先日、熊野市の図書館に行った時、たまたま手に取って読んだ本です。

『里山・里海暮らし図鑑』ーいまに活かす昭和の知恵ー
刊行日: 2012年5月
著者:養父志乃夫=著





その内容はと言いますと、、
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(本文から)
東日本大震災により原子力エネルギーの安全神話が崩壊し、身の丈にあった暮らしの術が見直されるべき時期が到来した……
激変する社会において、燃料や食料、水といった生活必需品をどうやって確保したらよいのか?
持続可能な生活を取り戻し、次代につないでいくために、先人に学ぶべき古くて新しい知恵を探る。

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として、昭和30年代までの日本中の里山里海で、持ち込まず持ち出さずその集落の中だけで、食料、燃料、生活資材などを自給し循環させていた、日本人の実際の暮らしの様子やノウハウ、生活の知恵が、たくさんの写真と共に紹介されているという、素晴らしい本でした。

そうですよね、今の現代社会からは考えられないですが、50年ぐらい前までは、縄文時代から数千年という長きに渡って、各地域の中だけで人間が生きていくために必要な、食や燃料や生活資材をすべて賄っていたんですよね。自然環境を壊すこともなく(自然を壊すな、いや経済発展が大事だ、という議論すら起こることもなく…)、循環型で持続可能的な暮らしが当たり前だったんですよね。

そして、この本の中では、そんな農業や漁業や野草採取などの、実際の里山里海での暮らしの様子や生活の知恵だけなく、地域の絆、支え合い助け合った絆、横のつながり、ご先祖さんから受け継ぎ、そして子孫へと繋いでいった縦のつながり、次世代への絆、このことをとても大切にしていた様子も本の中に書かれてありました。


本の最後のほうに書かれてあった、現代社会で失ってしまった心の絆のことについて・・・
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「失った心の絆」
少し前まで、集落に生まれ、暮らし、集落で一生を終えるのが普通であった。近代化による科学、経済至上主義は、互いに支えあい自然と向き合って暮らす絆と仕組み、心をずたずたに切り裂いた。子供、親夫婦、老夫婦が一つ屋根の下で暮らした家々を核家族に分断させた。田舎の暮らしを古いもの、封建的なものとして消し去ることに終始した。人を競争させ、負け組と勝ち組を生み出した。競争の勝ち組は、個々に「経済生活を楽しむ」。生きていくための技や作法は、親から子へ、子から孫へと伝えられてきた。しかし、科学、経済至上主義は、これを伝承する仕組みを消失させた。互いに支えあい、暮らしや次代を育むことを忘れさせた。それだけではない。支えあうことを次代に伝える仕組みも崩壊させた。地域で子供を育てる絆が消え、個が個を育てる現実に向かいあう。

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う~ん、なんだかとても考えさせられます。
次世代というものを本当に、みんなが当たり前に考えて暮らしていたんですね。







それから、昭和30年代までの集落を取り巻く里山の環境と、現代の里山環境の変化の比較図が載っていました。

昭和30年代までは、集落の回りに田畑があり、その回りに薪や炭などを調達する薪炭林、そして奥には草刈り山や家畜を放牧する放牧地があり、その奥にはまた薪炭林があり、その奥の標高の高い奥山には人間は決して立ち入らなかったそうです。
それによって、山に住む動物との生態系のバランスが保たれていたようです。

ところが、現代では、集落の回りに田畑があり、その回りには耕作放棄地が広がり、その億には杉とヒノキが植林された広大な放葉林が広がっています。
確かにこの風景が現代の日本中の多くの田舎で見れる風景です。里山の環境自体もがらりと変わってしまったことが分かります。



今のニュースとか社会情勢とか、国がやってることを見てると…いろいろと言いたいことはありますが、夜明け前が闇が一番深いと言います、、
個人的にはそんな世の中の流れを横目でちらりとみるぐらいにして、自分が今できることを希望を持って自分ができる範囲で淡々とやっていくしかないです。


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先日からブログでお伝えしている、須野町移住計画の三日目です。この日も家の改装作業です。
この日手をつけた箇所は、軒下部分。
古い民家に見えるような箇所は、とにかく合板の板で隠そうとするかのように…改装された部分を、また元の古民家に戻していく作業です。
軒下の屋根の下に貼られてあった合板をベリベリと剥がしていきます。





屋根瓦の下の美しい板が顔を出しました。




トタンを貼ってあった壁部分のトタンも剥がしてみました。そうすると中から土壁が出現。
少し崩れかけている箇所もありますが、上から土壁を少し塗り直し、仕上げに漆喰などをぬれば、美しい古民家の壁が復活しそうです。
むかし住んでいた千葉県鴨川で、男の隠れ家的な小屋をゼロから建てた時に、まったくのド素人ながら(笑)、壁を土壁で作ったりした経験があるので、この時の経験がまた少し役立ちそうです。
ド素人丸出しでも、例えでき上がったものがヒドいものだとしても(笑)、一度実際に自分でやっているという経験が、あらためて大事だと思いました。
これは家づくりだけでなく、人生のありとあらゆることにも当てはまるのかもしれません、たぶん。

この合板を剥がしていく時に、上に溜まっていたホコリがものすごくて…、目や耳や鼻やあらゆる穴にホコリが入りまくり、全身もホコリまみれになりました。こういう作業の時にはゴーグルメガネやツナギなどの作業着がベストかと。
やはり作業をする時の格好は大事ですね。

それから、この家は目の前がすぐ海に面してるので、やはり金属製のモノはすぐに錆びてしまい、もろく崩れるようで、この屋根に付いている雨どいが金属製のものでできていて、もうボロボロになっていました。
今後この雨どいを、竹でできないものかと、一人で妄想してます。



こちら二階の部屋。モノを片付け、掃除を丹念にやり、そして家主の濱田さんのご好意で、畳を新しく張り替えていただきました。(ありがとうございます。。m(_ _)m)
畳のイ草の、ものすごくいい香りに部屋が包まれていました。

須野町移住計画、まだまだ続きます!




