家族 | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

2月上旬に倅が帰国してきてからせわしない日が続く。居たり居なかったりしているが、就職決まらず、当然住み家も定まらず・・・。

倅が4年余にわたって基本的に不在であった頃、「どうしているんだろう」とか思いながら帰ってきたらどこか一緒に温泉へでも、と思ったり、昔の幼少期の動画を編集して送ったりして「家族」を意識していた。

が、身近にウロチョロしだすと鬱陶しい。生意気なことを言うし、平気で怒らせるようなことを口にする。居ると腹が立って仕方ない。

僕は仕事では上に誰もいない立場だから基本的にエラそうに言われたことがない。(家庭は別だけれど)だからねえ、倅の態度に腹立って仕方ない。

家族もその例外ではなく「近すぎる」と家族意識が疎ましくなる。

希望したってこんな奴をうちは職員として採用は絶対にしない。それは100%言える。

家族は近くにいてはいけない。べったりと親密な関係性って必要ないし、深く理解しあって笑いの絶えない家庭って、要らないし、世の中にそんな家庭はないよ。サザエさんの罪は大きい。あんな家庭、家族ないからね。

他人行儀に遠慮がちで距離を置いた方がいいに決まっている。

大事な一員だけれどその人は「不在」で「欠落」している方が家族らしくていい。「ああ、あいつ今頃どうしているのかなあ」と家族の構成員が心の中で思って「元気で暮らしているといいんだけれど」などと懐かしむ、けど、元気なら帰ってこなくていい、と思う。そんな距離がいいねえ。

家庭は幸せの砦みたいに思いこむのは間違いで、故郷と同じように遠くから懐かしむものだ。だから家族の構成員が今、現に家庭内にいると家族ってどこがいいんだ、って思ってしまう。過去を回想する中にだけ家庭の幸せとかだあるんだ。現在進行形の中にそういう暖かいものはない。鬱陶しい。

遠くにいて、または喪失して初めて家庭やら家族の良さってわかるものだ、と思う。そしてそれは実体を美化した幻想の賜物だけれど。それも仕方ない。

家庭に温もりなど、そんなものを求める場ではないし、ましてやほのぼのとした幸せなどそこにはない。幸せになる必要もないし。

荒野だと思って間違いない。