ああ、無情!!masarinの読書ブログ

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【電子特典付 特別版】『機動警察パトレイバー』 寿司屋の後藤 (文春e-book)

 

「寿司屋の後藤」は、2026年に発売された。「機動警察パトレーバー」のその後を描いた作品だ。熱海に寿司屋を出して、常連客とのどかに暮らしている70過ぎの後藤隊長の日々が書かれている。
私はテレビ版のパトレーバーはあまり好きではなく、漫画版が好きであるという前提で読んでほしい。テレビ版が好きな方には、多少違和感のある部分があるかもしれないが、そこは軽く受け流していただければ幸いだ。

「機動警察パトレーバー」(1988)の当時、東京湾はどんどん埋め立てられ、街はどんどんひろがっていたが、その土地には建物も少なかった。レイバーという人型ロボットが配備された特車二課はそんななにもない埋立地にあった。巨大なロボットを格納するにはうってつけというわけだ。同時に警察組織の中でも毛色の違う、いわばハズレの人材が集められ、特車二課が組織された。人選をしたのが、今回の主要人物「後藤喜一隊長」だ。
とりあえず、これだけの情報が事前にあれば、この小説はよみこなせるだろう。

今回の小説は約四十年後の世界で、後藤隊長は70過ぎ。熱海に小さな寿司屋を出している。そこを訪れる常連客や、かつての部下や同僚たちの話が本書の内容だ。

都市型の物語というものがあると個人的には考えている。都市に住む人間の群像劇だが、詳細な人物像は明らかにしない。そんな人物たちが都市に住むからか、「土俗的なものや野暮」とルーツを共有しない。

80年代・90年代にはそんな話が多く作られた。誰も、「あぶない刑事」の鷹山・大下、「踊る大捜査線」の青島の詳細なプロフィールを説明できる者はいないだろう。そのように誰もが無名であり、そんな人間たちが生きていくサマが新しかった。

漫画版のパトレーバーもそんな感じがある。もちろん、遊馬は篠原重工の御曹司、泉野明は北海道の酒屋の娘、出身部活くらい。団塊の世代より少し下の後藤隊長の情報も、かつて「カミソリ後藤」と呼ばれたゆえに上層部に睨まれたこと、経済学部出身であること。警察官舎に住み、行きつけのスナックがあること。若い世代ならいざ知らず、中年の後藤隊長もその程度だ。

つまり、漫画版パトレイバーは“人物の詳細を語らない”という都市型の美学を徹底していた。

リアルタイムで読んでいた十代の頃は、この距離感が大人な感じがして良かった。アニメ版はチョコチョコ見たが、人物間の距離感がちょっと近く、学生的で嫌だった。押井守的な学生サークルのノリに、「ちょっと水が合わないな」と辟易した。

「寿司屋の後藤」を読んでいて、都市型の物語の答え合わせをしている気分になった。

1988年以来数十年間、それぞれの人物がどのように生きてきたかが描かれているのだが、どうも魅力がない。全員がなぜか燻っていて、彼ららしく生きているという痕跡がないのだ。過去が語られれば、都市型の人物像とは遠ざかっていくのであるが、それならば魅力的であるともっとよかった。
熱海で寿司屋をやっているという隊長という人物像は面白かったが、他の人物の造形はあまり魅力的ではなかった。漫画版の人物の延長線上にはない気がした。


過去作の登場人物は最後の人物だけ出せばよいのではないか、と思った。だが、彼女もちょっと現実的にはあり得ない展開の人生を送っていた。やはりそこは現在70代の著者ならではの発想だなと思った。バブルを大人になって経験したくらいの年代ではないと、あれだけぶっとんだ人生にリアリティを見出すのは難しい。読んで欲しいので詳細は語らないが、「そこまで自由に生きられないよ」と感じてしまった。

個人的には、常連客とのやりとりの方が魅力的だった。それだけでよかったのではないか、と思う。

なぜか、スターウォーズの新三部作を思い出した。あっけなく死ぬハン・ソロ、燻ったまま消えたルーク・スカイウォーカー、おそらく予定外の死に方であったレイア姫、彼ら三人を思い出した。続編は本当に難しい。彼ら三人の“続編での扱われ方”を思い出した。

80年代・90年代は「都市型の物語」の時代であったと書いた。「機動警察パトレーバー」は「都市型の物語」故に、10代の私には魅力的に写った。過去を語りすぎることは、都市型の匿名性を失わせ、キャラクターの魅力を喪失させた。

「都市型の物語」の「次の物語」は生まれていない。だが、「寿司屋の後藤」には「次の物語」の芽は出ていた。今を生きる人間を描写し続けること——そこに新しい物語の鍵があるのかもしれない。