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熊野市の山奥、奈良県の県境に近い場所に、碇(いかり)という集落があります。今度自分が移住する須野町と同じく、ここの集落も現在の住人が2人だけ…という限界集落です。
辺りは豊かな自然と山々に囲まれ、集落の真ん中には美しい清流が流れ、古き良き日本の里山の原風景が広がっています。



この集落の現在の住人2名は松田さんご夫婦。御歳80歳で、75歳の時に「奇跡のリンゴ」の木村さんの存在を知り、それまでの有機肥料によるお米づくりをやめ、化学肥料、有機肥料も使わない自然栽培でのお米づくりを始められた方です。

今日はその松田さんの田んぼ作業のお手伝いに行ってきました。



田んぼに唯一使う肥料はこの籾殻。昨年穫れたお米の籾すり(籾から籾殻を取り除いて玄米にする作業)をした後の籾殻を田んぼの土に混ぜます。





合計2反7畝(1反は約300坪)ある田んぼに、手作業で籾殻を蒔いていきます。



5年前に、それまでのやり方を改め新たに自然栽培によるお米づくりを始められ、最初の1年目はそれまでの収穫量に比べて穫れるお米の量が激減したそうで、、続いて2年目、3年目と続けていくとやがて元の収穫量に近いほどのお米が穫れるようになったそうです。「奇跡のリンゴ」の木村さんの本も読みましたが、自然栽培でのリンゴもちゃんとした量を収穫できるまでに長い年月がかかっていましたが、やはりお米もそんな簡単にうまく行くものではなく、けれどある程度年月が経ち、土ができてくるとその後は、農薬ももちろん肥料もやらずに、おいしいお米ができるようです。



田んぼで何が大変かと言うと、稲の間に生えてくる雑草の草取りが大変で、雑草の繁殖を抑えるため田んぼを常に一定の水で満たしておく水管理が重要で、その他に雑草の繁殖を抑えるために多くの田んぼでは除草剤をまいたりしますが、松田さんの田んぼでは昨年初めて、アミミドロという水面にトロトロ層ができて、これが雑草の繁殖を抑える効果があり、昨年は草取りもまったくしなかったそうです。すごい。。

田んぼに水を張った後に米ぬかを追肥としてまくだけでこのトロトロ層ができる田んぼになったそうです。

だから鶏糞とか堆肥などの外から持ってきた有機肥料すらいっさい使わず、この田んぼからとれた籾殻と米ぬかだけを使い、すべてがこの中だけで完結している田んぼなんですね。

自分も2011年と2012年の2年間、田んぼを借りてお米づくりをした経験があるので、少しだけお米づくりの知識があったりしますが、どうしても初年度から多くの収穫を夢見てしまい(汗)、長いスパンでの良い田んぼになるための土づくりが待てないものですが。。それにしてもスゴイです。




そして、今育てている苗を見せてもらいました。通常では苗の発育を促進するためビニールハウス内で育てたり、ビニールをかけたりしますが、松田さんの育てる苗はそういうものをいっさいせずに、外気の常温で苗を育てておられました。
鳥などに食べられないように、網だけはしてありましたが。





そして通常では、たくさん収穫できるようにと苗間が狭くぎっしりと埋まるように種をまくのですが、松田さんの苗は苗間が広く余裕を持って種が蒔かれていました。普通の田んぼでは通常、一株に2~3本、多い所で4~5本の苗を植えますが、松田さんの田んぼはいわゆる1本植えです。これだとたしかに少し収穫量が減りますが、満員電車に押し込まれた人間のような(?)ストレスもなく、根が深く張り生命力の強い稲になるようです。


この苗を一ヶ月以上ここで育てて、完全に大きな成苗になった状態で田植えをするそうで、田植えの時期も昔ながらの6月頃に田植えをされるそうです。

今現在では多くの田んぼでは、田植えの時期が昔に比べて5月、早いところで4月となっていますが、台風が来る前に早く刈り取ろうという理由なのか分かりませんが、日本全体で田植えの時期が早くなっていて、でもやっぱり昔の人が何百年と営んできたやり方が季節の流れや風土にあっていて、昔のやり方のほうがいいんだと思います。現代社会では、効率性とか得するやり方をついつい選んでしまいがちですが…、お米作りも昔ながらのやり方がやっぱりいいのかもしれません。。







久々に田んぼの中で体を動かし汗をかきましたが、いや~ほんとに気持ちがいいですね。
今度、移住する須野町でも休耕田となった田んぼを貸して頂けることになりましたが、10年以上放置された田んぼなので、、草や木が生えボーボー状態になっていて、また元の田んぼに還すには労力と時間がかかりそうです。機械とかないので、すべて手作業での開墾作業になりそうで…、時期的には須野町での今年のお米作りは間に合わないかもしれませんが…
自分の田んぼでお米を作り自分で作ったお米を食べる。そのお米が本当に涙が出るほどうまい!ということを知っているので、なんともありがたいんです。
春に田植えをして秋に収穫をする、1年分のお米が収穫出来た時には、ああこれで1年間は何が起きても生きていける、ありがたいなあ…というなんとも言えない安心感に包まれます。
今の世の中、一家に一台マイカーがあるように、一家に一つマイ田んぼがあるような世の中が将来やって来ることを夢想しています。


おまけ。
畑を荒らす動物がいるということで、松田さんが罠をしかけたら罠にかかっていた、アライグマ(?)



