【大峠を行く・第1章】の『国東半島大ツーリング』、その2回目です^
前作は、日本唯一という”サンドイッチ型城下町”、杵築の街並を中心にご覧頂きました。今作ではさらに国東半島の奥座敷へ、その名も『国東市』の走りをご覧頂きます。お時間ありましたらお付き合い下さい^^
・前作に引き続き、国東半島を周回する国道、R213を走ってゆきます
杵築市からさらに半島の奥にすすむと・・
次は国東市です
この『国東市』ですが、平成大合併によって、旧国東町、安岐町等、東国東郡の4町が合併して発足した新しい市です
合併によって半島の東半分の大半を占め、名実共に”国東市”という事になっています
国東市へ入ると、国道脇に海が見えてきます。国東半島の『コブのかたち』を実感しながら走れます^^
・今作まず寄るのが、”名所”ではないんですが、交通機関を重視する当別荘としては、同市を代表する施設へ訪ねたいと思います。R213沿いにある、その施設とは~
↑大分空港です。
国東半島にあるというのはご存じのかた多いと思いますが、所在地はここ、国東市です
さすがは仏の里・国東、空港玄関にも仁王さまが立ちます^
東京や大阪へ日数便の定期便が飛んでいます。コロナ前までは韓国への国際線も就航してたんですが、現在は運休中となっているそうです・
到着ロビーに”足湯”があるのが『おんせん県』で売っているだけあります^^
↑展望デッキもあるという事で、見学していきます^
お~
地方空港にしては、なかなか本格的なデッキ
日航機が1機、停まっています。もうすぐ出発か?^
海辺にある同空港、眺望案内もあり、見通しが良い日には、豊後水道のむこうには四国・愛媛の佐田岬も望めるとの事
そしてなんと、↑写真が撮りやすいように、防御のアクリルに『レンズを通す穴』までつくってくれてます。何と親切な空港w
JAL機が出発しそうなので、見ていきますw
牽引車に押されて滑走路へ出ていく機体
別府湾のほうへ向かって、気持ちよく飛び立っていきました
・ちなみに大分空港といえば、かつては大分市からホーバークラフトが連絡していた事で有名でしたが、現在は廃止となっています。
しかし同空港は大分市内から遠い上、現在のアクセス主力・リムジンバスだと半島を廻り込んでいくルートとなり、片道1時間強かかります。『遠くてアクセス不便な空港』という弱点が否めません。
そこで大分県では、海路を直線距離で突っ切る事で大分市と空港を短絡できるホーバーを復活できないかと検討する動きがあるという事です。
空港見学を終え、さらに半島奥へWo号をすすめてゆきます
ここらでお約束の『道の駅』にも寄っておきましょうw^
道の駅 くにさきです(※名前にひねり無しw^^)
この道の駅、サイクリングターミナルが併設になっていて、野菜直売コーナーだけ離れて位置するという独特の配置になっています
↑その、別棟の野菜直売コーナー、元は喫茶店の建物を改装したと推察しますw
サイクリングターミナルがある側には、お土産店とレストランの建物が隣接しています
その中間は、松林が茂る公園になっています。公園のそぐそばは海岸です。行ってみます
黒津崎海岸といいます
まさに、白砂青松の海岸が広がります^
道の駅さいごに、↑の碑を紹介しておきたいと思います。
駐車場近くにあったこの歌碑、終戦直後、国東で毎日新聞の地方駐在記者として勤務していた山本保さんが詠んだ歌だそうです。
いにしへの 流転の民が いひけらく
国のはてなる ここは国東
記者活動の傍ら、故郷国東を歌に詠みつづけた詩人でもあった山本、碑の裏面にあった解説文によると、悲惨な日本敗戦を目のあたりにし、『日本の復興は、正しい歴史の認識から始めなければならない』と、当時の山本は半島で発見された弥生遺跡の調査に没頭していたといいます。
そんな中詠んだであろう↑の歌、強烈なまでの愛郷の念、そして故郷復興への思いが強く伝わってきました。特に締めの「ここは国東」に、彼の気持ちが深く込められていると感じました
