「ダイエット偏差値が低い者とのコミュニケーションは不可能」
以前、何かの本かネットニュースだったかで、
「知能指数が20違うとコミュニケーションは不可能」
と言うのがあった。
掲載したWikiからのグラフを見ると、
偏差値と知能指数も5くらいの誤差はあるも連動しているのが分かる。
嫌な言葉ではあるが、
健康やダイエットについて考える時の指標として重要だと気付いたので書いてみたい。
ここでは受験で誰でも分かり易いので偏差値を基準に考えて行く。
「偏差値でおおよそ15違ったらコミュケーションは不可能」と、
分かり易いように置き換えてみる。
偏差値は一般的に学業、特に受験の合否を判断する際に今でも重宝されている。
この指標は学業だけでなく、
様々な事に対しても残酷ながら見事に現実を突きつけて来る。
恋愛偏差値、顔面偏差値なども聞いた事がある。
これ、ダイエットの世界でも充分に使える。
ダイエット偏差値とは、
50の平均点を仮に、
「全ての血液検査をクリアしていて、ギリギリでもいいから肥満ではない」
とした場合、
下方の25以下を「病気」「肥満」「栄養失調」「死」、
上方の75を「アスリート」「モデル」「超健康人」と見做せる。
すると最上位の人は既にダイエット偏差値60くらいの人とのコミュニケーションが成立しない、となる。
もう少し下げて考えると、
ダイエット偏差値50のギリギリ健康な人は、
35くらいの凄い肥満や生活習慣病を抱えている人とはコミュニケーションが出来ない、となる。
これ、凄く当たっていると思う。
知能指数が非常に高い人は、
普通レベルの人との会話は非常に気を遣い出来ないと言う意見もあった。
本心を言ってしまうと、
嘘をついている、絵空事、空想癖、不誠実等々と見做されてしまうため、
相手のレベルに合わせて、本心を言わないようにしている、と。
さて、焦点をダイエットに絞った場合、
私の例で考えると、
私の母、妹、娘の順番で15年ほど前からブクブクと徐々に太り始めた私に、
懇々とダイエットをしろ、食事内容を変えろ、運動をしろと言って来た。
この3人の特徴は基本的にダイエット偏差値は50超えであり、
場合によると60くらいはある。
これに対して当時の私のダイエット偏差値は間違いなく25の最低レベルだった。
これは大袈裟でも謙遜でもなく、リアルだ。
何故なら3年10ヶ月ほど前の私は倒れた挙げ句、
病院で医師から「末期ガンの可能性がある」と宣告されていたからだ。
他にも様々な事も指摘されていて、
はっきり言ってしまうと棺桶に片足を突っ込んでいた。
すると家族と私の間のダイエット偏差値の開きは軽く25以上あった事になる。
普段から食生活に気を遣い、タバコを吸わず、酒もほぼ飲まず、
標準体重をクリアしている3名と、
大食い、油物大好き、隔日の飲酒、運動をほぼしない、ダイエット知識ほぼゼロ、
健康とは普通に手に入るものと考え、
太った身体は見ないようにする、病院には行かないようにする、などと言う者。
≪同じ日本語を話しているが意思疎通は出来ない≫と思った方がいい。
当時の私にとって「BMI」「体脂肪率」「内臓脂肪」「基礎代謝」「筋肉量」などは、
完全なる理解不能な外国語だった。
何となく意味は分かるも、何の興味もないため、
そんな単語を並べられても不快に思うだけだった。
つまりコミュニケーションが不可能。
だが、ダイエット偏差値が高い者はここが分からない。
同じ日本語を話す日本人で、さらに家族なんだから、
話せばきっと理解出来ると思ってしまう。
もちろん家族だからと言ってもダイエット偏差値が15も開いていたら、
ことダイエットについてのコミュニケーションは完全に不可能となる。
強硬に主張したとしても、何も響かない。
むしろ感情的な反感のみが煽り立てられて、
思わぬ反撃を受けてしまう。
世の中には口の利き方が分からないエリートが一定数いて、
あっさりと刺されたり殴られたり、闇討ちに遭ったりするのは知られている。
日本は治安がいいから殺人事件にはなかなかならないだけであり、
アメリカだと銃社会なのであっさりと乱射事件が起こってしまい、
学校ごと被害に遭い多数の死者が出る事態になる。
ダイエット偏差値が低い者を、高い者が諫めようとした場合、
かなりの危険が伴うと思った方がいい。
何故なら「食」と言う人間の根本的な欲求に関わっているからだ。
要するにダイエットを他人に説くと言う行為は、
「食うな」「動け」を強要する事に他ならない。
相手が死にそうなくらい太っていたら余計に説得は危ない。
先ず、無理だ。
迂闊に敵は作らずに放置。
家族以外なら死んでも悲しむ事にはならない。
だから放置。
それしかないと思う。