スキーについて考えてみた その5
2000年4月
大学 を卒業してから3年後の春、僕は就職した。
地域ではちょっと名の知れた老舗の福祉施設。大学で専攻していた脚本とは全く違う分野での再出発。 あやふやな夢 ではなく、地に足をつけた リアルな生き方 を僕は選んだ。もちろん、食っていくために。
2000年 は介護保険法が施行された年だ。「介護元年」 とか「超高齢社会の幕開け」などの言葉が話題となり、4人に1人はお年寄りというとんでもない状態に日本は突入した。
制度 が大きく変わったことによって、業界も大きく揺れていた。公費によって守られていた報酬制度は一転し、自らで集客し利益を得ることで事業運営を行う「営業スタイル」が業界に課せられた。これまでお上に守られてきた「介護の仕事」に強いられた競争理論。大幅な収益ダウンは従業員の収入を直撃した。
当時 就職したての僕にはその違いは分からなかったのだが、先輩方からするとかなりのショックだったらしい。賞与に関しては一桁ダウンというから相当なもんだ。そんな大時化のど真ん中に飛び込んでしまったわけだ。。。でも、仕事を覚えるのでいっぱいいっぱいの日常、忙しい分毎日は充実していた。
働いている=生きている実感。
熱かったスキー熱はすっかり冷めて行った。
そんなある日、事件は起こった。
その日 、買ったばかりのPCでなんとなくネットを眺めていた。当時は今ほどインターネット も一般的ではなく、僕のPCも出はじめだった ADSL回線 を繋げたばかりだった。慣れない手つきでページをめくり、思いつくままのキーワードを検索した。そして偶然見つけたあるページに僕は目を奪われた。
地元のスキーショップ のページだった。スクロールしたページの片隅に見覚えのある名前を発見した。珍しい名字なので瞬時にパッと目に入ってきた。高校時代の友人で当時スキー部のキャプテン “A” だった。記事は、現役選手それも日本代表として活躍している彼を紹介しているものだった。
A はスキーを続けていた。
高校 を卒業してから8年経つ。Aだけではなく、当時の仲間との連絡はフェードアウトしたままだった。大学入学当時、背を向けることで意識の外に追いやった、彼らと僕を隔てる壁 。その壁は月日とともに遥か後方へ霞み、今ではその姿さえ見えないくらい遠のいていた。
受障当時 、僕はたくさんの人達に迷惑をかけた。両親、弟、親戚、クラブ顧問の先生、そしてスキー部の仲間達。 その事故 で傷ついたのは僕だけではなかった。事故に関わった全ての人が同じようにショックを受け、傷ついていたことに僕は気付きもしなかった。
中でも当時キャプテンだったAは 一層ショック だったに違いない。そんなことも気づかないまま、僕は彼らから離れていったのだ。
Aは現役で滑り続けている。それも第一線で。
自分の中ではすでに 清算 したはずの過去が、 整理 したはずの感情が噴き出してきた。いや、きっと整理なんかしていなかった。清算なんか出来てやしなかった。めっちゃくちゃに新聞紙でくるんで押し入れの奥に 無造作 に放り投げていただけだったのだ。
壊せなかった一枚の壁
遥か彼方に追いやってしまった一枚の壁
その壁が 僕の目の前に再び現れた
うっちゃっていた過去が
押入れの中から転がり落ちてきた
いてもたってもいられなかった。
衝動 覚めやらぬまま、勢いでキーを叩いた。気持ちが立っていたためか、まとまりのない長ったらしい文章だった。迷惑をかけておきながらきちんとした謝罪をしていなかったこと。最後まで眼帯で自分を隠していたこと。あの時の自分を否定することで前に進んできてしまったことも全て。思いのままを気持ちのままを書き綴った。
壊せずにいた壁を、少しづつ少しづつ 削っていく 作業。
「送信」 をクリックする指先が一瞬躊躇した。 ポストペット のワンちゃんがメールを加えてモニターの隅に元気よく駆けていった。
