丸亀製麺 カレーうどん (カレーうどんの歴史) | スパイシー丸山「カレーなる365日」Powered by Ameba

丸亀製麺 カレーうどん (カレーうどんの歴史)

なんだか一気に寒くなっちゃいましたが

寒い日はカレーうどんで温まりましょう!


 
この日は丸亀製麺のカレーうどん(並540円)。
 
 
トマトたまカレーうどんではなく
 
ノーマルのカレーうどんはかなり久しぶり。
 
さっそくいただいてみると、
 
 
出汁の効いた濃厚ジャパニーズカレーに
 
コシのある丸亀のうどん。
 
多くの人がイメージするカレーうどんが
 
つめこまれたような安定のうまさ!!
 
トマたまカレーうどんの
 
振り切れた味も好きですが
 
王道テイストのノーマルカレーうどんもGOODですね。
 

このままブログを終えても良かったのですが
 
ふと、日本語版Wikipediaの“カレーうどん”のページを見てみると

めちゃくちゃ細かくその歴史をまとめられていてビックリ!!

最近知るようになった田中屋や杉本商店の情報もしっかり載っていて

カレーうどんやカレー南蛮に相当詳しい方が

このページをまとめたと思われるんですよね。

ってことで、

最後はWikipediaの重要ポイントを転載してみたいと思います。

カレーの歴史に興味のある方はじっくりと読んでみてください。
 
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カレーうどん Wikipedia
 
誕生
カレーが人気となったことを受けて、カレーを使ったさまざまな料理が考案された。その中でも最も早く表れたのがカレーうどんであるが、その発祥については複数の説がある。

「三朝庵」発祥とする説
一説では、東京・早稲田にあった「三朝庵」が元祖であるとする。「三朝庵」は、「三河屋」として江戸時代に創業した老舗のそば屋で、穴八幡宮の向いに店を構えていた。周辺は、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があり、明治維新後は大隈重信が東京専門学校(現早稲田大学)を開講したことから学生街となった。「三河屋」には学生や教授が訪れて賑わったという。しかし、近隣にカレー店が開業すると学生の人気はそちらに移った。店主の加藤朝治郎は、店の存続のために何か新しいことをしなければと考えた。まず屋号を変えることにし、「三河屋」から「三朝屋」にしようとしたところ、常連であった大隈から「最近の蕎麦屋は、庵と付けるのが流行っている」との助言を受けて、「三朝庵」に改めた。

同時に、当時人気だったカレーライスを見て「ごはんにカレーがのっているなら、うどんにカレーがのっていてもおかしくないはずだ」と考え、カレーうどんの開発を始めた。鰹節と醤油の出汁でカレールーを溶き片栗粉でとろみをつけるという料理法を考案し、四谷の「田中屋」(のち「元祖カレー南ばんの素本舗」を経て現「杉本商店」)とともにそばつゆに合うカレー粉の開発に取り組んだ。

新メニューは2年をかけて完成し、長ネギを使用したことから「カレー南蛮」と名付けて、1904年(明治37年)に販売を開始したとされる。麺は、うどんとそばから選べた。また、「田中屋」では、そば屋向けのカレー粉として「地球印 軽便カレー粉」の名で1910年(明治43年)に商標登録した。

「東京そば」(「朝松庵」)発祥とする説
他方、大阪・谷町にあったそば屋「東京そば」(現在は東京・目黒の「朝松庵」)の角田酉之介が考案したとする説もある。江戸そばの職人であった角田は、大阪に江戸前のそばを広めようと1908年(明治41年)に「東京そば」を開店した。しかし、そう上手くはいかず赤字がかさむばかりだった。

閑古鳥の鳴く店で、時間を持て余していた角田は「人間の味覚というものも、時代によって変わりつつあるに違いない。それに合わせた何か新しいものを作らなくてはならない」と日々考えるようになった。そして、当時急速に普及しつつあった洋食を取り入れることを思いついた。手当り次第に試してみてもなかなか良いものが見つからなかったが、ただカレーだけはそばと相性が良かったため、これを使ったそばを開発することとした。

角田は、そばと相性の良いカレー粉の開発に取り組み、「カレー丼」とともに「カレー南蛮」として1909年(明治42年)に発売した。当時の「カレー南蛮」は、かけそばを、カレー粉をそばつゆに溶かしたもので食べるスタイルであった。「カレー南蛮」はヒットし、「東京そば」はすぐに赤字を解消して黒字に転換した。大阪での大成功を受けて、角田は1910年(明治43年)に帰京し、東京で「カレー南蛮」の販売を開始した。

その他の説
このほかに、「三朝庵」と共同で開発した「地球印 簡便カレー粉」を発売した「田中屋」の杉本チヨをもって元祖とするものもある。

とはいえ、明治時代の話であり、詳細については不明な点が多い。「三朝庵」や「東京そば」を推す説のほかにも、カレーうどんの発祥が「三朝庵」でカレー南蛮の元祖が「東京そば」とされたり、最初に品書きに載せて正式に売り出し普及させたのは「朝松庵」などと言われることもある。なお、食文化研究家の小菅桂子は、「三朝庵」を取材に訪れた際に、「親子丼はうちが元祖です」とは言われたもののカレー南蛮には言及がなかったとして、「三朝庵」説に懐疑的である。

