東京マラソン2024 パーソナル・ドキュメント | マサミのブログ Road to 42.195km

マサミのブログ Road to 42.195km

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2024年3月2日(土)

午後6時ころから明日の支度。2日前にジョギングをした後にフル充電しておいたはずのガーミン、念のため電源を入れてみると「バッテリー容量低下」という文字が出る。おかしいなと思いながら充電しようとしたが、充電モードにならない!いろいろ試したがどうしてもダメ。

バッテリーの残りはほんの僅かの表示。仕方がないので、これで行けるところまで行くことにする。予備の時計もあるし、なんとかなるだろうと思うしかない。

 

 

2024年3月3日(日) 

午前4時に起床。朝食は6枚切り食パン2枚に、とろけるチーズ・ウィンナ・トマトを挟んだホットサンドとコーヒー。

 

6時に家を出て横浜駅6時33分発の横須賀線に乗る。起きてからここまでの時間割りは、実はふだん早番の仕事で出勤する時とまったく同じルーティン。気持ちの上でも淡々と平常心で、なんか可笑しくて笑ってしまった。品川で山手線に乗り換えて新宿へ。

 

 

7時過ぎ、南口を出て甲州街道を進む。多くのランナーがぞくぞくと歩いている。

 

 

パークタワービルが見えてきた。あの右側が都庁だ。

 

 

ワシントンホテルの前。5番ゲートを目指す。サインボードを持って立っている人がたくさんいて、迷わなくて済んだ。

 

 

5番ゲートまでもうすぐ。あたりは結構な人混み。

 

 

金曜日に確認しておいた場所。ランナー受付の時に腕に巻かれたリストバンドと、アスリートビブスをチェックされる。

 

 

テントの中を通過しながら手荷物検査を受け、問題なければ「チェック済み」のシールを貼ってもらう。このあと、隣の「ちびっこ公園」で着替え。というか、私を含めてほとんどの人は上に着ているものを脱ぐだけ。

 

 

脱いだ服などは背負ってきたリュックに入れて、ランナー受付でもらったビニール袋に詰める。

 

 

目の前の道路に、荷台がパカッと開く大型トラックがズラリと並んでいて、あらかじめ決められたトラックに荷物を入れたビニール袋を預ける。私は36号車。どんな小さなものでも、指定のビニール袋に入れないと受け付けてもらえない。このトラックはゴール地点の丸の内に先回りしていて、ランナーはゴールしたら荷物を受け取る仕組み。

 

 

8時30分頃、待機地点につく。晴れ。まったく無風なのが嬉しい。気温は10℃ぐらい。ほとんどの人は防寒のためにランニングウェアの上から何か羽織っている。私も事前に980円ぐらいのやっすいパーカーを買って着込んでいた。スタートしたら、捨てるつもり。勿体ないけど、これも東京マラソンを走るためのコストのうち。

 

待機しながら、来る途中で買っておいた菓子パンを1個食べた。ちなみに、今回のマラソンで持って走ったレーション(補給食)は次の通り。

 

 

スポーツようかん2本と、チョコブラウニー。この他に「バランスパワー」というカロリーメイト的なものもポーチに入れて臨んだが、それは食べずに済んだ。結果的に、スタート待機中に菓子パンを1個食べておいてちょうど良かった感じ。チョコブラウニーは「28度以下で保存」と書いてあったので大丈夫だろうと判断したが、問題なかった。夏はダメだよね。

 

 

ランパンのポケットにはこれ↑。カードサイズの紙をソフトケースに入れたもの。黒字はスタートからのキロメートルで、関門が設置されている場所。赤字は制限時刻。たとえば、スタートしてから4.9kmの地点10時25分までに通過しないと失格となり、収容バスに乗せられてゴール地点まで送られてしまう。関門を通過するたびにポケットからこれを出して、どれくらい余裕があるか確かめながら進んだ。

 

9時10分、スタート。しばらく動きがなかったが5分ほどしてゆっくり動き出す。この時点でまだ仮設トイレに行列している人が100人以上いたように見えた。ひとごとながら心配になってしまう。

 

(以下、基本的にレース中の写真はありません。撮っている余裕はなかったので)

 

スタート地点まで都庁の周りをぐるっと回らされる。道の両サイドや橋の上からボランティアさんたちが手を振ってくれるのが晴れがましくて嬉しい。「衣料品捨て場」が何か所か設けられてあり、待機中に羽織っていたものはそこへ脱いで捨てていく。大きな山がいくつも出来ていた。リサイクルできるものはリサイクルされて欲しい。

