ここ数日、創造的なこと、文章を考えるとか構成するとかできず、じっと座ってもいられず部屋をウロウロしてしまう感じが続いて、こういう時は何か来るので動かされるままにしていたら、お報せが来た。
急に、スピリチュアルという文字が頭に浮かんで、スマホで「スピリチュアル」と検索したら、瀬戸内寂聴さんの訃報だった。
なんで?
少しでも、気にかけてくださってたのかな。
2018年5月、瀬尾まなほさんの『おちゃめに100歳!寂聴さん』という本のあとがきを、私が読んだものを寂聴さんにも聞いていただいたと思うのだけど、寂聴さんの別の本をオーディオブックとして読ませて欲しいと許可をいただくためのサンプルで、
結局、許可はいただけなくて、それはそれは心を入れて送ったサンプルCDだったので相当にがっかりしたわけで、でもダメなものはダメだから、すっぱりあきらめて忘れてしまっていたけど、お報せが来て、思い出した。
「公開しなさい」ってことなのかな。
なんて、都合よくとらえて、YouTubeに乗せてみようかな。
怒られたら消すので、近々。
本を見て、当時のことを思い出した。声が聞こえてくるんだよね。文字が声になって見えるというか。
だから、全く考えないで出てくるままに読んだ。
エッセイの音読って、著者をマネるかどうか、迷うよね。
でも、文章って、ご本人の喋り言葉でもないと思うから、私はマネるより、文章の印象かなって思う。
セリフとモノローグって違うじゃん。なんかそんな感じに近いかな。
で、このブログ『奇縁まんだらだら』ずずーっと振り返ってみたら、寂聴さん書いてないじゃないって驚いた。
そっか、寂聴さんに送った手紙に、不思議なご縁を書いたのを、すっかりブログで書いたと思い込んでたっぽい。
なんか思い出してきた。今読み返すと恥ずかしい・・・
寂聴さんとの出会いは、三軒茶屋のブックオフ。当時はきっかけや出会いを求めて、足繁く通ってたんだ。それまで瀬戸内晴美も寂聴も全く読んだことがなかった。この時、どうして手に取ったのかわからないけど、なぜか引かれたんだよね。
『若き日に薔薇を摘め』寂聴さんと藤原新也さんの往復書簡。
オーディオブックにしたいとお願いした本だ。
サンプルCDを送る頃、やたらに中村勘三郎さんが頭に浮かんできて、まるで手紙に自分との縁を書け書けってせっつかれてるようで、今思い出しても笑ってしまう。
確か、寂聴さんと勘三郎さんが親しくされていたことを知って、やたらに頭に浮かぶ勘三郎さんが、お節介焼きで勘三郎さんっぽいなあと、一人勝手に想像遊びしてたというか。
まあそれで、寂聴さんの『奇縁まんだら』にちなんで、中村勘三郎と自分とのご縁を書いてみたものの、やっぱり「おかしな人だ」って思われるのがオチだよなあ、と迷っていたら、
ある時、別の考えが、突然、浮かんできた。
瀬戸内寂聴の生涯を描いたドラマで主演の宮沢りえさんとは、ずっと若いころ、事務所の先輩たちとともに、糸井重里さんも一緒に焼き肉を食べたことがあって、ずっと気にかかっていたし、
彼女演じる瀬戸内晴美さんが惚れた男を、打ち上げで一緒にバカ写真を撮った勘九郎長男の勘太郎さん(当時)がやっていた。
なぜか覚えているのは、この二人のキャストだけなんだよな。
瀬戸内寂聴へと、勘三郎さんが導いてくれた?
いやいやいやいやいくらなんでもな荒唐無稽さに笑ってしまい、一通り書いた後もやっぱり迷っていたら、当時、初めて1話から最終話までちゃんと見た大河ドラマ『西郷どん』で、柄本明さんが、その日からレギュラーで、
『元禄繚乱』での勘九郎さんと柄本さんとのやりとりが、また思い出され、ドラマの内容も相まって、もう涙が止まらなかった。
「勘三郎さんに書け書けと乞われて、こうなりました。
全く私の気のせいかもしれませんが、本当だったら、勘三郎さんに悪いので、
「本当」という方を、是非、採用させてください(笑)」
で締めて、えいやっで送った。
勘三郎さんとのご縁は、前にこのブログで書いた。
寂聴さんには、現実にお目にかかることは叶わなかったけど、喋りは聞いていただけたかなと思ってる。
勘三郎さんは間に合わなかったけど、寂聴さんには勇気を振り絞った。
現実はどうあれ、自分が繋がったと思えば、繋がってる。
総意識の世界というか、現実ではない深いところで、繋がってる。
現実の次元では、ご縁に楔を打ち込むというか、それができれば、たぶん繋がる。
まあ、そんな気がするだけだけどね。
テレビやネットでニュースを見なくなって久しい。お報せが無ければ、今も知らないままかもしれない。
寂聴さん、どうか地球をみんなを見守ってくださいね。
少しでも寂聴さんの意を受けて、次に繋げていけるよう精進します。
チャンスを与えてくださったこと感謝します。がんばりますね。
ありがとうございました!