松田選手を悼む | マサミのブログ Road to 42.195km

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横浜Fマリノスから、今年JFLの松本山雅に移籍した
元日本代表ディフェンス、松田直樹選手が、心筋梗塞で亡くなられました。享年34歳。
 
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驚きと悲しみで言葉がありません。
「ミスターマリノス」という言葉がふさわしいほど、
16年間の長きにわたってどっぷりとマリノスに浸かってきた選手でした。

 
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昨年のオフに「高額年俸のベテランを解雇する」というチームの方針が発表されたあと、
サポーターは怒り、フロントに対して猛抗議を行いました。
昨シーズンの最終戦終了後、日産スタジアムのマリノス側ゴール裏には
松田選手の残留を願うサポーターがいつまでも居座り、「ナオキ!」コールを繰り返していました。
もちろん私もその中の一人でした。

 

そのサポーターに向かって松田選手はハンドマイクを持ち
「俺、まだサッカーやりたいんすよ。続けたいんすよ!」と
心のうちを明かしてくれました。あの顔、あの表情、あの声、
いまでもしっかり記憶に残っています。
 
 
なにしろ、熱いハートの持ち主でした。
いつかのシーズンで、アビスパ福岡が相手だった試合。
もうシーズン終盤で、残留争いをしていたアビスパは、
その試合でマリノスにリードを許していたにもかかわらず、
これ以上得失点差を悪くさせないよう、攻撃を控えて
全員が守備に回ったのです。

それを見た松田選手は激怒。ボールをキープしたまま、涙を流し、
「お前ら、かかってこいよ!それでもプロかよ!恥ずかしくないのかよ!」と
アビスパの選手を叱咤、挑発したのです。

 
2002年の日韓ワールドカップでは、トルシエに呼ばれて合宿に参加したものの、
常に「控え」の扱いに愛想をつかし、
「使ってくれないなら帰る」と勝手に合宿から戻ってしまって、
ペナルティを受けたこともありました。
しかし真摯なプレイはやがてトルシエの信頼を得て、
ワールドカップ本番では見事に主力として活躍。
(そう、「フラット・スリー」の右サイドですね)
そして初めてのベスト16進出に大きな貢献を果たしました。
 
私は本人と直接面識はありませんが、
熱くてやんちゃで、でも人情味があって親分肌で、
多くのチームメイトや後輩たちに心から慕われていたようです。
松田選手の入院していた病院に、たくさんの選手やスタッフが
見舞にかけつけたことでも、彼がいかに周囲から愛されていたかがわかります。


まだ34歳。いくらなんでも早すぎますよね。
去年、愛していたチームをクビになったと思ったら、今年はこんなことになるなんて。
神様ってのがいるなら、あまりにもひどすぎる。そこまでマツを苦しめなくてもいいのにって思う。
 

もう、何を言ってもマツは帰ってこないんですよね。
松本山雅がJFLからJ2に上がって、そしてJ1に上がってきたら、
マリノスとの試合でマツと会えるのを楽しみにしていたのに。

心からご冥福をお祈りします。合掌。


背番号3は、横浜Fマリノスの永久欠番にしてほしい。