本年の当別荘で時々出ているワード『大峠』という言葉ですが・
私Wo、この度迎えた人生の大峠を迎え、束の間のモラトリアム期間を過ごしております。"大峠とは何を指すのか?"については明言をあえてしませんが(汗笑)、勤め人ならいずれ訪れる(※近年これが無い会社もありますが)、人生で何回もない重要な節目です・
・勤めている間なかなか行けなかった長期の旅、あるいは日程を贅沢めにとったゆったりした旅等を、この期間中に纏めて行っておきたいと思っております。勿論コロナ禍の中なので内容が大きく制約された中での旅ですが、いつもお読みの方ご存じの通り、元々僕の旅は基本、飛沫ほぼゼロの一人旅で、しかも密ともほぼ無縁のマイナーな所が中心なので、こういう時代の旅の形の一つとして、のんびりと連載していきたいと思っています。ご理解下さいましたら幸いです
・では、今作から始まるシリーズ、題して『大峠を行く』、その第1章としての旅に選んだのは~・
大分県・国東半島からはじめてみたいと思います^
久々の大型ツーリング企画です
では第1章の、その①、スタートです
今回は往復フェリーに乗ったんですが、新規就航の航路だったので、そのプチレポートも付けます
夏のある日、Wo号は↑、夜の横須賀港へ
フェリー出航を待っています
本年新就航したばかりの東京九州フェリーで、北九州市・新門司港を目指します。ターミナルも出来たばかりの新しい建物
バイクの乗船開始は23:10、しばし待合室で過ごします
そして乗船!バイクは一番隅に誘導される
広い甲板を歩いて客室階へ
船名「それいゆ」、総トン数15.515t、全長222.5m(同社HPによる)
各階中央にはロビースペースあり
客室は4~6階にあり、4Fには案内所・売店・自販機、5Fにはレストラン(※営業は各食時の1時間のみ)、6Fは浴場とミニシアターがあります。(※ジムとキッズルームはコロナ禍のため利用休止)
僕が宛われたのは4Fのベッドルーム、最近就航の船は大部屋は装備されず、最安グレードでも個別スペースがある場合が多い
船の探索をしているうち、出航の時間が来ました。岸壁をゆっくり離れる"それいゆ"
夜のとばりが降りた横須賀の街をあとにしていきます・
いよいよWo号は初の九州ツーリングへ、約21時間の船旅が始まります・
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海上での一夜が明け・・
まだ人影ない早朝のロビーに、朝日がさしこんでいました
↑ロビーにある位置情報の画面、現在紀伊半島沖みたいです
夜中に洋上で雨だったようで、船窓が濡れています
長い船旅なので、ささやかながらイベントも用意されてました。↑『クロスワード』、時間内に回答を案内所へ提出すると、抽選で賞品が当たるというもの(※参加賞もあり)、けっこう長文のキーワードも多く、わりと難解でした(笑汗)
また、6Fのミニシアターで"プラネタリウム"を見せてくれます
僕これも見たんですが、星以外に"花火大会"とかの映像もあり、コロナ禍前の夏はこんな楽しみもあったなぁ・・と、天井に輝く花火を見て、もう遠い日の出来事のように感じました・
・そうこうしているうち・
順調に航海を続けるそれいゆ、やがて・・
陸が見えてきました。四国・足摺岬です
2013年の『高知ツーリング』で訪ねた地です(vol.154 13.10.23up)
夕暮れが近づいてきました、足摺岬を廻りこむと日向灘へすすみ、船の両側に島影が増えてきます(※東京九州フェリーは瀬戸内海は通りません)
・そして、豊後水道を抜けて周防灘へ入ったそれいゆ、再び夜になり~
21時、ゆっくりと北九州・新門司港へ接岸します
車両甲板へ戻ります、まずは車から、この後バイク下船です
・そして~
ついにWo号、初の九州上陸を果たしました!
