2023年、今年もこの季節がやって参りました^
当別荘もう一つの柱・ツーリング作、今年も始動です
例年、口開けとして、近場へ日帰りで行く"ツーリング始め"をしていますが、今年は栃木県にしました
ここで、直近5年間の作で、ツーリング始め/納めがどこだったのか?を振り返ってみます(※県名のみ)
☆2018年
始め=埼玉 納め=栃木
☆2019年
始め=千葉 納め=栃木
☆2020年
始め=神奈川 納め=静岡
☆2021年
始め=千葉 納め=岩手・宮城
☆2022年
始め=埼玉 納め=愛知
↑各作の詳細は、ブログ画面左肩の"テーマ別"でツーリングを選択してご覧下さい^
(※なお、栃木県への作は、ラストにリンクを貼っておきます^)
上表を見ると、各年とも僕の現住地である都内から日帰りで行ける範囲が中心ですが、2021年の納めが岩手/宮城と遠方なのは、この年に連載した大河シリーズ『大峠をゆく』の一環を兼ねていたからです。
それと、昨年(2022)の納めもやや遠方ですが、これの後にもう1ヵ所、"納め"として近場へ行く予定でした。しかし諸事情で行けなくなってしまい、↑の愛知が納め作になったという訳です
又、上表には群馬/茨城が見当たりませんが(汗)、この両県へは2017年以前には何度もWo号で走っています^
・本年2023の"始め"は、定番のw栃木県へ走ってきました。ではスタートです^
↑東北道・宇都宮ICで降ります
ICから、宇都宮市街は通らずに北東方向へ、今作の目的地は、
宇都宮市の北に位置する、『さくら市』です
『さくら市』といっても位置がピンとこないかもですが、わかりやすいポイントとしては、県都・宇都宮市の北、JR東北線・氏家駅から広がっている街です。
↑東北線・氏家(うじいえ)駅前に着きました
さくら市は、氏家町と喜連川町(※どちらも旧塩谷郡)が併合、平成大合併で誕生した市です。
この栃木県北部ですが、上記↑ツーリング納め一覧の通り、2018年は大田原、2019年は矢板と、2年連続でこの近辺を走っています。
"又々来た"感もあるんですがw、でもこの栃木県北部、地形が緩やかで道路も良く、走りやすいのでつい何度も来てしまいます^
あと、私事で恐縮ですが、実はこの氏家駅、『僕が旅好きになった原点の駅』なんです。元々西出身の僕ですが、遠縁の親戚が旧氏家町にいて、小学校の頃、祖母に連れられてこの駅に降り立った事があります。当時小学校低学年だった僕には、関西⇔関東の移動なんて超絶の大旅行でした^
その際初めて乗った新幹線の"特別感"、東京駅や上野駅の喧噪、初めて生で聞いた北関東の言葉、子供心に全てが強烈でした。この時の体験がきっかけで、大人になったら思い切り一人で旅に出まくろうと心に決めw、現在に至っています^^
そんな氏家駅、駅舎は往時のままでしたが、内部や周辺は変化していました。
木の長椅子が並んでいたと記憶する待合は、簡素なプラスチック椅子に。売店も無くなってました。
その上、駅員も時間帯により不在。不在時の問合せは↑のインターホンで(※多分宇都宮駅と繋がる)
上野~黒磯間が直流電化、黒磯以北は交流になる東北線、国鉄時代、普通電車は上野~黒磯間運転が基本で、宇都宮解結で日光行を併結する場合も多かったですが、だんだんと宇都宮で切る列車が増え、2022年ついに、同駅からの全列車が宇都宮~黒磯間の区間運転車だけになりました。
国鉄時代には貨物も扱い、急行も一部停車、一時期はみどりの窓口も設けられた"プチ主要駅"でした。しかし全て過去のものとなり、時代の波とともに変化していく氏家駅です
そんな氏家駅を少しでも活性化しようと、↑さくら市が駅前に開設している『さくらテラス』。観光案内所や地場産品の売店等があります
さくら市という事で、↑駅前のポストには桜吹雪が舞う^
↑氏家駅前の通り(※東口側)
