vol.236 美作の小京都・津山にある鉄道遺産 津山まなびの鉄道館 (津山街ブラ付き) | 旅ブログ Wo’s別荘

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岡山県の内陸部、中国山地の懐に抱かれた、日本の典型的な山里が点在する、旧国名では美作(みまさか)という地域霧

その美作の中心となる街が、今作で訪ねる津山市ですコスモス
美作といえば、昨年upした片上鉄道の美咲町も、美作地域になります(※津山から南へ約15km)

その津山、先日新たに鉄道の博物館が出来たという事で、訪ねてきました。早速スタートです^


兵庫・姫路駅から出ている↑姫新線に乗り、途中2回乗換え岡山県へ入ります。山中をかきわけ約2時間で・

津山駅に着きましたフラッグ

一昨年の三江線の作で出た三次駅と同様、中国山地の中にある内陸都市の津山。三次市と同じく、瀬戸内側(山陽)と日本海側(山陰)を結ぶ”陰陽連絡”の要衝です。

JR津山駅には、東西に走る姫新線(※姫路~新見)のほか、岡山~津山を結ぶ津山線、鳥取~津山を結ぶ因美線が交差する要衝駅です。
ひと昔前までは、陰陽連絡の役割を担う急行列車が多数発着していましたが、現在この駅からの優等列車は全廃され、のんびりと普通列車のみが発着していますカメ

↑津山駅前です。
瓦屋根がいい感じの国鉄時代からの駅舎ですが、現在駅前広場を整備する工事をやっていて、タクシーやバス乗場の上屋と思われる鉄骨が駅舎のすぐ前で組まれ始めています。
工事が完成すると、せっかくのレトロな駅が見えにくくなりそうですあせる

駅前から、今作メインの訪問場所まで歩きます走る人

これから見学するのは、昨年(2015)津山駅構内の旧機関庫等跡を使ってオープンした『津山まなびの鉄道館』ですグッド!
後半に津山街ブラもします。お付合い下さい^


↑線路沿いにある機関庫が見えてきました。
煉瓦の壁が曲線を描く建物です。この機関庫に保存車両を置き、資料室等を併設の、JR西が整備した施設です(※運営は市観光協会に委託)

JR西といえば今年、京都に新鉄道博物館を開設して話題を呼びましたが、規模は京都に及びませんがここ津山でも、鉄道のミュージアムがオープンしました。
鉄ちゃん関係wだけでなく、地域の活性化にも資すると、津山市全体から期待がかかっています星
(※京都の新博物館については、近いうちに取材しておおくりします^)パー

↑円形(※扇形)の機関庫が近づいてきましたあし
駅からここまで、徒歩10分余です黄色い花

着きました、津山まなびの鉄道館です。

館名に”まなびの”と入っている通り、同館の開設目的は『特に、これから将来を担っていく小中学生に、鉄道への理解を深めてもらう事』とパンフに明記してありますメモ
勿論大人が行っても楽しめます。というか、大人は懐かしさで胸一杯になります^^キラキラ


入場すると、いきなり・
おぉ~~と唸りたくなる、美しく弧を描く扇形の機関庫が目の前に現れます。
旧・津山扇形機関車庫です(※近代化産業遺産・土木遺産指定)

この扇形機関庫、元々は蒸気機関車を収容するためつくられたものでしたが、現在は保存車展示館として、蒸機1両/ディーゼル機関車6両/ディーゼルカー5両/貨車入換用機械1両の、計13両が仲良く収まっています^

機関庫を撮影しやすいように、↑踏み台まで用意されています^

1936年建築、今や全国でも10カ所程しか現存していない、貴重な扇形機関庫です。

この形、京都梅小路のSL館のものが有名ですが、この津山扇形機関庫は、その梅小路に次いで、我が国2番目の大きさを誇るそうですキラキラ
先程、駅で前述しましたが、津山がかつて鉄道の重要な結節点であった事を物語ります。

扇形機関庫には必ずある装備が、↑転車台(※機関車を方向転換させるターンテーブル)です。この転車台から放射状に、各ブースへ留置線が伸びているので、車庫の形が扇形になるんですリサイクル

では展示車両をみていきます^
梅小路のように、機関庫の内部には残念ながら入れないので、写真は全て前面から撮ったものです。

まず最初は、↑『キハ33』

この車、元々客車として製造されたもの(※原形式オハ50)で、ディーゼルエンジンを付けてDCに改造した車です。
全国で2両だけの超レアな車です宝石紫
JR発足当初に改造され、主に鳥取県内で活躍、2010年廃車となりました。

”客車をディーゼルカーに改造”といえば、一昨年upした『加悦SL広場』の作(vol.174 14.9.9up)で出たキハ08がありましたが、あれは国鉄時代に旧型客車を改造した車だったので、それのJR版ともいえます。
全国の鉄道関係博物館でここにしかない、貴重な車です。

※車種の略号↓
蒸気機関車=SL/ディーゼル機関車=DL/ディーゼルカー=DC


全ての車両の前には、↑履歴解説板が設置され、保存車両の経歴が詳細にわかりますクリップ

↑次は、2両仲良く並ぶ、同じ顔のDC^
ここ中国地方をはじめ、全国の非電化区間で長年活躍した急行用DCの標準車、キハ58&28です。

これは僕も超なじみの車で、国鉄末期まで運行された、大阪~姫路~姫新線経由、津山で分割して鳥取/中国勝山まで走っていた『みささ・みまさか』という急行でも使われていましたキラキラ
実家にいた頃、駅で電車を待っていると、黒煙を屋根から吹き出しながらエンジン全開の大音響で通過していった往年の急行車、昔を思い出して感動しました汗
キハ58&28、外観も内装もほとんど同じですが、エンジン出力や冷房機電源があるかどうか等の違いで形式分けされていました。

その隣には、特急用DC、↑キハ181、これも名車です。
展示車は、伯備線特急”やくも”(※岡山~米子)のヘッドマークを掲げています。現在やくもには振子電車が使われていますが、電化されるまではこのキハ181でした。
伯備線電化後は、播但線特急”はまかぜ”(※大阪~鳥取)に転属、その後引退しました。


この扇形車庫は前述の通り、本来SLを収納・管理するために造られたものです。
・で、SLも1両位ないと寂しいという事でw、現在ここにある唯一の蒸機、↑D51 2号機です^DASH!
このSL、一昨年閉館した大阪・弁天町の交通科学博物館から移転してきたものです。日本を代表するSL、デゴイチが良い状態で並んでいる、というのは率直にうれしいです^

ここで、「弁天町の展示って全部京都に持っていったのでは?」との疑問も浮かびますが、京都新博物館は梅小路の蒸気機関車館と統合する形でリニューアルしたので、京都には同形式が既にあり、津山に譲られたという訳です^しっぽフリフリ

↑のディーゼル機関車も、特筆しておきたい一両です。
国鉄屈指の大出力DLだった、『DF50』です。

昭和の高度成長期、非電化区間のSL置き換えのため、100両余製造されました。最大の特徴は、ディーゼルエンジンで車輪を直接回すのではなく、”電気式”といいディーゼルで発電し、その電気でモーターを回し動力にするという”半電気機関車”みたいなものです。今で言う”ハイブリッドの
元祖”的存在かもです。スイスの技術を導入したものだそうです。

全国に配属されたそうですが、昭和末期まで電化路線ゼロだった四国で特に大活躍しました。僕も四国でよく見かけました^オレンジ

冒頭で”貨車入換用機械1両”と書いたのが↑です。
駅構内や工場への引込線で貨車を引っ張っていました。ザクッと言えば小型のDLで、線路の上を走るのは変わりないんですが、これ「車両」ではなく「機械」として分類されています。貨車を荷役する通運会社や引込線を使う企業が所有している場合が多いです(※今も後継機が、全国の貨物駅で活躍しています)


↑一見、現在も走っているDLと同じ外観ですが、この形式、たった1両しか造られなかった『DE50』です。
現地解説板によると『DLとして日本最大の馬力(2000ps)を誇り、非電化区間の次世代機として開発されたが、次第に地方路線にも電化が進んだため、量産されることはなかった』とあります。1両のみ製造の形式なので、勿論ここでしか見学できない超貴重な車です。

・この他、DLの定番機・DD13&DD51も展示されていますが、この2形式については昨年のJR大宮工場の作で詳述しましたので、今作では割愛しますお茶


これまで紹介した機関庫内の車両は全て、扇型の中心に据えられた転車台を見つめています目

そして、その転車台から伸びる線路は、現役の線路へと続いています。現在でも接続してあります。

大宮鉄博や梅小路も近くに営業線が走ってますが、現役の車庫のホントすぐ横にあるのが、津山館の魅力です^電車

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次に、機関庫以外をみていきます。
”まなびの鉄道館”なので、機関庫のほかに鉄道の歴史を学ぶ展示室が3つあります。各々『あゆみ』『まちなみ』『しくみ』と名付けられています家

そのうち『あゆみ/しくみ』ルームは、↑国鉄時代の機関区事務棟を改装した建物です^

まずは『あゆみルーム』へ男の子

ここでは、岡山県を中心とした鉄道の歴史を纏めています。
この部屋では津山から少し広げて”岡山県”のスケールで鉄道(国鉄)の歴史をたどっていきたいと思います^

先に僕が見学した感想を書くと、『岡山県の発展と鉄道の発展はまさに一体で、岡山県ほど鉄道発展の影響を受けた県は他になかなか無いのでは?』と思いました。
ではご覧下さいカメ

