ダグラス・トランブル 逝く(2) | 定年後の風景

定年後の風景

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今日も朝一ネット巡回で、キューブリックブログ見ていると、やはりこちらも続けてトランブルの第二弾を掲載してました。何せあちら本家はストック膨大ですから、今日の過去記事にもさらに過去記事にリンクが二、三個あって、そこまではとてもではないですが、読みきれませんでした。

 

こちらが書くことに大きな間違い齟齬か無いかだけは熱心に読みますが、幸い大きな外れは無かったようです。今日改めて書いてあったのは、若きトランブルはキューブリックとの要求にかなり対立してたと書かれていましたが、キューブリックの葬儀には駆けつけて涙流して、コメントまで発表してたとありました。

 

キューブリックと付き合った人は、出来る人ほどディスカッションが強くて、勘弁してくれと、どこにも出て来ます。同じことしてながら、軽く皮肉でかわしてたのは、年上のクラークくらいでは無かったかと思ってます。トランブルは『オズの魔法使い』の特撮監督の息子であり、既に根っからの特撮界で育ったですね。

 

そして、その関連の制作会社に入り、NASAのよく見ていた所謂正確な想像動画を作ってて、キューブリックに見初めらつつも、割と強引に2001年の撮影に入り込んで来たようです。アポロ計画などの計画予想動画はテレビで熱心に何度も見る機会があり、あの正確メカ感は2001年の映画そのままでした。

 

それはもうまたとないチャンスで、トランブルは会社辞めて撮影に加わった筈です。最初の仕事は自分でも言ってますが、あのHALのデシタルっぽい映像の数々で、来る日も来る日もあのアニメーションを作ってたと愚痴ってました。

 

多分キューブリックはさしたる細かい指示は出さず、とにかく作ってと、どんどん作らせたと思われます。ダメな時しか指示はなく、恐らくは終始無言でOKだったと想像します。この時既にキューブリックはこれは行けると踏んでたと思われます。

 

あの表示は全てフィルムですが、あれがまた良いんですよねえ。あれは全て実際の技術グラフで、その内の一つは仕事で使ってた空気線図で、あれらは他も全て本物の線図だと分りました。あのね~、あの技術表示の本物らしさ、リズム感が、もう何とも言えず、あれが全編最後まで続きますから、2001年は良いんですよねえ。

 

だから2001年はキューブリックの発想で、細部はトランブルなんですねえ。まああとは数えだすとキリ無いですが、各宇宙船の操縦席や、ポッドの動きや作動音、ロボットアームの駆動などは、あれは全てトランブルタッチですな。あのメカ感じは後の作品にも色濃く繰り返し出て来ます。

 

メカ以外のスターゲートなどは純粋に映像技術の話となってくると思います。2001年では大きくは個人的にはこれぐらいでしょうか。以下トランブルのWikiを久しぶりにざっと読みましたが、極めて大雑把なもので、作品年表も無く、概要のみで特撮監督となるとこんなものかと思いました。


「サイレント・ランニング」1971年監督作
2001年のあと、初めて監督作として宇宙SFを作りました。自作ですから、思いの丈を全てブチ込んだ独特の味わいある、植物を育てる巨大宇宙船で一人で飛びながら、流行りのアンチカルチャー、サブカルチャーしてる苦しい作品となりました。

 

映画のことは知っても、ひとつの作品に仕上げるのは極めて難しいと思い知れました。両足切断の戦傷者を二人使った二体のロボット、ヒューイとデューイは映画史に残る存在感のある名ロボットとなりました。主役は当時流行の雰囲気でしたが、どう見ても悪者に見えて、明らかにミスキャストに思えました。

 

重力は無視してるように思えました。特撮には優れてましたが、SFにはさほど興味は無いように思えました。この生みの苦しみの自作は、後年の「ブレインストーム」で立派に挽回して開花したと思えました。


「アンドロメダ…」1971年特撮作
ロバート・ワイズ監督、マイケル・クライトン原作の良作に参画し、宇宙ウイルスの隔離施設内の実験設備や宇宙生物画像などを担当したと思われます。宇宙生物感染もので屈指の名作となり、自動実験装置や結晶生物の映像は、他にまねの出来ない秀逸の出来で、リアル迫力を出してます。

 

ワイズとはスタートレックでまた組んでますね。淡々とした自動実験装置の動きを延々と映すあたりは、トランブルタッチと思われます。ここら辺が2001年とそっくりで、堪らないのです。関心無い人が必ず寝るようなシーンが珠玉のシーンなります。


『未知との遭遇』1977年特撮作
ご存じスピルバーグの超名作ファーストコンタクトものSFとなります。やっぱり名監督のオファーがありますね。もうこれは言うまでも無く、あのUFOの表現ですよね。トランブルしか表現出来ません。初めて登場する道路での場面や、コンタクト基地で三機が舞い降りてくる辺りが出色の出来となります。

 

この辺の、フォーカス変わると、向うの合成UFOのピントも変わる辺りは、何度見てもチビリそうになるほどリアルでおまんねやわ。この頃はまだスピルバーグも大いに若手でしたな。同年ワイズ監督で『スター・トレック』の特撮やってて見ましたが、それなりの味はあるものの、殆ど記憶に残りませんでした。


『ブレードランナー』1981年特撮作
またしても名監督リドリー・スコットの特撮作となりましたなあ。サイボーグものSFですが、これ以上のものは無かろうの、これまた超名作として歴史に残ってます。もうこの頃になってくると、作品全体のタッチがトランブルしてくると思うのですよ。荒んだ猥雑未来都市の霧に霞んだ重厚感はトランブルしか出せないものとなりました。


『ブレインストーム』1983年監督作
2作目監督作で、有名俳優が出て、堂々たるメジャー作が出来たと思います。しかも体験を記録再生すると言う装置の研究SFとなります。そしてまあそこで死すらも記録し、実際に死にゆく場面が出て来て、それを再生体験すると、自らも瀕死となる、恐るべき内容の映像化に挑み、成功してると思います。

 

その再生場面のために、二、三倍の解像度を誇るショースキャンを開発しましたが、映画では使用されず、後にどこかのテーマパークで見てたと思います。清楚な女優ナタリー・ウッドが製作期間中に亡くなってしまい、テーマもやや不気味な映画でもあったでしょうか。


結局映画作品での活躍はこれが最後になったでしょうか。素晴らしいメカと映像を長きに渡りありがとうございました。心からご冥福をお祈り申し上げます。