カレーに「福神漬」を入れる人が知らない"真実" | スパイシー丸山「カレーなる365日」Powered by Ameba

カレーに「福神漬」を入れる人が知らない"真実"

なぜ福神漬はカレーライスのお供なのか?

 

この壮大な疑問に真正面から向き合った素晴らしい記事を発見!!

 

筆者曰く、従来の日本郵船説や阪急百貨店説は矛盾点もあり

 

真実とは違うのではないかと。

 

かつての日本人はおかずをあまり食べずお米中心の食生活。

 

漬け物は大量のご飯を食べるための食欲増進剤で

 

そんなこともあり洋食店では

 

全てのライスメニューに福神漬が付いていたんだとか!!

 

※箸を置かずナイフとフォークで食べるのが当時の洋食店のスタイル。細かくカットされた福神漬けはたくあんよりもフォークなどで食べやすいので福神漬けが採用されたとのこと。

 

時代とともに米を食べる量が減り、漬け物離れが・・。

 

淘汰の危機に見舞われた福神漬でしたが

 

スプーンで食べるカレーの付け合わせに特化し生き残った!!

 

と記事はまとめています。

 

へぇーーっ!!!

 

めちゃくちゃ面白いなあ!!!!!

 

自分の資料も兼ねてブログアップしてみたいと思います。

 

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カレーに「福神漬」を入れる人が知らない"真実"
いつから付け合わせに?背景を探る【前編】
近代食文化研究会 : 食文化史研究家

(東洋経済ONLINE 2022年11月16日)

 

 

カレーのお供といえば福神漬。現在はもっぱらカレーの付け合わせとして有名ですが、福神漬はもともとご飯を食べるための漬物として販売され、普及しました。

老舗漬物屋の酒悦は福神漬を販売する際に、作家である梅亭金鵞(ばいていきんが)に宣伝用のキャッチコピー作成を依頼しました(『食道楽 1931(昭和6)年2月号』所収の「江戸趣味漫話」)。

その宣伝コピーは、福神漬でご飯を食べると他におかずがいらないので節約になる、という内容でした。「ご飯のお供」を前面に打ち出して売り出したわけです。

日清・日露戦争で福神漬が全国に普及
東京生まれの福神漬が全国に普及したきっかけは、日清・日露戦争でした(風戸弥太郎編『大日本洋酒罐詰沿革史』、木下浅吉 『醤油・味噌・アミノ酸』)。

当時の兵食はご飯を大量に食べてカロリーとタンパク質を摂取するというものでした。陸軍ですと、1人1日6合という、大量のご飯・麦飯を食べます。その「ご飯のお供」、つまり食欲増進剤として消費されたのが、缶詰の福神漬でした。

もともと福神漬は、缶詰にすることを前提に開発された漬物です。当時の代表的な漬物、ぬか漬けの自然発酵たくあんは、すぐ腐ったりカビたりしました。一方、缶詰の福神漬は戦地でも腐らないということで、軍に重用されました。



日清戦争後に出版された平出鏗二郎『東京風俗志 中巻』は、“近時福神漬と稱(とな)ふるもの、茶漬の菜などに美(うま)しとて、甚だ稱(しょう)せらる。これ等を賣る店も町々に多し”と、東京の市中にお茶漬けのおかず(菜)として福神漬が広まっていったさまを描写しています。

 

なぜご飯のお供だった福神漬が、カレーの付け合わせになったのでしょうか?

有名な説が、日本郵船の外国航路でカレーに福神漬を付けはじめ、それが全国に広まっていったという説です。

ところが日本郵船には、外国航路でカレーに福神漬をつけたという記録がないのです(『別冊サライ 大特集カレー』所収 松浦裕子「脇役讃歌 福神漬 VS ラッキョウ」)。

日本郵船株式会社総務部が編集していた雑誌『ゆうせん』1985年2月号に、「百周年記念 OB座談会 豪華客船とともに」という対談が載りました。

この対談において、1927(昭和2)年入社、外国航路でチーフコックを歴任したOBの丸山久義さんが次のように話しています。

“池の端の『しゅえつ』の社長さんが、テレビ対談のときに、福神漬けの起源について聞かれ、「郵船の船のコックさんが添えるようになったのが始まりです。お陰さまで、よく売れます」と言ってました”
 

