vol.234 祝復活!伊勢を山深く分け入る"未完の鉄路” JR名松線 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 一昨年の秋upした『日本一乗客が少ない鉄路・JR三江線』の作(14.11.7up vol.180)が、おかげさまで現在も多くのアクセスを頂いております(感謝)クラッカー

三江線の作中では、豪雨で被害を受け長期間運休していた同線を、地域の方々の粘り強い運動によって復旧させた話を紹介しましたが、そんな三江線の経過と似た経過で、長期間の災害運休から復活を果たした路線があると知り、先日行って参りました晴れ

三重県、伊勢地方を走るローカル線・JR東海・名松線です。ではスタートですグッド!

名古屋駅から、関西/紀勢線を快速みえで約1時間余(※18キップの場合は伊勢鉄道経由のみえには乗れないので、亀山経由で約2時間)、JR松阪駅です電車

名松線は、この松阪駅から分岐していますカエル
既に、紀勢線ホームの隣に停まっている名松線DCに乗り込みます。

↑JR名松(めいしょう)線のDCです。
ここ伊勢湾沿いの松阪から内陸へ入り、伊勢奥津駅まで、約43kmの盲腸線です霧


9:38、定刻に発車しました!
車窓の壁の向こうにチラッと近鉄特急が見えますが、松阪駅はJRと近鉄の駅が隣接していて、跨線橋で繋がっています。

三重県といえば、今年新年の53次シリーズで桑名駅をご覧頂きましたが、三重県は近鉄王国、名古屋から松阪へ来るなら実は近鉄のほうがJRより便利ですあせる

松阪を出た名松線列車は、まずは北向き(※名古屋方面)へ走り出します。
JRの海側を並走する近鉄とは、松阪駅北方で分かれていきます。

次に、しばらく並行していた紀勢線とも分れ、名松線は内陸へ曲がっていきます。

松阪を出てしばらくは平野部をのんびり走ります。
沿線の田んぼの緑が鮮やかですクローバー

全長約40km、途中に13駅を擁する名松線、松阪から終点の伊勢奥津(いせおきつ)まで約1時間半かかります。

この”名松線”という、美しい語感を持つ線名は、元々は松阪~名張間の敷設を計画していた路線なので、その両地名の頭文字をとって名付けられましたクリップ
(※名松線の歴史は、伊勢奥津駅のところで詳述)

しばらくすると、三重県のほぼ中央を流れる雲出(くもづ)川が寄り添ってきます。
一昨年の三江線も江の川がほぼ並行してましたが、こういう点も似ています。

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最初の途中駅、上之庄駅です。
ゴールはまだまだ、のんびりと乗っていきます^

広々とした伊勢の田園風景、点在する農家とおぼしき邸宅も立派なつくりに見受けます。
三重県は、北陸3県と同じく、富裕な豪農の家が多いと言われます。

2つ目の権現前駅なんですが、ホームから出るには・

↑材木置き場みたいな広っぱに出る、なんか緩めwの出口だけ。無人駅で、駅舎もありません。
ちなみに名松線で松阪市に属すのは松阪から同駅までで、これから先、終点までは全て津市です。
(※以前は郡部でしたが、平成大合併で沿線町村が全て津市になりました)


この列車、本来ワンマン列車なんですが、運転士さんが新人みたいで、横に↑指導のかたが乗っていました。

この指導運転士さんが時々案内放送を入れてくれるんですが、「この先、Sカーブになります、お立ちの方ご注意下さい」や「これから山間部に入って参ります、まれに動物が出てくる事もありますから急停車にご注意下さい」とか、注意喚起の放送ながら、鉄分ある人間が聞くと”線形の案内”をしてもらってる感でした^
なかなか珍しい車内放送を聞く事が出来てラッキーでした^チョキ

伊勢はお茶の産地でもあります。
↑茶畑が車窓から散見されましたお茶

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松阪を出て1時間弱、↑離合線のある大き目な駅がみえてきました。
名松線唯一の途中主要駅、家城(いえき)駅です。同線で行き違いが可能な有人駅は家城駅のみです。

家城駅で、対向車待ちのため10分程停車します。

家城駅を訪ねたら、必ずチェックしておきたい光景があります。
↑の駅員さんが持っている大きな輪っか、通称”タブレット入れ”と呼ばれているもので、この中に金属製の通票(※信号を代用するもの)が入っています。
これを所持した列車だけがその閉塞区間を通れるという、至ってシンプルな信号方式です^

国鉄の頃は全国の単線区間でよく見られた、『タブレット閉塞方式』と呼ばれる信号の様式ですが、CTC化が進んだ現在、このタブレットを使っているのは、JR線では全国で名松線だけになっているとの事ですサーチ