 

スタートロスは25分ほどで、9時35分頃にスタートラインを通過。大ガードをくぐり、歌舞伎町を左に見ながら靖国通りを進む。「2kmまではウォーミングアップ」と決めていたので、どんどん抜かされても気にしない。

 

東京マラソンでは、背中に何かを書いてアピールしている人を多くみかけた。市ヶ谷へ向かう3km地点あたりで、前を走る人の背中に何か書いてあるのが見えたので近づいて行くと…

 

「白血病から30年 マラソンのおかげで幸せになりました」

 

だいたいこんな意味の内容を背中に書いたシャツを着た、ミドルエイジぐらいの女性だった。何か写真も貼ってあったような気がする。闘病中の写真だったかも? 

私はエールを送ってあげなければと思い、その人の少し前まで出て振り返り、笑顔で拍手を送った。その方も笑顔で会釈を返してくれた。その後は見かけなかったが、ゴールできたのだろうか。

 

もう少し進んで3~4km地点あたり。右側に横浜Fマリノスの大きなフラッグが見えてびっくり。横浜マラソンではマリノスのサポーター集団が何か所かで旗を振ってくれるので、東京マラソンでも?と思いながら近づいていくと、集団ではなく一人の男性だった。個人的に応援してくれているのだろうか。

でも「ああ、あそこに仲間がいる!」という気持ちになって、すごく嬉しく、勇気をもらえたので、通過する時「ありがとうございます!」と声をかけると、笑顔を返してくれた。

 

市ヶ谷見附は4.9km地点で最初の関門。制限時間まで12分ほどの余裕。まぁまぁだが、決して楽ではないなと思いながら通過。

 

さらに進んで市ヶ谷と飯田橋の間あたりで、今度は左側にブログ友だちのけいこさんとご主人を発見。事前にご自身のブログで「このTシャツを持って立っています」という写真を公開してくださっていたので、すぐに見つけられた。

 

けいこさんとはアメブロ時代からの長い交流だが、リアルでお会いしたのは初めて。ご自身に振り掛かるいろんな試練を乗り越えて常に前向きに進むけいこさんのことは、ずっと尊敬している。こういう形でお会い出来たことが本当に嬉しくて言葉が詰まってしまい、「ありがとうございます」も言えずにグータッチするのが精一杯だった。けいこさん、あの時はごめんなさい。

 

 

けいこさんが撮ってくださった写真。オールスポーツとかの業者さんでなく、沿道から自分を「名指し」で撮ってもらったのは初めてだったので、とても嬉しい。良い記念になります。

 

市ヶ谷のあたりで右を見ると、お濠の向うに土手の斜面が見える。吉行淳之介さんが子供の頃に「ござ」をお尻の下に敷いて滑り降りて遊んだ場所だ。

 

飯田橋から水道橋へ。左には東京ドーム。サザンオールスターズ、セリーヌ・ディオン、ビリー・ジョエル、ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー…過去にここで観たアーティストを思い浮かべる。ついこないだは東京ドームシティホールでQOTSAを観たんだっけ。

そしてこの辺は昔の東京マラソンの35km過ぎ、当時は逆方向に走るコースで、瀬古利彦、中山竹通、宗兄弟、ジュマ・イカンガーなんかが名勝負を展開した場所だったなぁなどと思う。

 

JRの線路をくぐって白山(はくさん)通り。神保町の交差点で、有名カレー店「ガジュアル」の下を左折。反対側の角にあった老舗の映画館「岩波ホール」ではたくさんの良い作品に出会えたことを思い出す。

 

神田駿河台交差点を通過。左を見ればマイ母校。昔のこのあたりは「ウィンター」とか「ビクトリア」とか、スキー用品の店がぎっしり並んでいたが、今は見る影もないのが寂しい。今はすっかり「楽器の街」になってしまった感じ。そういえば母校の隣にあった「山の上ホテル」が閉館になってしまい残念。ついに一度も足を踏み入れたことがないままだった。

 

神田淡路町で左折して秋葉原へ。「肉の万世(まんせい)」本店ビルが閉館というニュースが注目を集めたばかり。行ったことがないので、閉まるまでの間に一度は…と思いながら万世のわきを通過。

秋葉原も、かつては電気製品の街で、私も初めて買ったパソコンはここまで買いに来たものだが、今では「アニメとキャラクターの街」になった。でも「オタクが集う場所」という雰囲気は変わらないかも?