つまり日本郵船のチーフコックが知らないことを、当時の酒悦の社長がテレビで主張していたのです。

そこでこの記事を書くにあたり、酒悦に取材を申し込みました。ところが得られた回答は、一言でいうと「わからない」というものでした。

日本郵船においていつ、なぜカレーに福神漬がつくようになったのか(そもそも本当についていたのか)。なぜそれが全国に広まったのか。それは誰が何を根拠に主張しているのか。まったくわからない摩訶不思議な説が「日本郵船説」なのです。

小林一三が福神漬をつけるよう指示?
「TVムック 謎学の旅」という、かつて日本テレビ系列で放映されていた番組において、「追跡!!なぜカレーに福神漬か?」という特集が組まれたことがあります。

番組の内容は、書籍として日本テレビ社会情報局編『TVムック 謎学の旅』にまとめられています。その内容は、阪急グループ創業者小林一三が外国航路から帰ってきた際に、阪急百貨店食堂のカレーに福神漬をつけるよう指示したというものでした。

 

“私はオープンして一ヶ月経ってから入ったんですが、そのときにはもう福神漬をつけていましたね、だから、四月にオープンしたときから、カレーに福神漬をつけると決まっていたんでしょうね。小林先生が洋行から帰ってきて、そうするように言われたと聞いています”
 

開店直後に入社したコックの証言です。

番組によると、1929(昭和4)年にオープンした阪急百貨店の名物はカレー。1日に13000食という大量のカレーを販売しました。

日本郵船かどうかは不明ですが、外国航路に乗って福神漬をカレーにつける習慣を知った小林一三が、その習慣を阪急百貨店に持ち込み、阪急百貨店を経由して全国に習慣が広まった、というのが番組の結論です。

ところがこの話、事実ではないのです。

小林一三が初めて外国に旅立ったのは1935(昭和10)年9月(小林一三『次に来るもの』、阪急電鉄編『小林一三日記 第一巻』)。阪急百貨店開店時の1929年において、小林一三は外国航路に乗ったことがなかったのです。

確かに、阪急百貨店のカレーには福神漬がついていました。しかしそれは、外国航路の習慣をまねたものではありませんでした。まったく別の理由でつけられていたのです。

ライスのみ注文する客に福神漬を多く盛った
名経営者・小林一三にはさまざまな逸話がありますが、中でも有名な逸話が「ソーライス」です。

阪急百貨店が開店した年は、アメリカに発した大恐慌が世界を覆っていった年。阪急百貨店食堂の客の中には、お金がないためライスだけを注文する人もいました。卓上のソースと、ライスに添えられた福神漬のみで、食事を済ましていたのです。

小林一三と知り合いだった作家・水上滝太郎によると、小林はそんな客を嫌がることはなかったそうです。

“私共は八階の方へ行き、ビフステーキ二十錢、米飯に福神漬をそへたのが五錢、冷珈琲五錢、合計三十錢で滿腹した”
“山名氏の談によれば、ライス・オンリイといふ註文をして、それにソオスをかけて喰ふのもゐるといふ。しかも此のライス・オンリイをいやがらず、さふいふ客には飯も漬物もかへつて多く盛つて出すといふ話だ。いかにも小林式で感服した”(『水上滝太郎全集 十二巻』より1933(昭和8)6月16日の日記)

 

小林一三は、ライス・オンリイの客に対し、ご飯も福神漬も普通よりも多く盛って出し、歓迎したのです。
 

こうして客は阪急のファンとなり、やがて懐が豊かになると、阪急百貨店で買い物をするようになります。目先の利益よりも長期的なロイヤリティを優先する、小林一三の経営センスをあらわすエピソードとして、この逸話は有名になります。

作家阪田寛夫の評伝『わが小林一三 清く正しく美しく』によると、この「ライス・オンリイ」は、ソースでご飯を食べるため「ソーライス」、あるいは福神漬でご飯を食べるため「福神漬ライス」の通称で呼ばれていたそうです。

 “「福神漬の話を知ってますか」 ある日、私が逢った七十五歳の、かつての梅田裏界隈のサラリーマンが、大事なものをとり出して見せるように、なつかしんで話してくれた”
 “我々阪急食堂を利用した者は、皆知ってます。小林さんが山盛の福神漬を自分で持って来はった”

 

福神漬はすべてのライスのお供だった
阪急百貨店のカレーライスに福神漬がついた理由は、単純明快なものでした。ステーキの付け合せのライス、貧しい客の「ライス・オンリー=ソーライス」、すべての洋食のライスに福神漬がついていたので、カレーライス「にも」ついたのです。