・それにしても面白いのが、世界最高水準の高速鉄道・東海道新幹線を運営している天下のJR東海が、今だこんなのを使っている路線があるというギャップ^合格

鉄ネタもう一つ^、名松線配置の車両↑『キハ11 300番台』ですが、キハ11の中でも6両しかないというステンレス車体仕様です。そのうち2両は、名古屋近郊を走る3セクの城北線に譲渡し、あとの4両が名松線で使われていて、JRでは名松線でしか乗れない車なんです馬

待ち時間に、少し駅前に出てみます。

コンビニはおろか、↑店も銀行一つもない、ひなびた家城駅前。東海地方の三重県、郊外型車社会なので、店舗は主要道路のロードサイドに沢山あります。

↑対向列車がきました、急ぎ駅に戻りますあせる


家城駅を発車します。
家城から終点・伊勢奥津までが、今春まで不通になっていた区間です。

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家城を出ると、先程までの伊勢平野の沃野から一変、急に山あいの風景に変わってきます。
横を流れる雲出川も、渓流の様相になってきます霧

沿線の森は主に杉の木ですが、一部竹やぶのところもありましたとかげ


それにしても、家城を境にこんなに風景が一変するとは・
家城から奥だけが長年不通だった理由が、実際乗ってみてわかりました。

山の斜面すぐに添って走る区間もあり、たしかに土砂崩れがあればひとたまりもないという光景となります。

伊勢八知駅近くで↑車窓から見えるホテル、関西ローカルのCMでよく流れていた『美杉の魚九』です^
ここにあったのか、初めて実物を見ましたwホテル


その↑伊勢八知駅ですが、古民家のようなつくりでした。
津市が建てた、研修宿泊施設と兼用の建物だそうです家

家城~伊勢奥津の各駅でみられた、↑全線復旧を祝う幟。

そして、松阪を出て約1時間半・
ディーゼルカーのエンジン音が小さくなり、前方に終点・伊勢奥津駅の駅舎が見えてきましたDASH!


列車は定刻に、森の香も爽やかな伊勢奥津駅に到着しましたフラッグ

駅ホームから見えている、↑名松線の終端部。
本来は、ここから約20km先にある名張市へ延ばす予定でした。

前述しましたが名松線の”名”は名張の名です。
しかし名張には近鉄大阪線が開通、元々近鉄のほうが便利な三重県で、無理矢理山を切り開き、国鉄を延ばす意義は薄れました。

1935(昭和10)年に松阪~伊勢奥津間が開通した名松線、それ以上先に延びることはありませんでしたコスモス

↑”ようこそ美杉町へ”とありますが、津市に合併されるまでは一志郡美杉村でした。名の通り、杉林が美しい紀伊半島ど真ん中の村です霧


折待ちが20分程あるので、駅前を散策してみます。

列車の到着に合わせ、↑近郊への送迎バスも複数台待っていましたバス
復旧が実現した名松線を守ろうと、地元のかたが様々な活動をされている線です^

バスといえば紹介しておきたいのが、↑駅前の道に立つ三重交通バス停のポール。
ここから1日1本だけ、名張まで行く路線バスが出ているんです(2016当時)

しかし時刻表をみると、発車が朝7:11(※夕方に1本あるのは途中止め)のみ。
実は、僕が先程乗ってきた伊勢奥津11:02着が松阪からの1番列車で(驚)、その前に1本奥津着があるんですが、それは家城発の便なので、松阪からこのバスには間に合わないんですあせる

・ちなみに2016現在、松阪発奥津行の終車は19:01で、その次の21:27発は家城止の最終。名松線を家城以遠から通勤に使うのは難しいような気もします・汗

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名松線の事は後程もう少し書きますが、先に街ブラです^
↑駅前にあった名所案内板には・目
案内板にある名所は、ほとんどが3km以上離れていて、20分の折待時間では無理叫び
唯一『0.1km』となっていたのが”伊勢本街道”、これに行ってみよう走る人

駅からすぐ(※そりゃ0.1kmなのでw)、旧街道がありました。

駅から旧街道に出る三叉路で↑まず目に入るのが、古風なたばこ屋さん家

このお店、『ぬしや』さんといい、奥津旧街道のシンボル的建物だそうです。


ホントに”レトロ”としか表現しようのないお店でした。
何とも味わいのあるつくりに見入ります。
観光化されて無く、自然に佇んでいる感じが良かったです^キラキラ

↑時が止まったような、静かに家々が並ぶ旧街道。

『伊勢本街道』、その昔は大阪・玉造に端を発し、奈良県を通り、ここ奥津を経由し、まさに紀伊半島中央を横断して伊勢神宮に至っていた古道です。
江戸時代、お伊勢参りといえば、関東からだと東海道をテクテク歩くというのが定番ですが、上方からは、この伊勢本街道も使っていたようです。

