才能や能力
ユーロを見終えたのでコパアメリカを見始めています。シーズンオフのこの時期でもサッカーをこんなに楽しめる。本当に良い時代だなぁと思います。振り返ると、サッカーほど幅広いプレー、量を見れるスポーツは中々ないように思います。おそらく勘違いもあると思うのですが、そうした憧れのプレーもまるで見て来たかのように錯覚します。会うことさえできないようなスターの名を口にすることで、自分がそうしたチームのオーナーかのような心地がする。実はそんな錯覚も含めてサッカーファンの楽しみなのかもしれません。◆才能や能力そんな前提を踏まえつつ今回書いておきたいと思ったのは、「才能や能力」という言葉の扱い方、その注意点についてです。サッカーをしてると誰しも、才能や能力といった言葉を使って、もしくはその言葉を避けつつその話をする、もしくは思考するときがあるはずです。気をつけなければいけないのは、「では他の才能や能力を選べるのか?」という問いだと思うのです。たとえばクラブ経営をしていて、ある程度金銭的な問題がクリアできるオーナーや監督、選手獲得が可能な人であればそれはYESなのかもしれません。でもそうでない時、例えば自分が、いちサッカー少年の親、草サッカーチームのキャプテン、部活の顧問、少年団のコーチ、大筋の選手獲得の権限もないクラブチームのコーチだったとしたら、ほとんどがNO、もしくは幅のあるYESなんだと思うのです。では選べない(選択肢に限りがある)場合、「才能や能力」という言葉(もしくは暗にそれを意図して語る場合)に意識的になる必要があると思うのです。◆変えられること選手の与えられた能力や才能には幅があり、その幅を越えていく努力と、深さを求めていく努力、さらにそういった「変えられること」自体も日々変わっていくように思うのです。その「変えられること」を見抜くのさえ、かなりの困難が伴う中、その選手、及びその選手の関係者として、その努力のために「楽しさ」を代償にする必要は果たしてどれくらいあるのかな、というのが注意しなければいけない点のように感じます。「変われること」を見逃さず、堅実に積み重ねていくこと、その道のりを楽しむ姿勢がとても大切なように思い始めています。