太田なわのれん | マサミのブログ Road to 42.195km

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先日、幼馴染みの親友S君を「太田なわのれん」にお招きして、一献(いっこん)差し上げて来ました。

 

 

何度も書きますが、私は去年の暮れから年明けにかけて足腰の変な痛みに悩まされていました。たまたま彼と会って食事した時に私が愚痴をこぼしたら「股関節が固いんじゃない?」とヒントをくれて、参考書を何冊か買って股関節のストレッチに励んだら嘘のように痛みが消え、諦めかけていた東京マラソンにも完走できたのでした。

 

学生時代に始めたボクシングを、60代後半の今になってもジムに通って続けている彼の何げないひとことのお陰で、崖っぷちだった私はどれだけ救われたか! その感謝の気持ちを表すために一席設けた次第です。ちなみに私が太田なわのれんにお邪魔するのは、実に38年ぶりぐらいになります。その辺は、あとでまた。

 

 

 

「横浜の老舗」と言ったら、ここが載らないリストはあり得ません。創業は1868(明治元)年。開国で横浜にやってきた西洋人の影響で牛肉を食べるようになった日本人のために牛肉の串焼きを売った高橋音吉という人が、資金をためて開いたお店です。

 

伊勢佐木町の裏通りにひっそりと建つ、150年の歴史の重みを感じる造り。日本中で店舗はこの本店のみ。支店はありません。ネームバリューをお金に換えて全国展開したりしないところが、横浜の人間のプライドをくすぐります。

 

 

 

玄関をくぐると、こう。靴を脱いであがります。料理屋というか、古き良き時代の「料亭」の雰囲気がありますよね。(この写真と次の写真は借り物です)

 

 

 

4人以上ならお座敷の個室が使えますが、今回は2人だったのでテーブル席へ。昔はここも「卓袱台に座布団」というスタイルだったのがテーブル式に替わったようです。ガラス窓の外には、小ぶりながら日本庭園がしつらえてあります。

 

 

 

牛鍋コースがいくつかある中で、上から2番目ぐらいのを選びました。まず、先付け。一つひとつ仲居さんが丁寧に説明してくれるのですが、覚えきれません。とにかく繊細。そして美味しい。私もS君もアルコールに弱いので、お酒はビール1本を二人で分けただけでした。不粋かもしれないけど、そのぐらいがちょうど良い量なもので。

 

 

 

続いて、お吸い物。中央の灰緑いろのものの中には、挽肉かなぁ?何かが仕込まれていて、割ると「おっ」と思いました。

 

 

 

 

お造り。魚の種類も、聴いたけど覚えられません。ていうか、聴き取れなかったんです。書き出してもらえば良かったかな。

 

 

 

そして主役の牛鍋登場。お肉の上に乗っているのは、味噌です。調合は秘伝中の秘伝。

 

 

 

七輪で炭をおこし、平たい鉄鍋でぐつぐつ、煮ます。すき焼きは「焼く」感じですが、こちらは「煮込む」感覚。肉も分厚く「ぶつ切り」なのが特徴です。

 

 

 

鍋の具合は、仲居さんがすべてやってくれます。お客さんは見てるだけ。そして煮えたら、食べるだけ。

 

 

 

肉がいい感じに煮えたら、玉子に浸して、いただきます。肉が柔らかい!歯がなくても大丈夫かもしれません。ご飯も、おひつに入って出されます。このご飯の量がまた、多すぎず少なすぎずぴったり適量で驚きました。我々ふたりの顔つき、身体つきを見て「このくらい」と案配してくれたのでしょう。そういうところも、凄いと思いました。

 

 

 

デザートにはメロンといちご。器も美しいですよね~。

 

 

 

17時~19時の2時間、ゆったりと過ごしました。お店を出て「ああ、幸せだなぁ」と思わずつぶやきました。こういう気持ちになれる場所って、なかなかありません。

 

こういうお店ですからお値段もそれなりで、2人ぶんで今の私の給料の半分近くが飛んで行きましたが、まったく後悔はないです。大人の時間を過ごすことが出来て、良かった。S君と私で「こういう体験が出来るのも、お互い元気で長生き出来てるからだよねぇ。感謝しなきゃな」と確認しあったのでした。

 

 

ーーー

 

 

38年前に私が「太田なわのれん」を訪問したのは、最初に就職した会社に務めていた頃でした。当時の私は30歳になるかならないかぐらいで、2021年に亡くなった同期入社で親友のIN君と、後輩社員の女性二人の4人でした。(この4人はその後もずっと付き合いが続き、彼が亡くなるまで同じ顔触れで鎌倉あたりを歩いて食事を楽しむ仲の良いグループでした)

 

その頃は、主に冬のボーナスが出たあと「たまの贅沢」ということで、ちょっと背伸びしたお店に4人で行っていました。太田なわのれんの他には、ローストビーフの鎌倉山(本店)とか、葉山にあるフランス料理のラ・マーレ・ド・茶屋などに行った記憶があります。バブルちょっと前~バブル真っ盛りの1980年代、若手サラリーマンにもそういうことが普通に出来た時代でした。

 

なかでも太田なわのれんは特に敷居が高く感じました。値段が高いというより、お店の風格が高くて。私は何を着ていったら良いか分からなくなり、前の日に馬車道の丸井でツイードのジャケットを買って着て行った記憶があります。

料理も…実は味をほとんど覚えていません。今回しみじみ思ったのは「38年前は、アガっていたなぁ」ということですね。気心の知れた仲間だけの集まりですから緊張なんかしなくていいんですけど、なんか妙にアガっていたような気がします。

それに比べたら、38年が過ぎた今回はずっとリラックスして、出てくるお料理をすべてじっくり味わい、堪能することが出来ました。38年間、無駄に生きて来ないで良かったな?という、変な感慨がありましたねぇ。ははは。

 

ちなみに38年前は、美味しいお店に行ったら料理の写真を撮る、などという発想も風習もなかったので、当時の写真は一枚も無いんです。鎌倉山でも茶屋でも、写真は撮らなかった。惜しいことをしましたね。でも今みたいにSNSが一般的になるなんて、夢にも思わなかったから仕方がない。

今回は仲居さんのほうもちゃんと心得ていて、「シャッターチャンス」をちゃんと演出して、スマホを向ける「間」をとってくれました。有難かったですニコニコ

 

私は「太田なわのれん、今回が人生最後になってもいい」という思いでしたが、また行きたくなってしまった。2人以上でないと入れないので、そういう場を設けて、またいつか来たいと思います。老後にはそういう「先の楽しみ」が必要ですもんね。