vol.187 微笑の島 インドネシア・ジャワ島旅③ 古都ジョグジャ到着、世界遺産の仏教遺跡へ | 旅ブログ Wo’s別荘

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インドネシアシリーズ、第3回ですグッド!

今作で”中盤の前半”というところです^あせる

 

前作では夜行列車でジャカルタを出発、東へ約400km移動し、古都・ジョグジャカルタ市に到着。

翌朝、同市北郊の仏教遺跡・ボロブドゥール遺跡に着いたところまででしたクリップ

今作では、そのボロブドゥール遺跡をたっぷりご覧頂きます。

今回の旅のハイライトともいえる場所です。ではスタートグッド!



↑前作からの続き場面、チケットオフィスを通り場内に入ったところですが、参考までに遺跡入場時の手順について書いておきますメモ

(※2015年時点)

 

遺跡の入口左右に建物があり、右側に窓口があります。その右側窓口はインドネシア人の団体用で、外国人は左側の建物のドアから入りますドア

そこで入場料240.000ルピア(※約2600円、2015当時)を支払うと、受付のお姉さんが、風呂敷のような“サロン(腰巻き)”を腰に巻いてくれますwリサイクル

ボロブドゥールは入場券が無く、この”腰巻”が入場券代りで、正規に入域した証だとの事。

又、このチケットオフィスで英語ガイドを頼むことも出来ます。せっかく一生一度の場所に来たので頼みました(※Rp100.000)

 

早速ガイド氏と遺跡内へ入ります^走る人

ドリアンも実る、緑豊かな苑道を歩いてゆくと~

学生団体のうしろに見えてきた、↑巨大な石造の構造物目

これは~

お~

これが、ボロブドゥール遺跡の中心、石像建造物です。

↑写真では余り伝わらないですが、凄い存在感でした。

沢山の仏像が一面に彫られているのが見えます。

まさに”巨大仏教遺跡”ボロブドゥールです(※世界遺産)

1辺が約120mの、巨大正方形をなしています。

同国がまだイスラム化する前、8~9世紀頃の建造とされます。

 

これから詳しくみていきますが、四面全てに仏教の『三界』に基づくレリーフが彫られ、世界最大の仏塔、或いは石造曼荼羅であると言われています(※諸説あり、後述します)

 

当地・ジャワ島中部に勃興した仏教王朝、シャイレーンドラ王朝が築造したと伝わります。ただ、これが作られた実際の目的や用途は現在も不明だとの事ですサーチ

 

この遺跡の詳細が”謎”となっている原因として、同遺跡は仏教王朝衰退後、遺跡の背後にそびえる火山・ムラビ山の噴火により火山灰の下に埋没し(※人工的に埋めたという説もあり)、19世紀にオランダ人によって再発見されるまで、森の中で埋まったまま、忘れ去られた存在だったそうです。

 

噴火等によって史料が残ってない上に、その後の同国のイスラム化によって永らく研究される事もなく、この遺跡の建設者が真に意図せんとしていた真相は、未だ謎のままですナゾの人

 

現在は、前述の通りユネスコから世界遺産に指定されているほか、インドネシアの国史跡として保護・研究がなされています。

このボロブドゥール、↑の感じだと『岩山を彫塑(磨崖)して造ったのかな?』と想像したくなりますが、実はそうでは無く、土の丘の上にさらに盛土をし、その表面に彫塑した岩のブロックを組み上げた工法によるとの事ですメモ

 

この『巨大な方形仏塔』といえるボロブドゥール遺跡、基壇から入れて9層の構造になっています。

その9層を3ブロックに分け、前述の”三界”をこの巨大仏塔に具現してあります。

言葉選ばず俗っぽく言えば、下から上へ行くにつれ『地獄から天国へ』なっている、という事になります右上矢印

 

その、”3ブロック”の概要ですが・↓

 

☆一番下の基壇が『俗界』(※性欲や食欲等の煩悩に心を支配された地獄~人間界)、

☆中程の2層から5層までが『色界』(※煩悩からは超越出来たが、なお物質的要素は残る世界)、

☆上層の7層~9層が『無色界』(※煩悩も物質をも超越し、精神が究極のピュアな状態。すなわち仏や神の住む世界)を、各々あらわしているとされますキラキラ

 

それぞれの層に歩いて巡礼できるように回廊が巡らされ、上層まで登って見学できるようになっています。



早速ガイド氏と急ぎ足で、基壇から順に登ってみます^

※ガイド氏と別れた後、1人で再度、じっくり登りました。写真もその時系列に沿って掲載しています)グッド!