時が止まったような静かな駅前から、さくら市探索へ走り出します
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さくら市といえばまず押さえたいのは、同市を流れる大河、鬼怒川です
河川敷を少し歩いてみます^
位置関係は↑を拡大してご覧下さい^
行ったのは4月中旬で、桜の時期は過ぎてましたが、一部の品種でまだ咲いている木もあり、目を楽しませてくれます
↑看板にもありますが、"シルビアシジミ"という珍種の蝶がこの河川敷で見られるそうです
河川敷は~
お~
堤防から流れが見えない程↑広い河川敷
木陰のベンチで休憩する人、春風を受けて気持ちよさそうです^
・この近くに、城跡があるとの事なので行ってみます
支流合流点にある↑橋と渡ると~
橋のむこうに、↑こんもりと丘が見えます。
勝山城跡です(※さくら市史跡)
勝山城は、鎌倉末期頃の築とされ、当地を支配していた士族、氏家氏の城でした。氏家の地名由来は同氏からです。
氏家氏は、現在の宇都宮市付近を支配していた宇都宮氏の縁をくむ一族で、現在の芳賀郡(※昨年の「た」シリーズで訪ねた真岡市付近)が本拠地だったそうです。
栃木県って、ほかにも那須氏や芳賀氏、塩谷氏、大田原氏等、歴史上の支配一族の名が現在の自治体名になっている所が多い気がします^
同城は、鬼怒川の淵にあった断崖の地形を利用して築かれた”崖端城”で、北方への守りを担っていた要塞だったといいます。
戦国期には当地で、芳賀氏vs那須氏の激戦が繰り広げられたとの事ですが、1597(慶長2)年、江戸幕府の成立を目前にして、宇都宮氏が豊臣秀吉の命で改易となったのを機に廃城されたという事です。やっぱり秀吉の力は凄いなぁ・
↑土塁跡等の遺構が現存します。
先程の、バイク駐車場から堤防へ上がった時には見えなかった川の流れが、勝山城跡からは一段高いので見る事が出来ます
↑本丸跡には、何も残っていません。
戦後は開発の波がここまで押し寄せ、遺構破壊寸前にまでなりかけたそうですが、危機一髪で旧氏家町の所有となり、貴重な文化財が守られました
城址の隣には~
↑”さくら市ミュージアム”があり、美術品を中心に展示されています。同館の敷地も勝山城跡内に入ります。
ミュージアムの周囲には、↑縄文期の住居跡が保存されています。勝山城跡で発見され、ここへ移設してきたとの事です。約4500~5000年前のものだそうで、太古から人住があったという事は、水と大地に恵まれた肥沃な土地である事を物語っています
そして、↑ポツンと小屋も。前面がガラス張で、覗き込んでいる人もいます。ここには~
氏家町内の寺院にあった、青銅製の不動明王像が収まっています(※ガラスが反射して、掲載に堪える写真撮れず)
詳細は↑の解説板を拡大してご覧頂きたいですが、1759年鋳造と製作年がはっきり判っている事と、鋳造の際に用いた鋳型が現存しているというのが大変歴史的価値が高いとの事です
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鬼怒川畔をあとに、次は旧喜連川町へ向かいます
冒頭、宇都宮ICから氏家へ走ってきたR293を再び、東へ走ります。旧氏家町⇔旧喜連川町の中心街は6~7km程離れています
『道の駅きつれがわ』に寄ります
↑バイク置場が車の駐車場の中心にあるという、珍しい形w
のんびりした雰囲気に感じられましたが、でもここ、関東の道の駅中で屈指の来客数を誇る"名所"なんです
直売店には、↑栃木名物"レモン牛乳"関連グッズも^
でも栃木といえばやはり『お米&いちご』^
いちごと同じ場所に、↑30kgの米袋が豪快にドーンと売られています。道の駅なので車で持ち帰れるという前提でしょう(※僕はバイクなので無理w)
