2月12日は 「レトルトカレーの日」! | スパイシー丸山「カレーなる365日」Powered by Ameba

2月12日は 「レトルトカレーの日」!

本日、2月12日は『レトルトカレーの日』!!

 

1968年のこの日、

 

日本初のレトルトカレー「ボンカレー」が

 

大塚食品から発売されたことにちなんで制定されたのでした。 



レトルト食品はアメリカの軍用携帯食がルーツなのですが、

 

軍用品なのでノウハウはもちろん入手することが出来ず、

 

試行錯誤の連続で開発することに。

 

グループ会社の大塚製薬が持つ

 

点滴液の殺菌技術を応用したというエピソードは

 

なるほど!と思わず膝を打っちゃいます!!

 

 

ソース元はちょっと古めですが


ボンカレー誕生にまつわる話が載っている貴重な記事を

 

2つアップしてみるのでLet's熟読!!

 

今日は歴史を噛みしめながら


レトルトカレーを味わってみましょう。

 


スパイシ~~♪♪♪


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ニッポン・ロングセラー考
ボンカレー

1968年発売 大塚食品

http://www.nttcom.co.jp/comzine/no037/long_seller/index.html

 

レトルト食品の原型は軍用携帯食だった

 

食品の世界には、その後の食のスタイルを劇的に変えた革新的な技術がいくつかある。例えば、缶詰や冷凍食品、インスタントラーメンなど。どれも皆、私たちの食生活には欠かせないものばかりだ。

 


そしてもうひとつ忘れてならないのが、レトルト食品。箱を開けてパッケージを取り出し、お湯で温めるだけ。あとはご飯を用意すれば、カレーやシチューが手軽に食べられる。手の込んだ料理をまったく調理せずに食べられるのだから、こんなに便利な食べ物はない。 レトルト食品と聞いて、どんな製品を連想するだろう? 多くの人は、まずカレーを思い浮かべるのではないか。そしてカレーと来れば、大塚食品の「ボンカレー」の名が挙がるはず。何を隠そう、日本で初めて市販されたレトルト食品が、この「ボンカレー」なのである。

本来レトルトとは、高温加熱殺菌釜のことを指している。その釜で加圧・加熱殺菌した食品をレトルト食品といい、レトルト食品を封入している気密性・遮光性のある袋は、レトルトパウチと呼ばれる。
レトルト技術の研究が始まったのは、1950年代のアメリカ。アメリカ陸軍が缶詰に変わる軍用携帯食として開発したものだった。缶詰と違ってかさばらず軽いから、携帯に便利。常温で長期間保存でき、食べるときは缶切りもいらない。更に食べた後も容器の処理が簡単。レトルトはメリットの多い技術だったが、アメリカでも研究には時間がかかっていた。

それから十数年後の1964(昭和39)年。カレースパイスを扱う会社に資本参加した大塚食品は、その会社を建て直すため、新商品の開発に迫られていた。缶やルーではない、今までにない斬新なカレーはできないものか。
その頃、偶然、開発陣の目に止まったのが、アメリカのパッケージ専門誌に掲載されたソーセージの真空パックに関する記事だった。
「この技術とカレーを組み合わせたら、お湯で温めるだけで食べられるカレーができるかもしれない。1人前入りで、誰も失敗しない美味しいカレーが」
そのアイデアは画期的なものだった。カレーは庶民の味として親しまれていたものの、お母さんが鍋でじっくり作り、一家揃って食べるものだったからだ。こうして、大塚食品は独自のやり方でレトルトの研究を進めることとなった。

発想は斬新だったが、開発は困難を極めた。レトルト食品はアメリカの軍事物資なので、ノウハウは入手不可能。すべてを自分たちで開発するしかなかったが、当時の大塚食品にはパウチにする包材もなければ、レトルト釜もなかった。あるのはグループ会社の大塚製薬が持っていた点滴液の殺菌技術だけ。これを利用し、レトルト釜は自分たちで作った。
カレーを入れたパウチをレトルト釜に入れ、殺菌のため高温処理すると、中身が膨らんで破裂してしまう。そのために圧力をかけるのだが、この温度と圧力の兼ね合いが難しい。開発陣はレトルト釜を何度も組み直しては、圧力や温度を調整し直した。また、手作りのパウチはシーリングが完全ではなく、加熱殺菌中に中身が漏れてしまうこともあった。
開発室は、いつもカレーの匂いが充満していたという。



