vol.235 播州珍神社2題 巨石信仰”石の宝殿” &香を焚き千羽鶴を吊す”鹿嶋神社” | 旅ブログ Wo’s別荘

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 夏恒例、帰省がてら作です^
兵庫県南部、播州は高砂市に、特色ある神社が2つありますひらめき電球

そのうち1社は、播州人で知らない人はいないであろう、JRの駅名にまでなっている神社ですが、発信力不足の播州なので、全国的にはあまり知られていません。以前より当別荘で取り上げたいと思ってました。

もう1社は、神社なのに、ロウソクの灯明と線香の煙が漂っているという珍社です。こちらも、播州では初詣客ベスト5に入るという有名神社ですが、播州以外での知名度はほぼありません。

2社ともなかなか珍しい味わいを出してると思い、今作で全国に紹介いたします^グッド!

JR神戸(山陽)線、加古川の1つ西隣、宝殿(ほうでん)駅で降ります。

↑駅名の横の名所案内にもありますが、この縁起良さそうな駅名の元になっている『石の宝殿』という奇勝がある神社、生石(おうしこ)神社を訪ねますカメ

改札の横には、国鉄時代には”キヨスク”だったセブンイレブンがありますが、JR西のキヨスクは、駅売店業務をセブンと契約し、店舗を順次”キヨスク風セブン”に転換中ですコンビニ

↑橋上駅化されてから30年位経つわりには、奇麗な印象もする宝殿駅キラキラ
この駅、地名的には高砂市米田町に位置するんですが、駅付近には、加古川市と高砂市の境界線が複雑に走っているんです。

この駅の周囲は、加古川市・高砂市とも同じ『〇〇市米田町』という地名です。というのは・

元々”印南郡米田町”という一つの自治体でしたが、昭和の大合併の際、加古川か高砂かどちらに入るかで町が2つに割れて大論争。県の裁定を求めるまでに揉め、面積にして約1/3が加古川市、あと2/3が高砂市に分割合併する事で決着をみました。

その両市境界線が、紙を手でビリビリっと破ったみたいにこの宝殿駅付近に走っているんです。”米田町の悲劇”とまで呼ばれ、合併後も宝殿駅付近の地区住民が再度市境の変更を求める等しばらくはくすぶり、激動の昭和大合併劇の舞台の一つとなった地です。

しかし幸か不幸か、駅名が”米田駅”でなく宝殿駅だったこともあってか、次第にこの史実は忘れられがちになり、今では昭和史の1頁となりました。
関東でいえば、神奈川の日吉村が横浜と川崎に分割合併した例と似たものがあるかもです。

宝殿駅南口から歩いてすぐ↑、国道2号の信号に出ます。
駅は前述の通り高砂市ですが、駅から100m程にあるこの交差点は加古川市ですあせる

2号線を西へ、これから行く生石神社へ向かうんですが、2号線へ出ると又、↑”高砂市”の標識が・
宝殿駅付近は、ホント数歩歩けば加古川と高砂を跨ぎまくる感じです。↑からは神社まで高砂市です。

ザクッと言えば、駅の北東側が加古川市米田町、南西側が高砂市米田町になりますカエル
・余談ですが、出生地について様々な説があるアノ宮本武蔵、この米田町生まれだったという一説もあります^

宝殿駅から生石神社へ徒歩で行くには、南口駅前から国道へ出て右折、そして次の『島』交差点を斜め左に曲がり、あとは真っ直ぐ↑の道です。駅から徒歩20分程かかります走る人


神社が近くなってくると、高砂市の総合運動公園が見えてきますテニス


広大な敷地の中に体育館・野球場・陸上競技場の3セットが揃った施設で、人口9万の高砂市にはかなり贅沢な施設といえますが、出来てからもう半世紀近く経ちます。

高砂市は、臨海部が工業地帯になっていて、三菱重工/神戸製鋼/タクマ/キッコーマン等、我が国でも名だたる優良企業の工場が多数あります。そのため財政が豊かで、このような立派なスポーツ公園を全国に先駆けて整備できていますお金