 

どんどん上野が近づいてくる。どこまで行くのかと思ったら、なんと上野広小路の交差点が折返しになっていた。湯島天神やぶどうパンの「舞の鶴」、甘味の「みつばち」なんかに行く時に通るところ。ここだったのか!と思いながら折り返す。あまりにも身近なところだったので少し笑ってしまった。

 

すぐに11.1kmの関門。ここでは15分ほどの余裕。このあとも各関門では15分~18分ぐらいの余裕を持って通過することが出来た。東京マラソンではコースのどのあたりにどんなふうに関門の位置や時刻が表示されるのか未知だったので、見逃したらまずいなと思っていたが、どの関門も見やすい場所に大きく表示されてあったので助かった。

 

ところがここでアクシデント。ここまで動いて来た左腕のガーミンの画面を見たら真っ黒になっている!ああ、ここでバッテリー切れかよ!まさか、よりによって東京マラソンの本番レースの真っ最中に…

 

ガーミンが永眠

 

とは泣 去年の「三浦みちくさウルトラマラソン」でも10時間過ぎでバッテリーが切れたし、そろそろ危ないなとは思っていたけど、それにしても! でも仕方がない。右腕に予備として980円で買ったやっすい時計をしていたので、それを頼りに進むことにする。

 

 

レース後に撮った写真↑。左が、二度と目覚めることのなくなったガーミン(もう充電しようとしても反応しなくなった)。右は予備として見事に務めを果たしてくれた980円の時計。ガーミンが永眠してしまったので「いま自分はどれくらいのペースで走っているか」が分からなくなったけれど、ほぼ5kmごとの関門で「どれくらいの余裕があるか」を確認しながら走れたので、ほとんど心配は無かった。何しろスタートしたら、あとは「制限時間内完走」がノルマだったので、関門の制限時間さえクリアし続ければ良かったわけで。

 

ちなみにスマホもポシェットに入れてあったけど、ランニングアプリは入れていないので使う発想はなかった。理由は省略。

 

2つ目の関門を過ぎてちょっと安心したので、コースわきで止まって腰のストレッチをする。まっすぐ立つ→腰を曲げて手を前に前に垂らし、おでこが膝につくように(膝は曲げないよう注意)→この姿勢で100数える。時間のロスにはなるが、つらくなって途中で歩くよりはマシと思って、最近のフルやハーフではだいたい10kmごとにこれをやっている。今回も途中で4回ぐらいやった。自分としてはかなりの効果を感じています。

 

神田駅でガードをくぐり中央通りを南下。去年の秋の“モンブランめぐり”でいちばん美味しかった「千疋屋総本店」の前を走る。この界隈は通りが狭いのに高層ビルが両側から迫って来て、圧迫感がある場所。と思っていたら、日本橋の手前で、またマリノスのフラッグを発見!まさかここにも、と思ったら、さっきと同じ人だった。地下鉄で移動しながら観戦しているのだろう。

 

さっきよりいっそう嬉しくなって「ありがとうございます!ちからが出ます!」とお礼を言ったら、フラッグを持っている男性も私の顔を見て「あ、さっきも会ったやつだな」と思い出したらしく、笑顔になってくれてグータッチ。

 

そのすぐ後、日本橋のたもとでトイレに並んだ。

 

 

トイレに並びながら「今なら撮れる!」と思い、振り返って撮った写真。左の建物が日本橋三越。箱根駅伝の復路では、この角を左に曲がってゴールに向かう。 マリノスのフラッグ、分かりますか?

 

 

この左側。やはり自分がサポーターをやっているクラブのフラッグは、数100m離れたところから、たった一つでもすぐ発見できるものだなと思った。そして右側のウクライナの国旗もあちこちで目立っていた。あと中国の国旗もあちこちで。団体で中国からのランナーを応援していたのだろう。「加油(ガンバレ)」と書いた旗もたくさん。

 

日本橋を渡って二回左折して新大橋通り(水天宮前)~清洲橋通り(明治座前)。ここからしばらく隅田川の西側を北上して浅草へ向かう。人形町、浜町の界隈は、現役で働いていたころ大手クライアントだった日本ビクターのオフィスがあって、中途採用された直後に何度かお使いに来たので懐かしかった。甘酒横丁でタイ焼きを買って食べたような記憶がある。

 

