若者必読!吉川英治の宮本武蔵感想文【書評】- 剣術と精神の成長物語 | ああ、無情!!masarinの読書ブログ

ああ、無情!!masarinの読書ブログ

読書の感想を書いています。ゆっくりしたペースで更新しますので、よろしくお願いします。

 

吉川英治の三国志は、高校二年生の夏に自分の小遣いを使って買った初めての長編小説でした。文章のここそこに、漢文の原文が入っていて読みにくく、とても苦労した覚えがあります。本屋の棚にあった吉川英治文庫の三国志を八巻まとめて大人買いしたときの高揚感たるや、その後なかなか経験できない感覚でした。そのときの店員さんは中年の女性の方でしたが、高校生の興奮を見透かしたか、口の端が少しだけ上がったのを覚えています。私が顔面を赤らめて、小鼻でも膨らませていたのでしょうか。

 

それくらい吉川英治が好きなのに、代表作の一つである「宮本武蔵」を読む機会には恵まれませんでした。なんだか避けていたような気もします。どこかで、「がっかりしたくない」という思いがあったのです。ちなみに、吉川英治の代表作は、この「宮本武蔵」や「新平家物語」や「三国志」、「太平記」も書いていて、これらの作品を読むだけでも、古典的な知識(といっても通俗的な意味でしょうか)の断片が覚えられ、しかも、原文が入っているので、古典学習にもなるとおもいますよ。現に、これを読み通した後、古典や漢文がとても読みやすくなったのを覚えています。

 

さて、今回宮本武蔵ですが、全八巻を読み終えた後の感想としては、特に10代や20代の若い人が読むのに最適な作品だと感じました。もちろん、道に迷っている中年や、絶望している高齢の方にもぴったりでしょう。少々失礼ですが。

若い人にとって読書感想文にも最適です。

特に、部活動に打ち込んでいる若い人にとって、よい刺激になる作品だと思います。その理由を紹介します。

 

基本的に宮本武蔵が走りまくる物語

 

結論を書いてしまえば、この八巻からなる物語は、最後の巌流島の決闘のために書かれたと言っても過言ではありません。そこに至るまでの、宮本武蔵と佐々木小次郎の旅は、対比的に描かれています。戦い方、出会った人々、その人々とのやりとり。すべてが正反対なのです。惹かれてくる人々も対比的です。

 

剣術家である宮本武蔵の若い時分から話は始まります。武蔵は故郷の宮本村を出て関ヶ原の戦いに参陣します。ただし西軍として。破れた側に参加したことが武蔵の将来に暗い影を落とします。

 

破れて宮本村に帰るのですが、ここで逆恨みから捕縛されてしまいます。それは本位田又八という、一緒に関ヶ原で戦った友人に起因する誤解でした。その母親は「お杉ばば」といいますが、息子又八が帰ってこないのは、武蔵のせいだと逆恨みしてしまうのです。実は又八は毒婦にひっかかって、逐電してしまいます。故郷で帰りを待つ許嫁お通にも、婚姻できないという手紙を送ってしまいます。

あらぬ疑いをかけられても武蔵は弁明しません。いや、弁明するいとまもないのです。ここから最終巻まで、武蔵野行く先々にこの老婆が登場して、武蔵の悪評を立てまくります。そのせいで、武蔵は将軍の剣術師難役になり損ねてもしてしまうのです。

 

この宮本村から始まって、京都→三重→奈良→中山道をたどって江戸と、武蔵はとにかく移動しまくります。やはり移動がある物語というのは面白いです。ジブリじゃないけれども、ジブリの物語はとにかく移動する物が多いですよね。

特に三重の安濃の津(「津」は港の意味)での出来事は印象的です。武蔵は釘を踏み抜いてしまいます。そこから大量の膿が吹き出し、治療のため宿屋に足止めを余儀なくされます。先に進みたいという思いが遂げられず、ストレスが溜まります。ストレスに突き動かされるままに、武蔵は山の上まで駆け上がってしまいます。駆けながら、大量の膿を吹き出させます。もう意味不明です。

 

その移動の間の幾多の困難と出会いが、武蔵を成長させます。

 

 

冒頭から2巻、3巻くらいまでは、面白みが分からなかった

武蔵はその後成長していくのですが、2巻か3巻までは、まだ成長していません。成長する前だからか、読んでいて「何が面白いのか、わからない」というのが、正直な感想でした。一瞬私自身が老いすぎて、その良さが分からなくなってしまったのか、と自分に懐疑的になってしまいました。