運動公園のすぐ西隣には、↑川が流れていますうお座
法華山谷川(ほっけさんたにがわ)といい、10kmほど北の加古川市/加西市境に源を発しています。
加西市には、法華山一乗寺という名刹があり、そこからきている名前なのかもです。

川の対岸には↑岩肌が露わな山が見えていますが、この辺りの山はほとんど岩山で、これから行く石の宝殿も、そんな岩山の地形を利用してつくられています。

川向こうに、山の中腹に神社が小さく↑見えます。
生石(おいしこ)神社です。

橋を渡り、神社への石段を登りますDASH!

けっこう急な石段、しかし距離は短いので本殿はすぐ見えてきます右上矢印

岩山の中腹にそびえる、↑生石神社・本殿です。

江戸期までは、”生石権現”とも呼ばれ、典型的な神仏習合の社でした。戦国時代、羽柴秀吉から焼き討ちに遭い、焼け残った梵鐘は関ヶ原の戦いで陣鐘として使われた後、現在も岐阜県内のお寺で保存されているそうですベル

↑神社の由緒板によれば、この神社創建は崇神天皇の頃、神話の時代(※約2000年前?)という超古代から存在していたとの事。又、この後ご覧頂く巨石『石の宝殿』については、播磨国風土記に”聖徳太子の時代、物部守屋によってつくられた”とあり、この記録からみても1500年は経っているという古社との事ですもみじ


いよいよ、↑本殿の真ん中の通路を抜け、石の宝殿へ。
この裏手にある巨石が、”石の宝殿”です。

志納箱に『日本三奇』とありますが、ここと、宮城・塩竈神社の塩竈、そして宮崎・霧島東神社の天の逆鉾をもって、日本三奇と称すそうです。

中へ入ると~

お~~
神社の裏手は↑岩山、その斜面を穿って巨石が目の前に迫ります。
これが、石の宝殿です(※国史跡)


巨石・石の宝殿は、↑下にある池に浮いているようにも見えます。周囲を一周できる回廊があります。
社伝によると、この池の水は決して涸れず、海の潮汐と連動しているとの事。しかしここ、海からは3km以上離れています。不思議な伝説です。

見る程、知る程謎めいてくる岩ですが、一周してみますリサイクル

巨石の後ろ側に廻ると、↑謎の出っ張りがあります。
昔のブラウン管テレビの裏側みたいです^
(※実はこちらが正面だという説もあり)テレビ

巨岩の裏手に迫る↑岩山の壁、この巨岩は元々この岩山の一部だったのを穿って切り取ったというのは想像できますが、なぜこんな多大な労力を伴うものを、何のためにつくったのか、今も謎のままです。

ちなみに大きさと重さですが、1辺5m~7mの方形で、重量推定500tだそうです。これだけのものを古代に加工するには、神の霊力に頼るしかなさそうな気もします。

神社でもらったパンフには、『出雲から来た大穴牟遅(おおあなむち)・少昆古那(すくなひこな)の2神がこの地に寄り、ここが国を治めるのにふさわしい場所だと、”石造の宮殿”を造営しようとしたが、途中で反目する神々との戦となり、未完成のまま終わった』、とあります。

・しかし、ホントのところ、この巨石をいつ、誰が、何のために穿ったのかは、”よくわからない”というのが実態のようです。
近年は学術調査も行われ、レーザー光線まで当てて調べたという事ですが、古代のロマンを解き明かすことは出来なかったそうです。
僕の想像ではこれ、神道以前からの古代信仰に由来すると思うんですが、まぁ、謎のままのほうがロマンあるのかもですキラキラ

本殿の横に置かれた、↑巨大な『霊岩』
力一杯に両手で押せば、霊力を授かるそうです。いわば”パワースポット”です^ナゾの人

・次に、↑石の宝殿を囲む裏の岩山に登ってみます右上矢印

登りやすいように、↑岩に階段を彫ってあります^

岩山の頂上に来ました。
頂上にあるのは東屋と、大正天皇行幸の碑。
在位の短かった大正天皇が、こんな播州の片隅にまで来てたとは・
ちなみに江戸期には、シーボルトも訪れたとの事です。