浅草橋の駅前を通過。この界隈にはやはり現役時代の取引先の子会社があったり、仕事をお願いしていた印刷会社のオフィスがあったりで懐かしい場所。確か駅前の宝くじ売り場が良く当たるか何かで、一度買ったことがあった。売り場のお姉さんがくじを渡す時「当たりますように~」と言いながら小さな鐘をチリ~ンと鳴らしてくれて嬉しかったな…(当たらなかったけど)

 

どんどん行って浅草。「駒形どぜう」の前を通過。某クライアントの課長さんが浅草生まれの人で、年末の接待の時はまずここでどじょう鍋を食べて、神谷バーで電気ブランを飲んで、最後は観音様の裏にあるお馴染みのスナックで飲んでカラオケ…というのがお決まりのコースだった。

自分が生まれて育った土地を私に案内するのが嬉しかったらしく、いつも寡黙な人がニコニコ顔で私を連れ回してくれたっけ…どうしているかな、松下さん。こちらが接待する立場だったのに、いつも全額払ってもらっていたっけなぁ。いま思うと変な話だ。

 

…などと考えているうち雷門の前を右折。スカイツリーを正面に見ながら神谷バーの前でまた右折して戻る。蔵前を通過。私が子どもの頃、大鵬や柏戸が出ていた当時の大相撲は「蔵前国技館」で開かれていた記憶がある。たぶん今の下水処理場あたりだったのだろう。そこを左に見ながら走り、蔵前橋で隅田川を渡って石原一丁目を右折し、清澄通りを南下。今度は隅田川の東側を南に向かって走る。

右折した石原一丁目を逆に左折すれば本所や駒形のほうだし、まっすぐ行くと大平(たいへい)というエリア。太平にもクライアントがあって、2011年の3月11日、そこに行った帰りに錦糸町から山手線に乗って秋葉原の駅に着いた瞬間に大地震だったんだよね…

 

今の国技館がある両国の駅前を走る。ポール・マッカートニーのライブを観た国技館の隣は江戸東京博物館。外装を工事中のようだった。何年か前に、もんじゃで有名な月島をスタートして清澄通りを北へ向かう「清澄通りウォーキング」をしたことがあって、その時は浅草を目指したのだけれど夏の暑さに参って蔵前で終わりにしたのだった。だから景色が懐かしい。

 

交差点の四隅に火消しの「纏(まとい)」が立っている森下の交差点を通過。20.9km関門もセーフ。そしてすぐに中間点。このあたりでお腹が空いたので「スポーツようかん」を食べる。食べる時は走らず歩く。清澄通りは何本かの川を渡るので橋が多く、しかも折返しを経て往復だから橋の上のアップダウンが多い。登りでは歩く人が目立つようになってきたが、私はむしろ登りは好きなので走り続ける。たくさんの人を抜かせるので気持ちがいい。

 

たしかこの辺だったが、前方にシルバーヘアのシニア男性が走っているのを発見。シャツの背中に何か大きく書いてあるので、近づいて読んでみると…

 

ラストラン 穐寿(喜寿)

 

だった。喜寿ということは77歳かぁ!(そしてあとで調べて知ったけど、還暦=赤と同じように、喜寿=紫がお祝いの色だそうで、そういえば紫色の文字で書いてあったような気がする!)

私はこの人にもひとこと言わねばと思い、並走して少し前に出て振り返って笑顔で拍手して「お疲れ様です!最後なんですか?もったいない。まだまだ行けますよ!」と声をかけた。その男性は嬉しそうに笑いながらも「いやいや…」と手を振って応えてくれた。そこから先はどうなったか分からない。完走されたことを願うばかりだ。
 

清澄庭園が右側に見えてきた。ブルーボトルコーヒーが日本に初出店して大人気になった清澄白河のあたり。こないだ皇居を散歩したKさんが行ってみたいと言うから、ご一緒したことがあったなぁ。コーヒー豆を挽く機械の音がうるさくて、会話が難しい店だった。そして向いの有名なお蕎麦屋さんでお昼を食べたっけ…と思いながら走っていたらあった!「蕎匠」。ああ、ここだ。あの時は朝ご飯を食べ過ぎてちっともお腹が空いてなくて、せっかくの蕎麦の味が分からなかったんだよな…

 

