ドヴォルザーク交響曲7番はブラームス的? | 音楽 楽器 作曲の研究してます

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先日とあるオケのパンフレットに解説記事を書きましたのでここに再掲します。

全交響曲はもちろん宗教曲や管弦楽曲のいくつかまでスコアを調べて書きました。文字数制限があったのでちょっといくぶん端折った表現ですみません。もっと書きたいこといっぱいあったのですが、それはまた何かの機会に・・・


ドヴォルザーク交響曲7番、いい曲ですね。聴いて良し、弾いたらもっと楽しい曲でした!


ドヴォルザークは、第7番の出版の報酬として3000マルクというジムロックからの提案をきっぱり断った。それだけこの交響曲に自信があったのだろう。いや、それともいつも難癖付けて値切るけちん坊でもあり腐れ縁でもある出版人ジムロックをいさめたかったのか。結局、ジムロックはドヴォルザークの要求を受け入れ倍の6000マルクを支払っている。

ドヴォルザークの交響曲第7番は188412月から18853月にかけて書かれ、翌月4月のイギリス訪問の際にセント・ジェイムズ・ホールで初演され大成功をおさめた。この1880年代は作曲家にとってスラブ的な作風をひとしきり終え、国際的な名声を得た時期でもあり、一方で民族主義音楽と西ヨーロッパ音楽との狭間にたたされ作曲家としての自己存在に悩む時期でもあった。第7番の交響曲は暗く重い雰囲気が立ち込める曲であるが、1892年にアメリカへ渡る前、すなわち作曲家の「絶頂期、ちょっと前」の名作である。やはり、第8番や第9番「新世界より」の交響曲に比べれば、ドヴォルザークの初期・中期にしばし見られるような、奏者からしてみると演奏しにくい箇所や物足りない、スッキリしない箇所が散見される。この第7番の交響曲を挟んでそれ以前と以後では「名曲度」と表現すればよいのか魅力の度合に差があることは否めない。弦楽四重奏曲第10(1878)も第11(1881)も素晴らしいが、どう考えても第12番「アメリカ」(1893年)の方がはるかに、旋律の豊かさ、リズム、アイデア、効果的な作曲法、いずれにおいても格上である。また、ピアノ協奏曲(1876年)やヴァイオリン協奏曲(1880年)に比べれば、チェロ協奏曲ロ短調(1995年)は圧倒的に素晴らしい。第7番が書かれた1880年代において、国際的な名声を得てもなお悩み辿りついた結果が、1890年代に作曲された数々の名曲たちとして実を結んだのかもしれない。

 

さて、第7番の交響曲は、生涯親交の深かったブラームスの第3番の交響曲の初演を聞いて、よし!ワシも新作のシンフォニーを書こう!とモチベーションを得た結果の産物だとされている。果たして、ブラームスの影響はドヴォルザークの作中にどう現れたのか。譜例11楽章のエンディングの一番の盛り上がり部分である。ヴァイオリンによる強拍の休符を伴った音群で緊張感と高揚感を強烈に印象付けている。この非常にエネルギーを持った強拍の休符は、ブラームスの4つの交響曲で常に出てくる緊張と重みを与える特徴的な手法である。しかし、ドヴォルザークの他の交響曲ではほとんど出てこない。ドヴォルザークの音楽に出てくるモティーフ(音型)は強拍にほぼ音符がある。そもそも、ドヴォルザークのルーツとなるチェコ語のアクセントが語頭にあることからすると、これは至極当然である。

 

 

 

 

もう一つ、譜例2のように半音階進行と先取音がタイで連結される書法もブラームスで多用される方法であるが、第7番ではこれが随所にみられる。他の交響曲では第6番の4楽章を除けばあまり見られない。他にも、4楽章における短調の主調から5度の長調へ転調してチェロによる第2主題の提示や、2楽章のクラリネットとバスーンによる主題提示もブラームスの第3番に似ている。これらは一例にすぎず、第3番からのみならず全ブラームス的からウィーンロマン派の書法を多く用いていることが、他のドヴォルザークの交響曲と趣を異にする結果になっている。

 

 最後に各楽章について軽く触れておこう。第1楽章は、ヴィオラとチェロが示す暗い第1主題が全体を支配した荘厳なアレグロ・マエストーゾ。第2楽章アダージョは木管アンサンブルが優美で見事。第3楽章は、2拍子と3拍子の交錯するフリアントというボヘミアン舞曲。第4楽章は、力強いニ短調の第1主題と明るく陽気な第2主題で構成され、最後は荘厳なニ長調で締めくくられる。苦悩に耐え勝利する、もしくは打破したいという希望なのか、といった構造である。』



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