢なのかな?
わからないのですが、何かにぐるぐる回されていたんです。
赤やピンク、紫、白の渦の中に私もいて、ぐるぐるぐるぐる回っている。
それが面白くて面白くて、ゲラゲラゲラゲラ笑っているんです。
笑けて笑けて止まらないんです。
死ぬほど大声で笑っているんです。
このとき、もう意識はあったんです。
あれ?私、笑ってる??
とにかく笑いが止まらなくて、ゲラゲラゲラゲラ笑い続けました。
少し笑いがおさまってきたときに目を開けると、もう個室にいました。
それでもやっぱり笑いが止まらなくて、絶対他の部屋にいる入院患者さんに頭おかしいヤツ来たと思われてるわ!笑うのやめな!!と思いながらも、笑ってはいけないと思えば思うほど笑けてきて、意識が戻ってからもしばらく笑い続けました。
こっわ。
確か昨日、院長先生から稽留流産の説明を受けたときに『麻薬を使う』と言っていた気がします。
薬物、ダメ、絶対!!!!!
笑いが止まらないの、めちゃくちゃ怖かったです(いろんな意味で)
これ手を出したら絶対にアウトやわ!と思いました。
部屋に来てくれた看護師さんに『笑いが止まらなくてビックリしました』と言うと『あーゆさん、記憶があるんですね!』と言われました。
てことはやっぱり笑ってたのね🙈
夢であって欲しかった
薬がまだ抜けきらず、ものすごいめまいと吐き気がありました。
トイレに行きたかったのだけれど、頭を動かすだけで吐きそうになり、尿を取ってもらいました。
ウトウトして、少し寝て、状態を確認に来てくれた看護師さんと少しお話をして、、、
そんなことを数回繰り返し、ようやく立ち上がってトイレへ行けるようになりました。
診察をして、部屋に戻るとめまいもほとんどなくなってきました。
これなら帰れる!
帰ってはやく末っ子くんを抱っこしたい!!
そう思い、夫に連絡をして迎えに来てもらいました。
会計を済ませて病院を出たのは12時30分!
わずか4時間の日帰り手術でした。
車の中で待つ夫に手を振りました
夫が助手席にある弟くんのジュニアシートを外して『助手席においで』と言ってくれましたが、迷わず私は後部座席に飛び乗りました
愛しい愛しい末っ子くん
迎えに来てくれてありがとう
夫よすまぬ!
今回の稽留流産は、とても悲しかったです。
昨日も今日も、手術の直前もめちゃくちゃ泣きました。
でも今は、不謹慎かもしれませんが、とてもスッキリしています。
おなかの中に亡くなった赤ちゃんがいるという状況は、ホルモンバランスをおかしくしていたのかもしれません。
叶うなら、この手で4人目の赤ちゃんを抱きたかった。
お姉ちゃん、弟くん、末っ子くんと同じように成長していく姿を見たかったし、4人でワイワイする姿も見たかった。
たくさん叱ってしまうかもしれない。
でも、毎晩寝顔を見ながら1人ずつに『生まれてきてくれてありがとう』と言って頭をなで、ほっぺにチューをして眠りにつきたかった。
毎晩4人分したかった。
その願いは叶わなかったけれど、4人目の赤ちゃんがおなかに来てくれて、私はとても幸せでした。
あなたが小さいと知り、覚悟をしなければと思ったとき、今3人がここにいることは本当に奇跡なんだと思いました。
健診前日の出血はきっと、健診で突然心拍が見えない現実を突きつけたらお母さんが可哀想だと思って事前に教えてくれたんやんね。
お姉ちゃん、弟くん、末っ子くんがいることを当たり前に思わないように、もっともっともっと大切にするようにと教えてくれるためにきてくれたんやんね。
ありがとう。
本当にありがとう。
手術が終わり、謎の笑いも止まって落ち着いたとき、自然とおなかを触りながら
『赤ちゃんありがとう』と言っていました。
本当に短い時間だったし、戸籍にも残らない。
姿形も性別も、何もわからなかったけど、あなたはきっと可愛い女の子だったと信じています
この経験が、今後の私たちに必ずプラスとなっていくよう、この経験が無駄にならないよう、大切なことを教えにやってきてくれた赤ちゃんのためにも家族全員で幸せに、今まで以上に明るく楽しい愉快な家族を築いていこうと思います。
私はとても元気です
3人の子どもたちのおかげで紛れている部分は絶対にありますが、これまで以上に子どもたちを愛おしく思うようになりました。
この子たちが私の子どもとして生まれてきた奇跡を当たり前と思うことなく、生まれてくることができなかった赤ちゃんの分までしっかり愛情を注いで育てていきます👧👦👶
実は、4人目を妊娠したときからずっと子どもたちのブログネームを変えようと考えていました。
4人目がやってきたことによって、末っ子くんが末っ子でなくなってしまったからです。
そしてもう、ブログネームも決めていました。
流産という結果になってしまいましたが、4人目がおなかにやってきてくれた証として、子どもたちの呼び方を変えようと思います
そこで質問なのですが、ブログの最初に
“ご訪問ありがとうございます!◯歳の女の子と△歳の男の子を育てている☆☆です”みたいな紹介文(可愛いテンプレートみたいなの)ってどうやって設定するのか、ご存知でしたら教えていただけませんか?
その設定が出来次第、子どもたちの呼び方をブログネームに変更したいと思います
長々とお読みいただきありがとうございました。
私は心も体も本当に元気です。
今後どうするかはまだわかりませんが、現実は現実としてしっかり受け止め、前を向いていますので、どうかご安心ください。
この記事を読んでくださった方が気に病まれないかの方が心配です。
私は大丈夫です。
これからも変わらずブログを書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします