vol.305 台湾・高雄旅(4・終) 製糖工場まるまる保存!高雄の”ザ・産業遺産”を訪ねる | 旅ブログ Wo’s別荘

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 台湾・高雄シリーズ第4回、最終回ですしっぽフリフリ

 

前作までの3作で、台湾南部の大都市・高雄市をWo流に廻ってきましたが、シリーズラストの今作では、タイトルの通り『工場まるまる敷地ごと保存』しているという名所へ行きます。では最終回、スタートですグッド!

 

その"工場"へ行くため、捷運の駅へ行くと~

前作につづき、又ちびまる子ちゃんが高雄の地下鉄で活躍中w

その上、やってきた電車まで『ちびまる子号』ベル

コラボ契約してるとはいえ、ここまで徹底的にやられると、もう驚きを通り越して言葉ないです(笑)にひひ

下車したのは、北郊の終点近くで地上部に出た、橋頭糖廠駅電車

日本でもよくある『郊外で地上へ出た地下鉄駅』そのものの佇まいなんですが、この駅の向かい側には~

緑の中に、↑古い建物がポツポツと点在しています。

日本時代に建てられた”工場付属の宿舎”だったとの事で、現在は店舗や保育園等に使われています家

駅名の『糖廠』の名の通り、砂糖工場が同駅前にあります。

しかし現在、その工場は稼働していません。

老朽化により役目を終えた工場が、現在『糖業博物館』として、まるごと保存されているんです。

今作はこの、廃工場を見学/探索するのがメインです^

早速むかいます走る人

駅から5分程歩くと~

↑"糖"と大書された看板が目印の入口目

敷地に入ってまず、真っ先に目に入ってくるのは~

沢山の鉄道車両!

かつて、原料のサトウキビを搬入し、製品を搬出していた引込線が現役時代のまま、車両ごと保存されていました。

夥しい数の機関車や貨車が点在。

保存されている車両数のハンパなさに驚くウサギ

↑は先程乗ってきた捷運の高架ですが、その隣には台鉄の線路も走っていて、引込線はそこから延びてきています。

線路も錆びてはいるものの、ほとんどそのまま残されていましたクローバー

機関庫も、ほぼ現役当時のまま保存。

これらの小さな機関車や貨客車は、地元の人からも『五分車』という愛称で親しまれています。"五分車"の名は、一般鉄道の半分位の大きさという意からきています電車

写真割愛しますが、先程の捷運駅から工場反対側へ少し歩いたところに、一部現在も保存運転に使われている1km弱程の線路があり、土日には観光トロッコ列車『五分車之旅』が運転されていますかたつむり

まずは工場内に残る鉄道遺産、引込線跡からご覧頂きましたが、こんなのはこの工場跡のまだ”ホンの序の口”なんですあせる

 

これからいよいよ、工場本体へと探索していきますとかげ

貨車以外にも、サトウキビ収穫や加工に使っていた農機も多数展示、"全てを徹底的に保存しよう"という意気込みに溢れた場です。

工場内の建物の1棟を利用した、メインの展示施設を見学します目

その名も、『糖業歴史館』星

内部は、ちょっと暗め^

この工場の概要を、ここで書いておきます。

ここは、日本時代に設立された『台湾製糖』(台糖)の工場でした。

サトウキビから砂糖を精製していた工場ですクローバー

 

1895(明治28)年、日清戦争により日本領となった台湾に、早速日本企業は進出、南国特産のサトウキビ製糖にいち早く目を付け、1902(明治35)年に操業開始しました。

1999年まで操業していたそうです。1世紀以上の歴史を誇る産業遺産です。

製糖の過程から、製品の輸送状況まで詳説(※一部日本語もあり)

又、現在の台糖の経営についても展示メモ

 

この工場を運営していた『台糖㈱』についてザクっと書いておきますクリップ

"台糖"、なんか耳覚えのある社名ですが、日本でも近年まで存在していた会社です。スーパーで見かける『スプーン印の砂糖』、同社のブランドでしたコーヒー

 

日清戦争勝利で台湾統治を始めた当時の日本政府は、サトウキビによる製糖を南方の基幹産業として奨励していました。

昨年upした南大東島の作でもサトウキビ畑や製糖工場が出てきましたが、沖縄や台湾等のサトウキビが収穫できる地域では、主要な産業でした霧

 

台湾総督府は当時の三井財閥に、台湾で製糖事業をするよう督励、1900(明治33)年、三井が中心となって台湾製糖㈱を設立。高雄に工場を設立すべく動きはじめました。

1900年といえば前作で出てきた高雄港駅や左営駅が開業した年です。日本は20世紀幕開けのの120年前、この台湾南部で本土にも劣らない、本格的なインフラ整備に力を入れていました虹

 

総督府は操業開始後も補助金を出す等で台糖を支援、戦時中も操業を続け、砂糖は台湾を代表する輸出品となりました船

 

戦後、日本敗戦により三井は台湾から撤退しましたが、日本本土内で改めて『台糖㈱』を設立、スプーン印の白糖でおなじみになりました。

一方、台湾内の製糖資産は戦後、国民党政府が接収、他の日本社が持っていた製糖資産も合併させて『台湾糖業公司』を設立、台湾でも戦後も引続き『台糖』と呼ばれていました。

 

日本の台糖㈱は2005(平成17)年、同じ三井グループの新三井製糖㈱と合併して、その歴史に終止符を打っています。

この歴史館の中にも、先程の鉄道輸送に関する展示が・

1両の古いSLが、大切に保存されていました。

ベルギー・TUBIZE社製、361号機(※1948年製)

引込線による↑入出荷業務を紹介したパネル。

『鉄道業務は簡単ではない』と題されています^あせる

前述の通り1999年まで現役だった同工場、博物館としてオープンしたのが2006年と近年なので、展示方法がちょっとお洒落で楽しく見学できましたキラキラ

他にも多くの建物が、様々な展示棟として公開されています。

次は~

機械設備を修理・整備していた建物レンチ

ここも当時のままです。

↑こちらは、製造過程を詳しく解説している建物本

僕はこの日、3時間程かけて廻りましたが、ここでは"3時間"でも全然急ぎ目で、じっくり見学すると丸一日かかります時計

子供向けに、古部品を利用した小公園もありましたレンチ

なんせ工場の敷地まるごと公開されてるので、とにかく広かったです。廻ってるだけでかなりの運動量走る人

この後いよいよ、メインの工場内を見学します目

入口はどこかというと~

ありました、↑から工場内に入りますかたつむり

これは広そう・

お~

パネル展示も一部ありますが、この廃工場で見るべきものは、まさに『プラントそのもの』です目

巨大なタンクやコンベヤ等が、生々しく目前に迫ってきますかお

当時のままを見せる事を基本としているため、全てが『本物』です星

工場内は製造過程によりいくつかの部屋(※部屋というには広すぎですがw)に分かれてますが、全ての部屋を見学できます。

順路は一応あるんですが、自由に動き回ってもOKです^

これが日本なら、順路がカッチリ決められていて、それ以外は安全上立入禁止とするんでしょうけど、ここは↑のような簡単な柵で区切ってあるだけで、特に立入禁止の表示が無い限りは、どこでも入れますしっぽフリフリ

”産業遺産”というより、日本でいう”廃墟マニア”必見の場所ではないでしょうか^ヒツジ

いやいや、凄いわ、ここ^

広い工場ですが、一つ一つの部品に至るまで大切に管理保存されています。

広いスペースを生かして所々にパネル展示も設けられ、製糖の歴史に理解が深まるようになっています。

工場設立時に献身的な貢献した日本人について紹介されていました。

↑広い工場内で連絡を取り合うための無線電話。

昔の黒電話と同じ大きさの受話器に時代を感じます電話

 