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須野町移住プロジェクト2日目です。
まずは自分達の住みやすい家にするため、自分達でDIYで家の改装を施していきますが、元々の古民家をモダンな現代風に改装してあった家を、また元のいい感じの古民家に戻していこうというわけですが(笑)、、
きっと天井裏には昔の古民家の美しい梁と天井が残っているはずだと信じ、現代風に改装してあった天井をぶち抜いていきます。




軽く天井をぶち抜いた穴から、屋根裏を覗いてみます。
おお!おそらく囲炉裏のススに燻されて黒くなった美しい梁と、土壁があることを発見。
絶対こっちの天井のほうがいいので、今の現代風の天井をすべてぶち抜いて、美しい梁を出すことにします。
天井をぶち抜く作業はたぶんホコリとかゴミが床に落ちて大変なことになりそうなので、、畳の上にある荷物をまたすべて片付けて、天井ぶち抜き作業は、またおいおいやろうと思います。結構大変な作業になりそうです…。








そして次に目をつけたのは、縁側の廊下の床。
合板で作られた現代風の廊下の床をぶち抜いてみると、中から味のある昔の廊下の板が出てきました。





バリバリバリ!とバールで床を剥がしていきます。
しかし、合板で作られた床板、表面にはビニール状の嘘っぽい綺麗な木目がデザインされていますが…、見た目はよく見えても、とてもチープな材料ですね、、。
何百年という長い単位で後世に残すための家作りには適さない材料かと思われます(汗)

今現在建てられている多くの家の寿命は、数十年という短いスパンでリフォームや改築が必要だと言われてますが、考えてみると日本古来の伝統的工法と材木で建てられた神社、仏閣などの建物(例えば法隆寺などは)は千年単位で残っているわけで…
やっぱり住む家も、収益性とか経済性とか商業ベースで作られた家よりも、日本古来の昔ながらの作り方がいいんだと思いますね。





合板の床を剥がして、、





出てきたのは、色艶といい、なんとも味わいのある一枚板で作られた昔の廊下でした。
須野町移住プロジェクト、家の改装作業は続きます!



ちなみに須野町、携帯の電波が入らないので携帯がまったく使えません。。幸いインターネットは
ZTVというケーブルテレビの回線が来ているらしいので、近いうちにネット環境だけは整えないといけません。

さて先日もブログに書きました、住人の人口3世帯3人の町、熊野市須野町への移住プロジェクトが始まりました。住人の人数から言えばいわゆる過疎の町、限界集落と呼ばれる町ですが、限界とか過疎とかって全然思わなくて、夢と希望がほんとに溢れていると思います。
今回、家を貸して頂けることになった須野町の町長さん、濱田さんの生家である家を、まずは住みやすいように改装していくことから始めていきます。
毎月の家賃も破格の値段で貸して頂けることになり、本当にありがとうございます。m(__)m
家も自由に改装、改築OKだということで、こんなにありがたくワクワクすることはありません。以前、住んでいた千葉県の鴨川で、男の隠れ家的な一人用の小屋をゼロから建てた経験があり(何せド素人だったので、できた建物はあばら家のようなひどいものでしたが・笑)、その時の経験が今回少し役立ちます。

これからこの場所で、できるだけお金に頼らず、食べるものや燃料や生きていくために必要なものをできる限り自分達の手で自給していきますが、当然、住む家も住みやすいように自分達の手で改装していきます。

まず、台所から手をつけていきます。以前設置されていた流し台を取っ払います。




移住プロジェクトの初日、濱田さんに作業を手伝って頂きました。




集落の裏山の一部が濱田さん所有の山なので、そこの山から伐り出した杉を製材した杉板を床に張っていきます。(この杉板を買うとなると結構いい値段がしますが、今回の杉板は濱田さんからいただいてしまいました。ありがとうございます。。)
やっぱり家に使う木も、遠くの外国から運んできた木より、気候や風土に適しているその土地に生えてる木を使ったほうがいいですよね。
食べるものもその土地で穫れた旬のものが体に一番いいわけで、地産地消、自産自消、身土不二の生活を昔の人ははるか以前よりずっと続けてきたわけで・・・

杉板を敷いていくだけで、台所の景色がいい感じになって生まれ変わっていく気がします。このあと壁に珪藻土か漆喰を塗っていこうかと思ってます。

先日、熊野市の柳谷(やなぎだに)という集落で、藍染めをされているご夫婦「そめやなないろ」さんの自宅兼工房に遊びに行ってきました。
この柳谷という集落、奈良県と和歌山県の県境に近い熊野市の山間部にあり、8世帯20人が暮らす小さな集落で過疎地であるわけですが、その分、美しい自然が残り綺麗な山水の流れる桃源郷のような場所でした。