巡礼と思われる僧侶のかたも参詣に来ていました。

現在のインドネシアには仏教徒はほとんどいないので、タイ・ミャンマー等、近隣の仏教国からの巡礼だと思われます。

 

ちなみにボロブドゥール、現在タイやミャンマー等主に東南アジア諸国で信仰されている上座部仏教(※かつて小乗仏教と呼ばれた)ではなく、日本と同じ大乗仏教の遺跡だという事です。

 

仏教の発祥国インドから、ミャンマー経由(※いわゆる南伝ルート)での伝播ではなく、アンダマン海を越えてスマトラ経由等で当地に伝わったルートによるものだいう説もありますクリップ



基壇の一番下部にある、↑“醜悪な顔”とも題されるレリーフ。

ガイド付きで廻ると、大抵ここを一番に紹介してくれるはずです。

煩悩にあえぎ、苦悶の表情を浮かべる人々が彫られています。実際見て強烈な印象でした。



9層の回廊をくまなく歩くと、延べ5km以上あるそうですあせる

しかもその四面全て、精緻な彫塑された仏さまだらけの中を歩くんです。”圧巻”なんて言葉をも超越した光景です。

遺跡内に数えきれないほどある仏像の中で、ガイド氏が「特に美しい」と言ってたのが、↑の石仏さん。

たしかに、流れるような優美なボディーライン、そして優しく深みある表情が素敵でしたキラキラ

ガイド氏が”パンチパーマ”としきりに言ってました。日本人向けの冗談も仕込んでいるようですwあせる

先史より度々大噴火を起こし、この遺跡を灰の下に埋めたという、

↑ムラビ火山が遠くに見えますメラメラ

(※ムラビ山については、次作でもっとはっきり見える写真をご覧頂きます)カメラ

ガイド氏は時間の制約もあるので、とりあえず急ぎ足で最上層まで登ってきました。(※後程改めて、再度下層からみていきます)目

 

上層部は前述の通り『無色界』、すなわち仏・神の住む天界です。

それまで見られた壁面一面のレリーフは無くなり、釣鐘状の石組が多数並んでいます。

これ『ストゥーバ』と呼ばれ、日本語の"卒塔婆"と通ずるものがありますが、この釣鐘の中には・

各釣鐘の中には1体づつ、石仏が入っています。

↑は見学客にわかりやすいよう、1基のみ”釣鐘”状の上屋を外しているものです。



他の釣鐘の中を覗き込んでみると・

↑仏様が座っておられます。



そして、ボロブドゥールの頂上、中心には↑『大ストゥーバ』があります。

遺跡をスコール時の雷から守るため、避雷針が取付られています雷

 

ちなみに頂上の大ストゥーバのみ、内部に仏像は入っていません。これは仏教思想の『空』をあらわしていると言われています。

とりあえず急ぎで頂上まで登りました。

ここでガイド氏は時間となったため別れ、2周目する前に休憩コーヒー

ベンチで遺跡を眺めながら、入場時にサービスでもらったミネラルウォーターを飲む^みずがめ座

この日気温既に30℃、女性も沢山見学してましたが、スカーフも巻かなきゃいけないし半袖にもなれないムスリム国の女性は大変あせる


遺跡の周囲は、↑鬱蒼とした緑のジャングルが広がっています霧

前述の通り、このボロブドゥール遺跡は、約800年近く人々から忘れ去られ、この森の下に埋もれていました。

これを再発見したオランダ人の驚きは想像にかたくありません。

↑前述の“サロン”を巻いて歩く女性も。

サロンを巻いてない人もいますが、これは内国人用や団体用の入場料で入った人だと思われます女の子

それにしても、しげしげ眺めると不思議な光景、まさに"謎の遺跡"、ボロブドゥールです。

イスラム教国のど真ん中に鎮座する巨大仏教遺跡、奇跡の壮観といって過言でないと思います。

ムスリムが最も嫌う”偶像崇拝”の象徴のようなこの遺跡ですが、しっかりと保護に努めているインドネシアの寛大さに感服します星

 

