「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹 | ああ、無情!!masarinの読書ブログ

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感想文を書くのに、これくらい難しい本はない。

結局、この村上春樹初の短編集に所収されている作品が、「好き」なのか、「嫌い」なのか、それ以上の感想が浮かんでこないからだ。収録作品を列挙する。

1、中国行きのスローボート

2、貧乏な叔母さんの話

3、ニューヨーク炭鉱の悲劇

4、カンガルー通信

5、午後の最後の芝生

6、土の中の小さな彼女の犬

7、シドニーのグリーンストリート

と七つの話が入っている。

それぞれのお話のなかに隠喩、メタファーがあるのかもしれないが、無学な私にはそれが理解dけいなかったし、2「貧乏なおばさんの話」に至っては、読み飛ばしたのか話が思い出せなかった。

しかし、1→7と進むにつれ、技術的には向上していることは間違いないし、7の「シドニーのグリーンストリート」では羊が登場する。なんとなく、村上春樹といえば羊のイメージがある。もう一度とうじょうさせてほしいところだ。

 

そんななかでも、1「中国行きのスローボート」と3「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、5「午後の最後の芝生」、6「土の中の小さな彼女の犬」、7「シドニーのグリーンストリート」は、面白くないかと問われれば、面白いと思う。

1は、人生で出会った中国人との関わりを描く。その中国人の意味合いが少しずつ変化していて面白い。初めに出会った小学校の時に受けた模試の受験会場で出会った試験官が中国人で、その凛然とした佇まいと物言いに模試の内容は忘れても、この試験官のことは忘れられない。次はバイト先の中国人女性で、仲間のバイト仲間は彼女とうまくいかないが、主人公とはウマがあい、恋仲へと発展しそうになる。しかし、主人公の不注意や思いやりのなさから、ついつい粗略に扱ってしまう。

といった内容だ。「スローボート」が何を意味しているのかは、ぜひ作品を読んでほしい。

村上春樹自身、関西の、しかも神戸出身ということもあり、外国人と関わる機会が多かったのかもしれない。いや私自身も、中国に出自を持つ友人を何人か思い浮かべることができる。それを考えると、案外皆外国の人と関わる機会が多い。いまならなおさらだろう。

中国の厄介なところは、政情が不安定とまで行かなくとも、戦後を考えると、共産党が政権を握り、文化大革命があったり、天安門事件があったり、ウイグル自治区での人権侵害があったり、香港の民主主義が制限されたり、とときどきに中国以外の国が戸惑うような事態が発生する。

その都度、日本を含む外国人が中国人の見方が変わるよりも、中国人の態度が硬化する。おそらく、外国というより、自国の政府の態度が硬化すると考えるからだろう。

若い女性はそれをよく表している。なんだか変なのだ。それに、主人公の不注意というのも、相手に思いやりを欠く行動で、一般的に言われる日本の中国に対する態度と似ている気がする。

 

この話がそんなメタファーを持つということはわかった。

村上春樹は長年、父親が南京大虐殺に関わっていたということで悩んでいた。それはずっと後年に「猫を棄てる 父親について語るとき」で杞憂であったことがわかる。しかし、この頃の春樹はその疑いを淡く抱いていた時期であって、それが反映されていたのかもしれないとも思う。

 

羊や土に埋められた犬など、心理学的なメタファーがありそうなモチーフのかもしれないが、私が感じたのはこれくらいである。河合隼雄とか好きな人だしね。いや、否定はしていないですよ。はっきりと理解できたのはこのはなしだけだ。

好きか嫌いかでいえば、一番好きなのは6「午後の最後の芝生」であった。