 

序盤の物語では、三重県の津や大和国で、宍戸梅軒や柳生宗嚴などに出会うのですが戦いません。後に分かるのですが、これらの出会いはすべて後半の伏線の話になっています。そして、なんだか分からないけれども、武蔵は自分の至らなさを痛感して、再び旅に出るのです。もちろん、それは剣術が弱いというわけではなく、奈良で本蔵院流槍術の高弟と戦い、一撃で倒すほど武蔵の剣術は強いのです。

 

故郷であらぬ疑いをかけられたとき、武蔵は暴れてしまいます。ひとしきり暴れた後、宮本村にいた沢庵和尚に導かれて、池田氏の居城に籠もって学問三昧の日々を送ります。学ぶことで人間的に成長していくのです。しかし、同時に学問をすることで内省的な人間になってしまいます。この辺りの描写は、学問というものが影響しているのでしょう。

 

技術的には強くても、精神的には弱い武蔵は、精神的な強さというものを得るために修行をしていくのです。

 

現在の千葉県市川市の妙典で開眼

中山道をたどって、市川妙典の地にたどり着きます。そこで史実で実際後に養子にする、伊織と出会います。伊織はこのお話のなかでは、最上氏の浪人の息子だとしています。本当は武蔵の実兄の息子であるらしいです。

この地で、武蔵は開墾をしようと思います。荒れ狂う川を治水して、田畑を切り開こうと努力し始めます。土地の者は、「無駄なことを」と冷ややかな目で見ています。

 

ある日、この地を襲う盗賊たちを討つことになります。村人たちも武蔵に協力します。武蔵に策をもらいます。橋の両脇の藪に伏兵をして、盗賊をさんざん叩いて勝ちます。村人たちは、自分たちの力に驚いてしまいます。そして、指導をした武蔵を尊敬するようになります。この一件以来、村人たちは武蔵に協力するようになるのです。村人たちの強力で妙典の地を切り開くことに成功します。

この経験から、剣術の殺法の逆である「活法」に開眼し、政治的な活動にも興味を持つことになるのです。人々が力を合わせることで大きな力を発揮することを知ったからです。

禅と活法。この二つが武蔵の剣を特徴づけていきます。

 

最後の巌流島のためにすべてがある

 

このお話、そもそもどうして書いたかというと、直木三十五と菊池寛の論争にきっかけがあります。佐々木小次郎を名人とする直木、宮本武蔵を名人とする菊池寛。どちらに組みするかと聞かれた吉川英治は、菊池寛を支持します。直木は吉川を一喝します。なんとも理不尽。この体験が宮本武蔵を書くきっかけです。

どちらが名人か、それを決定づけるには、巌流島の決闘やそこまでの顛末を描かざるを得ないのです。

では、どのように二人を描いていったかを見てみましょう。

 

・巌流佐々木小次郎

本当の小次郎は年寄りだったという説もあることで、それくらい小次郎はよく分かっていない人物です

佐々木小次郎は、武蔵のようには戦うことに躊躇せず、人を切ることもためらいません。その腕を請われて京都の吉岡道場の顧問役になったり、江戸では侠客の食客になったりします。そして、熊本の細川藩の家老の世話になるのです。

ただ、ものすごく腕が立つ小次郎ですが、武蔵にはどうにも一本食わされてしまうところがあります。剣道や格闘技をかじったことがあれば、いや陸上などではなく対戦して競うタイプの競技をした経験がある人には分かると思いますが、小次郎はどうにも武蔵が苦手です。

少し巌流島にたどり着いた二人を対比させてみてみましょう。

 

1,性格

その性格は残忍・冷酷で、師匠やその師匠から贈られた免許皆伝も躊躇なく捨てます。立身出世を信条としています。

なんとなく目障りな武蔵について、各地でその剣の欠点を分析して腐します。武蔵の仇敵お杉ばばとともに悪評を立てて、陥れようともします。

 

2,集まった人々

巌流島の決闘で集まったのは、彼が勝つと見込んで集まった、彼に利益を求める人々です。勝った後には細川家の剣術指南としてその地位を確立するのです。そのおこぼれを頂戴しようと思っています。そんな欲塗れの人々の中に一人だけ、彼を慕う少女がいます。彼女だけが純粋で、救いになります。

 

