政治改革に値せず 権力におごり | 川島正仁の南米体験歌

川島正仁の南米体験歌

川島正仁は、東京オリンピックの年(1964)、高校を卒業し、翌年19歳で南米アルゼンチンに移住します。日本を最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗船し、横浜港の大桟橋から出航しました。その時からの苦しい移民生活を、歌とともに綴ります。

自民党派閥の裏金問題で失墜した政治への信頼を、取り戻すきっかけさえつかめぬまま、国会が会期を閉じる。自民党議員の2割を超す82人が組織的に関与した裏金問題の本質は、領収書1円で間違わずに申告して税金を納めている国民への裏切りだ。リクルート事件以来といわれる政治不信を解消するには、単に事件の再発防止だけではすまない。35年前に自民党が政治改革大綱で「多額の政治資金の調達をしいられる政治の仕組み」を抜本的に変えると宣言した宿題に答えを出すことが必要だった。ところが、政治にカネがかかる構造は変わらず、政治交付金として受け取る税金の他に企業団体からも献金を受け取れる仕組みを温存。支出先も用途も分からないカネのやり取りは10年間伏せる。これでは「政治改革」の名に、とても値しない。裏金作りのシステムをいつからだ誰が始め、誰が続けたのか、いまだにわからない。事実解明が不十分だから処分も甘い。党役職停止1年となった一人は東京都連会長を続投。別の一人は裏金を原資に税金の優遇を受けていたが、新たな処分もない。自派閥が立件された岸田文雄首相も無罪放免だ。けじめのない姿に、党の若手や地方組織から首相退陣論が続出している。反省が見えぬ背景にあるのは、政権復帰から11年余権力の座にあるおごりだ。国民は事件について、いつか忘れる。森友・加計問題、桜を見る会で批判されても、力任せに疑惑を否定し、選挙で負けなかった。バラバラな野党にさえ勝てれば、政治転落も議席も失うこともない。国民感覚からここまでずれた政治を正す手段は一つ。向こう1年半以内に、衆院選も参院選もある。投票用紙に向き合う瞬間まで、政治の惨状を記憶に刻みこむしかない。

上記の記事は、6月22日に朝日新聞に記載されたものである。私も正にそのとうりだと思う。ここで野党側がきちんとした方策を打ち出せばよいのだが、彼らにも多くの問題がある。これがわが国の悲劇である。どうしてわが国、日本には「立派な政治家」が現れないのか、私は「教育システム」に尽きると思う。今の「エリート教育」では、正義感の強い、本当に国のことを思い、人を愛せるそのような懐の広い人物を輩出するのは不可能である。己の人間性を高めるには、それは多くの経験を積まねばならない、生まれた時から立派な人は存在しない。失敗を重ね、挫折を悔いり返し、そのたびに逃げずに戦い、前進し体験をし、人間性を高めていく、現在の「教育システム」では決してこのような人物は出てこない。「人間性、哲学」の教育がないのだ。ただ「試験、テスト」を合格し、「有名校」に進学するこの仕組みにうまく乗った人たちが今の社会の「成功者」として君臨するのだ。悲しいことには、ほとんどの国民は、すでにこの「システム」の中に完全に取り込まれているのだ。

私ももしアルゼンチン移住をせず、日本に残ったら同じようにこの社会に取り込まれていただろう。しかし地球の反対側のアルゼンチンでの生活は、そうはいかなかった。ここでは一切の「甘え」は許さない、自分一人の力で生き抜いていくしかないのだ。この毎日毎日の戦い積み重ねが私を強く鍛えていった。人間としての「基盤」を作り、母国に帰国してからも想像もつかないような「困難」が待っていた。「バブル経済」時代に有名クラブのママとして君臨していた実の姉は、なんとバブルが弾けたとたん「心」までもがバブッテしまったのだ。兄も同様だった。母の住む大事な自宅までも、己の欲のため会社の「担保」にしていたのだ。私は、これらの「問題」を解決するために帰国したのだ。これも「運命」である。私たち人間は「神」によって生を与えられ、生かされているのである。このことを心から学び、知ることが「幸福」に繋がるのだ。