アルミ箔を用いたパウチで光と酸素を遮断


試行錯誤の末、1968(昭和43)年3月、日本初の市販レトルト食品「ボンカレー」が誕生した。
それは、パウチを3分間お湯で温めるだけで1人前のカレーが食べられる画期的な食べ物だった。ボイルした肉に新鮮な野菜をたっぷり加えて、じっくり煮込んだトロみのある味わい。ちなみにボンカレーという名前は、フランス語で「良い、美味しい」を意味する“bon”と、英語の“curry”を組み合わせたものだ。テスト的な意味もあり、販売は阪神地区に限定された。
苦労の末に開発したパウチは、低圧ポリエチレンとポリエステルの2層構造を採用。光と酸素によって風味が失われてしまうため、賞味期限は冬場3ヵ月、夏場2ヵ月が限度だった。

ところが、このパウチに問題があった。シーリングが甘かったり、運搬時の衝撃でパウチに微細な穴が開き、そこから空気が入って菌が発生してしまったのだ。出荷した半分が不良品になってしまうという事態が発生した。
急遽対応に迫られた大塚食品は、翌年の5月、包材メーカーと協力して開発したポリエステル/アルミ箔/ポリプロピレンの3層構造パウチを新たに採用する。アルミ箔が光と酸素を遮断するため、初期の問題は完全にクリア。また、同時にこのパウチによって、賞味期限を2年に伸ばすこともできた。
この1年2ヵ月で仕切り直した新生ボンカレーこそが、後に爆発的なヒット商品となっていく。

ところで、発売当時のボンカレーの評判はどうだったのだろう。
なにせ今まで誰も見たことがない食べ物である。しかも値段は80円。レストランで食べるカレーの値段が100円位だった時代だから、かなり高価だ。
それよりも当時の人々は、パックに入った液体状のカレーが2年も持つことが不思議でならなかったようだ。中には、大塚製薬と関係があるから防腐剤が沢山入ってるんじゃないかと疑う声まであったという。
そんな疑念を払拭し、商品の素晴らしさを理解してもらうため、同社は販売と宣伝に力を尽くす。

販売の現場では、営業マンが市場で炊き出しをし、販売店を相手に試食会を実施。直接ボンカレーを食べてもらって、お店に置いてくれるよう盛んに働きかけた。中には、お昼に立ち食いのうどん屋に入り、カバンから取り出したボンカレーをうどんにかけて食べる営業マンもいたらしい。周囲の人々は相当驚いたことだろう。
こんなゲリラ的なやり方が必要だったのも、ボンカレーがあまりに斬新な食べ物だったから。ともかくまず存在を知ってもらって、一度食べてもらわなければ何も始まらない。
ボンカレーは、大塚食品にとって初めての商品であり、唯一の商品でもあった。社運がかかっていたのである。 



ボンカレーの顔になった女優、松山容子

現在40歳前後の人がボンカレーと聞いてすぐに思い浮かべるのは、パッケージに描かれたあの女性の姿ではないだろうか。和服を着たお母さんが、優しく微笑みながらボンカレーをご飯にかけている。起用されたのは、松竹のお姫様女優、松山容子だった。
きっかけは、60年代前半にテレビ放映されていた大塚グループ提供の人気時代劇『琴姫七変化』。これに主演し、人気に火がついた松山容子がお母さんのイメージにぴったりだということから、ボンカレーの顔になったと言われている。

当時も今も、商品のパッケージにタレントの姿がそのまま使われることは極めて珍しい。ボンカレーは消費者に対し、視覚的にも大きな訴求力を持っていた。
その後ボンカレーは世代交代が進み、今世紀に入ってからは、松山容子が描かれたオリジナルボンカレーをそろそろフェードアウトさせては、という話もあったという。が、西日本での人気が依然として高かったことから、沖縄地区限定という形で、オリジナルボンカレーは今も継続販売されている。