・この歌碑の裏面解説は、↓のような書き出しで始まっています。
(以下引用) 太平洋戦争は日本の敗戦というみじめな結果に終り、その後の日本は余りにも厳しい戦後が続いた。都市は焼き尽くされ、交通は寸断され、国民の生活は破綻に瀕し、食糧は底をついていた・・(以下割愛)
そんな、現在の中東やアフリカ諸国が直面しているような極限状態にあった当時の日本で、未来を拓くべく遺跡の調査に奮闘していた人の話を、当別荘では過去2度取り上げています。
2014年5月upの静岡ツーリングでの『登呂遺跡』(vol.169 14.5.5up)と、
2019年11月upの「た」シリーズで訪ねた、群馬・『岩宿遺跡』です。(vol.325 19.11.17up)
↓にリンクを貼りますのでご覧下さい^
vol.169 2014初ツーリング 静岡・清水へ(登呂/三保 他) | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
vol.325 「た」現る 第29の巻 東武の終点が見たい!群馬・岩宿遺跡&雨の伊勢崎ブラ | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
この2作に登場した両遺跡も、終戦直後の日本、食糧もろくにない状態で、「日本の歴史の立て直しは、まず史実と科学に基づく正しい知識からだ!」という信念の下、発掘がすすめられました。国東で3たびまたこういう話に接し、日本人の逞しさや学究心を改めて誇りに思う次第でした・
さらに半島の奥へ、海岸線の輪郭を辿りながら”コブの奥”へ^^
国東港で小休止
現在は人影まばらな漁港ですが・・
フェリーの設備らしきものが残っていました
かつてここから、山口県・徳山までフェリーがあったそうです。
桟橋傍に、発券所/待合所らしきプレハブが残っていました。現在”休止中”との事なんですが、復活の日は来るんでしょうか・
ここからは、少し内陸へ入ってゆきます
前述の山本保も調査したであろう弥生時代の遺跡があるという事で、寄ってみます。↑看板には「弥生のムラ」と銘打っています
お~~
田んぼのむこうに、↑なにか古代の住居らしきものが・^
正式名は「安国寺集落遺跡」といいます。弥生時代の遺跡群です。
九州で弥生時代の遺跡といえば、佐賀県の吉野ケ里遺跡が有名ですが、ここ安国寺集落遺跡も九州有数の規模だという事で、”西の登呂”とも言われるほどだそうです。資料館もあるようなので、見学してみます
館内は残念ながら撮影禁止だったんですが、内部には遺跡の歴史や出土品はもとより、悠久の歴史を誇る国東半島の歴史や民俗を総合的に紹介していて、お寺巡りの前にまずここを見て「国東の発祥」を知っておくのもgoodです
↑の通り、円形の建物で、そのまま飛び立てそうな感じもうけましたw。僕は「国東のUFO」と愛称を付けました(笑)
展望テラスもあり、田園風景の中にある遺跡を一望できます
(※国史跡指定)
この遺跡、資料館のある側と住居跡(遺跡)の間に公道が走っていて、遺跡見学は↑の橋で公道の上を渡っていくようになっています(※公道から直接住居跡には行けません)
では、歩道橋を渡って”弥生の村”へ・・
お~
広い草むらと湿地が広がる敷地内に、復元住居が数多く建ててあります
これは本格的だなぁ・・
館パンフによると、弥生~古墳時代に栄えていた(※約1800年前頃)との事で、農耕具や植物の種子等、農業に関わる物が特に多く出土したとの事です。また、ここで出土した土器は、文様に他にみられない特徴があり「安国寺式土器」と呼ばれるそうです。
住居は高床式になっていて、玄関^^へは↑の「丸太でつくったハシゴ」で昇降します
古代の国東の人々は、海風、山風に吹かれながらここで暮らし、農業や漁撈で自然からの糧を得て生活していたんだと思います。しばし、古代ロマンに浸ったひと時でした・