道の駅内には、↑日帰り温泉もあります
"美肌の湯"として知られる喜連川温泉、那須火山帯の一角を占める栃木県北部は知られざる名湯が点在します。この道の駅が人気を集めるポイントの一つです
ちょうどお昼近くなったのでここで昼飯にします^
餃子といえば宇都宮ですが、宇都宮に近いここのフードコートにも地元の餃子店が入っています
やっぱりお店で焼いてる餃子は美味いわ^^
メインの直売所以外にもいくつかのお店があるほか、土日には臨時出店や、喜連川温泉の足湯もあり、一見小じんまりした中にもけっこういろんな要素が詰まっていて、この道の駅がなぜ人気なのか、実際現地を見て少しわかった気がしました^
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・午後からは、↑喜連川の市街地を廻ってみます。旧氏家よりも、旧喜連川のほうが街中にスポットが集中していて観光向きかもです^
まずはお寺を1ヵ所^
龍光寺です(※臨済宗)
足利尊氏の創建と伝わります。
下野国の安国寺であったとの事。
豊臣秀吉が当地に攻め入った際に一度焼失しましたが、足利氏が再興、爾来同氏の菩提寺となっています。
↑本堂です。写真割愛しますが、足利氏の墓所や石塔も残り、往時の姿をよくとどめる貴重な存在のお寺だという事です。
街の中心部へ入ると、↑"街の駅 本陣"との看板。
ここは~
今は↑”お食事処”ののれんが掛かっていますが^^、この建物は1926(大正15)年に建てられた旧喜連川警察署で、さらに遡れば、当地には江戸期、奥州街道の宿場だった喜連川、この旧警察署付近に本陣があったという事です。
”街の駅本陣”の名、思いつきで付けたのではなくw、史実に基づく名前なんです^
ここには、↑『突抜(つきぬき)井戸』という名泉が湧出しています
美味しい天然水が自由に飲めるんですが、この"突抜井戸"というのは『自噴泉』の事で、ポンプやバケツで汲み上げなくても自然に水が湧いてくるという井戸です(※噴出の強さや到達高度は各井戸で差あり)
喜連川は、地形や地層の影響で地下水に圧が掛かっているため、この珍しい現象がみられるとの事。全国でも数ヵ所でしか見られないというレアな井戸だそうです^
前述の通り、江戸期には奥州街道の宿場町として栄えた喜連川ですが、明治期に開通した日本鉄道(※現JR東北線)のルートから外れたため往時の繁栄は陰りを見せ、静かな下野の里として現在に至ります。
↑街道沿いに残る洋館、現在は地域の交流施設として使われてますが、元・喜連川興業銀行だったとの事(※1923年築)
↑”御用堀”の案内板に誘われて曲がると~
落ち着いた街並の側に、↑堀が流れています
江戸後期に造られ、防火用水と農業用水を兼ねています。
現在観光用に整備されているのは一部分ですが、飾らない静かな街を散策できます
そんな一角に、喜連川神社への入口があります。
同神社への入口は↑2ヵ所あり、喜連川市街中心にある『お丸山』という丘の中腹にあります(※お丸山にも後程登ります)
塩谷氏崇敬の社だったといわれ、夏に行われる天王祭は神輿が街を勇壮に、時に激しく渡御する荒祭として知られます。写真割愛しますが、本殿の横に神輿の保管庫がありました。
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ラストに、喜連川の中心にある丘、”お丸山”に登ってみます。
お丸山の入口には、↑お城風の門が復元されていますが、これ『大手門』です
お丸山は江戸期、当地を支配していた喜連川氏の居城でした。
喜連川氏は、足利尊氏を祖先とする家系で家格が高いとされ、江戸期には当地で『喜連川藩』を立藩して明治維新まで勢力を有していました。