もう一つ、ボンカレーの宣伝で忘れられないものがある。それは、地方に行けば今も時たま目にすることがある懐かしのホーロー看板。まだテレビが普及する以前の60~70年代に盛んだった広告手法で、当時は日本各地の電信柱や板塀に、色とりどりのホーロー看板が打ち付けられていた。
中でもよく知られているのが、大塚グループが作っていたタレントを起用したホーロー看板の数々。大村崑の「オロナミンC」、浪花千栄子の「オロナイン軟膏」、水原弘の「ハイアース」。それらと並んでよく見かけたのが、松山容子の「ボンカレー」看板だった。

当時の営業マンには、契約する食料品店にホーロー看板を貼らせてもらうノルマがあったという。毎日十数枚の看板を持ってお店を訪ね、金槌を使って自分でコンコンと看板を打ち付ける。今考えるとけっこう重労働だ。当時の営業マンは本当に大変だったに違いない。
ボンカレーのホーロー看板は、60年代後半から70年代初めにかけて、約10万枚が作られた。



最初は珍しい目で見られていたボンカレーも、次第にその美味しさや手軽さが一般に認められるようになり、販売量は年を追う毎に伸びていった。1973(昭和48)年には、なんと年間1億食を達成している。
ここまで受け入れられた背景には、日本人の食生活が大きく変わったことが挙げられるだろう。ボンカレーが登場した頃はまだ、食事は一家揃って決まった時間に取るのが一般的だった。ところが70年代以降、経済が急成長し、都会を中心に核家族化がどんどん進行する。当然、個食化が進み、手軽に食べられる一食完結型の食品が求められるようになる。ボンカレーはそうしたニーズを満たす代表的な食品だった。

1978(昭和53)年、市場に競合製品が増えてきたこともあり、大塚食品は新商品「ボンカレーゴールド」を発売する。日本人の嗜好の変化を考慮し、香辛料やフルーツを贅沢に使ったこの商品は、その後同社の看板商品に成長。現在も全ボンカレーの売上げの8割を占めている。
その後ボンカレーは大きな変化もなくロングセラーを続けてきたが、ゴールド登場から25年を経た2003(平成15)年9月、久々の画期的な新商品が登場する。

進化したボンカレーと呼ばれるこの商品は、ほぼどの家庭にも普及した電子レンジで調理することを前提に開発された。
ただし、アルミパウチのままでは電子レンジのマイクロ波がはね返されて温まらない。材質を変えてみたところ、今度はパウチが膨らんでしまうという問題が発生した。そこで、加熱と共に自動的に蒸気が抜ける機能を追加。その結果、箱のまま電子レンジで2分間温めるだけで調理できる、より便利で美味しいボンカレーが完成した。
もはやボンカレーは、お湯を湧かす必要もなくなったのである。

ボンカレーが誕生して、今年で38年目。各社が次々と新製品を投入する激戦のレトルトカレー市場にあって、ボンカレーほど高い知名度を誇るブランドは他にない。人によってはやや古めかしい印象を持つかもしれないが、それこそがボンカレーが守ってきた伝統であり、“元祖レトルトカレー”の証でもある。
もちろん、その伝統は電子レンジで調理できるようになった進化したボンカレーにもしっかりと受け継がれている。昔のボンカレーとは違う味なのに、どこかに“母さんの手作りカレー”を思わせる懐かしさがあるのだ。
進化したボンカレーのパッケージをよく見てみると、あの松山容子さんが小さく描かれていた。

取材協力:大塚食品株式会社

 

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ルーツは病院にあった? ボンカレーの過去

 

(ITmediaビジネスオンライン 2014年1月29日)

 

レトルトカレーと聞いて、どの商品名が浮かびますか? 

 沖縄出身のY嬢に聞かれ、いくつかの商品名を挙げたところ「ドイさんはやっぱり本土の人ねえ。沖縄の人は違うんですよ。レトルトカレー=ボンカレーなんです」

 な、なんと、本当に? 気になったので、複数の沖縄県民に聞いたところ、一同「レトルトカレー=ボンカレー」だった。

 多くの人が一度は食べたことがあるモノだと思うが、なぜ沖縄の人の間でそれほど定着しているのか。いや、それだけではない。そもそもどのようなきっかけで、レトルトカレーを作ろうと思ったのか。当時の技術力からいって、レトルトカレーを開発するのは困難を極めたはず。気になることがたくさん出てきたので、ボンカレーのマーケティングを担当している大塚食品の垣内壮平さんに話を聞いた。