↑山頂からは、先程の市営運動公園、そして宝殿駅あたりも一望の下目
なおこの山上、詰めれば100人程度が立てるスペースがあって、元旦には神社主催の初日の出遥拝がここで行われます。昔話で恐縮ですが、高校の頃一度友人と参加した事があります(古)晴れ

↑隣の岩山、削られて採石されたような跡がありますが、この辺りの岩山の石材は『竜山(たつやま)石』と呼ばれ、なんと古墳時代から石材として採掘が始まり、戦前まで全国に出荷されていました宇宙人

↑そして山上からは、石の宝殿と生石神社社殿を上から覗き込むことができます目

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宝殿駅に戻ってきました。
↑駅前にある、”尉と姥の像”おひなさま

宝殿駅周辺は、高砂市では内陸側になるんですが、海側には、かつて全国で結婚式には必ず唄われたという謡曲『高砂』の発祥の地・高砂神社があります。
そのため高砂市はかなり以前から”ブライダル都市”宣言をしていて、この像はそういう所以で建てられたとの事。
しかし同市はそんな宣言をしながら、大したPR活動もしない(※例えば市外からの結婚式を誘致したりとか)ので、市外への知名度はほぼゼロ。こんな点も、当別荘でよく僕が書く”播州の発信力不足”が出ています汗

石の宝殿にしても、市がもっと積極的に情報発信すれば、全国からの観光客が来ると思うのに、播州ってホント”磨かれざる宝”が多いです波

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では、2ヵ所目の神社ですグッド!


宝殿駅から1駅西隣、↑曽根(そね)駅で降ります。
(※宝殿・曽根とも普通しか停まりません。新快速は気持ちよく猛スピードで通過します)

JRになってから明石~姫路間の各駅はほとんどが橋上駅や高架駅に改築されましたが、2016現在、曽根駅は国鉄時代の木造駅舎が残っています星

ちなみにこの曽根駅、実際の住所は『高砂市阿弥陀町(あみだちょう)』で、明治の開業時には”阿弥陀駅”と称していました。
しかし、ここから約3km程南にある曽根の街のほうが当時大きく、曽根天満宮という大きな神社がある(※高砂は大きな寺社が多い)ため、後に改称されたとの事。
ちなみに、曽根天満宮へ行くなら山陽電車の曽根駅のほうが便利ですあせる

ではこれから、2ヵ所目の神社、鹿嶋神社へむかいます走る人

駅からすぐの道路高架下に、↑数本の道標がひっそり建っています。十輪寺や時光寺等、同市では有数の名刹の名がみえ、往時の高砂をしのぶ歴史的なものですが、周囲は自転車置き場と化していました自転車

駅から鹿嶋神社まで、徒歩だと約45分かかります(汗)
ほとんどの人は車で訪れますので、駅から神社までの道案内板は一切ありません。

神社へは、駅前から真っすぐ東へ(※駅を出て右へ)、旧西国街道の細い道をすすみます。
そして↑写真、ニシカワパンの看板があるよろず屋さん(2016当時)を過ぎて、最初の角を左折します左上矢印

左折した後、↑の押ボタン信号”鹿島口”に出たら正解です。国道2号との交差点です。ここをさらに直進、北へ歩きます(※車で行く場合は、R2から別の広い道があります)

鹿島口の信号から先は、↑山を正面に見ながら、田園風景をすすみますカエル

その、↑正面に見える山並みの中で一番高いのが、『高御位(たかみくら)山』です(※標高304m)
”播磨富士”とも呼ばれ、その高貴な名の通り、神が降臨した山といわれています。
頂上には神社があるほか、手軽に登れる山ともなっていて、この山頂から見る初日の出もまた格別です。高校の頃何度か登った事があります(古)虹
(※宝殿と同様、このあたりの山もほとんど岩山です)

