「春の雪」 | 定年後の風景

定年後の風景

定年後や病気のこといろいろ書いてます

 

2005年邦画をアマプラ398作目となります。ご存じ三島由紀夫の遺作「豊穣の海」全4巻の初作大部の映画化となります。正直イメージが頭の中に固着してますから、誰がやるのだろうと興味津々でしたが、松枝清顕を妻夫木聡、綾倉聡子を竹内結子と予告で絵面と共に公開されて、イメージが固着されました。

 

しかしそれでも配役名前とともに既に頭の中に強固に出来上がってますから、どう見ても映画はそれとは別にあるように思えて、登場人物名の方が染みついてついているのが、他の映画作品と違う所です。

 

内容は大河長編悲恋物語となりますが、もう一度どういう映画だったのか知りたくて書きました。多分テレビでかなりのカット版で見たことあると思いました。竹内結子が出てて今になって驚きます。公開当時は、あ、この人が出てるのかと思てました。まあ清顕は妻夫木聡がやるのかと見てました。

 

今回まあ映画として見ていると、当時も評判でしたが、四天王寺や奈良の円照寺などは、ロケが不可能と思われる実際の建物を、特別に使用して撮影してるところが、重厚感が半端で無かったですね。そして恐らくその他の洋館もセットでは無く、実際の建物を利用したようにも思われます。

 

また当時の夜行汽車に乗って、昔の駅ホームを出発するシーンは、どう巧みに撮影したのかと思いましたよ。中々ホームを客車が実際に離れて行くシーンは撮り難いと思いましたよ。巧妙だと思いました。またそのせいか、洋館は少し狭い気がしました。セットならもう少し広く作るような気がしました。

 

まあ長大全4巻をここから書き起こし、各巻主人公が輪廻転生しながら生きながらえ、それを初巻に出て来る清顕の親友の本多が狂言回しで、通して登場して生まれ変わりを見届け確信し、最後に初巻で出家した悲恋相手の聡子に逢いに行きます。

 

そして、本多は憶えてましたが、当の本人の子供まで宿した恋人の清顕は居なかったのではないかと応えられ、この全4巻の長大物語が、結局何も無かったと全否定される、壮大壮絶ニヒリズムを描破した畢生の作品の映画化となります。

 

既にこの初巻を構想して書き始めて刊行した時から、終巻の「天人五衰」を脱稿した時に切腹して介錯することにして、自分の生すら終えることにしていたのはまあ常人の考えることでは無く、また運命的でもあったことは、以前に詳細にに書いた通りです。

 

しかし本編はあくまで小説及び映画世界のことであり、純然たる恋愛悲恋ものとして作り上げられてるものです。なのでそこにはどこまでもノーベル賞候補になっていた三島イズムの狂気才気は充分織り込まれたものでした。

 

(以下ネタバレします)大正初期の華族社会で半ば許嫁関係にあって、行く行くは家同士で婚姻を結ぶ筈であって、竹内結子の方がむしろ積極的に恋心を持ってて、そのまますんなり婚姻すればよいものを、不思議に妻夫木聡が臍曲げてか若気の至りか、ここがまあ一番理不尽不条理残酷に物事が始まります。

 

この揉め事が、全4巻の最後の全否定に至るまでの繋がる一大出来事になって行くところが、いかにも小説的には巧者な展開となる訳ですわ。即ち余りに最後の最後まで結局妻夫木は理由もなく拒み通すので、竹内は精魂尽き果てて、竹内家は竹内を気に入ってた宮家の殿下との婚姻の話を進めるのです。

 

が、いざそれが妻夫木に伝わると、今度はそれはいかん許せんと、我儘暴挙に出て、無理矢理竹内に遭い、身体の関係まで持ってしまいます。まあ無茶苦茶な訳ですわ。この辺が三島的狡猾で、これがまあ極限的に文章が巧緻を極めますから、これが読ませるし、映画では見せて破綻して無い訳ですわなあ。

 

まあ大体三島作は極限技量に敢えて挑戦してますから、この辺の危うさ危険さを筆至で見せる訳ですな。それを映画で破綻せずに見せるところが三島映画の難しい所です。それでまあ宮家に隠れて禁断の逢瀬は続き、遂には子を孕み、竹内は当然家の指図で奈良まで行って、内密に堕胎し、そのまま剃髪して出家します。

 

そしてその後最終巻の末尾に、夏の円照寺の庭が見える部屋で、はるばる訪ねて来た八十齢の本多に逢い、「そんなお方は、もともとあらしやらなかつたのと違ひますか」と言われて、「庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる…… 」の一文で長大大巻は終わります。

 

勿論当時の妻夫木は竹内が子を授かり奈良で堕ろしたことを知り、悪化する結核を押して死にかけながら奈良まで行きましたが、当然竹内は会わず、門で追い返され、迎えに来た本多に、汽車の中で「滝の前でまた逢う」と言い残して息を引き取ると、そう言う話となります。

 

どうです?悲恋でした?まあ映画は書きますが、小説は書いたことないかもです。三島は全部読んだつもりですが、ネットなど一つも一切行ったことはありません。本作の最重要役の月修寺 門跡には若尾文子が出てました。その他錚々たる俳優陣が出演してます。

 

Wiki見てると、本遺作は自決の2年前ほどから連載出版されており、テレビ単発、連続、芝居、も公演されれてたようでした。そんな只中で自決に至り、どんなに大騒ぎだったか分りますね。何よりも三島はこれら四巻どれかが未完に終わらなかったのを何よりも安心してるだろうことは、本人が一番の心配事として言ってたことでも分ります。

 

さらにWiKi見てると、1970年(昭和45年)2月に吉永小百合と市川海老蔵でテレビドラマを放送しており、これ見てたかも知れません。なので聡子には吉永小百合のイメージが残ります。1969年(昭和44年)9月には市川染五郎と佐久間良子で舞台化されてました。

 

映画化は本作が初めてと書かれてます。完成時には行定勲監督は、三輪明宏に恋愛感覚を聞いておいたと書いてます。また監督の最新作は、綾瀬はるかの「リボルバー・リリー」となってます。