 

開発のきっかけ
土肥: ボンカレーを取材するにあたり、ちょっと調べてみました。まず驚いたのは「世界初の市販レトルト食品」であること。1968年2月に産声をあげて、今年で46歳。1968年にどんな出来事があったかというと、「3億円事件」(東芝府中工場の従業員のボーナスが強奪された)があったり、米国のキング牧師が暗殺されたり、物騒なことがありました。その一方で、川端康成が日本人で初めてノーベル文学賞を受賞しました。

 「川端康成」と聞くと、そーいえば学校で習ったよなあ……といった感じで歴史上の人物という印象がありますよね。そんな時代にどのようなきっかけで、レトルトカレーを作ろうと思われたのでしょうか?

垣内: 米国の雑誌に、缶詰に代わる軍隊の携帯食としてソーセージを真空パックにしたモノが紹介されていました。雑誌記事を読んで「この技術を使えば、お湯で温めるだけで食べられるカレーができるかもしれない」と考え、開発を始めました。ボンカレーが発売される4年前……1964年のことですね。

土肥: 開発に4年ほどの時間がかかっていますが、どんな苦労があったのでしょうか?

垣内: レトルト食品を長持ちさせるためには、殺菌をしなければいけません。そのために、どんな技術を応用したと思いますか?

 

土肥: うーん、難しいですねえ。ヒントをいただけますか?

垣内: レトルトの袋(パウチ)をよーく見てください。何かに似ていませんか? 病院で使われている点滴の殺菌技術を応用したんですよ。現在の袋は銀色ですが、当時のモノは半透明。しかし、半透明の袋は光と酸素によって風味が失われてしまうので、賞味期限は夏場2カ月、冬場3カ月でした。2~3カ月では短いので、アルミ製の袋にしました。その結果、賞味期限が2年になりました。

土肥: いま垣内さんはサラッと話されましたが、たった1年でものすごいモノを開発されたわけですね。その後、殺菌技術は進化していくのでしょうか?

垣内: いえ、基本的には全く変わっていません。圧力をかけながら熱をあたえて殺菌していくのですが、当時の釜はまだ工場にあるんですよ。

土肥: それは記念に置いているんですか? 新人を教育するときに「この釜を見て、当時の苦労を思い出せ!」といった感じで(笑)。

垣内: いえいえ、きちんと動いていますよ(笑)。

土肥: なんと! その釜は45年間もレトルト食品をけなげに作り続けているんですね。

垣内: もちろん、その後、新しい機械がたくさん導入されています。ただ新しい機械の原理は、初期のモノと全く同じなんですよね。


 

土肥: 食の世界には革命的な技術で生まれたモノがいくつかあります。例えば、インスタントラーメンや缶詰なんかはそうですよね。レトルトカレーもその1つだと思うのですが、発売当時消費者に受け入れられたのでしょうか?

垣内: 残念ながら、苦戦しました。消費者からは「なぜこんなに保存ができるの?」といった声が多かったですね。

土肥: ヘンなモノでも入れているんじゃないの? といった声が多かったとか。

垣内: そうなんですよ。でも、きちんと殺菌しているので、体に問題はございません。会社は何度も何度も「防腐剤などは一切入れていません」と説明して回りました。

 あと、価格が高かったんですよ。当時のうどんは1杯50円だったのですが、ボンカレーは80円。50円出せばおいしいうどんが食べられるのに、それよりもたくさんお金を出して、見たこともない“袋に入ったカレー”を食べようという人は少なかった。

土肥: 当時の時代環境として、「女性はきちんと料理をしなければいけない」という意識が、今よりも強かったのではないでしょうか。晩ごはんにレトルトカレーを出されたら、旦那さんは「なんだこれは? ワシにこんなモノを食わせるのか! 手抜きをしやがって!」などと言って、ちゃぶ台をひっくり返していたのかもしれない(苦笑)。

垣内: ご指摘のとおり、そんな時代だったと思います。いまでも年輩の人たちからは「旦那さんに、レトルトカレーを出すのは気が引ける」といった声を聞きますね。

 ただ1970年代の日本は、核家族化が進んでいきました。そうすると、食事はそれまでの「家族団らん」というスタイルから「個食」になっていくんですよね。そうした時代背景もあって、徐々にレトルトカレーが支持されるようになりました。

