元日に発生した、能登を中心とする北陸地方の地震で大きな被害が出ております事、被災地の方々へ心よりお見舞い申し上げます。
又、翌1/2に発生した羽田空港の航空機事故等、衝撃の年始めとなってしまいましたが、当別荘は旅で元気を取り戻すため、発信を続けたいと思います。
2012年にupした、能登半島ツーリング(※前後編2作)を、復興祈念としてリンクを貼っておきます↓
vol.115 能登半島ツーリング(前編) 日本唯一、砂浜を車がそのまま走れる 千里浜DW他 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
vol.116 能登半島ツーリング(後編) 絶景の連続 ツーリング半島・能登 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
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年明け第1発、今年も東海道シリーズから始めます。
本年は、府中宿として栄えた徳川の膝元、静岡市/駿府城を訪ねます
過去の当シリーズでは興津/由比/蒲原等、静岡近郊の宿場を訪ねてきましたが、静岡市中心部を歩くのは、意外とこれが初めてです。早速スタートします
東海道線・静岡駅下車。
ご存じ、静岡県/市の玄関です
↑北口側です。昔からの表口で、旧市街へ向いています。バスロータリーからは静鉄バス(ジャストライン)が発着します
駅前に立つのは、↑徳川家康像。
江戸期は徳川家お膝元の要衝・"駿府"だった静岡市、明治期には東海道線の開通によって繁栄を持続し、昔も今も東海道の中間点として、独自の発展を続けています。
これから、そんな静岡市街をチラッと歩き、駿府城跡へ向かいたいと思います
駅前には↑松坂屋、今や絶滅危惧種となりつつある地方都市のデパートが健在です。駅とは地下道で繋がっています
駅前からは、2つの駅前通りが延びます
↑は松坂屋の横から、広い車路の御幸通り
そして・
もう一つは、駅から斜め西へ延びる、↑呉服町通り
いわば"オープン商店街"といった通りで、買い物通り的な感じ
撮影に行ったのが年末だったので、街はクリスマスムード
この呉服町~御幸町あたりは、江戸期から"おまち"と呼ばれた中心部として、現在まで賑わいが続いています
そんな静岡の街ですが、旧東海道の痕跡が残る場所を探すと~
中心部を通る伝馬町通りに、↑由来の碑を見つけました
この付近に本陣があったそうですが、現在その跡は確認できません。しかし"伝馬"の名に、古来から往来の中継点として栄えてきた名残をとどめます。
この伝馬町近くには・
↑セノバという複合ビルがあります。
この中に入ると、"もう一つの静岡駅"があります。
1Fには・
静岡~清水間を走る、静岡鉄道の新静岡駅があります
JR静岡駅から1km程離れていますが、徒歩で行ける距離です。
位置関係が、岐阜市のJR岐阜/名鉄岐阜両駅と似た感じです
電車は2両編成、日中8分毎と高頻度です。新静岡~新清水駅間に途中13駅あり、JRの静岡~清水間の3倍以上駅数があります。地下鉄やモノレール等の"都市軌道"が無い静岡市に於いて、その役割を果たしています。草薙駅付近でJRと少しだけ並走する所がありますが、JRとは上手く需要の棲み分けが出来てる感じです
これから、セノバビル(新静岡駅)の北側、駿府城のほうへ歩きますが、面白いものを見つけました
↑プラモデルのキットみたいな、鎧兜のモニュメント^
静岡市には、アノ有名なプラモデルメーカー『田宮模型』(※現:㈱タミヤ)の創業地なので、同市では"プラモの街"としても街おこしをしています
お濠の奥に↑見えているのは、静岡県庁です
そして~
県庁と通りを挟んだ西側には、静岡市役所。↑塔屋が印象的なちょっとレトロな庁舎
これから、駿府城跡の見学へ
天守は現存しませんが、櫓が3棟復元されています。
