シネマトーク 『黒部の太陽』『ジョン・レノン 失われた週末』『フジコ・ヘミングの時間』 | マサミのブログ Road to 42.195km

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黒部の太陽@鎌倉市川喜多映画記念館
 

1968(昭和43)年公開の作品。黒部ダム建設のために掘られたトンネルの計画から完成までを描いた超大作。

 

 

 

 

黒部ダムは1956(昭和31)年…私が生まれた年に着工。171人もの殉職者を出す難工事の末1963(昭和38)年に完成しました。この作品はダム完成の5年後に公開されています。石原裕次郎と三船敏郎という当時の2大スターをはじめ、多くの名優が参加した豪華な顔ぶれです。私はなぜかこの作品が強く印象に残っているのですが、たぶん初公開の時に学校の行事で見せられたのかもしれません。

 


だとすると今回は56年ぶり!に観たことになります。鎌倉の川喜多映画記念館でリバイバル上映してくれたので観られましたが、覚えているシーンやセリフはまったく無し。そして、これを言っては野暮なんですけど、「今の眼」で観ちゃうとどうしても「?」が出てきますね。設計技師の一人に過ぎなかった石原裕次郎がトンネル開通の瞬間に坑道の最先端でドリルを振るうとか、「それちょっとありえないでしょ」という場面も多くて。でも昭和43年の映画ですからね。仕方ない。

ただ、三船敏郎や石原裕次郎が「この映画は映画館のスクリーンで観てほしい」とこだわり、TVでの放映をなかなか許可しなかったというところは偉いなと思います。


ちなみに私は高校1年だった52年前に修学旅行で黒部ダムを訪れました。「ダムなんか見てもしょうがないじゃん、ダリいな」と思いながら仕方なくついて行ったのですが、ダムサイトの端にある殉職者慰霊碑を見て何も言えなくなってしまい、しばらくその前で固まっていたことをはっきりと覚えています。

この映画の中でも慰霊碑がチラリと映る場面があって、私は高1だった16歳の頃(52年前!)の思い出がよみがえり、胸がぎゅっとなりました。ここも「いつか必ず再訪したい場所」のひとつになっています。トンネルとかダムよりも、あの慰霊碑の前にもう一度、立ちたい。
満足度☆☆☆


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ジョン・レノン 失われた週末@シネマ ジャック&ベティ


ジョン・レノンと小野洋子夫妻は、結婚後、中国系アメリカ人女性メイ・パンを個人秘書として雇っていた。1973年、ジョンとの仲がうまく行かなくなったヨーコは、メイに「ジョンと付き合って」と命令。その後1年半ほどジョンとメイは恋人同士のように振舞っていた。しかしヨーコはジョンを取り戻すために動き始め…メイ・パンの視点で描いたドキュメンタリー作品。

 

 

 

 

 

(最近のメイ・パンさん)

 

ジョンがヨーコのもとを一時的に(でも1年半も)離れてメイ・パンと過ごしていた時期は「失われた週末」と呼ばれ、悪い友だちに囲まれて酒や乱痴気騒ぎに明け暮れていた日々のようなイメージがあります。しかしこの作品はメイ・パン自身が登場し、ジョンにとっては大切な、意味のある日々だったことが証言されます。


なかでも、ヨーコの前にジョンが結婚していたシンシアとメイが親しくなり、そのおかげでシンシアとジョンの子供ジュリアンはジョンと親しくなれたという点が強調されます。ジュリアンも画面に登場して「メイには本当に感謝している」と語る場面では「ああ、良かったね~」と言いたくなりました。


私が思ったのは「ジョンって、つくづく複雑な人だったんだな」ということ。そして変な連想かもしれませんが、亡くなったあとで「彼が本当に愛したのは、私」という告白本を、宮城まり子さんはじめ何人もの女性が出した、吉行淳之介さんを思い出したのでした。

 

それにしても、ヨーコさんや、ジョンとヨーコさんの間に生まれたショーン・レノンからしたら「ちょっと待った!」と言いたくなる部分もありそうに思えるのですが、そういうゴタゴタは起きていないようですね。そこは嬉いです。

満足度☆☆☆

 

 

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フジコ・ヘミングの時間@シネマ ジャック&ベティ


今年4月に92歳で亡くなったピアニスト、フジコ・ヘミングさんを偲んで追悼上映された2018年の作品。フジコさんの生い立ちと最晩年の暮らしぶり、コンサートツアーの様子を綴ったドキュメント。

 

 

 

 

フジコさんはピアニストだったお母さんがベルリンへ留学中、スウェーデンから来ていた画家・建築家の男性と愛し合って生まれました。5歳の時に一家で日本に帰国しますが、お父さんは日本に馴染めず家族を残してヨーロッパに戻ってしまいます。

その後フジコさんは一時的に聴力を失うなど逆境が続きましたが、1999年にNHKの番組で取り上げられたことから人気に火がつき、60歳を過ぎてからCDデビュー。世界各地でコンサートを開くなど活躍が続きました。
 

しかし去年11月に自宅の階段で転倒して脊椎を損傷。その後すい臓がんも発覚し、リハビリに努めていましたが今年4月21日に亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

 

この映画では、パリの自宅で動物たちに囲まれてくつろぐ姿や、コンサートに向けて練習に励む様子、ステージでの演奏風景などを散りばめながらピアニストとしての人生を浮かび上がらせています。

 


フジコさんが注目を集め始めた頃に上梓した初の自叙伝『魂のピアニスト』(私も読みました↑)では、ヨーロッパでの修業時代は貧しくて食べるものにも困り、おまけに自分を妬んだ人から足を引っ張られるなどつらい目に遭ったことが強調されていました。

でも今回の映画ではそういった恨みつらみは微塵もなく、猫や犬を相手に自由に暮らし、食べたいものを食べ、コンサートツアーで世界を回る様子を淡々と描いています。

 

パリ、ロサンゼルス、ベルリン、東京、京都などに家を持っていますが、それは贅沢のためではなく、あくまでも「心地よく」暮らすためのものだと分かります。ガツガツせず、でも芸術の面では妥協せずに、好きなことに打ち込んで生きる様子はとても魅力的に思えました。私も、できるならああいう晩年を過ごせたらいいのですが、どうかなぁ。

コンサートツアーで世界を回る時「次はどんなピアノに出会えるか楽しみ」という言葉がありました。画面を見ていると、アメリカではスタインウェイ、ヨーロッパと日本ではベーゼンドルファーが多く登場しました。スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並んで「世界3大ピアノ」と評されるベヒシュタインは登場しなかったような? アメリカでは「ユン&チャン」というメーカーのピアノもチラリと映ったような気がします。


また、フジコさんのお母さんがベルリンで弾いていた「ブリュックナー」というメーカーのピアノが保存されていたのですが、外側も中身もボロボロでガタガタに壊れていたのを長い時間をかけて綺麗に修復し、フジコさんの自宅に運び込むシーンもありました。装飾がとても美しいピアノで、フジコさんがいとおしそうに撫でまわす姿が印象に残りました。

 

派手に、声高に何かを訴える映画ではないけれど、とても良かったです。終盤で2017年に東京オペラハウスで開かれたコンサートでの『ラ・カンパネラ』演奏シーンがほぼ全編再現されていて、圧巻。
満足度☆☆☆☆

 

 

 

 

 

<おまけ>

私は一度だけフジコ・ヘミングさんのソロコンサートを聴いたことがあります。ちょうど8年前の今ごろでした。その時の記事はこちら↓

 

フジコ・ヘミング ピアノコンサート@すみだトリニティホール | マサミのブログ Road to 42.195km (ameblo.jp)