3,剣の特徴

「物干し竿」という、異様に長い刀を振います。

武蔵の剣と比べると、技術の剣と言えます。山口の錦帯橋で剣を工夫して、飛ぶ燕を落とす飛燕の剣を発明して、巌流という流派を自称します。

最終決戦でも、どこかスポーツのような、競技のような戦い方をします。

 

・宮本武蔵

 

1,性格

故郷で狂犬のように扱われた凶暴な性格が、学問を学ぶことによって思慮深くなり、禅の道に入ることで精神的な求道者になります。自分よりも単に剣術が強いだけでなく、精神的に自分よりも上の者を求めていくことで、影響を受け成長していきます。

 

2,集まった人々

改心したお杉ばばや、故郷からずっと慕って武蔵のことを探し続けていたお通、又八夫婦など、武蔵と精神的な結びつきの強い人びとが集ってきます。弟子も含めて、各地に彼を慕う者が大勢います。欲と欲で結びついた小次郎と人々とは違い、精神的な結びつきが強い人びとだということが特徴です。

 

3,剣の特徴

剣術の技術を駆使して勝つというよりも、打ち込むべき場所に打つという戦い方をします。

 

一段上

対比をしていくと、武蔵の方が一段上の剣術者に描かれます。それは巌流島における二人の決戦にもよく現れています。相手の出方をうかがいつつ戦う小次郎に対して、武蔵は下手な小細工などしません。おもむろに歩んでいって、跳躍し、木刀を打ち下ろします。

 

巌流島の決闘に武蔵は遅れていきます。それは、決戦の日まで逗留していた宿屋の主人に絵を描くと約束していて、その絵を決戦の日の朝に描いていたからです。武蔵が書いていた水墨画は、もともと禅僧が修行のために描いていたものです。武蔵は結果的に、精神統一ができていたことになります。

一方の小次郎は、同じように精神統一をしたいのですが、遠方からやってきた親戚などに会わなければならず、惑わされてしまうのです。

 

 

 

読書感想文におすすめのポイント

 

このお話は、武蔵が若い頃に野人から学問を学んで、人間となっていく物語。水墨画や剣術を極めていくことで精神修養をしていきます。また、さまざまの分野の数多の達人と出会って、影響を受けていきます。沢庵和尚、本阿弥光悦とその母親、柳生一族、高い教養を持つ遊女との出会いが武蔵を変えます。

昨今は若者に対して、「社会変革」を要求するところがあります。それはスポーツでも例外ではありません。今この原稿を書いているのは、2024年の1月ですが、国立競技場では高校サッカーが行われています。正月には能登半島で大きな地震がありました。開会式では宣誓で「被災地の人々に勇気を与え」るという文言がありました。スポーツ選手も、社会貢献をしなければいけないという意識が根底にはあるのです。そのためには、ただそのスポーツ種目が上手なだけではだめで、社会に役に立つということをアピールしています。

人々に感動を与えるアスリートになるためには、その精神性の高さも必要になってきます。芸能人に対してもこの精神性の高さが要求されています。若干過剰ですが。

武蔵は自分の目標のために我欲や執着を捨てようとします。将軍の剣術指南になり損なったときも、誰かを恨むのではなく、さらに克己のために修行をします。彼を慕ってずっと追っていたお通とも執着をさけるために、肉体関係だけでなく、精神的にも結びつくことをしません。

「我以外皆我師」という言葉があります。宮本武蔵の言葉であり、吉川英治の座右の銘でもあります。この言葉通り、出会う人に武蔵は多くのことを学んでいきます。それは沢庵和尚や本阿弥光悦など、誰もが認める人だけでなく、市川妙典の人々や自分を恨んで追いすがってきた「お杉ばば」からも学んでいきます。弟子の育て方も、その弟子から学んでいきます。元々が野人のような人間であるからか、武蔵は真綿が水を吸うように成長していきます。

多くの人々と出会い、そして前夜学問を学ぶ内に、武蔵はただ競技として剣術をやるだけでない、一段上を目指すようになります。それは精神の剣なのです。

小次郎と武蔵の剣を表す言葉が、文中にある「肉体の剣、精神の剣」という言葉です。この対比を書きたくて、吉川英治は筆を執ったのでしょう。

ただ、技術力が高いだけでなく精神的に高い物を求めていく。若い人にはその精神に触れてみるというのも良いことだと思います。武蔵自身が残した名言などと照らしても、その内容はおもしろいですよ。もっとも、史実ではないので気をつけなければなりませんが。