◆パパ審判

 

最近は子供の試合の審判もするようになりました。

 

わが子が所属する少年団は(界隈の少年団の中では珍しいと思うのですが、)パパコーチでなく専属のコーチ(手当あり)となっています。

そして審判はパパ審判(手当あり)、場合によりコーチ審判という感じです。

 

ちなみに私自身は大学時代に東都3部、社会人の地域リーグなどでも選手しながら審判(当番)をしていましたので

審判をすることにもジャッジの際にヤジられることにもそれほど抵抗はないのですが、

本音を言えば、わが子のプレーを楽しみたいので審判はあまりやりたくないなー、とは思っていました。

 

しかし、同学年の働き者のパパさんがいて、その方だけにやらせるのも心苦しく、

私も資格を取得し審判をするようになりました。

 

やってみるとそれなりに楽しい気づきもありました。

 

近距離で1年生がプレーするのを見れたり、

ベンチでの子ども同士の会話が聞こえたりと

中々楽しく、勉強になる瞬間も多くありました。

 

◆サッカーにおけるファールについて

 

サッカーあるあるだと思うのですが、

サッカーをやってると、(乱暴に分けると、)ファールする側の選手とされる側の選手に分かれます。

 

私自身、現役の時は「する側」の選手だったので

(申し訳ないとは思いつつも)ファールを怖れてはいけない状況を多く経験してきました。

意図的にファールをしてたつもりはありませんでしたが、

残念ながら100回チャレンジして100回ファールをしないでボールを奪えるほどは上手くはありませんでした。

 

上手くない分、頑張らないととチームに貢献できないというコンプレックスもあり、

良くテクいウィンガーやファンタジスタタイプのトップ下に白い目で見られがちなことは薄々感じていました 苦笑

 

あくまで私見ですが、日本では強いことより上手いことの方が尊敬を集めるように感じています。

そしてファールや体のぶつかり合いを好まない選手が多いように感じます。

そのせいかファールを善悪で語り過ぎているように感じるのです。

 

しかし、私個人としては、ファール、もしくはファールにならないぶつかり合いからも学べることが多くあることを

ずっと感じていたように思うのです。

 

◆パパ審判のジャッジの傾向

 

たまたまかもしれませんが、選手として高校までしか経験していないパパ審判と

社会人リーグと大学リーグを経験しているパパ審判ではファールの基準が若干異なるように感じています。

 

あくまで知る限りですが、大学以上になると(身体も出来上がるせいか)激しさが急に増し増しになります。

高校からプロになった選手が「プロは強いだけ、上手いだけ、じゃなくて上手くて強い選手が多い」というのを記事で読んだりもします。

イギリスのプレミア好きとしては海外の強度に個人的には憧れます。

 

ただ、ここは難しいところですが、

「海外(特に欧州)に出ることをゴールにした方が良いんだからその強度に慣れておいた方が良い」

などというつもりはありません。

プロになることや海外でプレーすること、それを目指すことが必ずしも子どもの為になるかは、確信が持てないからです。

 

◆審判として子どもたちの成長に貢献するために

 

経験則になってしまいますが、

子どもたちはファールの練習をしません。

ファールにならないぎりぎりのプレーもあまり練習しません。

 

どこまでOKでどこからNGなのか

その基準は大きくなるにつれて学んでいくものなのかもしれません。

 

ただ、

多くのコーチは「はい、ファール」や「それはファール」と非難するトーンがあることに気づいていました。

「惜しかったね、こうすればファールにならずボールを奪えたよ」

とニュートラルに伝えるコーチにはあまり会ったことがありません。

 

とは言え球際の激しさは求められがちです。

一番求められるのに教えてもらえない、

ファールとファールじゃないの境界線はそんな不思議な扱いを受けてるように思うのです。

 

そんなこともあり、審判をやる際にはこうするとファールになるということを伝えるように心がけています。

 

例えば、

手のひらを使って引っ張ると印象が悪いけど、手の甲を使って腕を伸ばさずに力を加えれば良い、などのアドバイスです。

※ジャッジしながらなのでこうすれば良いとまで伝えられる余裕はあまりありませんが、、

 

サッカーに限らずですが、子どもたちは大人が生きた世界(≒過去、現在)と異なる世界を生きる可能性があります。

 

町田ゼルビアが「日本の審判がファールをとりやすいことを逆手にとって、すぐ転んで時間稼ぎをする」などと揶揄されるのを聞いたりしますが、

子どもたちが大きくなり、強度の強いサッカーを経験するころにはどんなジャッジが主流になっているかは、誰もわかりません。

 

そんな中、今、子どもに接するいち大人としては、「善悪」でなく「真偽」の線引きをなるべく引いてあげて

(我々が苦しんできた同調圧力みたいなものではなく、)

個人として論理的に物事を判断する習慣を育てる、

そんなことにサッカーを通して貢献できたらと密かに願ったりしています。