↑壁いっぱいに貼られた年表。こういう博物館では必須アイテムですが、ここの年表は、岡山県中心になっているのが興味深いところです^

冒頭乗ってきた姫新線の歴史は勿論、岡山県各線の沿革、昨年の作で訪ねた片上鉄道もしっかり載ってます目

涙なしでは見れない^懐しい写真、感動の写真も多数ありましたカメラ

↑は1962(昭和37)年に全通した、赤穂線(※東岡山~相生)の開通記念列車クラッカー

赤穂線といえば現在電車ですが、開通当初は電化が間に合わず、↑の通りDC列車でした。
開通日が暑い日だったのか、多くの人が窓から身を乗り出して、開通の喜びを味わっている様子が写っています(※今ではありえないですが^;)

↑は、新幹線岡山開業まで大阪~宇野間に運転されていた、四国連絡急行(※当初準急)の『鷲羽』
↑写真は1960(昭和35)年、宇野線電化開業記念出発式の光景です。くす玉から花吹雪が舞い、歓喜に沸く岡山駅のホーム。日本が一番希望にあふれていた頃の息吹が伝わる、感動の一枚ですキラキラ

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そして時代は進み、岡山県/岡山市の発展に多大な影響を与えた”昭和の岡山鉄道・2大エポック”といっても過言でない出来事が2つありました。
まず1つが、”新幹線岡山開業”新幹線

ご存知・新大阪~博多間の山陽新幹線、まず岡山までが1972(昭和47)年に部分開業し、その後博多まで延伸しました。
この『まず岡山まで部分開業した』のが、岡山発展にとって大変ラッキーだったんです。

東京から乗ってきた新幹線の乗客は当然、当時は終点だった岡山で全員降り、在来線ホームへと流れたり、改札から街中へ出ていきます。

そして、一旦途中下車したり乗換えたりする中で、食事やお土産購入、又場合によっては宿泊もし、その際の滞在消費による経済効果が多大でした。
そして、多くの企業が中四国の拠点として岡山に支店や営業所を設け、支店経済でも潤いましたビル

元々、乗換路線数では”東の横浜駅・西の岡山駅”と言われるほど接続線数が多く、我が国有数のターミナル駅としての岡山駅、そして岡山市/県は、博多開業までの短い期間を無駄にせず、どんどん力を蓄えました。

さらには新幹線各駅での”岡山行きで~す”アナウンス連呼により岡山の知名度は飛躍的に上昇、それまでは姫路とそんなに変わらなかったのにw、2009年岡山市は、政令市に昇格するまでの発展を遂げました星


・そしてもう一つは、『瀬戸大橋線の開通』波

1988(昭和63)年、岡山と四国との間に”夢の懸け橋”とまで言われた瀬戸大橋が開通。道路とともに鉄道も敷かれ、四国と鉄道が繋がりました。
これにより、岡山駅から四国各地へ直通列車の運転が始まり、岡山駅はますます、ターミナル駅として重要度がupしました。

ちなみにほぼ時を同じくして青函トンネルも開通、北海道も線路で繋がりましたが・

しかしその前年、国鉄は事実上破たんしてJRに分割。
全国を1本の線路で繋げるという日本鉄道100年の悲願が達成したのに、皮肉にも組織はバラバラになった始まりの年ともなってしまいました・あせる

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あゆみルームの隣、『しくみルーム』ですロボット

このルームでは”駅”での、旅客・駅員それぞれの動きの中で、利用する側/仕事する側各々の流れを学んで、鉄道を理解しようという、より小中学生向けの展示になってますフグ

昔の駅と今の駅をわかりやすく対比してるのが面白く、大人も楽しめます^

↑写真右方のプラレールの線路のようなもの、なんとリニアモーターカーの模型です。実際に浮いて走る本格派wです。でもなぜ津山に・w

そして、前作の名松線で出た、↑タブレット入れもありました^グッド!
輪っかの下のほうの小さなケースに、金属のプレート『通票』を入れ、通票を所持した列車だけが当該区間を運行できるという、昔の単線区間で採用されていたシンプルな信号方式です。

通票そのものは小さいのに、なぜこんな大きな輪っかの付いた入れ物が必要なのかというと、通過列車の場合走ったまま受け渡しが出来るよう、ホーム端に"蚊取り線香"のように渦巻状になった鉄棒があり、低速走行したままそこへ目がけシュッ!と”輪投げ”のごとく、車掌が投的しました(※渦巻は衝撃緩和のため)ブタ

出発側のホーム端には、次区間のタブレットが輪を列車のほうに向けて専用の柱に用意してあり、これを車掌さんが又、職人芸で”シュッ!”と走行したまま拾い上げ、停まる事なく通過できたという訳です。そのための”大きな輪っか”でしたDASH!