 

伝説のホーロー看板

松山容子さんのホーロー看板は、当時の営業マンが取り付けて回った
土肥: 半透明の袋では賞味期限が2~3カ月ほど。「これではダメだ。売れない」ということで、翌年にはアルミ製の袋にして、賞味期限を格段に長くすることに成功された。また日本人の食生活が変化していったことで、レトルトカレーが売れていった。

 ただ、商品が売れた理由は、それだけではないと思うんですよ。今の若い人は知らないと思うのですが、ボンカレーといえば広告のインパクトがすごかったですよね。テレビCMでは、笑福亭仁鶴さん扮する時代劇『子連れ狼』のパロディがヒットしました(1972年放送)。「大五郎、3分待つのだぞ」というコピーは多くの人の関心を集めました。巨人軍の王選手(当時)が登場したときにも、話題になりましたよね(1978年放送)。

 また、女優・松山容子さんが微笑んでいるホーロー看板は、忘れることができません。大塚食品は本社が大阪なので、関西にこの看板が多かったのではないでしょうか。ワタクシは大阪で育ったので、この看板をよく目にしました。小学生のときには、友だちと一緒に看板を見ながら「誰やこのオバハン?」などと言っていました(失礼)。

垣内: 松山さんのホーロー看板は、全国で9万5000枚も取り付けられていたんですよ。

土肥: どのように取り付けていったのでしょうか? 民家の軒先とかにも貼っていましたよ。今では考えられません。

垣内: ホーロー看板は1枚でもかなりの重量なのですが、それを何枚も自転車に積んで、営業マンが回ったんですよ。雑貨店などを回って、「付けさせてください」とお願いしました。そして先方に承諾をいただいたら、トンカチを取り出して、すぐに取り付けていきました。

 いまだと本部と交渉して、「はい、おしまい」といった感じですよね。当時はそうではなく、個人商店との結びつきがとても強かった。夏の暑い日にも、自転車をこいで、額から汗を流しながら、ホーロー看板を取り付けていきました。

 

ボンカレーが売れた
垣内: なぜボンカレーが売れたのか? という質問には「賞味期限を長くすることに成功した」「個食が進んだ」「CMがヒットした」――この3つを挙げることができますね。こうして発売してから5年後には、年間1億食を超えることができました。

土肥: 当時、「日本のカレーといえばボンカレー」と言われるほどだったそうですが、いまでも「レトルトカレーといえば、ボンカレー」という地域がありますよね。

垣内: 沖縄ですよね。

土肥: はい。取材の前に、複数の人にこのような質問をしました。「レトルトカレーといえば、どの商品が思い浮かぶ?」と。そうすると、いろいろな名前が挙がってきました。「ククレカレー」であったり、「カレー職人」であったり、「カレーの王子様」であったり。そりゃあ、そうですよね。たくさんの種類のレトルトカレーが売られているので、いろんな商品名が出てきて当然。でも、沖縄の人だけは違った。全員が「ボンカレー」と答えたんですよね。

 そこでお聞したい。沖縄ではなぜボンカレーが支持されているのでしょうか? 特別なマーケティングでも行っているのでしょうか?

垣内: 実はですね……。

 

沖縄の人は「レトルトカレー=ボンカレー」

土肥: 沖縄の人にとって「レトルトカレー=ボンカレー」なんですよね。私の知り合いで沖縄出身のY嬢がいるのですが、彼女はこのように言っていました。

 「お母さんが忙しいとき、よくレトルトカレーを食べていたんですよ。お母さんは『棚の上にボンカレーがあるから取ってきて』と私に言うんですよね。でも棚の上を見てもボンカレーはなく、違うメーカーのモノしかない。現在、私は東京に住んでいるので『ボンカレー、なかったよ』と言うと思うのですが、沖縄にいたころは何の疑問も持たずに、『はい、ボンカレー取ってきたよ』と言っていました。で、違うメーカーのモノを食べているのに『このボンカレー、おいしいね』と言っていましたね」と。