田んぼを眺めながらしばらくのんびり歩くと、ドデカい鳥居が見えてきます。
↑から鹿嶋神社の参道です(※車の場合、R2からこの鳥居脇の駐車場まで来れます)

播州では”鹿嶋さん”と呼ばれ親しまれている有名な神社で、初詣時には、2号線からここまでは車で数時間渋滞覚悟です車

↑”一願成就”と書かれていますが、同社は『なにか一つだけ願いをかける』というお守りが特色です。

参道に、↑2つ目の鳥居。
”武運長久”等と刻まれていますが、戦時中はこの神社も国家神道に利用されたであろう名残です。

参道には鹿嶋さんの名物、↑かしわもちを売る店が沢山並んでいます。平日なので半分以上閉ってましたが、新年以外でも、毎月1日/16日の縁日は賑わいます^お団子

そして、↑参道左側にある、3つ目の鳥居が本殿への入口です。

この神社も、↑ラストは石段です右上矢印

駅から約45分(汗)、着きました、鹿嶋神社・本殿です。

同社HPによると、奈良時代に播磨国分寺(※曽根駅の2つ西隣、姫路市・御着駅付近にあった)の鎮護の神として奉祀されたとの事。
以降、時代は変遷し武家社会となっても、代々の姫路藩主の庇護をうけ、隆昌を保ってきました馬

そして、鹿嶋神社の特色は、↑窓口に「ろうそく/せんこう」の文字。お香とローソクを売っているんです。ここ神社ですよ^ひらめき電球

この鹿嶋さん、全国でも珍しい『神前で香を焚き、灯明を灯す』神社ですいて座

本殿の横には、↑灯明立てと線香立て完備^^
本殿内ではなく、ここに立てます。新年や縁日の時には、ここから煙がもうもうと漂っています^メラメラ

本殿前には、↑8本もの鈴のヒモが吊下っています。
2013.4upの、三ツ山大祭の作で登場した姫路総社も9本の鈴が付けてありましたが、播州の神社では『参拝の列を早めるため、鈴の本数を増やす』という光景が見られます^
関東の神社ではほとんど見られない事で、なんか妙なところで合理性を発揮する播州人の特色が出ている感じで面白いです^wヒヨコ

参拝の後、↑本殿の周囲を一周するのが定番です。絵馬とともに沢山、願掛けに奉納された千羽鶴が掛かっていますが、こういう光景も神社では珍しいのではないでしょうか。

本殿の真裏にきました。
↑本殿の壁の木板、なにか貼り紙を剥がした跡があるのがおわかりでしょうか?近年まで、本殿の壁に”般若心経を貼りつける”風習もあったんです。ホントは是非それも紹介したかったんですが、神社本庁からクレームがついたのか(?)、久々に訪れたこの日、無くなっていました。

↑本殿から、門をみたところです。
本殿前のスペースはそんなに広くないので、新年は大変な人で、身動きがとれない程になります。そのため、初詣時には先程の石段が登り専用となり、本殿脇にある別の道を下り専用とする一方通行にして参拝者を誘導します。

↑門の左側はおみくじ授与所ですが、ここのおみくじは凶の比率が多い(?)事でも知られます^あせる

帰り道で、祈りながら括っていけば大丈夫です^パー

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・高砂市に残る"播州の珍神社・2題"、いかがでしたでしょうか^
帰り来ぬ若き日を思い出しつつ、ため池と田んぼが美しい播州平野を満喫した一日でしたあせる

↑曽根駅から帰途につきます。

当別荘では度々、”お寺の側から見た神仏習合”をご覧頂いてますが、今回は逆で”神社で見られる神仏習合”でした。神社の場合、明治の分離令や戦時中の国家神道化で、こういう残滓はあまり見られないものですが、姫路城へ訪ねた際は、是非こういう”知られざる播州の古社”へも足を伸ばしてみて下さい^グッド!





(※2023.4 文一部修正)