さらに行くと左側に「赤札堂」のビルが見えてきた。ということは、もうすぐ門前仲町だ。門仲の交差点を左折。深川不動と富岡八幡宮の前を通過。その間に、去年の正月にお雑煮を食べに来た「田原」がある。あれ以来、来てないな。富岡八幡宮を過ぎてすぐ折返し、また門仲の交差点を右折して清澄通りを戻る。

 

門仲といえば、ブログ友だちのshimoさんが教えてくれたお店があって、まだ行ったことがないんだよな。なんて言ったっけ…えーと…ピーター・ポール&マリーに関係ある名前の…あ、「センマイル」だ!近いうちに行かなくちゃ。

 

記憶がはっきりしないが、門仲でもマリノスのフラッグを見て「あっ!」と思った気がするが、挨拶はしなかった。さっき会ったのは日本橋だから、門仲までは地下鉄で移動しやすいはずだし。見かけた時は対向車線側にいて、私が折り返して戻って来た時にはもう移動しちゃってたんだろうか。

 

清澄通りを北上。また森下のあたりまで来た。「カレーパン発祥の店 カトレア」の前を通過。ここのカレーパン大好き!特に辛口のほう。小さくちぎってランナーに配ってくれたらいいのになぁ。また買いに来よう!

 

カレーパンのことを考えたらお腹が空いたので、チョコブラウニーを食べた。美味しい。身体的なエネルギー補給というより、心を休めてくれる気がする。

 

関東大震災の時と、第二次大戦の東京大空襲の時の被災者を祀った慰霊堂がある横網公園を過ぎ、隅田川を渡って蔵前橋通りを今度は南下。明治座前、水天宮前と来た道を戻る。

 

30kmポイントを通過。何度か腰のストレッチを繰り返して来たので、それほどひどくはつらくないが、決して楽ではない。横浜マラソンを思い出して「横浜マラソンだったら、今どのへんかな?30kmということは、高速道路の上じゃん!」と考える。あの単調な景色に比べれば東京マラソンは風景がどんどん変わるので気がまぎれて助かる気がした。

 

茅場町の交差点を大きく右折して永代通りに入る。ちょっと行ったところで湘南台さんが待っていてくれた!派手な被り物のおかげで遠くからでも見つけやすく、こちらから大きく手を振りながら近づく。「どうも初めまして!ありがとうございます」と挨拶。

消炎スプレーを両足にたっぷりかけてくださった。大きなボトルだったけど、空になってしまったのでは?と気がかり。「またお会いしましょう!」と言って先へ進む。

 

けいこさんもそうだったけど、沿道で誰かが待っていてくれるのを探しながら走るのは初めての経験。「走るのに精一杯で、沿道にいる人なんか目に入らないのでは?」という気もしていたのだが、意外に見つけられるものだなと思った。感謝しかない。

 

COREDO日本橋の下を左折。ここって昔の東急百貨店だったよね。正面に「大手町」の道路標識が見える。ああ、まっすぐ行けばあそこがゴールなのに、なんで曲がるの!という気分。

 

いよいよ銀座の中央通りに入る。正面からの日差しがまぶしい。ここらへんの歩道を歩いている人はマラソンへの関心が薄そうに見えた。シャクなので陽当たりが良いので暑くてランナーが少ない、道の左側(松屋や三越があるほう)をギリギリに走ってやった。右には風月堂。サザンファンつながりで仲良くなったHさんと、ここの2階で何度かお茶したっけ。逢わなくなっちゃったけど、元気でいてくれるだろうか。新しいご主人が見つかっていますように。

 

銀座4丁目の交差点。左に三越、右に和光を見ながら右折。正面のコアビル1階にあった“あんみつ発祥の店”「若松」は消えてしまった…あっ、そうだ。コアビルという名前を候補の中から選んだのは吉行淳之介さんだったんだ…吉行さんは子どもの頃、市ヶ谷の家から歩いて銀座まで遊びに来たんだよね。「伊東屋」の中に、お母さんの吉行あぐりさんの美容室があったから…

 

数寄屋橋の交差点を過ぎ、1月に現役ボクサーの友人と食事した時、股関節についてのアドバイスをもらった「ジョナサン」を左に見ながら有楽町のガードをくぐる。あのアドバイスが無かったら、今日いまここを走っているだろうか?不思議な気がする。ジョナサンに向かって心の中で手を合わせた。

 

ポール・マッカートニーが来日する時に定宿になる「ホテルペニンシュラ」の下を左折して日比谷通りへ。右むこうは皇居だ。まだ走るの?もうあとは皇居1周して終わりでいいじゃん!と思う。気持ち的にいちばんつらかったのはこの辺。足が重い。33.5km関門は15分ほどの余裕を残して通過したが、このあと劇的にペースが落ちたら危ないなと思う。