福神漬はカレーの付け合わせではなく、洋食の「ライスのお供」だったのです。

それではなぜ、阪急百貨店はすべての洋食のライスに福神漬をつけたのでしょうか? この理由も、単純明快なものです。

阪急百貨店の先輩にあたる三越百貨店などのデパートの食堂、須田町食堂などの大衆食堂チェーンなど、東京の大手外食店の洋食のライスにはすべて、福神漬がつけられていたのです。

阪急百貨店がすべての洋食のライスに福神漬をつけたのは、当時としては「あたりまえのこと」、業界の一般的慣行だったのです。

東京では大正時代から、大手外食店の洋食のライスに福神漬がつくようになりました。なので、カレーライスにも福神漬がつくようになったのです。

それはなぜなのでしょうか? そして戦後になって、なぜカレーライス以外の洋食のライスから福神漬が消えたのでしょうか? 

なぜカレーに福神漬がついたのか(後編)に続きます。 
 

 

福神漬VSたくあん「カレーのお供」巡る意外な歴史
いつから付け合わせに?背景を探る【後編】

(東洋経済ONLINE 2022年11月17日)

 

 

1929(昭和4)年にオープンした大阪梅田の阪急百貨店では、洋食のライスすべてに福神漬がつけられていました。なのでカレーライス「にも」福神漬がついていたのです。(詳しくは前編を参照:カレーに「福神漬」を入れる人が知らない"真実"

阪急百貨店開店の1年前、1928(昭和3)年6月20日の時事新報記事「食堂巡り」に、日本橋三越百貨店本店食堂が取り上げられました。そこで注文した若鶏のランチのライスにも、福神漬がついていました。

“ライスも百貨店の特色?通り美味くない、どこの店でも附けてくるライスの端の福神漬は有らずもがなである”
 

このように当時の百貨店食堂では、“どこの店でも”ライスに福神漬がつけられていました。阪急百貨店だけではなかったのです。

1928(昭和3)年6月29日の時事新報記事は、東京横浜電鉄(現東急電鉄)の東横食堂の、カツレツご飯、ビフテキご飯、ライスカレーを取り上げています。

“何處(どこ)もよくやる手だがライスに福神漬をつけてくるのはどうも感じが悪い”
 

洋食を出すレストランは“何處も”福神漬をつけていたのです。

巨大チェーンでも洋食ライスに福神漬がつく
昭和初期に1日最大12万人が利用した巨大チェーン店須田町食堂(現・株式会社聚楽)も例外ではなく、洋食のライスには福神漬をつけていました。

お金がなく、絵のモデルとして生計を立てていた若い頃の歌手・淡谷のり子は、貧乏な絵描きたちとともに創業当初=大正時代末期の須田町食堂に通っていました。

“ホワイト・ライスに、タクアン二切れ、福神漬をつけたのを、皆おいしそうに食べていた”“ホワイト・ライスはただの五銭だった。そのホワイト・ライスにただのソースをかけて食べている画描きがいた”(『わが放浪記』)
 

阪急百貨店の「福神漬ライス」と同じく、須田町食堂でも「福神漬ライス」を出していたのです。

 

現在の洋食レストランでは、ライスのみを注文しても、福神漬のような漬物はついてきません。ところが戦前の洋食のライスには漬物がつきました。

これは和食の習慣が洋食に持ち込まれたからです。戦前の和食のご飯には、必ず漬物がついたのです。

それは、現在のように「おかずでご飯を食べる」のではなく、「現在の3倍以上の大量のご飯を、少量のおかずと、塩辛い漬物で食べる」ことが、戦前の都会の食生活の基本だったからです。タンパク質とカロリーを、おかずではなくご飯に大きく依存していたのです。

大正時代の急激な人口増による食事難民に対応するために、東京市は公営の公衆食堂を各地に開設、安い値段で東京市民に食事を提供します。その際に、1回の食事に必ず1.5合の米を提供することが規則として定められました。

1.5合の米をご飯にすると、牛丼チェーンの丼飯2杯。茶碗にすると3~4杯分。これが東京市が定める平均的な1食のご飯の量。当時の陸軍は1食2合でしたが、肉体労働を伴わない成人男性でも、1.5合=ご飯3~4杯を毎食食べるのが標準的な都会の食生活だったのです。

公衆食堂の朝食は、ご飯と味噌汁と漬物だけ。他におかずはなく、茶碗3~4杯分の山盛りの丼飯を漬物だけで食べます。

大量のライスを食べるための食欲増進剤だった
公衆食堂はカレーライスも出していましたが、そのライスの量は規定通りに茶碗3~4杯分。ライスの一部はカレールーで、残りは漬物で食べるというのが、当時のカレーライスの食べ方でした。