普及
「三朝庵」説では、「三朝庵」が「カレー南蛮」を発売すると、斬新なメニューとしてたちまち学生たちに人気を博したとされている。さらに、学生のみならず、近くに兵舎のあった近衛騎兵聯隊の軍人たちにも気に入られ、よく「カレー南蛮」の出前の依頼が入った。「殿下」がたびたび「カレー南蛮」を注文していた記録が残されており、これは閑院宮のことであるという。加藤はその後も和食と洋食の融合に勤しみ、1921年(大正10年)頃に、親子丼を参考にして卵とじカツ丼を生み出している。

一方「朝松庵」説では、角田は1910年(明治43年)に東京に戻り、大阪で大成功した「カレー南蛮」を東京にも広めるべく販売を始めたが、当初は全く相手にされなかったとされる。老舗を始め同業のそば屋は保守的で「カレー南蛮」を認めようとはせず、江戸っ子も浪速っ子ほどには新しい食べ物をすぐには受け入れず、「カレー南蛮」はゲテモノの部類とされた。関西と関東の違いに打ちひしがれた角田であったが、それでも地道に宣伝を続けることで徐々に認知が広がり、1914年(大正3年)から1915年(大正4年)頃に学生を中心に人気が出はじめ、他店でも取り扱うようになっていったという。また、1910年(明治43年)に「田中屋」が商標登録した「地球印 軽便カレー粉」の販売が軌道に乗るようになったのも、大正初期になってからだとされている。

大正から昭和に移る頃には、カレーうどんはそば屋の定番メニューの一つとして定着した。昭和初期には、カレーは、カレーライスとしてよりカレーうどんとして食される方が一般的だったともされる。角田は、1968年(昭和43年)に「カレー南蛮」の由来を『全国麺業新聞』に寄稿し、東京での苦労を振り返った上で「現在では『カレー南ばん』を欠くことのできない種物の一つに加えられていることを見ます時、実にいいつくせぬ喜びを感じます」と述べている。「三朝庵」はすでに閉店したが、「朝松庵」は2022年(令和4年)現在も盛業中で、当時と同じレシピで「カレー南蛮」を提供している。「朝松庵」の「カレー南蛮」は、うどんかそばを選択でき、具材は主に豚肉とネギである。

2010年(平成22年)、カレーうどん100年革新プロジェクトが8月2日を「カレーうどんの日」に制定した。日付は「カレー記念日」(横濱カレーミュージアムが制定、6月2日)と「うどんの日」(香川県の製麺事業共同組合が制定、7月2日)からの連想であり、カレーの消費量が増える一方でうどんの消費量が減る夏に記念日を設けることで、カレーうどんの消費量を底上げする狙いも含まれている。なお、同プロジェクトは発祥について「朝松庵」説を採っており、「カレーうどん100年」を1910年(明治43年)から起算しているほか、「カレーうどんの日」とは別に角田の誕生日である12月1日を「カレー南蛮の日」に制定している。

展開
インスタント麺
1962年(昭和37年)、インスタント麺にスープを別添えするタイプが登場すると、さまざまな味付けが可能となったことから、カレー味のインスタント麺の開発も試みられるようになった。この流れの中で、1965年(昭和40年)、東洋水産が「マルちゃんのカレーうどん」を発売。豚肉と野菜のうま味に、香り高く子どもでも食べられるマイルドな辛さのスープが人気で、ロングセラー商品となっている。1981年(昭和56年)には、日清食品からカップ麺「どん兵衛 カレーうどん」が発売されている。

多様化
1980年代以降、一部のうどん店などで、和風だし主体ではなくカレーのスパイス感を生かしたカレーうどんが登場する。1983年(昭和58年)には、逆に、クリーミーなカレーうどんを売りとする「古奈屋」が開業。「古奈屋」は、自家製のルーを甘めのかけ汁で割り、仕上げにつゆの倍の牛乳を入れた軽い口当たりのカレー汁で人気となった。

2003年(平成15年)には、讃岐うどんのガイドブック『恐るべきさぬきうどん』を契機とした前年の讃岐うどんブームの余波で、カレーうどんがブームとなった。ちょうどカレーうどんが誕生して100年目(「三朝庵」説に基づく)にあたるとしてさまざまなイベントやキャンペーンが開催され、食に関する雑誌ではカレーうどんが特集された。「古奈屋」などのクリーミーでマイルドな辛さのカレーうどんが注目されて、女性を中心に支持が広がったのもこの時である。このブームをきっかけに、それまでそば屋ではカレー南蛮の陰に隠れがちだったカレーうどんが単独で注目を集め、カレーうどんのチェーン店や専門店が次々と生まれるとともに、独創的なカレーうどんが考案されていった。

多様化したカレーうどんの分類には、味覚から「そば屋系」「スパイシー系」「クリーミー系」と分類したグルメ雑誌『dancyu』や、店の出自により、昔ながらのそば屋の「伝統系」、うどん専門店による「うどん屋進化系」、別のルーツを持つ「革新系」に分類した週刊誌『週刊現代』の例がある。うどん専門店から生まれたカレーうどんとしては、香川の讃岐うどんの名店「うどん一福」からのれん分けを受けた東京・神田の「神田一福」、同じく香川の人気店「五右衛門」の姉妹店である横浜・中川の「ごえてん」、群馬・伊香保の水沢うどんの名店「大澤屋」が出した「游喜庵」などが知られている。全く別の出自を持ちながらカレーうどんを提供して人気となっている例としては、東京・築地の海鮮料理店「築地虎杖」が代表的である。もちろん、『朝松庵』をはじめとする老舗の伝統的なカレーうどんも健在である。
 
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