垣内: ハハハ。私もこんなエピソードを聞いたことがあります。沖縄の人たちの間で、「ボンカレー食べようよ」という話になったそうです。で、その中のひとりが違うメーカーのモノを買ってきたのにもかかわらず、全員が「ありがとう。じゃあ、ボンカレー、作ろうか」と言って、レンジでチンして食べたとか。誰も「これ、ボンカレーじゃないじゃないよ」と突っ込まない。

土肥: 古い話になるのですが、ソニーのウォークマン(WALKMAN)が爆発的に売れたので、携帯できるカセットプレーヤーの代名詞になっていましたよね。中学生のころの私もウォークマンが欲しかったのですが、当時は高価だったので買えませんでした。仕方がないので、ソニーよりも安いアイワ(Aiwa)の製品を買ったのですが、「このウォークマンで聴くと、やっぱりいい音がするなあ」などと言っていました(苦笑)。

 そんな感じで、沖縄の人にとってボンカレーは“レトルトカレーの代名詞”になっているようですね。

 

沖縄では元祖ボンカレーが売れている
 

垣内: ボンカレーは発売してから10年後に、新商品を出しているんですよ。「ボンカレーゴールド」と言って、元祖のモノよりも香辛料やフルーツをぜいたくに使っています。ゴールドを発売したことによって、元祖のシェアが徐々に低下していくんですよ。で、いまでは元祖を売っているのは沖縄だけ。

土肥: なんと! 沖縄では元祖が売れているのですか?

垣内: はい。沖縄に行かれたときには、スーパーに足を運んでみてください。レトルトカレーのコーナーには、元祖が並んでいると思います。ドイさんは先ほど「沖縄の人にとって、『レトルトカレー=ボンカレー』」とおっしゃっていましたが、正確に言うと違う。「レトルトカレー=元祖ボンカレー」なんですよ。

 

 

土肥: 確かに。それにしても、なぜ沖縄では元祖が売れているのでしょうか?

垣内: 沖縄の人たちは、島に最初に入ってきた商品を長く愛する傾向があるようですね。ちなみに、味はまったく変わっていません。

土肥: ボンカレーは、世界初のレトルトカレー。だから定着していると?

垣内: もちろんボンカレーだけではなく、他の商品でも同じような傾向があると聞いています。沖縄に初めて上陸したモノが定番になることが多いと。あと、沖縄には台風がよくやって来るので、非常食としてレトルトカレーをストックする人が多いようですね。なので、本土の人よりもレトルトカレーをより身近に感じているのではないでしょうか。

土肥: 沖縄の人は、今でも元祖を食べている。いやあ~、初恋の人をずっと愛し続けて入るような感じですね。

垣内: ですね、ハハハ。

――ここで同席していたSさんがポツリ。

Sさん: 新しい彼氏ができても、元カレの名前で呼ぶみたいな。

土肥: ちょ、ちょっと……そ、それは例えが悪いですよ。

Sさん: えー、でもそうじゃないですかー。違うメーカーのモノを食べているのにもかかわらず、「このボンカレー、おいしいなあ」と言っているんでしょう?

土肥: た、確かに(汗)。

 

ボンカレーが売れ続けている理由

土肥: 1960年代に発売されたボンカレーは、いまでも店頭に並んでいます。その要因は何だと思われますか?

垣内: 手前味噌になりますが、やはり「ブランドのチカラ」があるのではないでしょうか。さきほどの沖縄の話ではありませんが、レトルトカレーを最も早く開発して、最も早く定着したことが大きいと思いますね。

 ただ、ずっと独走していたのですが、2000年ごろにトップの座から落ちてしまいました。売上シェアでみると、3~4位に。ロングセラー商品ならではの悩みといいますか、新しい商品が相次いで登場して……。

土肥: つまり、消費者の間に「ボンカレーは古臭い」というイメージが付いてきた?

垣内: 残念ながら……はい。

土肥: 全国民が沖縄のような人ばかりであればいいのですが、特に都会の人は新しいモノが好きですからねえ。

垣内: また各メーカーから、低価格商品がどんどん発売されました。100円を切る商品が出てきて、レトルトカレーの世界にもいわゆる“低価格競争”の波が押し寄せてきました。

 その波にボンカレーも飲み込まれてしまい、状況はさらに厳しくなり……。そのタイミングで弊社も低価格商品を出せばよかったのかもしれませんが、出しませんでした。さらにリーマンショックがあって、レトルトカレーの価格がどんどん安くなっていったんですよ。このころになると、いくつかのスーパーからボンカレーが外される事態に追い込まれました。

 

消費者や流通などからそっぽ
 

土肥: 「ボンカレーは古臭い」というイメージがあって、「ボンカレーは高い」という事実があって、消費者や流通などからそっぽを向かれてしまった。で、どうされたのですか?