10数年前に、ご夫婦でこの地に移り住み、家を半セルフビルドで建てられ、自宅兼工房のこの場所でずっと一緒に藍染めをされているという、めっちゃ素敵なご夫婦です。
大阪出身の旦那さんと東京出身の奥さん、もともとお二人ともミュージシャンであり、20数年前に東京からライブのために京都に来た帰り道に、奈良県十津川村の温泉に立ち寄った際、台風に遭い、そこへ滞在していたところ、近くの築150年の古民家を紹介され、やがてそこの家へと移住、その十津川村の集落の名前が「七色」という名で、工房名を「そめやなないろ」という名にされたそうです。
その後2001年に、今現在の熊野市の柳谷に移り住まれたそうです。



正直、自分は、染め物や着るものに関して、ほんとうにド素人で…(汗)、食や住に関しては昔からいろいろと関心を持っていましたが、衣というものの重要性に気づき始めたのはほんとつい最近のことで…
人間が体に毎日まとうもの=衣、が人間の健康状態や精神にまで影響を及ぼすという重要性に気づき始めたのは、ほんと最近のことで…
石油由来の化学繊維で大量生産として作られた服よりも、より自然に近い形でつくられた自然素材を使った衣を身にまとったほうが明らかに良いわけで、なによりもそういう自然素材の衣は高いエネルギーを持っていて、人間の心身によい影響を与えてくれます。(と、偉そうなことを言っておきながら、自分もまだ化学繊維で作られた服を身にまとっていますが…)



そして「そめやなないろ」さんのやっておられる藍染めの方法なのですが、これは江戸時代から行われてきた「天然灰汁発酵建て」という藍染技法なんだそうで、化学薬品等いっさい使わず自然原料のみを用いた技法で、カルキの入っていない綺麗な山水と薪を燃やした後の木灰が必要で、藍の葉っぱを数ヶ月かけて発酵させ、この生きた藍を布に染めていく、これが日本伝統の本藍染めなんだそうです。

ですから、布を染めてからも、藍に棲む微生物はずっと生きているわけです。こうした生きた「布」を体にまとうことにより、様々な効能があるようです。
藍で染めた肌着は、昔から冷え性や肌荒れ、汗もなどに効果があるといわれていて、防虫効果も高く、江戸時代の古布も藍で染まった場所だけ虫食いが無かったり、大切な着物は、藍の風呂敷で包んでしまった…といわれるそうです。
また、かつての武士は、切り傷の炎症から身を守るために藍染の下着を鎧の下に着こんでいて、それは、藍の生地が丈夫であることと、抗菌作用によって切り傷の炎症から身を守ってくれるためだったといわれています。そしてその色合いを「勝色」と呼んでいたそうです。
また、「ジャパンブルー」という言葉は、明治8年にイギリスの科学者アトキンソンが来日した際に、日本人の多くが藍色の衣服をまとっていたことに驚き、発したそうです。

僕自身もこういうことを知らなかったので反省しないといけないんですが(汗)、1人でも多くの人がこうした日本古来の伝統的な技術や文化の重要性に気づき、職人さんや技を次世代からその先へと、ずっとずっと残していきたいものです。。



「そめやなないろ」さん、最近FBページを始められたそうです。→こちら



「そめやなないろ」さん。藤本さんご夫婦


こちらが半セルフビルドで建てられたという自宅兼工房の入り口。床張りや壁張りのことなど、いろいろと勉強させてもらいました。



こちらが台所。薪ストーブや、土だけで作ったという素敵な釜戸がありました。


まるでカフェのような、いい雰囲気。




薪で生活されているので、大量の薪が置いてありました。近くには3層に別れた自家製の浄化槽がありました。生活用水を微生物で処理して綺麗な状態に戻し、土に還すそうです。環境に負荷のない循環型生活でした。あこがれます。



「凪(NAGI)」という雑誌に取材をされた時の記事が載っていました。


「自然の中で暮らすなら、自然に近い形で」
「ここには頭をからっぽにさせてくれる静けさがある。山の空気に浄化されるような場所。柳谷に来てから、ギターもアコースティック好みになりました」
「ここで水を汲み、火を炊く生活をしていると、人間は生きていくことで地球を汚しているのだと実感します。だから、なるべく無駄にせず、賢くやろうとする。失敗もするけどね」
何をもって豊かと感じるかは人それぞれ。「これで足りている」と自らのラインを引けば、それでいい。
さて、最近立て続けに日本一周旅人との出逢いが続いてますが、先日も、千葉県から、(なんと!)夫婦で一緒に自転車で日本一周中の旅人、渡辺ご夫婦が熊野のわが家に遊びに来てくれました。
先日出逢ったリヤカーで日本一周中の加藤さんと渡辺夫婦が旅の途中に出逢い、加藤さんから尾鷲に行けばウッドペックという素敵な宿があるし(僕もリヤカー旅の途中こちらの宿のオーナー、まっさんにお世話になったのです)、熊野に行けば木花堂というお店があり、リヤカーで日本一周の旅をしてたマサーヤンという人間もいるのでという話を加藤さんより聞きつけて、旅の途中、熊野でわざわざわが家(厳密には自分の家ではありません、笑)立ち寄ってくれたのでした。ありがとうございます!



