ヘミシンクランキング
ヘミシンクでそれを経験するものは、知覚力を格段に上げ、幽体離脱で行うものは、次のレベルにいつの間にか上がっているということに気がつく。自由度はヘミシンクのほうが遥かに高く、体感度は幽体離脱のほうが圧倒的に高い。
(続く)
《幽体離脱とクンダリニー…下半身に注意せよ 240911NO13》
私の幽体離脱は幸いにもというか、あるいは何故かと問うべきか、快楽を追求する方向には全く進まなかった。フォーカス27の性のガイドたちがお住いになる、その聖なる場所にほんの少しの間、通い詰めただけだった。しかし多くの者達はここで溺れてしまう。
そこではガイドたちの手によって、性の自由で奔放なエネルギー、クンダリニーのパワーが排出されている。妖しげな魅力を放ち、性の交流を追求するその施設を、私はただ通過しただけだった。ひと通りのことは経験したが、溺れるようなことはなかった。しかしもう十年若かったら、どうなっていたかわからない。
ドライオーガズムの強烈さを知ったら、肉体次元の性の交流には幻滅を感じる…といったら言いすぎかもしれないが、少なくとも魅力は半減する。変質者や変態的性の探求者はそこに浸り続け、廃人の道をまっしぐらに駆け抜ける…かもしれない。
だがそう簡単にはできないのだ。世間でドライセックスと呼ばれているものは、風変わりな市販の器具を使って肉体を直接刺激する。たとえ勃起や射精がなくともそれでは残念ながらドライとは言い難い。トリッキーなマスターベーションだ。
彼らは肉体に触れることによって、結局プレアデス次元に戻ってしまうことになる。しかし霊界に踏み込むレベルに達した者たちは、そうではない。彼らはその聖なる性の場所で試されることになる。溺れてしまうのか、それとも無事に通過できるのか、霊性の修行者の最後の難所と言われるのが、そこなのだ。
幽体離脱を霊的成長の修行の場として捉えられるか、それとも快楽の道に踏み込み、アストラル界にハーレムを作ってしまうのか。霊性の探求者たちの多くが放蕩と姦淫にふける道を選んでしまう。性のガイドはそんな人々をチェックしているのだ。
古来より幽体離脱が邪道と呼ばれてきたのはまさにここにある。瞑想修行がある程度の段階に達すると様々な霊的能力に目覚めはじめる…のだそうだ。私はただ神秘現象や心霊現象をいくつか体験しただけだったが。
しかし私にとってはさして、不思議でも神秘でもない幽体離脱は、そうしたものの一つだそうだ。すべての人々が、少なくとも寝ている間には体験しているのだが、そのようなものも霊的能力であるらしい。殆どの人たちが、その自らの霊的能力に気づけないのだ。
上ばっかり見て、夢を追いかけ、理想を追求し、人と争い、高いところに行くことばかり考え、自分の足元に…なにより下半身のあり方に注意しないからだ(笑)。そのような人たちには、何をどう説明してもこのことは理解できないようだ。彼らは霊的能力で競い合おうとさえする。
超能力ゴッコで勝とうとするのだ。こんな連中は下半身にクンダリニーが下がってしまっている。自称霊能者や成りすま師救世主や、笑スピさんがやっていることはそれだ。下半身のあり方に注意せよとはそのような意味だ。
(続く)
マサト