江戸期、最も人気のある旅行先でもあった伊勢には、各地からいろんな街道が集まり、伊勢周辺の各街道の宿場は栄えました。そんな宿場の一つが、ここ奥津だったという訳です。

熊野古道をはじめ、悠久の歴史を誇る紀伊半島。そんな半島の真ん中で、歴史を秘める隠れ里、伊勢奥津です。


三叉路にあった公民館に、↑名松線開通時の貴重な写真や史料が沢山貼られていました。
↑開業時の祝賀行事をしている伊勢奥津駅の写真、その横には当時つくられたと思われる”名松線開通喜びの歌”の歌詞があったので控えてきました。紹介します↓

♪1.昭和十歳の秋たけて
伊勢の奥の津 我が郷に
名松線が 全通す
祝えや祝え 万々歳
(2番割愛)
♪3.流れも清き 雲出川
郷の未来の繁栄と
たたえる鉄路の開通を
祝えや祝え 万々歳

悲願が実り、この山深い里へ延びた鉄道を迎えた当時の人々の喜びが、ひしひしと伝わってくるような歌詞です。

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駅に戻ってきました。
↑2005年に建替えられた新しい駅舎ですが、周囲の環境になじむよう和風なつくりですグッド!

駐車場には、↑復旧を祝う横断幕クラッカー

ここで、名松線の被災と復旧について纏めますメモ

名松線は今回の災害以外にも、1959年の伊勢湾台風の時と、1975年の台風の時にも2度不通になった事があるそうですが、これらの時は1年以内に復旧したそうです。

しかし今回の不通は、2009年10月の台風で家城~伊勢奥津間のあちこちで路盤が流出、過去にない程被害甚大だったそうです。
それ以来、6年半にも亘って運休したままでした(※松阪~家城間は区間運転、家城~奥津は代行バス)

名松線、これまでご覧の通り、盲腸線で沿線人口も多いとはいえず、国鉄時代から何度となく廃線の案が出ていた線です。
今回の災害後、JR東海は当初復旧作業には取り掛からず、家城~伊勢奥津間の代行バスを恒久化し、同区間を廃止する案を地元に示しました。

勿論地元は猛反発、地域あげての反対運動が始まります。
ただ、名松線沿線の人々は国鉄時代から廃止反対運動を続けてきた蓄積と団結があり、ただ反対というだけでなく、地元自治体や三重県も巻き込んで、あくまで廃止を主張するJR東海と、資金面を含めた総合的な復旧スキームについて粘り強く話し合いを続けたそうです。

その結果ついに、沿線の治山を三重県が、雲出川の治水を津市が行う事で合意。JR東海は線路や信号設備等の修復だけでいい事になりました。その結果JR東海の負担分は5億円程度で済むことになり、ようやく復旧工事が動きだしたとの事。

そして2016年3月、6年半ぶりに、伊勢奥津の山々に待望の鉄輪が再び響いたんです。
しかし、国の金を断ってまで1兆円以上かけ自前でリニアを造っているJR東海が、5億円を出すのにこれだけ渋ってたかと思うと、なんとも言えません汗
しかし、三江線の例は言うに及ばず、全国で長期運休中の路線が少なくない今、再開に同意したJR東海の姿勢は多としたいと思います^虹


駅舎の隣にある、↑新しめの平屋の建物ですが、津市が運営する、観光案内や物産を販売する交流施設です。
道の駅ならぬ”駅の駅”(?笑)です^プレゼント


片隅には、↑名松線の歴史を刻む写真を展示したコーナーもありました。国鉄時代、廃止反対運動が時に激しく行われた様子の写真もあり、印象に残りました。
一昨年の作の三江線同様、ホントに地域に愛されている鉄路です^ドキドキ

交流施設にあった、↑復旧時の一番列車に掲げられたヘッドマーク星


駅舎の壁には、↑名松線の四季を撮った写真カメラ
名前の響きも美しい名松線、沿線風景もまた美しいです^

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あっという間の折待ち時間、20数分でした。
発車時間がきました。

松阪へむけ、折り返します。

さらば、伊勢奥津・
又思い出の路線が増えました。ローカル線の旅はやめられません^


松阪へ戻ってきました。↑ホームには既に接続の紀勢線が入っていましたが・
そういえば昼ご飯まだか・、途中下車して1本遅らせ、松阪牛を食べていくか^ヒツジ






(※2023.4 文一部修正)