この時点で旅をスタートしてから二週間ほどだそうで、これから紀伊半島を回り、関西から四国、そして九州、沖縄へと向かうとのことでした。今年の10月とか秋ぐらいには日本一周を達成し、また千葉県へと戻る予定だそうです。
夫婦で自転車で日本一周してる旅人と出逢ったのは僕自身は二組目で(一組目は2009年に沖縄で出逢ったことがあります)、ほんとにお二人とも素敵な方々で、そしてとても良い顔をされていました。ぜひぜひ気をつけて、これからもよい旅を続けて行かれて下さい!m(__)m
渡辺夫婦のホームページはこちら
ブログはこちら


そして、渡辺ご夫婦といろいろと話をしていたら、以前僕が千葉県の鴨川に住んでいた時に、いろいろお世話になっていた、あわマネーの林良樹さんとも渡辺夫婦は知り合いなんだそうで、(これまたいろいろと繋がっているんだなあーとびっくりだったんですが)、渡辺夫婦も将来的には、農的暮らしをどこかの田舎でやりたいという夢があるそうで、なんだか同じような想いを持った人達との繋がりがまたまたあり、びっくりしていました。

そして渡辺夫婦に教えてもらったんですが、三重県の鈴鹿市のほうに(鈴鹿と言えば、僕のリヤカー旅の中で二週間ぐらい滞在し、河合さん家族などお世話になった方々や友達もたくさんいる思い出の場所ですが)、この鈴鹿のほうに、アズワンコミュニティーという面白い場所があるそうなんです。

2009年ぐらいから、これからの時代に大切なことは、「農」と「仲間・コミュニティー」だと人知れず言い続けてきてますが(笑)、そして最近のブログ記事でも、いまこの時代に日本各地のいろんな場所で、形態は家族単位であったり仲の良い友達同士であったり、ご近所同士であったり、サークルとか共通の趣味の集まりであったり、エコビレッジや、NPOとか法人の組織形態であったり…、形態は違えども、同じ想いを持った人達が集まり、コミュニティーづくり村づくりが、同時多発的に行われているのではないか(データとか裏付けのない個人的な感覚で感じることですが、笑)…と言ってますが、この鈴鹿のアズワンコミュニティーというところも、そういったこれからの時代に即した新しいコミュニティーづくりの実験をしている面白いところのようです。

ホームページはこちら
アズワンという名前は、ジョン・レノンのイマジンの歌詞の、the world will be as oneから来ているそうで、それだけでもジョン・レノンファンの自分としては、とても興味を惹かれます(笑)


ここはいったいどういうところなのか、ホームページをざざっと読んだだけでは、説明するのが難しいんですが(汗)、お金とか仕事とか組織とかコミュニティーのこととか…、僕らの頭の中にある常識をいったん取り外してみると、こちらのコミュニティーの取り組みが分かってきます。



個人的に興味深い取り組みとしては、「贈り合いの社会」の実験、というものがありました。

ギブ&テイク、物々交換、配給や分配やボランティアや奉仕活動でもない、「贈り合い」というもの。
贈りたい人が贈り、貰いたい人が貰うというもの。
ここには何かを与えた見返りとして、お金やモノをもらうという行為がありません。完全に与えっぱなしです。野菜、お米、総菜、弁当、…など、作りたい人が作りそれをもらいたい人がもらうという仕組み。
このコミュニティーの中で、お弁当屋さんを経営していたり、SUZUKA FARMという農業生産法人があったり、これらで作った野菜やお弁当などをコミュニティーの人に無性で何の見返りもなく提供するというもの。
ではこのコミュニティーの一員になるには、何かの定義や登録がいるのかと思いきや、そういうものもなさそうで、普通の町で普通の暮らしをしていてどこからどこまでがコミュニティーメンバーなのか、それを見分けることすら難しそうで(汗)、では何が「コミュニティ」なのかというと、人と人の与え合うつながりがしっかりあること。それも、「やりたい人がやりたいことをやる。やりたくないことはやらない」と、全てが自発性に基づいて、各人の自由を尊重し合いながら、それでいて気軽に助け合い、協同する関係を作っている、ということなんだそうです。

僕自身もホームページのほうをかなり読み込み、このアズワンコミュニティーの取り組みなどを理解をしてみようと試みてみましたが、100%理解するのは無理でしたが…(汗)、これからの新しい時代のコミュニティーのあり方、社会や生活の新しい仕組みを創り上げていく実験をいろいろとこちらでされているのだなということが分かりました。

まさにジョンレノンの「イマジン」の歌詞のように、
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想像してごらん 所有という概念もないよ
あなたには想像できるかな
何かを奪ったり奪われたり 飢えたりする必要もない
この地球上に生きるすべての人は一つの大きな家族なんだから
この地球という星の土地や命の恵みを
みんなで分ち合っているのだから
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シェアリングオールザワールドの世界を目指されている…
はたまた、出口王仁三郎さんの言う「天産自給」の世界の実現を目指して活動をされてるような気が
個人的にしました。

このように、今、日本各地で、このような新しい社会のあり方、仕組みづくり、コミュニティー作りが、ほんとにいろんなところでいろんな形で行われているんだと思います。
僕自身もこういった新しい時代の社会の雛形の一つをこれから熊野市須野町で創りあげていくのが夢ですし、いろいろとやっていきますので。
先日(25日夜~27日朝)、スーパーカブ110で日本一周中の旅人トミーさんが、わが家(厳密には自分の家ではないんですが・笑)に遊びに来て下さいました。トミーさんとは、昨年の8月僕がリヤカーで北海道を旅していた時、帯広のライダーハウス、ヤドカリの家さんでお逢いして以来、久しぶりの再会となりました。
その帯広で出逢った以降も、僕のブログをちょくちょく読んで下さっていたようで、Bライフや里山資本主義などにもともとご興味があったそうで、旅のことだけでなく、そういう思想的?なことを僕は旅中にもこのブログによく書いてましたが、そういった内容にも共感して読んで頂いてたようで、旅の日程を調整してここ三重県熊野まで逢いに来て下さいました。ありがとうございます!m(__)m

