今年も年の瀬、師走も近づいてきましたが・
今作は、年中盆と正月のようなアノ男が登場しますw
↑「た」です
今年最後の「た」シリーズ、現れたのは目黒駅
↑「た」シリーズ恒例となってきた、11月の“酉の市”へ行こうと誘いがかかり、今年は『目黒の酉の市』へ
目黒駅から西へ、目黒通(※権之助坂)を歩いてゆきます
↑目黒川に架かる、目黒新橋を渡り~
橋から見ると、↑ビルの谷間に美しく紅葉した木々が。
春には見事な桜並木にある、目黒川名物の桜です
橋を渡ると、↑通りの両脇は商店街に
酉の市の幕もかかっています。神社が近づいてきました^
↑山手通りとクロスする交差点のむこうに・
↑見えてきました
見えてきたのは「た」の顔じゃなくてw、目黒大鳥神社です
神社の横には、↑沢山の露店が並びます。
昨年までの酉の市企画、花畑大鷲神社や浅草鷲神社に比べると、若干小さめの境内ですが、鳥居が隠れる位にギッシリと露店が立ち並んでいます^
早速目に入るのが、酉の市おなじみ、↑熊手を売るお店
ここの熊手飾りの特徴として思ったんですが、浅草や花畑のものと比べ、デザイン的に若干かわいい感じもうけました^
「た」が試しに値段を聞いてみると、一番小さいものでも5000円前後するとの事
僕今年(2014)で上京10年目になるんですが、この酉の市の光景をみると、年の瀬が近づいてきた気がするようになってきました
熊手売り場を抜けると、↑本殿へ
参拝者が多い割には参拝の列は短めで、すぐ参れました^
↑「た」、参拝完了
創建は平安時代、806(大同元)年と伝わる古社で、祭神は酉の市を行う他の神社と同じく、日本武尊です。
お参りも済ませたところで、来年の開運祈願をこめ、↑おみくじに挑戦する「た」(※僕も引きました)
↑僕は見事大吉^
でも内容的には微妙な項目もあったので、祈りを込めて境内にくくってきました
とりあえず参拝を済ませてホッとした↑「た」、まだ午前中なのに缶チューハイを飲み始めるw
境内を出て、目黒通りで小休止する↑「た」が座っている場所は『目黒寄生虫館』の前、彼によく似合う看板かも(?)
再び権之助坂を登って、目黒駅へ
僕がいくら言ってもsuica等のICカードを持とうとせず、その都度キップを買う面倒臭い「た」w
山手線に乗り、次に降り立ったのは、↑原宿駅
オッサン2人で竹下通りへ行っても仕方ないのでw、↑神宮橋を渡って・
原宿・神宮橋といえば、『明治神宮』
約70haとの事ですが、この森は太古からあったものではなく、明治天皇の死後、この神宮を創建する際に造林したそうです。
見た感じは自然林に近い感じなんですが、造林の際、そうなる事を狙ってつくられたとの事です
参道途中に並ぶ、↑奉納された日本酒の樽。
全国の神社でよく見る光景ですが・
明治神宮には、もう一つの”奉納樽”があるんです↓
フランス・ブルターニュ地方から贈られたという、↑”奉納ワイン樽”
木柵で囲われているのは、その名も『代々木』、樅の木の一種だそうです。当地の地名の由来です
参道の片隅では、↑11月らしく、菊花展をやってました
神宮橋から10分程歩くと、↑本殿がみえてきます。
初詣客全国一を誇る明治神宮、正月は原宿駅からここまで2時間かかる事もザラとの事です
↑「た」、2社目参拝完了^
(※同社では、本殿内にレンズ向けての撮影は禁止されています)
本殿から振り返って、↑境内を見たところ
境内には、新嘗祭の季節という事で、↑全国各地から奉納された農作物が展示されていました。北海道から沖縄まで全都道府県別に展示されていて、さながら”県産品PRコーナー”の様相でしたw
↑『野菜で出来た宝船』も
JA東京からの奉納らしいですが、展示が終わったら無駄にせず、関係者でちゃんと食べているのかなぁ(※心配)
原宿駅に戻る時、↑線路沿いの裏道を通ると~
初詣の時だけ使われる、↑原宿駅外回り臨時ホームへの改札口がありました
(※2023追記:駅リニューアルに伴い現在はありません)
再び山手線の怪しい客となった↑「た」、次に降りるのは・
中央線に乗り換え、御茶ノ水駅で下車
ホームから、↑これから渡る聖橋が見えています
中央線&総武線の乗換でおなじみの御茶ノ水駅ですが、今年(2014)で開駅110年だそうです
聖橋を渡り、文京区へ入ります(※御茶ノ水駅はギリギリ千代田区です)
JRの下を↑メトロ丸の内線がチラッと地上へ顔を出す、おなじみの光景があります^
