結果が出るまでの間 | マサミのブログ Road to 42.195km

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ちょっと前の記事に書いたように、大腸の内視鏡検査を受けたらポリープが見つかり、それを取って病理検査に回したら「良性」という結果で安堵した…ということがありました。たぶん大丈夫だろうという根拠の無い自信はあったんですけど、やっぱり結果を聴くまでの間は、少し落ち着かなかったですね。

 

どんな結果でも冷静に受け止めようという覚悟はしていましたが、心のすみっこにずっと小さな雲がかかっていたような感じでした。「心配ありません」というドクターの言葉を聴いて、やっとスッキリしました。

 

それで、思い出したことがあるので書いておきます。

 

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たしか私が30代の前半ぐらいだったと思うので、もう40年近く前になります。私は「ものが二重に見える」という症状に悩まされていました。左右の眼で見た画像が一つにピシっと重ならず、微妙にズレて、ダブって見えるんです。特にコンサートホールの2階席や3階席からステージを見おろすような、上から下のほうを見る時にズレが大きくなりました。

 

そんな症状が数年続き、日常生活で「ものすごく困る」ほどでは無かったのですが、気分的にイヤなので横浜市内でも特に大きな総合病院の眼科に行きました。

 

かなり面倒な検査をあれこれ受けて「やはり、ダブって見えているようですね」ということが医師にも確認できました。そして医師から、

「この症状で真っ先に疑わないといけないのは『重症筋無力症』という病気なんです。でも本当に重症筋無力症かどうかは、血液検査をして30分たてば分かりますので、少し待ってください」

と言われました。そして採血して、病院の廊下で待つことになりました。一人きりです。

 

 

重症筋無力症はその病名のとおり筋肉に力が入らなくなる難病で、上のイラストのように「物が二重に見える」というのが特徴的な症状とされています。最悪の場合は心臓も次第に動かなくなり、命に係わる難病です。

 

そして私が受診する数年前に、私の中学の同級生で、大人になってからもテニスを一緒に楽しんでいた女性がこの病気で亡くなっていたのです。まだ20代なかばの若さでした。特に病気がちだったわけではなく、いつも明るく元気な人だったし、同年代の友人を病気で失う経験はそれまでなかったので、私には大きなショックでした。

 

さらにちょうどその当時、俳優の萬屋金之助さんがやはり重症筋無力症と診断されたことが大きな話題になっていました。

 

萬屋錦之介さん

 

 

採血が終わって、午後3時過ぎで外来の患者さんは誰もいなくなり、ガラ~ンとした病院の長い長い廊下に置かれた椅子に1人でポツンと座っている私の頭の中に「重症筋無力症」という病名が何度もこだましました。「最悪、助からない病気」という認識はありましたが、まさか自分が、という思いでしたし、あまりにも意外な展開だったので、どう受け止めて良いか分かりません。

 

結果が出るまでの30分、心細くて不安で、いてもたってもいられないというようなことはありませんでした。でもちょっと身体が宙に浮くような、ふわふわと落ち着かない気分だったことはよく覚えています。「吉」と出ればいいけれど「凶」だったらどうしよう…根が楽天的な性格なので、悪いほうへ悪いほうへ考えることはなかったけれど、でもやっぱり、ねぇ?

 

そして30分後にまた診察室に呼ばれ、結果は「重症筋無力症ではない」とのことでした。でも「救われた!」という大きな安堵感はなかったように記憶しています。「ああ、そうですか」というぐらいの感覚でした。

 

ものが二重に見えているのは、「眼球を支えている筋肉のバランスが悪いからでしょう」とのことで、あらためてそちらの検査をすることになり、その日は帰宅しました。

 

ーーー

 

でも、あの、一人ぼっちで結果が出るのを待っていた病院の長い長い廊下の景色は、記憶から消えることはありません。あとになって思ったのは、あの30分の間、誰かが少しでも寄り添ってくれたらなぁ、ということです。命にかかわるシリアスな結果が出るかもしれないのに、医師も看護婦さんも誰も何もヘルプしてくれず、たった一人でガラ~ンとした廊下に放り出されて待たされた30分。

 

これは甘いのかもしれませんけど、もうちょっと診療サイドからの配慮が何かあっても良かったのでは?と、今でも思います。そして、あの時は30分だから耐えられたけど、「検査の結果が出るまで1週間です」と言われたら…冷静に過ごせたかどうか、ちょっと自信はありません。

 

 

(画像はイメージ)

 

 

さて、重症筋無力症のせいではないことが分かった私の眼はその後どうなったか? それはまたあらためてお話しますね。(もしかしてもうこのブログに書いたかも?という気がしますが、そこはお許しください)