トミーさんと言えば、ブログ村日本一周ジャンルのランキングで、もう一年近く、不動の断トツ1位をキープしてる方で(すごい…)、旅に興味のある人の中ではもうすごい有名人です。





そして26日は、これから移住する予定の熊野市須野町に2度目の下見をしに行って来ました。もう少し早いタイミングで移住できるかと思ってたんですが、、まあ焦らずボチボチと移住計画を進めて行きます。

以前もブログに書きましたが、この須野町、いわゆる限界集落で、現在の住人が3世帯の3人、すべてがご高齢者で(里山資本主義の本の中では高齢者と言わず、輝ける年齢に達した人として光齢者と呼ぶという記述がありましたが、ほんとそのとおりだと思います)、そしてこれからこの町に、僕と咲恵さんの二人が移住して住人が5人に増えるわけですが、世間的に見れば僕自身も結構いい年齢のおっさんなんですが(笑)、それでも2人が入ることで、住人の平均年齢は若返ります。

こうした日本各地のいわゆる「過疎地域」「限界集落」と呼ばれる場所で、既存の流通システム、マネー資本主義の仕組みから一歩外に出た、新しい動き、懐かしくも新しい仕組み作り、そんなものが静かに着実に日本中のいたるところで始まっている、そんないろんな例が里山資本主義の本の中で紹介されていましたが、まさに、そのような例の一つとなるようなものをこの須野町で築き上げていきたいです。

里山資本主義の本にも書いてますが
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「里山」とは一般に、人が出入りして活用している身近な山や林という意味です。江戸時代や、一部では戦前の日本人は燃料としての薪も水も、さまざまな食べ物や資材をこうした里山から得て里山とともに生活していたのです。こうした歴史を念頭において、著者たちが主張する「里山資本主義」とは、お金では買えない大切なものに大きな価値を置く考えかたで、できる限り地域社会で生産し消費する、いわゆる「地産地消」の循環型社会経済を指します。
(里山資本主義より抜粋)

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お金というものに頼らず、人間が生きていく上で最低限必要なものを(食や水や薪などのエネルギー)をその地域の中だけで賄っていく(一家族や二家族だけでは不可能なこともその地域の人たちと助け合い分かち合い協力し合えれば、可能なことだと思っています)、循環型で持続可能型な新しい時代のライフスタイル、社会の雛形の一つをこの須野町で創っていきたいです。


というわけで、トミーさんにこれから移住する予定の須野町に見学しに行くんですと言うと、興味があるので一緒に行ってもいいですか?と言われ、もちろんですと翌日トミーさんと咲恵さんと3人で須野町にいってきました。


これが今度貸して頂けることになった家。
もともと古民家だったのを、あとから現代風?にするため、囲炉裏を隠したり天井の梁を隠したり、何度か改装工事が施してあるようで(結構、日本中の家
にこういうパターンがありそうです)、これらを自由に改装してもOKだと言われているので、また床を剥がしたり天井を剥がしたりして、むかしの古民家の状態に戻す作業をやります(笑)





この床の下に囲炉裏が眠っているという話です。





こちらは台所。電気は来ているようです。しばらくは中部電力さんにお世話になります。





こちらは2階。畳を干したり、ほこりを拭いたり、だいぶ掃除をしないといけないようです。





こちらは2階の窓から見える海。






そしてこれが須野町の真ん中にある廃校となった小学校校舎。





中は、町人の人の物置小屋となっていたり、天井の一部や壁の一部が剥がれていたり、少し修繕作業が必要です。





ただ、建物自体はしっかりしてるので、ここに手を加えて、ゆくゆくはbook cafe kujuさんのような、学校跡の建物を使ったオシャレなカフェやお店が中に入ってくれることを妄想しています(笑)。そうするとここは外からも人がたくさんやってくる場所になるでしょう。






須野町見学を終えたあと、家に戻ります。
今回遊びに来て下さってるトミーさんが、なんと1から火おこしを自分でできるという素晴らしい技術を持っていることを聞いて、実は以前から興味があったことなので、ぜひぜひ教わりたいと思い、実演してもらいました。
トミーさん、地元の茨木のほうで、そういうワークショップに参加されたりして、サバイバル能力を昔からずっと意識して生きてこられた方で、旅ということ以外にもそういうことにも自分との共通項を感じたりしてとても嬉しかったです。

人間がある日突然、野原に放り出された時、(お金も文明の利器も何も通用しない世界がやってきた時)、まず必要なのは、雨風から体を守る場所の確保(葉っぱや小枝を集めてそういうものを作れるそうで、つくり方によっては真冬でも中でスッ裸で寝てても温かい状態を作れるそうです…すごい)、次に必要なものは水で、それから火、そして食べ物という順番なんだそうです。だいたい多くの人は一番最初が食べ物だという答えが帰ってくるそうです。知らなかった…。

