誰がどう考えても相手が理不尽だ、と思う事ってよくある。
自分の正しさの方が正しいはずだ、と思っていても相手も譲らない。
そんな状況程消耗するものはない。何とかやり込めてやりたい、と思う。
しかし、しかし、しかし、
そんな時は自分が自分らしく生きようとする姿勢に立ち返ろう。
相手なんてどうでもいいと思おう。
こんな奴と争うために自分は生きてきたのではないし、こんな奴のために心を揺るがし、消耗するのは本来の自分ではない。愚かでしかない。
そう言う事もあるし、そういう人もいる。そういうものに惑わされずやる出来事を淡々とやろう。
「復讐してやる」とか「落とし前をつけてやる」とかよく思っていた若い頃、ぼくは飛びきり尖っていた。その刃は自分にも向いていた。差し違えても構わない、と言うぐらい心の中はいつも「なにか」に怒っていた。嫉妬していた。世の中の幸せそうな、恵まれているような人たちに向けて嫉妬していた。
60を超えた今、思う。
復讐って、その復讐を忘れることが一番の復讐だ、ということ。何事もなかったように静かに穏やかに生きる姿を見せること。それが相手への一番の復讐だ。そうやって自分の感受性も守っていけるはず。
吉幾三の記事がネットで出ていた。飛行機に乗客として乗った国会議員の態度が横柄だったという記事。クレーマーで乗務員を威嚇していたという事。長谷川岳という自民党のセンセイ。もうこういうアホにはなりたくはない。恥ずかしくて話にならない。ガキである。
こんな夜は静かに茨木のり子さんを・・・
「四海波静」も是非。
《自分の感受性くらい》
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子