もう一つ、↑『まちなみルーム』は機関庫の端にあります。ここには・

機関庫の模型と、↑津山の街のジオラマ目
江戸時代は城下町、明治以降は”鉄道の要衝”として発展した、津山の様子を模型で表現。

岡山県の内陸部、津山市が鉄道の要衝だった、その輝かしい歴史を未来に伝える、実に有意義な博物館だと思います^キラキラ

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・鉄道館をあとに、駅前を通り過ぎ、後半は『城下町・津山街ブラ』をしてみたいと思います^走る人

街の真ん中を流れる、岡山県有数の大河・吉井川を渡り、旧市街地へみずがめ座

↑NTTの無線塔のむこうに、お城&石垣が小さく見えてきました。津山城跡です。

津山は”美作の小京都”とも呼ばれる、歴史ある城下町です。
その津山を代表する場所、津山城址を見にいきます走る人

城址へ入ってゆきます^

市内中心部、鶴山という小高い丘に建てられた津山城、一名も鶴山(かくざん)城といいます。

残念ながら明治の廃城令により、天守をはじめ全ての城郭は取り壊されましたが、在りし日は櫓が計77棟もあったとの事で、壮観だったそうです(※姫路城でも60棟余だった)

天守のあった本丸へ登るには、有料区域になります。

二の丸まで登ると、一段上の本丸に、↑ひとつ櫓が見えてきます。
前述の通り、津山城にあった77もの櫓は明治維新時に全て取り壊さましたが、2005年に一つだけ再建されました。備中櫓といいます。

↑本丸まで登ってきました。
今は無き天守の跡は、空地になっていますてんとうむし

津山城、室町時代に築城されましたがその後一旦廃城、明治初年まであった天守は、江戸時代の津山藩主・森家が建てた2代目で、北九州の小倉城を手本に設計されたとの事です。天守も復元したら凄いと思うんですが^

復元の備中櫓、↑内部見学出来るようなので入ってみます。

作容量が厳しくなってきたので内部は↑1枚だけにしますが(汗)、2層になっており、いくつもの畳の部屋に分かれていました。
殿様が座る一段高くなった”上段の間”もあったので、数ある櫓の中でも戦時等に重要な役割をしたと思われます。

僕が津山城で目をひかれたのは、石垣の美しさ。
派手さは無いんですが、石垣は往時のままだとの事で、侍が行き来していた江戸期を彷彿とさせました。

本丸から、眼下に広がる津山の街虹
津山を訪れたら見学必須です^

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・城から下り、ラストは城下に残る”古い街並”を歩きます。

↑お城の東側を流れる宮川、堤防が瓦葺きなのが凄い^
この川を渡ると、古街が残る”城東地区”です。

宮川を渡ったところにある↑立派な解説板。
国の重伝建造物保存地区に指定されています。

地区へ入ると、勿論古民家もあるんですが、一般の家や店も混在していて、第一印象はそんな凄い感じはしないんです。しかし津山城東地区を歩く時は”さいごまで根気よく歩く”事が大切です。奥になってくる程、街並が古くなってくるんです。

全長1.5km程の通りですが、中間位で通称↑”大曲り”というクランクがあります。
ここからが~

電柱がなくなり、保存地区らしく整備された街並になってきます。

通りから枝のように伸びている路地も、趣があります。
全ての路地に、”〇〇小路”と通り名が付いてます。

古街の一角にある、『津山洋学資料館』

洋学というより、”蘭学”と言ったほうがピンとくるかもです。
津山は、当地で藩医だった宇田川家を中心に、オランダからもたらされた西洋医学等の研究が盛んだったそうです。城下町としての文化的な深みを感じます。

↑再び電柱が立ってきたら、保存地区の端です。
国の保存地区指定が2013年と比較的近年で、全国的にはまだ知名度が少なく、”素の姿”がわりと残っており、なかなか味のある古街でしたキラキラ

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時間がきました。津山駅に戻ってきました。
なにげに発着している国鉄型DC、いつまで見られるかこの光景・

ホームの西寄りに、↑鉄道館の扇形機関庫が小さく見えています。

姫路へ戻る列車が入ってきました。
↑ホームの案内看板、一見ふつうの角ゴシック文字ですが、鉄分の目で見ると^、この看板は国鉄時代、岡鉄局管内だけにあった”岡山文字”ですクリップ

鉄道の要衝、そして古くは城下町として栄えてきた岡山県津山市、いかがでしたでしょうか^
”美作の小京都”と呼ぶにふさわしい、歴史を秘めた美しい街です。訪ねてみて下さい^

さいごに一つ、鉄分的にはあまり披瀝したくない情報ですがw、実はこの街へ来るには、大阪から1時間毎にある高速バスが一番便利です(笑汗)DASH!




(※2023.4 文一部修正)