というわけで、ライターやマッチを使わず、その辺にある材料だけを使って火起こしを実演してもらいます。檜の板と棒と枝。(本当は杉の板が良いそうです。十分に乾燥してることがキモで、火が付く確率を高めるため、今回はホームセンターで乾いた板を購入)





原理としては単純で、板の上に棒を回転させその摩擦熱により、火種が出来て火がつくというもの。安定して高速回転させるためには、安定したフォームが大切だそうです。





高速回転しています。辺りにこげ臭い匂いが漂ってきて





板の下に敷いていた麻ひもをほどいたものに点火したようで火種ができました。





火種をもう一回りおおきな麻ひもにくるんで、息を吹きかけます。





つきました!ライターもマッチもガスもいっさい使わず、まったく1からおこした火。感動です。



トミーさんのブログにもその時の模様が書かれてあります。→こちら
こんにちは、マサーヤンです。さて、最近ですが、2泊3日の強行軍で実家の山口県に帰省していたり、グランドクロスの影響なのか(?)、ほんとに久しぶりに39度の高熱が出てぶっ倒れていたりして…、ブログ更新が久々になってしまいました。。

さて、先日の21日の朝のことなんですが、熊野市から尾鷲方面に向かう国道42号線の途中で、リヤカーマンと遭遇しました!僕も今まで長い間、リヤカーで旅をしてきて、実際にリヤカーを引いて歩いてるリヤカーマンに逢ったのは初めての経験で、初めて客観的立場でリヤカーマンと遭遇した側の気持ちが理解できました。リヤカーマンの立場も分かりますし、あらためて、ほんとに感動感謝の気持ちになりました。ありがとうございます。。

お名前は加藤英生さん。神戸から出発されて、この時点で2週間ほど経過したところだそうで、紀伊半島を周りこれから東海、関東方面を目指されるとのこと。
加藤さん、お歳は72歳だそうですが、全然そんな風には見えません。50歳代ぐらいかと思いました。今まで、長距離マラソンなどの数々の大会に参加され走破されてきた、れっきとしたアスリートで、リヤカーでの移動距離も一日平均30~40kmだそうで、比較すると僕のリヤカー旅のぬるさ加減がまる分かりです(笑)

本当に応援しています!どうぞ気をつけて、よい旅を続けていかれることを、心から祈念しております!

加藤さんのFBはこちら





前回のブログ記事で、むかしNOU LIFE STYLE(農ライフスタイル)という雑誌を作ったことがあると書きましたが、この雑誌の記事を書いてもらったり、その雑誌を作ったあとに千葉県の房総半島をリヤカーで一周するという企画をやった時にも一緒に歩いてくれた友達のしばけんのブログを先日読んで、ちはるさんという狩猟女子がいることを知りました。

自分は今まで知らなかったんですが、かなり有名な人のようで、先日、出版社から『わたし、解体はじめましたー狩猟女子の暮らしづくりー』という本も出版されたようです。



amazonの内容紹介文から以下転載します。
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そこにある「命」と向き合い、
悩み苦しみながらも成長を続ける
解体・狩猟女子の奮闘記

都会に住む、平凡な20代女子の著者は「自分の暮らしを自分で作る」べく、解体そして狩猟に挑戦し、現在では解体ワークショップを通して、大人から子どもまで命と向き合う場を提供しています。
本書では、平凡な女の子が新米猟師になるまでの過程や自給自足の狩猟ライフ、シェアハウスでの暮らしなどを綴りながら、動物別の解体方法や狩猟・解体をはじめたい人のためのガイドなど、イラストや写真を交えてわかりやすく紹介しています。
いのちが食べものになり、私たちの食卓に並ぶとはどういうことか、その問いに対する著者の真摯なメッセージが込められた一冊です。
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鶏、鴨、いのしし、うさぎなどを解体し調理していく生々しい様子が写真とともにブログには綴られていて、その記事を見た人からは、賛否両論のたくさんのコメントが寄せられ、いわゆるブログが炎上しています。

そのブログ炎上に対して、ちはるさんはブログ内で以下のようにコメントされています。


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いつもまにかこのブログがものっすごい炎上しました。特にうさぎの記事、コメント欄がとんでもないことになっています。
テーマがテーマだけにしょうがないかなと思いつつ、この炎上を通して1点だけ、主張したいことがあります。それは「命のことは答えがあるものじゃないので、いろんな考え方があって当然」ということです。何が正しいとか悪いとかは、ないと思っています。

たとえば、人が生きる上で、1つの命も奪わずに生きるのは不可能です。野菜だけを食べていたとしても、その農作物を守るためにたくさんの動物たちが駆除されています。私たちが住んでいる場所だって、何かしらの動物の住処を奪って作ったことになります。大げさに言えば、今こうして呼吸することだって何か微生物を体の中に取り込んでいることになります。そしたら、息をすることだって出来なくなっちゃいます。それは困る。

だからみんな、「ここまでならいっかな」という命の線引きをどこかで引いてるんだと思うんですよね。

でも、命をどう区切るか。うさぎを食べものと思えるか、野菜を人間と同じように命と思えるかはその人の育ってきた環境や考え方によるものなので、人それぞれだと思います。だから、命の線引きも人それぞれ。

その線引きが人と違うからといって、対立したり責めたりしても何も生まれないんじゃないかなと思います。今回のことでも、賛同、批判、色んな意見がありましたが、炎上というよりは色んな立場の人の色んな意見があるよねって分かったことが一番でした。命の捉え方はひとつじゃない。自分と違う考えの人がいたら、じゃあ自分はどう思うかなって考えるきっかけになったらいいなと思います。