何時間 モニターとにらめっこしていたのだろう。興奮はしばらく冷めることがなかった。自分の書いた文章を何度も何度も読み返した。誤字脱字だらけ。まかりなりにも文章を勉強してきた人間のものとは思えない、感情が先走ったひどい 作文。
それでもよかった
気持ちは入れられた。
その夜は寝付けなかった。
今では思い出すこともなくなった高校時代の 思い出 で頭がいっぱいになった。
次の日 、帰宅してPCを立ち上げると、ポストペットのワンちゃんが一通のメールを咥えて開封を催促していた。Aからの返信だった。脈拍が上昇していくのが分かった。なんとなく、その場で読んでしまうのがもったいなくて 、とりあえずプリントアウトした。気持ちを落ち着けて読みたかった。
まるで ラブレター の返事を開封する時の様な緊張感。 期待と怖さ 。何を期待していたのか。何を怖がっていたのだろう。プリントアウトされたメッセージは奇麗な明朝体で綴られていた。
A は、高校時代のあの事故をきかっけにスキーで生きて行く決心をしたという。自分の大好きなスキーで仲間が取り返しのつかない傷を負ってしまった。彼の心にも大きな傷を負わせていた。自分の大好きなスキーで悲しい事故を起こしたくない、そんな気持ちがずっと 彼の背中 を押していたのだという。
今は選手生活の傍ら、普段はスキー場のパトロールとして仕事をし、またコーチとして後進の指導にも尽力しているという。どんな活動の中でも常に根っこにあるのは 「安全」 だと彼は綴っていた。
Aは まっすぐ にスキーに向き合っていた。自分の起こした事故はAの人生を大きく揺り動かしていた。
彼の活躍 を誇りに思えた。素直に喜べた。何故あの時皆に背を向けてしまったのだろう。。。未熟な自分への憤り。気の合う仲間と離れてしまった悲しみ。。楽しかった思い出。。。 喜怒哀楽 だけでは言い表せない感情。
ただ、今の自分を 否定 する気持ちは生まれてこなかった。あの事故以降に出会った友人や仲間の存在、歩んできた道、過ごしてきた時間は確かに自分を成長させてくれた。今の自分という存在を形作ってくれた。妻と出会えたのも、もしかしたらあの事故があったから、 どん底 を乗り越えられたから。強がりではなく、
本当に素直に 感謝 できた。
ただ、 あの時の自分 に戻って。。。いや、 今の自分 として、もう一度、Aとの、あいつらとの時間をスタートさせたい。そう純粋に思えた。
それからは早かった。僕からAへのメールは当時の仲間に伝わった。季節は冬から春に移り変わる時期。
「スキー行こうぜ」
Aへのメールから数日後、 当時の仲間 からメールが送られてきた。「飲みに行こうぜ」みたいな軽いノリの一言 「スキー行こうぜ」 と。
きっと 僕らの時間は 17歳 のあの冬、あの場所で止まってしまっていたのかもしれない。まるで ベタなテレビドラマ 。Eメールでのやり取りは現実感に乏しいものだ。だけど、その短くぶっきらぼうな一言がその時はすごく リアル に感じた。
止まっていた時間 が動き出した。そう感じた。
僕は、再びスキーを始めた。
といっても あくまで趣味のレベルの話。だけど、ハッキリと僕の中でスキーとの距離感というかスタンスが大きくシフトされたのが分かった。何と言っていいかわからないけど、自分にとって特別なものが戻ってきた感じとでもいおうか。単に上手くなりたいとか、速くなりたいとかの次元とは全く違った感覚。とりあえずそんな感じなのだ。
あの 劇的 に思えた再会から10年以上が経つ。今では皆すっかりいい オッサン になっていて、奥さんや子どもがいて、昔みたいにスキーに夢中になることも、バカ騒ぎすることも少なくなった。だけど僕と彼らの間にはもう壁はない。
趣味は? と聞かれると「本職はスキーです」そう答える。
もう一言重ねてみる
「スキーは。。。友達です」
「スキーよ 願わくは 生涯の友であらんことを」
~了~
///