ダグラス・トランブル 逝く(1) | 定年後の風景

定年後の風景

定年後や病気のこといろいろ書いてます

 

今月8日79才で闘病の末亡くなられました。癌、脳腫瘍、脳卒中を患っており、中皮腫の合併症で亡くなったとのことです。朝一のキューブリックブログで、バラエティ誌の記事として見つけましたが、このブログは過去記事も載せるので、え?ほんと?と驚き、慌てて検索します。

 

すると、死去とは出て来ますが、いつのことかもはっきりせず、Wikiにも死去の記載がありません。なのでブログにもいつのことですか?とコメント書いておきました。死去されても情報を見逃してこともありえます。するとそのあと、スマホのグーグルニュース見ると、ドーンと一面に出て最新のニュースだと分りました。

 

もう一度Wiki見ると死去が追記されててはっきりしました。いやあ、驚きました。腰抜かすほどでした。一時頭が真っ白になるほどで、ボ~としてしまい考えがまとまらない経験をまたしてしまいました。キューブリックは大マニアですが、最早歴史上の巨匠人物として知れ渡ってるものの、トランブルはもう少しコアなマニアとなります。

 

映画のしかもSFファンにしか知られていないのが良いです。うわあ、これは突然のことで考えまとまらんし、書くのは明日にしようかと思いましたが、確認出来た以上は速報がよかろうと書くことにしました。何を少し混乱したかと言うと、今日は凝ったSFっぽい作品を気合い入れて書こうと、頭の中で準備していたからです。

 

書く時は見終わった時からず~と書き始めるまで、どう書くか、何書くかをジワジワ考えるのを楽しみにしているので、いざそれを書こうとする直前に、こう言った訃報衝撃報が入って来ると、その流れがくずれて、少なからず動揺して、あれもこれもとそれこそ走馬灯のように湧き出て来て収拾つかなくなります。

 

あれもこれもと書くことが噴き出て来ます。それを落ち着かせるのが、まずは大変です。その辺の感じはキューブリックブログのコメントで「いつ亡くなったのか簡単には分らないのですが、ご冥福をお祈りします。まだ若かったですね。

 

トランブルは数々の技術もさることながら、VFX担当しててもその作品のタッチすら変えてしまうメカ表現の秀逸さが大好きでした。ブレーンストームが一番好きかもです。」と書いておきました。書くのか遅くなりましたが、言わずと知れた「2001年宇宙の旅」の特撮担当となりますね。

 

まあ特撮担当は、ベテランも含めて何人も居て、実際初期はかなりかの著名ベテラン特撮担当が、既に特撮企画やら準備に取り掛かっていましたが、途中からキューブリックの目に留まり、参画して、若かったですし、最もキューブリックのお気に入りとなり活躍しました。

 

キューブリックの発想イメージを最も適確に表現出来る、お墨付きをもらい、タイトルロールでは最初に一人だけ出ると言う光栄を得た人でもありました。まあ映画製作は監督の配下で、共同作業で行うものですから、特に当初からのベテランには大きな不満は無かったようです。

 

しかし、当のトランブルはやはり裏方製作マンに留まらず、その後頭角を現して表舞台に派手に出て来て名を残すようになって来たので、2001年の特撮裏話でも、自分が代表して説明することも多いのは致し方ないですが、それは彼が必ずしも全部取り仕切った訳ではなく、単に代表して紹介してる場合もあると考えておいた方がよさそうです。

 

キューブリックブログなど詳細を読んでると、如実にそれが分ります。トランブルがあまり詳しく解説しないものは他のチームや人材が製作したものが多いようです。しかしこれら全部を代表してトランブルが説明することは、立場上致し方ないことです。

 

実際、以降の活躍見ていると、やっぱり2001年もトランブルカラーに満ちており、まあ言えば2001年の細部はトランブルを観ているようなもので、それで満足させられます。個人的にはトランブルタッチは、この2001年でキューブリックに触発開花させられて、その後の活躍に繋がったのではと思っています。

 

なので2001年ではやはり殆ど全てはキューブリックの発案であり、それを見事に、恐らくはキューブリックの期待以上にトランブルが開花させたと思えるのでした。キューブリックは一流のコーディネーターでもあったのは間違いないことと思われます。

 

なので2001年はやっぱりキューブリックの絵図であり、トランブル独自のタッチが出て来るのは、未知との遭遇であり、アンドロメダ病原体であり、ブレードランナーだと思うのです。因みに一番の好みはコメントにも書いた、自身の監督作でもあるブレーンストームだったでしょうか。写真はお借りしています。