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このあとは、もっと山間部へ、国東のコブの中へ入っていきます。
次に訪ねるのは、お待たせしましたw、お寺です
国東港近くから内陸へ延びる県道、通称「開運とみくじロード」を走ること数km・
山の中の駐車場へ着きました。ここは~
数ある国東半島の寺院中でも随一の歴史を持つ、文殊仙寺です
(天台宗)
石段の入口には、風格ある仁王さんが立ちます
冒頭ご覧頂いた大分空港の仁王さんは、ここを模したものだと思われます。
本堂までは、約300段あるという石段です
門まで辿りつきました、いつもの事ながら、名刹へ参るには体力がいる・w
同寺のご本尊は↑、文殊師利菩薩像です。秘仏で、12年に1度だけ公開されます。また、同寺HPによると「日本三大文殊」の一つで、”三人寄れば文殊の知恵”は、ここが元祖だという事です。
しかし、同寺には申し訳ないんですが「日本三大文殊」はどこを指すかについては地域によって異なり、京都・天橋立にある智恩寺、奈良の安倍文殊院は全国的に不動の地位みたいなんですが、東日本だともう一寺に、山形県の亀岡文殊が入るようです。”三人寄れば文殊の知恵”も、各寺が「うちが元祖」と謳ってますのでw、なかなか難しいところではあります^^
また一時期、大阪~天橋立駅までJRの特急『文殊』号が運転していた事もありました(※現在廃止)
まぁそれはおいといて^^、今日は九州の文殊さんを味わいましょう、本堂が見えてきました
急峻な崖に位置する本堂、空気感がちがう聖地という感じです・
同寺の開創は648(大化4)年、アノ大化の改新の直後という超古刹です。役行者が開基したと伝わるそうです。
本堂の背後にそそり立つ岩壁が大迫力です。
文殊仙寺が建つこの山は、その名も文殊山、また峨眉山ともいい、同寺の山号も峨眉山です。
また、文殊仙寺には↑の通り”不滅の法燈”が伝わるとの事です。
同寺は前述の通り天台宗、本山はご存じ、当別荘でも過去作で訪ねた、比叡山延暦寺です。その根本中堂で1200年間灯し続けられる法燈から分灯した火があり、大切に守っているとの事
油が絶えぬよう灯してきた法燈、「油断」という言葉の語源だそうです
また、この近辺は『文殊耶馬』と呼ばれる山岳景勝地としても知られ、国東半島の奥座敷です
(※文殊仙寺の境内含む一帯が国名勝)
国東の奥座敷で、爽やかな時間を過ごしました
大分空港まで戻り、この日は別府市で泊まるので、大分空港道(※日出バイパス~東九州道へ接続している)で別府へ向かいます
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・ラストに余談なんですが、久々に別府で泊まって思った事を書かせて下さい(まだ容量若干余裕あるのでw)
別府って、あくまで僕が感じる主観の限りですが、日本で一番『リゾート都市の雰囲気を持っている街』だと思うんです。
海外へ行った時、リゾートの街とかへ行くと独特の空気感に旅心をくすぐられる事を感じたかたもおられると思いますが、日本であの感じの空気が流れる街が、別府だと僕は思っているんです。単なる「温泉地」を超越した、"なにか"の力を持っている街だと感じます
しかし別府市は、そんな強力な可能性というかポテンシャルをまだ充分に活かせていない部分もあると思います。国や県も挙げて本気で観光開発していけば、別府市は世界有数の都市型リゾートになれる可能性を秘めていると僕は思います。コロナ収束後、別府市は特に頑張ってほしいと応援したいです・
以上、余談でした^^
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今作ここまでです!
次回はシリーズ3回目、国東半島の沖に浮かぶ”離島”、姫島を訪ねたいと思います。当別荘久々の離島作です。お楽しみに^^