これで当別荘のツーリング作は、北海道、四国につづき九州もという事で、バイク日本列島・主要4島を制覇しました
この夜は行橋市で一泊、翌朝~
東九州道・行橋ICから、いよいよ目的地の大分県・国東半島へ向かいます
途中で日出バイパスへ分岐し、国東半島の入口、日出町へ着きました。まずはJR日出駅へ寄る。日豊本線・別府駅から北へ5駅目で、大分駅からここで折返しの便もあります。まぁこの辺りまでが"大分近郊区間"でしょうね・
・ここで、国東ツーリングの概要を書いておきます
九州の東にコブのように突き出たここ、国東半島には現在、5自治体があります。
そのコブの南西から順に、この日出町、杵築市、国東市、豊後高田市、そして周防灘に浮かぶ姫島村、この5市町村です。今シリーズで全て廻りますw^^
それどころか、シリーズ後半では中津市や宇佐市の一部も走ります、どうぞお楽しみに^^
まず訪ねるのは、国東半島のゲートタウン、日出(ひじ)町です
街中に、観光案内所的な建物を見つけたので、入ってみます^^
観光案内所・二の丸館です。
名前でわかる通り、この場所は日出城址の一端にあります。
この日出町が『ゲートタウン』と書いたのは、高速道で国東半島へ来る場合、東九州道から日出バイパスが直結していてまずこの町から入れば、車なら早いからです
勿論、半島北側の豊後高田市から廻り始める人も多く、どちらから廻り始めても楽しい半島です^
では早速、案内所からすぐの~
日出城跡を見に行きましょう
その前に・・
なにやら碑があるので、チェックしておきます
日出城址の片隅に鎮座するのは、アノ音楽家、瀧廉太郎です
アノ名曲「荒城の月」の作者として知られてますよね・
・瀧は生まれは東京ですが、代々ここ日出藩の武家の出身で、日出町では”楽聖”と呼ばれ、郷土の偉人として親しまれています
さらに歩いていると、防災無線のスピーカーから音楽が流れてきました。曲は勿論~・
♫ 春こうろうのぉ~~ は~な~の宴~~
でしたw^^
日出城址は別府湾沿いの丘にあり、すぐに海が見えてきます
荒々しい感じの積み方が特徴の、日出城の石垣
この石垣は、野面積みの一種で『穴太(あのう)積み』と呼ばれ、近江国の石工集団・”穴太衆”が技術指導をしたと伝わります(※またもや滋賀県登場w)
別府湾にせり出すように、石垣が築かれています
海への睨みも効かせていた、という事でしょうか・
(※天守は、廃城令で破却されました)
ここから見る別府湾は絶景です^^
遠くには別府市の街並も見えます
石垣のたもとに建つ↑の碑は、「軍艦海鷹の碑」
元外航客船の”あるぜんちな丸”(←聞き覚えあるかた多いと思います)を改造して軍艦となった”海鷹”、人間魚雷「回天」の訓練にも使われたという事です。しかし豊後水道で敵の機雷により大破、この日出まで曳航され、そのまま終戦を迎えたとの事です・
しばし別府湾を眺め、歴史に浸りながら休憩しました
ちなみに日出の海といえば、特産・城下カレイも有名ですね^
日出城、一名を「暘谷(ようこく)城」というんですが、冒頭ご覧頂いたJR日出駅の一つ隣が『暘谷駅』で、この日出城跡や町の中心街へは暘谷駅のほうが近いです
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日出の街から、次は杵築市へ向かいます
国東半島のコブをぐるっと廻る国道213号を走ります
八坂川を渡ると、杵築の街に入ります
橋のむこうにお城が見えてきました、杵築城です
全国的に、お城の周囲って大体”城山公園”って名前になってる所多いですねw^^
日出城址を見学したばかりですが、2つ続けて城跡見学です^^
城門、天守等の建物は全て復元ですが、敷地は国史跡に指定されています
現地看板によると、元々は『木付城』と書いたそうです。
天守へむかう途中に、石碑や石仏等が集められている一角があります。↑看板の通り「城山公園石造物群」といいます(※杵築市指定文化財)
様々な石仏さんや庚申塔など、市内や近郊各地から移設してきたものもあると思われます。そういえば、こういう光景、昨年の『奥多摩ツーリング』で訪ねた小河内ダムにも、水没した集落から移設して集めた石造物を集めた一角があったのを思い出しました(20.7.3up vol.347)
中でも、この地域独特のものが↑、その名も『国東塔』
宝塔の一種ですが、一般的な宝塔にはない台座にのっているほか、一番上の尖頭部の比率がやや長めで存在感あるのが特徴です
そんな石造物群をすぎると~
天守がそびえています
1970(昭和45)年に再建された模擬天守です
内部は、お約束の^^資料館になっています
当別荘で、こういう天守内の資料館の様子をお伝えするの、もう何十カ所目でしょうか(笑)、ホントあちこち訪ねてきましたが、これからもまだまだ訪ねますよw^^
↑手裏剣の「免許皆伝免状」が珍しい^
階段の踊り場には~
再建が完成した日の、万国旗が翻る写真
また、市民の方々から寄せられた、入学や結婚等の節目に城で撮った記念写真が多数掲示されていて、杵築市民のかたが城に寄せる愛着を感じました。僕も、自身の節目・この大峠に杵築城を訪ねる事が出来て、うれしく思いました^
市内の廃寺から移転してきた仏像さんもあり、仏の里、国東を感じます(※国東の寺院は今シリーズ中にいろいろ登場します、お楽しみに^)
