スペインが世界一になった後、子どもたちに何を教えるのか
僕はプレミアリーグが好きです。ここ数年、世界最高峰のスターでさえ走り、追い、守る姿を見てきました。才能だけでは許されない。献身的なハードワークまで含めて現代サッカーなんだと思っていました。だったら日本は、もっと走らなければ世界に勝てない。ところが、スペインが世界一になり、今のバルセロナを見ていると、それだけでは説明できないものを感じます。彼らも猛烈に走る。ただ、激しい状況でも判断まで一本道にならない。ロドリやハフィーニャ、少し前ならブスケツのような選手を見ていると、情報を取るのは早いのに、判断を確定するのは遅い。相手が変われば、最後まで自分の答えも変えられる。一方、アジア大会のU-21日本代表を見ていて気になったのが、倒れ込みながらプレーを完結させる場面でした。もちろん必要な場面もあります。ただ、縦に行く、打つと決めて身体まで預ければ、そこからキャンセルはできません。同じ高強度のサッカーでも、この違いはどこから生まれるんだろう。「やりきる」で、やりきれてしまう日本で「やりきる」ことが評価されるのは、精神論だけではない気がします。やりきれば、実際に通用するからです。速く寄せる。走り切る。縦に仕掛け切る。それで相手を上回れば、その方法は成功体験として残ります。でも海外へ行けば、相手も速く、強く、同じように走る。日本で「天才」と呼ばれた柿谷曜一朗選手が、海外で感じた違いの一つが相手の「腕」の使い方だった、という話があります。これが面白い。足元の技術では日本のトップレベルにいた選手が、海外へ行って驚いたのが「足」ではなく「腕」だった。細かなボールタッチができても、身体を入れられれば、その技術を使うスペース自体がなくなる。逆に腕と身体で相手を遠ざけられれば、複雑なフェイントを使わなくても運べる。環境が変われば、「上手さ」の意味まで変わる。日本では、やりきればやりきれてしまう。でも世界では、同じ方法では解決しないことがある。そこで初めて、止まる、待つ、相手を動かす、最後に答えを変える、といった別の解決が必要になるのかもしれません。「献身的な日本人」で終わらないためにワールドカップ後、前田大然選手が念願だったプレミアリーグへ移籍しました。そのスピードと運動量は、イプスウィッチでもすぐに評価されています。ただ、置かれている状況は少し興味深い。守備を求められ、途中で交代する。前田選手自身も「守備ばかりしていた」と話し、一方で「点を取らないと話にならない」と言っています。これを見ていて、レスター時代の岡崎慎司選手を思い出しました。岡崎選手もハードワークを評価されながら、45分や60分で交代させられることに悩んでいました。そして後に、「献身性という言葉ほど危険で甘いものはない」と語っています。献身性は「生き抜くためには大事」だけれど、それ自体を武器にしてはいけない。点を取れなければ何度も代えられてきた、と。これは日本人選手について考えると、少し引っかかります。ハードワークを厭わない。監督の要求を守る。ベンチに置かれても腐らない。もちろん全部、大切な資質です。でも、それだけでいいんだろうか。「使いやすい選手」と「外せない選手」は、たぶん同じではありません。では、その先の選手はどう育つんだろう。9歳、10歳の子どもを持つ親として、僕が知りたいのは結局そこです。子どもは、いつ上手くなっているんだろうここで気になる研究があります。2024年、Van Royらが子どもと大人の運動学習を比較したところ、子どもが練習中に特別速く上達したわけではありませんでした。違いが現れたのは、その後です。練習をしていない5時間、24時間という「オフライン」の時間を挟んだあと、子どもたちには大きなパフォーマンス向上が見られました。もちろん、サッカーの研究ではありません。ただ、「ゴールデンエイジだから、たくさん教えればどんどん吸収する」という単純なイメージとは少し違います。大人は、課題を見つけ、原因を説明し、正しい方法を教える。そして「あとは頑張るだけ」と考えがちです。でも子どもは、大人が見ていない時間にも、別の形で学んでいるのかもしれない。本人すら意識しないところで、見たもの、失敗したこと、身体で感じたことがつながっていく。そこは、大人には手が届きません。余白に何があるのかスペインやバルサの選手たちは、なぜあれほど激しい状況でも最後まで答えを変えられるんだろう。日本の選手は、なぜ「やりきる」ことがこれほど上手いんだろう。もちろん、育成環境も文化も違いますし、その答えが「余白」だなんて簡単な話ではないと思います。ただ、9歳、10歳の子どものサッカーを見ていると、最近そこが気になります。大人が課題を見つけ、正解を教え、やるべきことを決める。それによって育つものがある一方で、大人には理解できないところで、子ども自身が何かをつなぎ合わせる時間もあるのかもしれない。だとすれば、考えるべきなのは「何を教えるか」だけではない。どこまで教えて、どこから先を子どもに残すのか。スペインやバルサを見ながら感じていた、なさそうで確かにある世界との差。最近は、その差を考えることが、子どもに残す「余白」のことまでつながっています。