徳川家は、同家の家柄や地域の勢力バランスに配意し、同家に対し、石高約5000石の旗本クラスであったにも拘らず、10万石の大名並の地位を実質的に与えたほか、幕府に対する賦課・諸役の免除や、このクラスには破格の尊称を称する事が許され、参勤交代も免除される等、全国の諸侯中でも稀にみる特待を受けていました。
これは同家が鎌倉公方の流れを汲む高格であった事や、江戸幕府成立当初、この地域にまだ秀吉勢力の残滓がくすぶっている事等に配慮したものと言われていますが、この史実で僕が思うのは「やっぱり家康は上手いなぁ」という事
全国各地の情勢をつぶさに把握し、微妙な地域の実情や、人脈の機微を見逃さず、アメとムチを巧みに使い分けて全国を天下統一していった家康の敏腕には、改めて感心させられます。群雄割拠の戦国期を勝ち抜き、江戸幕府を約300年も存続させた徳川家の手腕の一端を見る気がします
そんな喜連川なので(?)、大手門の前には足利銀行が
現在では山上が、公園として開放されています
お丸山公園入口の前には、↑さくら市役所喜連川支所があります(※旧喜連川町役場)
その前には↑広い駐車場がありますが、ここには江戸期、喜連川氏の御殿があったといいます。
ではこれから、お丸山を登っていきます
↑登坂口から少し登ると、↑大きな大手門(※駐車場の入口を兼ねる)が見えます
山上はどうなっているのか・
お丸山には、前述の通り喜連川城がありました。同城は平安末期の築城という古城で、当初は塩谷氏が城主でしたが、後に前述の喜連川氏が入封し、明治維新まで存続した歴史の長い城です。現在は遺構がわずかに残るのみです。
頂上近くには平坦な所があり、休憩しながら喜連川の街が見下ろせます
当地のある栃木県北部、塩那丘陵(喜連川丘陵)と呼ばれる比較的緩やかな丘陵地帯となっていて、お丸山もその一端を占めます
そして、お丸山の頂上に、↑のタワーが!
これは・・
↑ですが、『喜連川スカイタワー』といい、1995年に旧喜連川町が建てたもので、観光客で賑わったそうですが、2011年の東日本大震災で大きな被害を受けたとの事で営業休止。修復は困難と判断され、2014年に正式廃止となっています。
営業当時は、麓から斜面を登る”シャトルエレベーター”もあったとの事で、この規模の町村が本格的な展望タワーを建設したのは全国的にも珍しく、話題を呼んだそうです。2023現在も↑の通り建っていますが、勿論内部は閉鎖されています。
撤去するにも多額の費用を要す事と、防災無線等の発信に利用されているため、当面塔体は存置されるとの事です
↑喜連川城の遺構と思われる、人工的な起伏も見られました。
歩いてみればいろんな史実を秘めている、下野の静かな里・喜連川。この、『喜連川』という縁起の良さそうな^^名前ですが、さくら市HPによると、由来はよくわかっていないとの事
有力ではないかと思われる説には、”狐(きつね)”から変移したのではないかとする説や、町内を流れる2つの川が合流する所(来連川)からという説もあるそうです
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喜連川をあとにします。2023年初・小手調べの小ツーリングでしたが、思い出深い一日となりました
往路と同じく宇都宮ICから東北道に乗り、帰京の途につきます
・鬼怒の流れ清い氏家、そして稀有の”大名”が治めていた、『喜びを連れてくる街』喜連川がペアになり、新たな歴史を刻み始めた、栃木・さくら市へのツーリング始めでした。栃木県北部は、いつ走りに来ても、癒しのツーリング天国です^^
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☆栃木県過去作 大(?)特集↓
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