 

右に日比谷公園。ここの野外音楽堂でもいろんなライブを観た。最近では原始神母(ピンク・フロイドトリビュートバンド)とか、ゲスの極み乙女。とか。もっと前はラブ・サイケデリコとか…見てないけどキャンディーズが「普通の女の子に戻りたい!」ってステージで宣言しちゃったのがここなんだよね…

 

その反対側には日生劇場、帝国ホテル。その間を入っていけば宝塚劇場だ。だいたい、いま走っている日比谷通りは箱根駅伝の1区だよね。スタートして1kmちょっとぐらいかな?

 

西新橋を過ぎると左側には横浜ゴムの本社ビル…と思ったら取り壊されてた! その向いの奥にあった慈恵医大病院にはお世話になりました。耳鼻科、内科、外科、整形外科、そして心療内科にも。

 

やがて右の視界がパッと開けて東京タワーが見えて来た。午後3時過ぎ。真っ青な空に赤いタワーが映えて綺麗。左は港区役所。直接ではないけれど、今の私の雇い主なので、心の中で最敬礼。

 

つらい。足が重い。きつい。気をまぎらわすために2本目のスポーツようかんを食べる。ちなみにドリンクは、すべての給水所でスポーツドリンクか水のどちらかを必ず飲んで走った。最高気温は13℃ぐらいだったらしいが、のどが渇く感じはまったくしないで済んだ。汗でシャツがぐっしょり、にもならなかった。

 

どこかこの先に折返し点があるらしく、対向車線をランナーがどんどん走ってくる。「5時間半」と書かれた大きな幟を背負ったペースセッターと、その後ろを走る集団とすれ違った。自分は7時間でゴールすればいいんだから、あと1時間半ある。大丈夫かな?

 

37.8km地点。芝5丁目の関門を通過。何分ぐらいの余裕だったか、もう覚えていない。「横浜マラソンだったら…高速を降りたあたりかな?」などと考えていたような気がする。だとしたら、横浜では「もう残りちょっと!」という気分になったのだが、東京マラソンでは「まだ4km以上もあるのか」という気持ちだった。

 

左に戸板女子短大が見えてきた。松本伊代がここに通ってたんだっけ?すぐにT字路を右折して国道15号・第一京浜に入る。これ、どこまで行って折り返すんだっけ? 八ツ山橋あたりまで行くんだっけ?だったら品川の向うだから、まだ全然ずーっと先じゃん!などと考えて絶望しかけたが、それは朦朧としていたせいで、田町の駅を左に見ながら通過したらすぐに折返しだったので安堵した。

 

折り返すとすぐに38kmポイント。「この先の関門はゴールです」と書かれた紙を持ったスタッフが立っていて、時計をみたら15時20分ぐらいだったと思う。ゴールの制限時刻が16時10分だから、あと4kmを50分で走ればいいんだな?と計算して、これなら完走は出来る!と思い、一気に気持ちが楽になった。心の中を爽やかな風が吹き抜けた一瞬。

 

とは言っても、折り返してみると、対向車線を走って来るランナーはほんのわずか。そしてその後ろからは「コース査察」と書かれた大会関係車両が走ってくるし、さっき私がドリンクを飲んだ給水所も、折り畳み机をパタパタと畳んで、撤収作業に入っている。明らかに「もう終わり。閉店ガラガラ~」の雰囲気だ。気を抜かずに急がなくちゃ!

 

 

40kmポイントでスマホを取り出して撮影。こんなふうにセルフィ―する人もたくさんいた。

 

フルマラソンの時、苦しくなると頭の中に流れて来るのは、サザンオールスターズの『希望の轍』という曲。20年以上も前、第1回の茅ヶ崎ライブの時のオープニング曲だった。長いイントロの途中に入る桑田さんの「ヘイ!」という掛け声がかっこ良くて。

 

夢を 乗せて 走る 車道 

明日への 旅

通り過ぎる 街の色

思い出の日々

 

恋心なぜに切なく 胸の奥に迫る

振り返るたびに野ばらのような Baby Love

 

遠く 遠く 離れゆくエボシライン

oh my love is you

舞い上がる蜃気楼

巡る 巡る 忘られぬメロディライン

oh my oh yeah

Gonna run for today oh yeah 

 