去年のマレーシアもそうでしたが、大半のイスラム教国はこのように、文化や歴史を尊重する、穏健で寛容な国々ですキラキラ

しばらく休憩して元気回復しましたw

ボロブドゥール2周目、これから行きます走る人



再度、基壇部の正面から廻ります。

冒頭見た『醜悪な顔』、改めてじっくりと見てみます目

苦悶して歪んだ表情の顔。

欲望と享楽に生きた末、因果応報に苦しむ人間の姿だといわれています。

煩悩に支配された欲界、物質に支配された色界、そして仏・神が住む無色界。この『三界』を巨大な石組に具現し、3エリア・9層をなしてそそり立つ世界一の巨大仏教遺跡、ボロブドゥール。よくぞ再発見されたなぁという感慨です星

一部、頭部が欠損している仏像もありました。

この遺跡、前述のように19世紀に再発見されて掘り返されたのはよかったんですが、発見後荒廃がすすみ、1970年代にユネスコが主導して大修理を行ったそうです。

 

その修復が1984年に完成し、当時のスハルト大統領も出席して修復記念式を大々的に挙行したところ、イスラム過激派の不評を買い、その過激派により一部が破壊されたんだそうです。

現在では外国人のみならず、9割がイスラム教徒のインドネシア国内からも沢山の人が訪れる一大名所になっていますコスモス

学校の遠足や社会科見学の定番にもなってるようで、この日も沢山いたんですが、生徒達は僕を見つけると色んな質問をしてくるんです。どうやら「外国人にインタビューをしろ」という課題が出ているようですwカラオケ

巨大正方形の周囲を巡る回廊を、下から上へ廻っていきますリサイクル

壁面全面に、精緻な彫塑が施されています。

気が遠くなりそうな建設時の手間を思うと、感覚がマヒしそうな感じでしたあせる

回廊を歩いていると、夥しい数の仏様からじっと見つめられます目

冒頭にも書きましたが、このボロブドゥールが造られた目的は、再発見200年を迎えた今日になってもまだ確定はされていません。

 

前述しましたように、現在出ている説は『これそのものが寺院だった』、『築造したシャイレーンドラ王朝の廟だった』、『巨大曼荼羅だ』等、諸説が交錯したままで、結論は出ていないそうですクリップ


動物も沢山描かれていますが、これらのレリーフ、仏陀の生涯をストーリー風にあらわしているとも言われています。

遺跡の中には↑『拓本を取ってはいけない』との注意。

回廊を上に登っていくにつれ、レリーフの内容もより上位の精神世界になり、悟りの境地へ近づいていきます。

↑それにしても急な石段あせる

まさに、一生一回はみておきたい、圧巻の遺跡です宝石ブルー

イスラム教国となった現代のインドネシアですが、慈悲の心でジャワの大地を見つめつづける仏様がここにおられます。

再び、↑最上部の"無色界"まで登ってきました右上矢印

ここには壁面のレリーフは無く、石仏が入った釣鐘型ドームが並ぶのみです。

”無、空の世界”をあらわしていると言われています。

最下層の”醜悪な顔”から、最上部”悟りの境地”のストゥーバ群へ、

まさに“仏教での宇宙観”を具現化した一大芸術とも言えると思います。

太古、この南海の島国に勃興し、短期間で滅亡した謎の仏教王朝とは何だったのか?まさに歴史ロマンの片鱗を肌で感じられる場所ですキラキラ

背後に広がる大ジャングルも含めて、この遺跡のもつ独特の雰囲気、そして神秘性はホント他にないものだと思いました霧

 

-*-*-

古代遺跡を堪能し、出口へ向かいますカメ

 

この日団体客も含め、日本人はほとんど見かけませんでした。

2015現在、インドネシアには外務省から渡航注意喚起が出ているので、旅行会社も積極的に宣伝できない地域ですが、日本人にも是非訪ねてほしい場所です目

出口にある、↑サリー返却所リサイクル

外国人客は、ここで腰巻を外して返し、退場します。

 

そしてここから先は、土産物屋さんの猛攻撃ですwプレゼント

遺跡の周囲には、小規模ですが3つ程博物館があるので、覗いてみますあし

まずは、↑『海洋博物館』

日本同様島国のインドネシア、仏教が海を渡って伝播したという観点からの展示をしています波

この博物館のメイン展示、↑大航海時代にインド洋で活躍していた木造大型帆船を復元したものです(※サムドゥララクサ号)

