イチゴ農家、プレーボール | 川島正仁の南米体験歌

川島正仁の南米体験歌

川島正仁は、東京オリンピックの年(1964)、高校を卒業し、翌年19歳で南米アルゼンチンに移住します。日本を最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗船し、横浜港の大桟橋から出航しました。その時からの苦しい移民生活を、歌とともに綴ります。

プロ野球選手「次は経営者に」1位

引退後にやってみたい仕事の第一位は会社経営者。 日本野球機構(NPB)が4月に「セカンドキャリアに関するアンケート」の結果を発表した。NPBの進路追跡調査(4月22日現在)によると、昨年オフに引退または戦力外通告を受けた選手153人のうち「自営(家族経営を含む)起業」は0・65%。野球関係の進路が91・5%だった。選手の希望と現実がかけ離れていることがデータからうかがえる。イチゴ農家として再出発した元中日投手の三間卓也さん(31)は「野球以外の業種を仕事にするなら,全てを懸ける覚悟が必要です。少しでも野球に未練があるなら球界に残ったほうが良い」と話す。三間さんは2015年の育成ドラフト3位で中日に入団し、16年に支配下登録された。主に中継ぎ投手として通算6年間で77試合に登板し4勝3敗15ホールドの成績を残した。趣味を仕事にすると決心できたのは、妻の励ましがあったからだ。21年オフに戦力外となり、不動産業に就こうとしたが、「まだ29歳。好きなことを仕事にすれば。息子にイチゴを作る姿が、野球の次に楽しそうだったよ」と言われ、スイッチが入った。野球ファンも集えるイチゴ農園をコンセプトの一つにした。古巣の中日ファンが新幹線で訪れることができ、関東の5球団のファンが電車で足が運べるという理由で、横浜市で土地を探した。「神奈川農業アカデミー」で生産技術や経営のノウハウなどを学ぶ傍ら、グーグルマップなどで土地の目星を付け、飛び込みで地権者と交渉した。60軒ほど回った中で、プロ野球選手の経歴だとわかると「お金を持っている」と足元を見られ、相場の20倍の地代を吹っ掛けられたりした。今年1月、横浜市泉区に「三間農園」をオープンした。ビニールハウス5棟分の300坪の土地に、所狭しとイチゴが実をつけている。高級イチゴと言われる白イチゴなど9品種が時間制で食べ放題というのが売りだ。「今はプロ野球時代に稼いだ以上の借金をしていますが、農業では1億円プレーヤーを目指していきたいです。

 

「頑張れ!三間君!」と言いたい。素晴らしいのは、この若さで決断をしたことだ。そしてパートナーの心強い協力も大きな力だ。こうして2人三脚でガンバレば必ず成功するだろう。