偉大なるサッカー選手 7
ガブリエル・オマール・バティストゥータ (Gabriel Omar Batistuta, 1969年2月1日 - )
ポジションはフォワード。1990年代を代表するフォワードの一人で、長くイタリア・セリエAで活躍し、セリエAの外国人最多通算得点記録を保持している。またアルゼンチン代表にも選抜され、代表の歴代得点記録も保持している。2005年に引退した。ニックネームは獅子王、バティ、バティゴル(バティゴール)。家族は妻と4男。サッカー界から引退後は、アドルフォ・カンビアッソのもとでポロを学んでおり、プロ選手として試合にも出場している。
小さな頃からバスケットボールが大好きで、将来の夢はバスケットボールのアルゼンチン代表としてオリンピックに出場することだった。その一方で学業でも優秀な成績を収め、医者を志しもした。
偉大なるサッカー選手 5
ロベルト・バッジョ(Roberto Baggio, 1967年2月18日 )
「イタリアの至宝」、「偉大なるポニーテール」と称され、現役を退いた今も世界中に多くのファンをもつ。ファンタジスタの象徴的な存在として知られ、華麗なプレースタイルはアレッサンドロ・デル・ピエロらがその系譜となる。
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」
W杯フランス大会でPKを外したルイジ・ディ・ビアッジョに対してかけた言葉。しばしば誤って報道されるが、
アメリカ大会後に自分のことを指して発言したものではない。
「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」
こちらもアメリカ大会ではなく、フランス大会後の発言である。
偉大なるサッカー選手 4
武田 修宏(たけだ のぶひろ、1967年5月10日 - )は、日本の元サッカー選手。
現在はスポーツコメンテーター・タレント(ホリプロ所属)。
浜松市立佐藤小学校・浜松市立丸塚中学校・静岡県立清水東高校卒業。
Jリーグ通算94ゴール(8位タイ)、日本サッカーリーグ(JSL)新人王・MVP、ベストイレブンはJSL時代3回・Jリーグ1回の記録を持つ。
清水東高時代では、「武田が出場すると風が止む」と言われた。これは、武田のプレー見たさに女子学生が集まり、グラウンドの周りを囲むので風が遮られたためである。
パラグアイでは、「日本のマラドーナが来た」と騒がれた。その名付けは元パラグアイ代表GK・チラベルトであり、歓迎試合として所属クラブのルケーニョ対パラグアイ代表のゲームが行われた。当時は「一人部屋に戻ると、病気になると誰にも気づかれずに死んでしまうのではないか」と考えるほど孤独に耐えていたことを、後に明かしている[7]。
偉大なるサッカー選手 3
ロベルト・カルロス・ダ・シウバ(Roberto Carlos da Silva、1973年4月10日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身のサッカー選手。元同国代表。ポジションはディフェンダー(サイドバック)、ミッドフィルダー(ウイングバック)。
歴代最高の左サイドバックと評される1人。1996年から2007年までスペインのレアル・マドリードに所属し、「銀河系軍団」と称されるスタープレーヤー軍団の一員として、黄金期を支えた。日本では「ロベカル」の愛称で親しまれている。
レアル・マドリード時代の2005-06シーズンのフィットネステストで、当時32歳にして持久走のタイムがチームトップであった。ちなみに100m走も10秒9と唯一の10秒台でトップ。
1995年、アンブロカップ95で対戦した日本代表GK小島伸幸は、正面に飛んできたボールを両拳でガードして、左手小指を骨折している。