いつもはいちばん苦しくなる30km過ぎあたりで浮かんでくるんだけど、今回は40kmポイント過ぎで出て来た。テンポが走るリズムと合ってちょうどいいんだよね~。

ここまで苦しかったけど、西新橋から日比谷公園、帝国ホテルが見えてくるあたりでこの曲に合わせてグッ!とスピードが上がって、自分でも「まだこんな力が残ってたのか」と驚き、そして、なんだか分からないけど、涙…

 

ホテルペニンシュラの下を今度は右に曲がり、ちょっと行って左に曲がれば、丸の内仲通り。ここに「あと1km」の表示があって「まだ1kmもあんの!」って驚いたけど、身体は加速してくれた。

 

 

ここはやっぱり写真撮るよね~。1月にお友だちと「皇居めぐり」した時にここを歩いて「3月3日はどんな気持ちでここを走るんだろう。っていうかその前に、ここまでたどりつけるんだろうか?」なんて考えたことを思い出した。今日はこのフェンスの内側、ランナーだけしかいられないエリアに自分がいることが嬉しくて嬉しくて! ここ、分かって欲しい! 

 

そしてここはギャラリーのテンションが高い!両側にたくさんの人がいて、フェンス越しに手を伸ばしてハイタッチしてくれる人がたくさん。海外からの観光客の人も笑顔で拍手を送ってくれて、もう気分はファッションショーのランウェイだった~!

 

 

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フィニッシュラインを越えて、ボランティアさんに撮ってもらった1枚。ここから先はスマホをポシェットから出して撮影しています。

 

 

 

ゴールすると、まずメダルを首にかけてくれます。そして何も入っていない白いビニール袋を渡され、歩いていくと次々に右から左からいろんな物が一つずつ渡されました。なかなか良くできたやり方。

 

 

渡されたのは、ミネラルウォーター、ボディメンテジェル、ウェットシート、バスクリン的なやつ、保温用アルミシート(白くて四角い、ティッシュみたいに見えるもの)。

 

 

これらをぶらさげて、手荷物を受け取りに指定の場所まで歩きます。そこで最後に渡されるのが…

 

 

タオル地で出来た、この保温用ポンチョ。同い年ぐらいの男性から「撮ってもらえますか?これを着たかったんです」と言われたので撮ってあげて、私も撮ってもらいました。でもこれ、持って帰っても使い道が分かりません。どういう場面でどう着るの? 欲しい方がいらっしゃったら差し上げますので、お申し出ください。フリーサイズです。あ、切り刻んで何かにリメイクする手がありますね。私は出来ませんけど。

 

 

丸の内界隈には、こういう格好をした人がゾロゾロ。わけを知らない外国の人が見たら「カーニバルに参加したダンサーだな?」と思ったかも知れませんねー(笑)

 

私が指定された手荷物受取りと着替えの場所は、サンケイホールという所。ここ、読売新聞本社の隣なんです。ということは…

 

 

はい。ここがお正月の箱根駅伝のスタート地点。選手たちは向こうからこちらへ走って来ます。そして…

 

 

ビルの反対側のここがゴール地点。選手たちは向こうからこちらに向けて走って来て、真ん中あたりに張られたフィニッシュテープに飛び込みます。笑顔でVサインの選手もいれば、頭を下げて「すまん!」と拝む手つきをしながら帰って来る選手もいて。

 

偶然ですけど、東京マラソンの最後がこんなふうに箱根駅伝がらみの場所だったのは嬉しかったですね。アスリートビブスの色が「茶色」の人だけが見られる景色でしたから。なんかついてたわー。

 

 

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タイムは、速報値ですが6時間9分3秒でした。去年10/29の横浜マラソンより15分も遅いけれど、満足です。去年の暮れからずっと体調が悪くて、一時はスタートラインにつくことも諦めかけたことを思えば、よくここまで回復したなと思います。それもこれも「股関節ストレッチ」を薦めてくれた友人のひとことが大きな転換点でした。

彼にはさっそくお礼のLINEを送り「ちかじか一献差し上げたく…」と伝えてあります。彼も自分のことのように手放しで喜んでくれました。その席が本当の打ち上げ&反省会になりそうですね。

 

私のこれまでのフルマラソン挑戦の記録は、こんなふう↓です。

 

 