門も1ヵ所復元されています。
東御門です(※1996年復元)
中へ入ると~
内部は広い公園になっています
明治維新後に陸軍の所有となるも、戦後静岡市へ移管されました。現在、二の丸の範囲までが駿府城公園として、静岡市街のオアシスになっています
3棟ある復元櫓のうち、最も近年(2014)に出来た坤(ひつじさる)櫓に入ってみます(※3櫓共、内部見学可能です)
入ると、係のかたが↑「画像をご覧になってから見学下さい」と案内してくれました。3種の画像があり、同城や徳川の歴史、櫓の構造等を学べます
(※同城の概要は、後程行く天守跡のところで詳述します)
外壁に沿う廊下を一周するような形で廻ります
↑遺構が覗けるガラス床も
各地の城/城跡を訪ねている当別荘ですが、こういう"天守の現存しない城"へ行った時は、櫓の見学ができるかできないかが大きなポイントになると思います
坤櫓を出て、次は『今駿府城へ行くならこれ!』という場所へ行きます。
それは・
2023現在、天守跡の発掘調査が行われていて、しかも現場を見学可能という事で、早速中へ入ってみます
公開時間は9~16時ですが、時間外に来た人のため↑覗ける所まで設けてあります。なんと親切な静岡市^
現場の入口には、発掘調査の最新情報を発信する↑『きゃっしる』というPR施設もあります。城ファン立寄必須です^
発掘中の天守基台を囲むように、歩いて見学できます
お~
わずか50年弱しか存在しなかった"幻の駿府城天守"の謎を解き明かそうと、全国が注目する調査が今、ここ静岡市の中心で行われています
ここで、駿府城と家康の概要を纏めておきます
ご存じ、日本歴史中でこれまでのところ、一政体として最も長く存続した江戸幕府。その生みの親とも言える徳川家康が、晩年を過ごした居城・駿府城です
三河・岡崎で生まれた家康ですが、信長に臣従していた戦国期に各地で戦功をあげた事から駿河国を受領、1585(天正13)年、駿府城の造営を開始します。関ヶ原の戦いで勝利した家康は天下を取り、全国を江戸幕府下へと平定。征夷大将軍となって江戸城へ移ります
駿府城は、江戸幕府成立直後の1607(慶長12)に完成したとされますが、その年になんと火災で焼失。ただ、焼失時にはまだ完全には完成してなかったという説もあり、この辺りも謎の部分です。
家康は再建を命じ、3年後の1610年に再び天守が駿府に出現。
しかし!
1635(寛永12)年、市中の火災が城内へ延焼し、又もや天守が焼失
この時の同城は城主が入封しておらず不在で、そのせいか天守は再建されず、現在に至ります(※本丸御殿や櫓等は再建)
家康は1605年、将軍職を2代・秀忠に譲位。
その後、江戸から駿府城へ戻って隠居したものの、『大御所』としてなおも強い影響力を持ち続けましたが、1616(元和2)年、ここ駿府城で死去。75年の、まさに歴史に残る生涯を静岡で閉じました。
遺体は即日久能山へ埋葬され、東照宮として現在もゆかりの地となっています(※岡崎/久能山とも過去作で訪ねています。末尾にリンク)
再建された櫓や門等は、明治の廃城令により破却。その後の城跡は、全国で多くみられたように陸軍の管轄となりました。
そして戦後は静岡市へ移管され、公園となっているのは前述の通りです
そんな歴史を秘めた天守跡、なんせ存立していた期間が短いため史料に乏しく、この実地での調査が大変重要なものとなっています。
↑所々に解説板も
天守を復元する構想もあるやに聞きますが、仮に再建するにしても、往時どんな姿だったのかをこの調査で解明した後という事になり、まだまだ先の話です
↑作業しておられる方々も。こういう発掘調査の現場って、ふつうは期日を限って予約の上見学するという場合も多いですが、常時公開してくれている駿府城、素晴らしいです。とはいえ公開期間はそう長くないと思うので、見にいくなら今のうちです^