聖橋を渡るとすぐ、↑神田川のたもとにある湯島聖堂があります。
次はここへ寄ります
都心とは思えない落ち着いた佇まい、一見ふつうのお寺にも見えますが、江戸時代初期に建てられた孔子廟です。
徳のない「た」が、↑『入徳門』から境内へ
本殿にあたる↑大成殿、ここに孔子が祀られています。
江戸時代ここには学問所が設けられ、我が国の最高学府としての機能もあったそうです
現在の文京区、御茶ノ水近辺には東大をはじめ名だたる大学が林立していますが、ここがその源流となっているとも言われます
地味な感じの佇まいですが、そんな歴史もあってか国史跡に指定されています。
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湯島聖堂を出て、北へ向かって歩きます。↑この辺りけっこう起伏があります
マンションあり、オフィスあり、商店ありという、都内にありがちな街並み^
御茶ノ水(聖橋)から歩く事約20分、↑道が突き当たった所に、又々神社が。
この日3社目となりますが、湯島天神です
天神さんといえば天満宮、学問の神様です
ナデナデしてほしそうに待っていました^
湯島天神の名物、この時期に催される↑『菊花展』
先程の明治神宮でも菊花展やってましたが、湯島のはかなり本格的な感じ。凄く手の込んだ菊の数々
↑菊人形もありました。テーマは今年(2014)の大河ドラマ"官兵衛"との事^
菊人形を見るのは、田舎に住んでた頃のひらかたパーク以来ですw
↑「た」、3社目の参拝完了
目黒酉の市では"金運"、明治神宮では"健康"、ここ湯島では"学問"、晩秋の3社詣でを済ませた「た」、来年はもう少しマシな人間に成長する事を僕も願いますw
湯島天神、学問の神様という事で、↑夥しい数の合格祈願絵馬が括り付けられていました。
本殿の裏手で、↑猿まわしのイベントをやってました^
至近距離で猿を覗き込む↑「た」、猿が驚いて警戒しています
御茶ノ水~上野の距離は約2km、充分歩けます
不忍池の少し手前、↑”旧岩崎邸”の標識
上野不忍池の近くにある、旧岩崎邸庭園です。
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の長男・久彌の邸宅として、1896(明治29)年に建てられました。
入口前から既に見えている、↑重厚な洋館建て。
お~
この重厚な洋館が、明治の個人宅だったとは・・
戦後、GHQに接収されて岩崎家の手を離れました。
返還後は国有財産となり、さらに2001年、東京都の管理に。
その後都立公園として一般公開されたとの事。一般人が入れるようになってまだそんなには経ってないんです。
室内を見学すると、イギリス風の中に米国やアラブ風の内装も採り入れたという素晴らしいものでした(※室内は撮影禁止で、残念ながら掲載写真なし)
↑洋館外部をもう少し見ていきます
広大な敷地を持つ岩崎邸(※パンフによると約15000坪)、新築当時は20棟もの数々の建物が並んでいたとの事ですが、現在残っているのは↑の洋館と、隣接する『和館』、それと『撞球場(ビリヤード室)』の3棟のみです。
現存する建物は全て国重文に指定されています
↑当時としては破格の、大きなガラス窓を持つサンルームがあり、贅を尽くした建物です
↑が、洋館の隣にある『和館』です。
そして↑が、撞球場
庭の木にはコモが撒いてあり、冬到来を感じさせます
邸宅の石壁にあった↑の文様、これは~
この↑ひし餅を3つ重ねたような文様、これは岩崎家の家紋『重ね三枚菱』との事。現在の三菱グループのマークの元だそうです。
“三菱”とはいわば“重ね三枚菱”の略だとも言えます^
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目黒~原宿~湯島~上野まで、晩秋の都心を縦断してきた、"た流・三社詣"ともいえる散策がおわりました
↑アメ横までやってきました
やはり「た」には、文化財よりこんな街が似合う^
「た」の縄張りの一つ、↑上野駅で本日ゴールとします
この後は、「た」企画恒例の"呑む"ですw
無事ロケを終え、↑アメ横近くの飲み屋街で生き返った顔になる「た」
この店の名物、↑魚丸々1尾の煮付け
そこから目玉を取り出して一気に食べている、恐ろしい「た」
これが本年ラストの「食う?」でした
はたして来年はどこへ出没か?「た」シリーズ、又来年です^
(※2023.2 2024.6 文一部修正)