繰り返しになりますが、私は今まで10月~3月のマラソンシーズンの間に、2つのフルマラソンを走った経験はありませんでした。上の表のように、何度か挑戦したものの体調が整わず失敗続き。最悪だったのは2016~2017シーズンですね。NAHAマラソンは途中失格だし、リビング×メーテレはケガでDNS。その意味では、タイムはともかく、67歳になって小さな夢を一つ叶えることが出来たのは素直に嬉しいです。(この表以外にもハーフやウルトラなんかを走っています)

 

あ、でもこんな鈍足タイムの表を恥ずかしげもなく公表しちゃうのは…「還暦過ぎてもサブ4」なんかを目指している皆さんにとってはお目汚しですよね。失礼しました。しかし、こんなタイムでも嬉しい人も世の中にはいるってこと、お分かり頂きたく存じます。

 

 

 

 

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正直に言いますと、東京マラソンや横浜マラソンのような、規模の大きなインターナショナルな大会には、私は少しネガティブな気持ちを持っていました。なんかね、「見るからに大手代理店が何から何まで仕切っている感じ」が苦手だったんです。あまりにもシステマチックで効率的で、自分が小さな歯車のひとつでしかない感覚。

だって、参加者が300人の大会だったら、自分の存在は300分の1でしょう?それが3万人の大会だったら、3万分の1にしかならない。本当にちっぽけな駒というか、“その他大勢”みたいな存在として扱われるのが、なんかちょっとねぇ。

 

東京マラソンもランナーズEXPOに行ってみて、ああ、やっぱりこうだよな、という感じはありました。でも実際に走ってみて、印象は180度変わりましたよ!何がいいって、コース内外にいるボランティアの皆さんの動きがいい! みんな表情が明るいし声が大きいんです。

失礼な言い方ですが、一見、普通のおじさんおばさんに見える方でも、笑顔だし身振り手振りが大きいし、声もガンガン出てる。私は「え?」と思いました。何度も。あの年代の、タレントや俳優でもない人たちがああいう動きや表情をするのかって。

 

30kmを過ぎたあたりからは、もう走ってるランナーは少ないから、給水所はかなり片付けられていて、仕事が終わって手ぶら?なボランティアさんもいるみたいなんですけど、そういう人たちも一列になってランナーに手を振り、声をかけて応援してくれるんです。それが「やらされている」のではなくて、本当に自然で、応援を楽しんでいる感じが伝わってきました。

 

ネガなことを言いたくはないのですが、そのあたりが、我が街の横浜マラソンとは大違いでしたねぇ。横浜マラソンでは仕事が終わって手が空いたボランティアさん、おそらく動員された高校生っぽい人たちですけど、ランナーそっちのけで仲間うちでジャレていたり、ポツンと下を向いて所在なさそうにしていたり…ごくごく一部ではありますが、私としては走りながら「おいッ、そこの若いの!シャンとしろよ!」と言いたくなってしまう場面がそこかしこにありました。

 

だから今回東京マラソンを走ってみて、目からウロコ的な部分もあったんです。あれはいったい、どこで何が違うんでしょうね。うーん。考えてしまう。

 

そんなこんなで、私の東京マラソン2024はノルマも希望も理想も果たすことが出来て、万々歳の結果となりました。皆さんの熱いご声援にあらためて御礼申し上げます。今後のことは未定ですが「首の皮一枚」繋がりましたので、少し休んでまた考えますね。ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

今回しみじみ感じているのは、レース後のダメージが軽いことです。去年の横浜マラソンの時は、ゴール後はもう何もしたくなくて、家に帰ってお風呂に入ったら寝るだけでした。着替えやお風呂の中でも、ちょっと身体を動かすとふくらはぎや足の裏がピキーン!と攣りそうになってヤバいヤバいヤバい…の連続。

 

でも今回は、まずフィニッシュ後、どこも攣りそうにならなかったんです。レース後も、早くお風呂に入りたいからまっすぐ帰宅しちゃいましたが、どこかに寄って軽く一杯…ぐらいの余力は十分に残っていました。これを書いている今は火曜日の夜ですが、もうフルマラソンのダメージはほとんど感じていません。明日にはジョグ再開してもいいぐらい。

 

ということは、やっぱり湘南台さんが用意してくださった消炎スプレーの効果でしょうか?ですよね? わー、なんか凄いな。私は今まで使ったことが無かったんですけど、やっぱりあれだけ多くの人がシューシュー使っているということは、効き目があるんですね。納得しました。湘南台さんにはあらためて御礼申し上げます。次回からは持参して走りますね~OK