垣内: もちろん指をくわえていただけではありません。業界に先駆けて、電子レンジ対応のパッケージを採用しました。従来のモノは火や熱湯を使わなければいけなかったのですが、新しいタイプのモノはフタをあけて、箱ごとレンジでチンすれば食べることができるようになりました。

 「古臭い」イメージを払拭するために、季節限定の商品を投入するようにしました。定番ラインアップ(甘口・中辛・辛口)のほかに、2013年の夏には「超熱辛」を発売。また冬には「ホワイトカレー」を発売しました。ホワイトカレーはシチュー仕立てで、隠し味にホワイトショコラを使いました。

土肥: 効果はあったのでしょうか?

垣内: 2013年12月の売り上げをみると、対前年同月比で138%でした。

土肥: おー。

垣内: さらに46歳の誕生日(2月12日)には、定番ラインアップに「大辛」が追加されます。このようにいろいろな商品を出すことで、消費者に「お、ボンカレーも新しいことをやっているな」と感じていただくことが大切だと思っています。

 あっ、そうそう。2月に「大辛」を発売しますが、誤解されている人が多いんですよ。他のメーカーの商品は辛味の成分を足して、辛さ「2倍」「3倍」……「10倍」などと書いているのですが、ボンカレーは違う。それぞれの種類によって、レシピが違うんですよ。

土肥: ほー。ということは、違う商品名で売り出すこともできるというわけですね。

 新商品を次々に出すことで、「これ、食べてみようかな」という人は出てくるでしょうね。ただ、懸念がひとつ。

垣内: 何でしょうか?

土肥: 「ボンカレーが間違った方向に行かないかな」ということです。他のメーカーの商品……これはレトルトカレー以外のモノにも言えることですが、奇をてらいすぎて「なんだこれは!?」といったモノがありますよね。へき地に行かなければ手に入らない素材を使って、「どうだ! スゴいだろう!」とアピールする商品がありますよね。大切なのは、みんなの口に合うかどうかなのに……。

 

50歳、60歳になっても
 

垣内: その点は気をつけなければいけません。ボンカレーはロングセラー商品なので、昔からのイメージがある。それをいい形で裏切ることができればいいのですが、ヘンな形で裏切ってしまうと、たくさんのファンを失うことになりかねません。

 また「万人に愛される」ことは難しいのですが、ボンカレーはそれを目指しています。よくターゲットはどの層ですか? と聞かれるのですが、ボンカレーについてはこの質問に答えることができません。つまり、1つの層でくくることができないんですよね。ボンカレーというブランドイメージの中で、どのようにして裏切っていけばいいのか――これが今後の課題になるのでしょう。

土肥: あと価格競争についてはいかがでしょうか?

垣内: これまでは価格一辺倒だったのですが、ここ1~2年でようやく落ち着きがうかがえるようになりました。消費者の間で「価格だけでなく、価値があれば買う」というマインドになってきたのではないでしょうか。

土肥: レトルトカレーは長期間保存できることが強みなのですが、逆にそれが弱みになることもありますよね。例えば「70円」で売られてしまうと、そのときにガバッと買う人がいる。そういう人は、定価の値札を見ると「なーんだ、残念。次の特売日に買えばいいか」となる。難しいですよね。

垣内: レトルトカレーがペットボトルの水よりも安いなんて……おかしいですよね。

土肥: おかしい、おかしい。

垣内: メーカーの私たちができることは、ブランド全体の価値を高めなければいけません。あと消費者の味覚が多様化しているので、その流れについていかなければいけません。

土肥: グリーンカレーを中心にアジアンカレー、ルウカレーのような辛さやスパイシー感を訴求したカレーが増えてきましたよね。そうした環境の中で、歴史のあるボンカレーがどんな展開をしていくのか。50歳、60歳になっても、古臭さを感じさせないでくださいね。本日はありがとうございました。

(終わり)

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