猿の惑星…オリオン・ミッションNO327 | ヘミシンクピンポンパン

ヘミシンクピンポンパン

ヘミシンクと幽体離脱体験記

ヘミシンクランキング
ヘミシンクランキング

 

 

むしろ目立たないようにひっそりとしている。時と場合によって、それは人とも限らないのだ。あなたの家の動物や、庭の木とか花かもしれない。そのようにしてやってくるのだ。そのことに気づかなければいけない……

(続く)

 

《オリオン・ミッション…猿の惑星NO327》

……のだが笑スピさんは、ことごとくそのような機会を自ら葬ってしまうのだ。似非霊能者やインチキ救世主のセミナーに足蹴く通い、そんな自称族や成りすま師どもを、神や宇宙人として信じ込み崇めるのだ。

 

プレアデスの夢におぼれている、夢見る羊さんたちの中で2016年のアセンションを受け入れることができた人たちがいたのかもしれない。彼らはどのようにエゴの妄執と折り合いをつけられたのだろうか。

 

善とか正義に目覚めたのだろうか。そしてプレアデス社会の競争に背を向けて、離小島で大麻でも栽培しながら、自給自足の生活でも始めたのだろうか。それは想像もできないことだ。しかしその人たちは、なんとかうまくやり遂げたのだろうと思う。

 

宇宙連合が人類に送り届けた最強のエンタメ作品の一つが、つい最近またしてもその続編が公開された。続編に次ぐ続編によって世界中を熱狂させたスター・ウォーズは、まさしく今も宇宙連合が直面している宇宙戦争そのものだったのだが、その作品でさえ数年前ついに長い歴史に幕を閉じた。

 

《猿の惑星》の息の長さはそのスター・ウォーズを遥かに超えている。今もこの作品の続編が公開されたことは驚きだった。たぶん自然消滅し、人々の記憶からも消え、誰もそれについて話題にすることさえなくなり、やがてそんな映画があったことすらも忘れ去られる。

 

そんな淋しい映画になってしまう。私はそんなふうに予感していた。しかし猿の惑星はスター・ウォーズ以上に重要なのだ。それは決して荒唐無稽のSFではない。この作品は大東亜戦争以後の地球世界を描いている。この映画で描かれているサルとは実は現在の、そしてこれから人類をアセンションへと導く日本人なのだ。笑スピさんたちはそれがわかっているだろうか。

 

猿の惑星が好きか嫌いかは問題ではない。この映画が真に衝撃的だったのは1968年に公開された第一作と、その続編の二作目あたりまでだった。そのとき私は12歳だったが原作以上にショックを受けた。そのショックは今も忘れない。

 

あれから55年が経ち、その間この映画は観客動員数とか興行収入ばかり追いかける、映画会社のドル箱…ただのエンタメ作品として生きながらえてきた。それはスター・ウォーズと同じバカみたいなSF作品で、内容などどうでもいい、売れればいい、面白ければいい、そんな映画として制作されてきたのだ。

 

そんなものに神や宇宙連合が入る余地はない?とんでもない。彼らはより広く、より深く人々が影響を受けることを望んでいる。内容がどのように人類の集合意識に届くのか、それは見た人々によって決定されるのだ。

 

しかし宇宙連合はそれが最終的には正しく伝わり、人々を覚醒に導くことを信じている。私は、スター・ウォーズは嫌いだった。マンガでステレオタイプ。あんなものによくもまあ、世界中が熱狂したものだと今でも思っている。

(続く)

マサト