週刊 ケセラセラ -7ページ目

スキーについて考えてみた その2


今回は 「スキーと俺」 的な、自分を振りかえる自分史的記事として進めてみる。あしからず。。。






「願わくは スキーを生涯の友とされんことを」




スキー歴 でいえば30年以上になる。物ごころつく前からスキー好きの 親父 の背中に背負われていたというから、正確に何年とは答えられない。とりあえず30年以上になる事は確かだ。



スキーが友達 というならば、今までの僕の人生で一番長い付き合いのお友達ということになる。



付き合い と言っても、初めは親の趣味で連れ出されていた訳だから、子どもの頃は自分から「楽しい」という感情をスキーに持ったことはほとんど無かったように思える。どちらかと言うと「寒い」「痛い」「疲れた」とかそんな ネガティブ な感じ。



小学校から中学校 にかけては野球に没頭し、それこそスキーなんて親の道楽、家族旅行で仕方なく付き合っている程度のものだった。当時のスキー場での写真を見ると、それこそ しかめっ面 ばっかしで全然楽しそうじゃない。自意識が花開く 多感な時期 ということもあったのか。まぁ、それでも毎年数回は必ずいやがらずにスキー場に出かけていた訳だから嫌いではなかったのだろう。







初めて スキーを「楽しい」と思ったのが中学校のスキー教室。クラスメートは初めてスキーをはく生徒がほとんどだった。その中で足を揃えてスイスイ滑れる僕は、ある意味注目の的となった。



「おぉ、すげぇ上手いじゃん!おぉぉ(パチパチパチ)」



そんなような喝采をあびて、そりゃもう、いてもたってもいられないという嬉し恥ずかし的な感覚を覚えたのだった。



当時の僕 と言ったら、野球部に所属はしていたが、レギュラーにはなれずパッとしない選手だった。クラスの中でも壁際で こっそり読書 をしているいたって目立たない生徒だったのだ。



そのくせ自意識過剰で内向的で人に対して常に自分の周りに一枚壁を作っているという、そんな 中坊 だった。まぁ、中学生の時期ってだいたいみんなそんな感じなのかもしれない。気持ちと行動がやたらにかけ離れている“めんどくさい”時期なのだろう。



でも 、そのスキー教室以降、自分の中でなんとなく何かが変わった。今思えば 「人より秀でたものが自分にもある」 という“自信”のようなものが心の片隅に芽生えたのかもしれない。



とは言っても、いきなり“なんたらデビュー”のようにキャラクターが一変する訳もなく、あい変わらずの目立たない読書中学生だった事に変わりはなかった。ただ、一つ自分に自信のもてる物を見つけられた事は当時の僕にとっては大きな出来事だったのだ。







高校 に入って迷わず スキー部 に入部した。大学の付属高校だったからか、雪なし県では珍しく(競技)スキー部があったのだ。それまでの家族旅行としてのスキーが部活動としてスキーとなり、僕の中で大きな存在となった。



スキー部といっても、春から秋にかけてのシーズンオフはひたすら 走りこむ 。へたしたら陸上部よりも走っていたかもしれない。



真面目にやっていた反面、高校生は色々な意味で 大人になっていく時期 でもある。



思春期のピーク を迎える高校生の時期、それは人には言えない恥ずかしい経験が満載な時期だといえよう。というのは、この時期に覚えたのが 異性交遊とお酒の味 (笑)。



当時は カラオケボックス が流行り初めた頃だったのと、高校生の飲酒規制が緩かった(僕の地元だけ?)ので、毎週のように コンパコンパコンパ 。今思うと当時の自分が羨ましくなるほどだ。



ビールを「美味い!」 と思えた瞬間を今でも覚えている。子どもから大人になる瞬間があるとしたら、僕の場合は間違いなくその瞬間だ。(異性交遊とお酒の話はまた別の機会に。。。)







っと、 スキーの話に戻ろう 。これからはちょっとだけ 重い話




実は この時期に、ターニングポイント となった出来事があった。



高校2年生 の時、スキー部の合宿中、ゲレンデで大けがを負ったのだ。若気の至りからか、自分の技術以上のスピードでかっ飛ばしていた最中にゲレンデ内のくぼみにハマって転倒、スキー板が折れて顔面を直撃した。運悪く折れた板が右眼に直撃、結果 右眼を失明 する事となった。



すぐに県内の大学病院に搬送され 眼球の摘出手術 を受けた。多感な時期である。片目を失った事に対してのショックは今でもありありと覚えている。現地の大学病院に約ひと月入院し、都内の大学病院に転院した。転院先の病院でも約1,2ヶ月入院(はっきりどれくらいか忘れてしまった。。。)した。



不思議 な事に、入院中にどんな療養生活を送っていたのか、ほとんど思い出せない。思い出せるのは両親がずっと看病してくれていた事と、入院中に聞いていた音楽。長い療養生活に両親が用意してくれたラジカセと数枚のCD。ヒップホップやエアロなんかの洋楽から、久保田利伸の新譜やBzのデビューアルバムなんかもあった。色々と考えて選んでくれたのだろう。



気力も体力もどん底であった分、親の愛情を素直に受け入れられたのかもしれない。時にベッド脇でしくしく泣いている母親の気配をうっすら感じながら、親を悲しませてしまったことがとても情けなくなった。




「何も変わらない Only this is my truth」




Bz の曲の歌詞が、その時の自分に重なった。失明したという事実、それを受け入れることがまず自分のするべき事なんだ。そう思いながら何度も何度も繰り返し聞いていたのを覚えている。(それ以来すっかりBzファンだったりする)。



それと面会に来てくれた親戚のおばちゃんが、こっそり買って来てくれた ケンタッキー 。これは強烈に覚えている。3食が味気ない病院食の生活。すっかり食欲も落ちて当然体力も気力もダウンしていた頃、ギットギトのジューシーチキンは相当なインパクトを与えたのだろう。旨すぎて涙が出たのは初めての経験だった。





なんか、すっごい 重い雰囲気 になってきたな。。。


でも、スキーを振りかえる時にこの事故は外せない出来事なのだ。なのであえてのカミングアウト。その事故がきっかけで人生は大きく変わって行く。。。


さて続きはまた次回。。。







~スキーについて考えてみた その3~ に続く









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