百貨店や須田町食堂も同じです。大量に出される洋食のライスは、その一部をカレーやカツレツなどのおかずで、残りは福神漬で食べました。福神漬は、洋食の付け合わせではなく、大量のライスを食べるための食欲増進剤だったのです。

昭和初期の漬物といえば、たくあん漬けが最も人気でした。ところが、百貨店や須田町食堂がカレーなどの洋食のライスに選んだのは、たくあんではなく福神漬でした。これには洋食の付け合わせであることと、大量のライスを提供する外食産業であったことが関係します。

 

この写真は、創業100年を超える銀座の老舗、煉瓦亭のポークカツレツです。煉瓦亭では昔ながらに、客がナイフでポークカツレツを切り、その後フォークでライスを食べます。



戦前の洋食のライスは、箸ではなくフォークかスプーンで食べました。カツレツやステーキは煉瓦亭のように一口大に切られずにそのまま出され、客はナイフとフォークで切って食べました。そしてその後、フォークでライスを食べたのです。

フォークやスプーンでは、「輪切り」に切ったたくあんは食べにくくて仕方がありません。だからといって食べやすいようにたくあんを細切れにすることは、一日何万食ものライスを出す阪急百貨店や須田町食堂にとって大きな作業負担となります。

ところが、あらかじめ工場の機械で細かく切られている便利な漬物がありました。福神漬です。フォークやスプーンで食べやすく、厨房の負担にならない。福神漬は大量の洋食を出す外食産業に最適な漬物だったのです。

1年間に何百万食分もの漬物を必要とする巨大外食産業にとって、安定した価格で安定した量の供給を確保することは死活問題です。

原料の大根が不作だと、たくあんの供給は滞り、価格は上昇します。一方、福神漬は7種類の野菜に「リスク分散」しています。ある野菜が不足になり値上がれば、安い野菜でその不足を補えばよいのです。安定価格・安定供給の面においても、福神漬には利点があったのです。

戦後の漬物離れと、洋食の“箸で食べる化”
昭和30年代ごろから、日本人のご飯離れ、漬物離れがおきます。毎食のご飯の量は茶碗3~4杯から1杯に減り、一方でおかずの量が増えます。大量のご飯からタンパク質とカロリーを摂る食事から、おかずからもタンパク質とカロリーを摂る、バランスの取れた食事へと変化したのです。

当然のことながら、大量のご飯を食べるための食欲増進剤、塩辛い漬物は不要となります。日本人が塩分を摂りすぎであるという指摘も、漬物にとって逆風となりました。

百貨店や洋食店のライスからは、福神漬が消えていきました。人々は増量されたおかずだけで、量が減ったライスを食べるようになったのです。

さらに福神漬にとって逆風となったのが、洋食のスタイルの変化です。洋食を箸で食べる機会が増えていったのです。

 

現在のとんかつは、あらかじめ一口大に切られて、箸で食べるようになっています。銀座の煉瓦亭のように、フォークとナイフで食べるオールドスタイルのポークカツレツは少なくなりました。

東京のとんかつ専門店では、福神漬ではなく浅漬やたくあんを添えます。フォークやスプーンならともかく、箸で食べるには細切れの福神漬は食べにくいからです。

ところが、絶対に箸で食べることのない人気の洋食がありました。カレーライスです。

福神漬を製造する各メーカーは、漬物離れの中で生き残るために、洋食のライスの食欲増進剤からカレーライスの付け合わせへと、福神漬の用途を変えていきました。

ご飯のお供からカレーライスの付け合わせに変化



この写真は、食欲増進剤であった昔の福神漬(左)と、カレーライスの付け合わせに変身した現在の福神漬(右)を比較したものです。

左は福神漬を発明した酒悦の「元祖福神漬」。戦前から味は変わっていません。

大量のご飯を食べるための食欲増進剤ですので、塩分は約7.2%とたいへん塩辛く、カレーと一緒に食べるには塩っ気が多すぎます。醤油の量が多いために、色は黒くなっています。

右は大手メーカーによる現在のカレー用の福神漬。塩分は3.8%と約半分になり、カレーの味を邪魔することはなくなりました。カレーの付け合わせとして彩りを添えるために、鮮やかに着色されています。

このように福神漬は、大量のご飯を食べるための食欲増進剤から、カレーライスの付け合わせへと変身することで生き残り、日本人の漬物離れによる絶滅の危機から免れたのです。

 

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