実際に2003年、この船でインド洋を横断し、ジャカルタからアフリカ・マダガスカルまで航海したという事です船

日本でもやってる『北前船の復元航海』とかのインドネシア版でしょうか?^

次は、↑『考古博物館』(※という意の館名)

遺跡で発掘された石組の破片等、出土品の収集・修復等をしている施設です。

 

なお、ボロブドゥール遺跡本体の石組・レリーフを含め、遺跡内の全てのものは通しナンバーが打たれ、日本も技術や資金(ODA)を協力しています。インドネシア政府の地道な保存努力や国際協力が実り、1991年に世界遺産登録を実現したという訳です王冠1

このミュージアムの庭には↑ステージがあり・

学生が、インドネシア伝統の楽器、ガムランの練習をしていました演劇

同館庭にあった、↑大きな仏像目

一瞬ここがムスリム国だという事を忘れそうな光景ですが、同国の文化的寛容さを象徴する光景ですグッド!

 

前述しましたが、仏教王朝衰退後のジャワ島はヒンズー王朝となりました。

さらにその後、イスラム教伝来によりヒンズー教徒は次第に追われ、最終的にジャワからバリ島へと渡りました船

なので現在もバリ島は、同国では異例なヒンズー教徒が大半を占めているとの事です。

土産物店街を、↑トイ・トレインが走ります新幹線前



遺跡公園から出て、バス停へと戻ります馬

↑のボロブドゥールバス停、いくつかの路線の発着地で、↑写真の通り広い敷地を持ちますヒマワリ

しかしここ、案内所や待合室はもとより、時刻表や路線図はおろか乗り場の標識さえなく(笑汗)、外国人が予備知識無で利用するのはまず無理と思います叫び

 

路線バスでここに着いた時には、着いた地点をよく覚えておき(※帰りのバスもその場所に停まる)、バスが来たらドライバーに行先を確認するのが必須ですあせる

(※バス停の周囲に待合所代りの売店があるので、そこで買物して聞いてもよい)バス

↑帰りのバスが来ました。往路に乗った”真っ黒車”より少しきれいなバスで、日本のマイクロバスみたいな感じでしたDASH!

帰りはギワガンまで戻らず、北郊のジョンボール・バスターミナルで市内バス(トランスジョグジャ)に乗り換えてみますリサイクル

ターミナルから少し外れて、基幹バス・トランスジョグジャの”駅”があります

トランスジョグジャ各”駅”には係員がいて、チケットを買い改札をうけてブース内に入るという、鉄道並みのシステムです電車

 

-*-*-

早朝出発した市内中心部・マリオボロ通りに戻ってきました男の子

立ち並ぶレストランやコンビニの前に陣取る、客待ちの自転車人力車、↑『ペチャ』

新旧混淆の光景、これぞジョグジャの魅力ですパンダ

夜のマリオボロ通りをジャラン・ジャランする前に、明るいうちに宿探しをしますヒヨコ

ジョグジャ駅のすぐ近くに”GUNG”という安宿が集まった路地があり、そこで宿探ししますサーチ

↑入口の壁には、この路地にある安宿(※現地では“ロスメン”といいます)の一覧が掲示されています

路地の中は宿のほかネットカフェや雑貨店もあって、欧米人バックパッカー御用達のエリアになっています走る人

(※マリオボロストリートからも歩いてすぐ)

僕が泊まったのは↑『ウター・ロスメン』

日本円で約1500円/泊の安宿ですが、清潔な部屋でした(※2015当時)

部屋にTVは無く、シャワーは水のみです。ゆっくりした英語で対応してくれるおばちゃんがいます(女将かな?)

 

宿も確保できたし、あとは夜のマリオボロを非公開で楽しみますw。但し昨年のマレーと同様、ムスリム国なので”男性のお楽しみ”はありませんあせる

 

今作ここまでです!

次作・第4回では、この翌日、かつてジョグジャが首都だった名残を伝える『王宮』、そして、ボロブドゥールと双璧をなす世界遺産のヒンズー教寺院(※この遺跡もまた凄かったです)を訪ねます。

是非ご覧下さい^グッド!

 

 

 

 

 

(※2023.2 2024.6 文一部修正)