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あと、私が笑顔でうさぎを持っているということで、「この子は狂ってる」「命を軽んじてる」と言われることがあります。でも。魚を釣って笑顔で写真を撮る人がこんなに批判されることってあまり聞いたことがないです。本質的には同じなのに。
それもやっぱり、みんなが持っている「命の区切り」が違うからじゃないかなと思っています。
でも、自然と繋がる機会もなく、うさぎが「ペット」として認識されている今の時代、私が笑顔でうさぎを狩っている姿に狂気を感じるのは無理もないと思います。なのでここで、改めてみなさんにお伝えしたいと思います。

私が狩りや解体などのいろんな場所で笑顔なのは、山菜を採る、魚を釣るのと同じように「自分で獲った美味しいものが食べられるという喜び」であり、「動物を殺すことそのものや、動物を苦しめること」に快楽を感じているわけではありません。まだ経験が浅いので、自分の力で動物をしとめた達成感よりは、怖さの方が大きいですが…。

それでも、この笑顔を「殺すこと自体に快楽を感じる異常者」と誤解されることは悲しいことです。私が笑顔でいることに対して、こう感じている人が多かったのには驚きました。ブログや写真では伝わりづらいかもしれませんが、現場の私は意外といっぱいいっぱいですよ~。楽しむというよりは、まだまだ目の前のことをこなして吸収していくことで精一杯です。笑

そもそも、動物を殺す事とご飯を食べる事は繋がっています。殺して、さばいて、料理して食卓に出てくる。どこかで区切れるものではありません。
笑うことが命を軽んじている事になるのであれば、その繋がりのどの場面でも神妙に、悲しい顔をしなくてはいけません。毎日懺悔しながらご飯を食べるなんて、食べることが大好きな私にしてみたら辛く悲しいことです。(でも、猟をしていると懺悔したくなるときもあります。)

だから、何かの命を奪うことを罪として生きていくよりは、自分が何かの命なしには生きていけないこと認めて、感謝して、自分の手で絞めたものを食べる。そいういう身の丈にあった暮らしをする事が、命に対して誠実な生き方なんじゃないかと思っています。

少なくとも、私はそう思っていて、そういう暮らしを実践しています。(私は普段自分が絞めた以外のお肉は食べません)
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こうして動物を殺すことを、表に出すべきことじゃないという人もいます。そういう考えもあると思います。わざわざ動物を殺すところを見たいなんて人も、そんなにいないと思いますし。それでも。それにしても、隠されすぎてると思うんです。あんまりにも。
食べものが食卓にやってくる過程が見えなすぎるから、その先が想像できなくて、食事に感謝できなかったり、食糧を無駄にしたりすることが普通になっていて。
だからこそ、包み隠さず伝えたいという気持ちが強いのかもしれません。オブラートに包むような表現をするのも、あんまりしたくありません。だってこれが事実だから。

生きることは、もっと生々しいことだと思っています。

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(※太字は僕が勝手につけたものです)




個人的にはほんとにその通りだと思いました。肉だけでなく、野菜や穀物、すべての命あるものを僕たちは毎日、体に取り入れて生きています。スーパーに並んでいる綺麗にパッケージングされた商品だけを見ていたら、その食べ物がどこからやってきたのか、もともとの命の姿を想像すらしません。
食べるということは、命をいただくこと。その感謝の気持ちを忘れないことがほんとに大事ですよね。


それとこの前、たまたま見つけたんですが、熊野のことが書いてある「みちとおと」というWEBサイトがあり、そのサイトをいろいろ読んでいたら、熊野にも沙織さんという狩猟女子がいるという記事を見つけてました。

こちら⇒http://www.michi-oto.com/hito/tezuka/

そして先日お邪魔した、book cafe kujuさんでいろいろ話をしてた時、この熊野に住んでいる狩猟女子の沙織さんも、ここのcafeにちょくちょく遊びに来るという話を聞いて、ちょうどその前日にこのサイトを見つけて読んだばっかりだったので、これまたびっくりだったんですが…。



これから住む予定の熊野市の須野町も、やはり獣害により、田んぼや畑が荒らされてしまうので、畑には動物対策用にすべてネットが張られていました。むかし住んでいた千葉の鴨川でも、せっかく育てた畑の野菜が動物に食べられてしまったり…、日本各地で、獣害の問題はほんとに深刻なんだと思います。
それもこれもすべての原因は人間自身にあるのですが。。
山に手をいれず荒れ放題荒れてしまった日本中の里山。生態系のバランスが崩れて、いのしし、鹿、猿…などが増え過ぎてしまい、結果、里に降りてきて農作物を荒らす。
そのためには、もう一度、僕たちは里山に帰り、むかしの人が何百年、何千年と営んできた、自然と共に生きていく暮らしへと帰るべき時なのかもしれません。
狩猟をする女子が出てきて、注目をされているということも素敵なことだと思っています。


※ちなみに僕は、森のこと、山のこと、狩猟のこと、命をいただくということ…その他たくさんのことを、かずさの森の、岩田塾長から学びました。
千葉、東京など首都圏にお住まいで、ご興味のある方はぜひ、かずさの森へと足を運ばれてみて下さい^^
http://www.kazusanomori.com/




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