ここから少し、御託を並べるのをやめて、注釈無しで何枚か写真をご覧下さいカメラ

廃工場の機械が無言で語り掛ける、日本時代からの歴史・モグラ

『騒音が高いので耳栓をするように』との看板も残ります耳

工場内には↑所々に人形や写真を効果的に置き、現役当時を容易に想像できるようになっています合格

ラストに、↑場内全体が見渡せる場所に設けられたコントロールルームを見学します走る人

コントロール室の中にも入れます。

繰返しですがこの工場、ホントほぼ全てを見せてくれます^

↑な感じでここから、プラント全体を操作していましたメガネ+

いかがでしたでしょうか、台湾の基幹産業だった製糖工場をまるごと保存、しかもご覧の通りの徹底公開ぶりしっぽフリフリ

 

日本でも近年、産業観光に力を入れ始めている地方が沢山ありますが、ここまでの所はなかなか無いのでは、と思いましたわんわん

外へ出たらもう夕刻お月様

すっかり時間を忘れて見学していました^

なお、工場の一部は↑劇場やカフェ等、若者の集まるエリアとしても利用されており、イベント時は多くの人で賑わうそうですおひなさま

いやぁ、凄い所でしたウサギ

冒頭でもチラッと出ましたが、工場の周囲には日本式の家屋が点在しています。

↑はその中でも特に大切に保存されている、工場長の宿舎。内部見学は予約制だそうですメモ

いつも台湾作で書くんですが、日本時代つくられたものをこれだけ大切にし、しかもこれらの工場や鉄道、学校等、現在に至るまで台湾の基礎となっているインフラを整備した日本に対し、植民地支配という歴史をおいてまで感謝してくれる人が多くいる台湾。毎回訪れる度に頭の下がる思いですキラキラ

巨大廃工場見学で、なぜか爽やかな気分になって市内へ戻ります。

そして、後ろ髪ひかれますが、この後帰国の途につきます汗

 

-*-*-

 

短かったけど楽しかった台湾行でした。

名残惜しいですが帰国便の桃園空港へ戻るため、高鐵左営駅へ新幹線

その新左営駅で、旅のラストに又々"親日台湾ぶり"を見る場面が^目

コンコースでやっていたのが、↑『台鉄と近鉄(!)の美と魅力』と銘打った写真展カメラ

この台湾南部で突如として現れた、近鉄の文字にまず驚くひらめき電球

↑タイトルが書いてある縦の看板、これ看板ではなく長さ4m位のボードの端で、その両面に写真がパネル展示されていますベル

パネルの片面が『台湾の人が撮った台鉄と近鉄』で・

その反対の面が、『日本人が撮った近鉄と台鉄』の写真というパネル配置になっていましたカメラ

同じ鉄道写真でも、台湾人と日本人では視点やアングルの微妙な違いがあるのが見ていて興味深かったです。鉄道別で分けず、撮った人の国籍で分けてあるのが又面白いと僕は思いましたグッド!

 

沢山の駅利用者が足を止めて見学してるのが見受けられましたが、それにしても、”日本と台湾の鉄道”と題するならまだしも、『近鉄』にテーマを限定した写真展が台湾の一般の場所で成り立っているとは、ホント驚きでした王冠1

 

・今シリーズ中、地下鉄とちびまる子ちゃんとのコラボに始まり、市立博物館での漆器展、”高雄”と”打狗”、戦前日本人が付けた鉄道支線の愛称”浜線”がそのまま地名になってたり、そして今作での台糖工場。特に下調べせず来てるのに、わずか3日間いた高雄でこれだけ『日本との絆』に出会う事が出来ました^ニコニコ

台湾、ホント有難い国です^黄色い花

 

この後高鐵で桃園駅まで一直線、そこから桃園空港鉄道で空港へ、帰国しました飛行機

 

当別荘創設以来3回目となった台湾旅シリーズ、今回は南部の大都市、高雄市をご覧頂きました。

新旧が交差する活気あふれる熱帯の街、台北よりもどこかゆっくりした空気も流れ、ホント癒された3日間でしたキラキラ

 

高雄シリーズ全4回おわります。長い間ご覧頂き有難うございました虹

 

 

 

 

 

(※2023.9 文一部修正)