丘の上に建つ杵築城からは~
先程渡った八坂川の河口、守江湾を望みます(※別府湾から少し奥まっている)
この守江湾には干潟があり、当地では”ある生き物”で有名なんですが、この話は後程言及します。何なのか?は想像しながらお待ち下さいw
杵築の街も見下ろせます。この後、杵築の街ブラとなるんですが・・
杵築の街、僕も初めて歩くんですが、全国でもここにしかないと言って過言でない風景があります。↑「坂」への案内板がありますが、ホント独特な光景を持つ街でした。今作のハイライト、実はここからです^^
「勘定場の坂」、↑ここからの長い石段です。市街の中心部にこんな長い石段がある事自体凄いですが・・
坂の両側は武家屋敷なんですが、この石段、ホント長い・・
500m位はあるでしょうか
ようやく頂上が^
両側に並ぶ武家屋敷ですが、中には公開されている所もあります
また、藩校の跡もあります
その名も「学習館」といい、現在もこの裏手が杵築小学校で、小学生が今もこの門を通って学び舎に入っているという、全国でも稀な『現役の藩校門』だそうです
坂の頂上までやってきました
・ではここで、『全国でここだけの形状』という、杵築城下町の特徴をみていきたいと思います。↓の案内板をご覧下さい
↑案内板右側、『日本唯一のサンドイッチ型城下町』とあります。
↑杵築の旧市街は、丘が東西に2つあって、中央に谷間という地形になっています。その東西2つの丘の上が武家屋敷街で、真ん中の谷筋が商人街になっています。つまり2つの武家屋敷(丘)が1つの町人街を挟みこんでいるという、いわば『サンドイッチ型』.だ、という事です
(※↑地図下方が杵築城で、そこから先程の勘定場坂を上がり、いま東側の丘にいます)
次は↑の、東西の石段を下って、谷筋の町人街へ行きます
写真ではあまり伝わってませんが、他では見られない絶景でした
さぁ、下っていきますよ^
↑の灯篭で坂の中間あたりです。写真上側に、西側の丘へ上がる石段が見えてるのがおわかりでしょうか・
繰り返しですが、この絶景を、僕の下手な写真では充分お伝えできてないのが残念です
谷間まで下りてきました
向かい側、西側の丘へ上がる前に(※後程、別の坂から上ります)、商人街を歩いてみます
今もいろんなお店が並び、お土産の物色にもgoodです
路傍には↑、古井戸がありました。これは~
「岩鼻の井戸」といい、この谷筋で唯一の井戸だそうです。水道も自販機も無かった江戸時代、道ゆく人はこの井戸で喉を潤していたとの事。清掃は藩命で行っていた(※現地看板による)という事なので、重要な設備だったと思われます
東西の丘へ上る坂(石段)は数ヵ所にあり、いづれも坂のたもとに往時あった店や施設の名が付けられています・
ご当地が『日本唯一』と謳うだけあって、僕も全国行ってますが、ホントこんな独特の光景は初めてです
↑杵築市役所、この谷筋にあります
そして、市役所の前にあったモニュメントが↑
僕は予備知識なかったので少し驚いたんですが、なんとカブトガニです
先程、杵築城前から守江湾を俯瞰した場面で書いた『ある生物』が、このカブトガニです。守江湾の干潟が、九州で数少ない貴重な繁殖地なんだそうです
瀬戸内で育った僕として「カブトガニ」といえば岡山県の笠岡市しか思い浮かばなかったんですがw、ここ、杵築市にもいるんです。2億年前からそのままの姿の”生きた化石”と言われるカブトガニ
"おおいた遺産"にも指定されているとの事で、杵築の自然豊かさを象徴するシンボルとして、市民に愛されているそうです^^
市役所の近くにあった、↑謎のラッピングがされた自販機(※幻想の街?風)w
↑『きつき衆楽観』という大衆演劇場もありました。街の賑いを出していこうという杵築の取り組みがみてとれます^
では、西側の丘へ上がってゆきます
先程の東側の丘と同様に武家屋敷が並んでいるんですが(※現在は一般民家となっている所もある)、西側丘の特徴として「寺町」もある事。江戸期、街を整備し武家屋敷街をつくる時に従前からあった寺院を1ヵ所に集約するのは全国の城下町でもみられますが、ここ杵築も行っていました
案内図によると寺院が6寺並んでいますが、その手前の角、”一等地”にカトリック教会があるのが面白い^^
そのカトリック教会の門も、↑和風になっていますw
この隣からはお寺ですが・・
特に印象深かったのが、↑南国風の並木(ソテツの一種?)が山門に誘う、養徳寺(臨済宗)
山門の幕にも、この木のデザイン(?)が・・
同寺、かつて「男はつらいよ」のロケで使われた事もあるとかで、杵築の隠れた名所ですね・
養徳寺の次には、正覚寺、妙徳寺、安住寺・・と、各宗派のお寺がきれいに並んでいたんですが、6か寺とも特に観光化されてなく、訪問の際には配慮が必要と思います・
西側の丘の探索をおわり、谷筋へ戻ります・
いやぁ、くどいですがこの街の光景、ホント凄いですよ
日本唯一といわれる『サンドイッチ型城下町』、いかがでしたでしょうか^^
コロナ収束後、是非杵築を訪れてみて下さい、Wo太鼓判です
・さて、シリーズまだ序盤、次の街へ向かってWo号は走りだします!
国東半島、さらに”コブの膨らみの奥”へ入ってゆきます
今作ここまでです!次作(シリーズ2回目)は、国東半島の一番先端部を占める、国東市を訪ねます。お楽しみに^^