調査現場の近くには、家康の銅像。自らの歴史を発掘している様子を見守っています^
↑"家康お手植"と伝わるミカンの木。柵に囲まれた中には、ミカンがたわわに実っていました
駿府城公園を出て、次は・
城跡の隣に建つのが、↑静岡市歴史博物館
昨年(2023)オープンしたばかりの新しい館です。
見学していきます。内部もピカピカ
残念ながら展示室は撮影禁止だったんですが、駿府城や静岡の歴史をわかりやすく展示。史物も多くありましたが、新規館のためかレプリカ率が少々高め、でも見応えありました
お濠沿いには、↑なモニュメントも。
『わさび漬け発祥の地』、さすが静岡^
新幹線で車内販売全盛期の頃、静岡に停まらない列車でなぜわさび漬が売られるのか?が話題になったりしたのも今では懐かしい話ですw^
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街中を一旦離れ、旧東海道の名残が感じられる、安倍川近くまで行ってみます
JR線の北側、国道1号を西へ進み、少し北へ入ると~
静岡市街の西端、弥勒地区です。
ここに、旧東海道が延びています
旧東海道と、駿府城から延びてくる本通りとが合流する地点に、
↑みろく公園があります
そして当地は、弥勒の名の由来と、今や静岡名物として有名な和菓子の由来が同時にわかる場所となっています。
それとは~
ここに、安倍川餅の老舗・石部(せきべ)屋さんがあります
みろく公園にあった解説板によると、ここ弥勒は古くは安倍川の河原で、弥勒院という山伏が還俗し、当地で餅を売るようになったのが安倍川餅の始まりであり、弥勒という地名の由来でもあるとの事。江戸期に編纂された地誌『駿河志科』に記された史実だそうです。
その歴史を、ここ安倍川近くの現地で守り続けているのが↑石部屋さんです
せっかくなので、レトロな店内で↑本場の安倍川餅を頂きました^
石部屋さんのすぐ西側には~
安倍川を渡る、↑安倍川橋
1923(大正12)年に架けられた歴史ある橋で、土木遺産/国有形文化財にも指定されている橋です
西岸で国道1号と合流し、JR安倍川駅方面へも続いています。
1世紀に亘って渡橋する人々を見つめてきた、↑橋銘板
川から海側に目をやると、国道1号の駿河大橋が
橋から北側に目を転じると、↑奥大井の山並
静岡には、富士山は勿論、広大な海や茶畑等の美しい光景が数多くありますが、僕は"これぞ静岡の光景"として挙げたいのが、この『大河』だと思うんです。
大井川や天竜川を始め、富士川やこの安倍川等、何本も太平洋へと注ぐ静岡の大河のありさまは、富士山と共に日本随一だと思います^
安倍川橋詰から市内方向を見ると、↑写真では少しわかりにくいですが富士山が見えます。かつて東海道を行き交った旅人たちも、ここで安倍川餅を食べながら、この富士山を仰いでいた事でしょう
橋近くの交番前にあった、↑川会所跡の解説板。
安倍川は徳川のお膝元・駿府城の至近にあるため、江戸期には防衛上の重要地点でもありました。そのため架橋や渡し舟は無く、大井川と同様で渡橋手段は人足渡しだけに限定されていました。
ちなみに、↑看板の後ろには機動隊のバスが停められていました
(※大型バス駐車可能な交番というのも凄いw)
陽が傾き始めたので、市街へ戻ってきました
↑葵区役所から延びる、中央にポケットパークがある青葉通り
コンパクトで街歩きも楽しい静岡市です
現在の市街区画は、家康が将軍引退後に帰静してから整備した町割が基礎になっているとの事です
↑東照宮の標柱も建つ、静岡駅新幹線口に戻ってきました
家康が、その激動の人生を閉じた地、静岡市。府中宿/駿府として日本を結節する大きな役割を果たしてきた静岡の街に、改めて感銘を覚えた今年の東海道ブラでした^
☆静岡市過去作・東海道近隣作・関係作リンク↓
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