葬送と音楽-2

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前回の続きです。

葬送音楽についてのエッセイ。だいぶ昔に、Vivaceというフリー冊子に掲載した内容です。

 

 前回の冒頭に書いたベートーヴェンの葬儀で演奏された音楽「エクアーレ」とは、トロンボーンによる教会で演奏される音楽の一形式であり古き時代に葬送のときに演奏されたが、この「4本のトロンボーンのためのエクアーレ」はベートーヴェンが生前に別件で依属されて書いた曲である。このように “死”をテーマにした曲は葬儀の時に演奏されたり、死後に故人を偲び演奏されたりすることが多い。最も分かりやすい形式は「レクイエム」というミサ曲の一つで鎮魂ミサ曲ともいい死者の冥福を祈る曲がある。

 モーツァルトやフォーレの作曲したものが名高いが、現代の作曲家もレクイエムを作曲しており、邦人の作曲家では合唱もなく形式も自由な武満徹の「弦楽の為のレクイエム」がある。一方、形式的には死とは関係ないが作曲の背景や題材から追悼音楽として演奏されるものもあるが、先日の東日本大震災のあとベルリンフィルが追悼演奏としてルトワフスキ作曲「葬送音楽」を演奏したことは記憶に新しい。また奇しくも我々の演奏会の前日の八月六日は広島に原爆が投下された日であるが、ペンデレツキが「広島の犠牲者に捧げる哀歌」を作曲している。戦争や災害といった悲しい重大事件があると音楽家は曲を通じて世に対して何かをしたいという衝動に駆られるのであろう。



 これらのように“ある重大事件”を受けて作曲された鎮魂曲以外にも死をテーマにした曲もある。

 シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」は、同名の歌曲の冒頭のピアノのモチーフを二楽章に使ったことによりタイトルが付けられたが、その元となった歌詞の内容は、病に伏し死を恐れる乙女が死神に去ってくれと懇願するが死神は安息を与えるために来たのだと優しく問いかける、といった意味で死を苦痛ではなく「永遠なる安息」としてポジティブなものとして扱ったものだ。

 また、ドヴォルジャークが書いた弦楽四重奏曲「糸杉」はドヴォルジャーク自身の作曲した歌曲「糸杉」からの抜粋であるが、糸杉とは西洋ヒノキで、キリストが貼り付けられた十字架の材料という説もありその昔は棺に使われ、死や哀悼を暗示する。タイトルからすると重苦しく神聖なイメージをしてしまうが、しかし実際のドヴォルジャークが作曲した背景は、実らなかった初恋の想いによるもので、しかも結局はその失恋した娘の妹と結婚するというオチまで付いてくる。ここまでくるとだいぶ軽い内容になってきてしまったが、西洋の死に対するイメージは日本のそれよりは前向きで明るいのは確かなようである。


END