vol.178 「た」現る・第16の巻 江戸下町の中心・清澄白河に現る 江戸深川資料館他 | 旅ブログ Wo’s別荘

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  約1年ぶりのご無沙汰でした、「た」シリーズです^叫び

 

「た」は下町が好きなので、過去作でも浅草や上野等がよく登場しましたが、今作では”江戸下町の元締め”とも言える街、深川近辺を歩いてきました。ではスタートします^しっぽフリフリ



待合せ場所のJR御徒町駅に現れた、↑安物の昭和仁侠映画のような出でたちの「た」w叫び

早速、地下鉄大江戸線(※上野御徒町駅)に乗り込みます地下鉄

着いたのは、↑清澄白河駅天使

江戸の下町、いわゆる深川地区にあります。

「た」シリーズお馴染みのシーン、”突コ”(※突然自販機のコーヒーを飲む)をする「た」あせる

この男、激安自販機を見つけるのが特技w

清澄白河駅を降りてすぐ、↑深川江戸資料館通りを歩く走る人

名の通り、江東区立の資料館があります。

(後程入ります)カメ

通りの街路樹に↑アブラゼミが貼り付いていました。夏です^やしの木

資料館へ史跡の途中、↑”史跡 松平定信墓”という石柱が目

寄り道してみます。

霊厳寺(※浄土宗)

8代将軍・徳川吉宗の孫にあたり、陸奥白河藩松平家に養子に出された松平定信の墓がこのお寺にあります。

寺の入口で怪しい動きをする↑「た」w

おじゃましてみます。↑比較的新しい建物と思われる本堂あじさい

境内の片隅にあった、↑”江戸六地蔵”

僕これ現地で知ったんですが、江戸から地方へ延びる6つの街道口に、京都の六地蔵にならって設置したのが始まりとの事です。

ここ、深川霊厳寺が第5番。なお、第6番の永代寺のものは明治の廃仏毀釈で取り壊され、現存していないとの事。

松平公のお墓は・

お墓の門は、↑閉ざされていました。門の扉越しに拝む形です。

松平定信といえば、江戸幕府老中に就任後は、それまでの汚職で有名な田沼一派を追放し『寛政の改革』を推し進めたことで有名ですが、“白河の 清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき”なる変句も流行る位の急激な改革だったため、いろんな軋轢もあったと思われます。

『清澄白河』の地名由来でもありますクリップ



霊厳寺の隣にある、↑深川江戸資料館に到着カメ

僕ここ初めてです。

どんな展示なのか、「た」と入館ドア

↑スタスタと館内を歩く「た」、ちゃんと見学しているのか?w

導入部は↑”深川人物往来”コーナーかお

過去作で千葉・佐原を訪ねた作で取上げた伊能忠敬、彼は50才の時、ここ深川に居を構えました。それまでの実業家から一転、後半生は暦学者・測量学者としての道を歩み、晩年に日本地図作成という偉業を成し遂げた多才の人です王冠1

↑さらに順路をすすむと・

広いスペースの部屋に、↑江戸の街をミニ再現したコーナードア

コンパクトながらも、なかなか本格的^^

いろんな業種の商店を再現してあり、なかなか細やかなつくりオレンジ

片隅には、↑江戸の船着き場も再現波

川岸にあった船荷扱いの店も船

再現家屋には、屋内に上がれるところもありましたあし

商家にあった5つ玉ソロバンで、↑何かを計算している「た」w

↑”むきみ”店とは、貝殻から貝の中身を出して売る店ですかに座

江戸の街中にあった、↑ゴミ集積所の中身まで再現目

陶器の破片等の廃棄物も再現していましたが、江戸に『ゴミを共同で集積するシステム』があったのが凄いドリル

そして次の展示室には、先程見てきた霊巌寺に眠る松平定信等が行った、江戸幕府で数次に亘って行われた『改革』について解説していましたクリップ

両国の江戸東京博物館等、都内には江戸の文化を紹介する博物館は数々ありますが、この深川館は小規模ながら、江戸の魅力をコンパクトに凝縮して味わえて、なかなか穴場だと思います合格

↑玄関ロビー横で、当地に縁があった名横綱・大鵬の企画展をやってました。

大鵬といえばロシア・サハリン生まれで、サハリンでも昨今彼のブームとの事。サハリンに”大鵬資料館”も出来たそうですひらめき電球

”名横綱の活躍からみる、昭和という時代”といったテーマ性も僕は感じられ、なかなかいい展示でした。しかしなぜか「た」は全然興味無しでw、先に玄関を出て僕が出てくるのを待ち遠しそうにしてたので、見学もそこそこに館を出ましたあせる

 

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資料館を出て通りに出ると、そろそろ昼飯の時間という事で、「た」は飲食店の物色を始めるw^割り箸

事前の打合せでは、深川めしを食べる事になってたんですが・

当日になって急に「もんじゃ焼きが食べたい」と言い出した、相変わらず一貫性のない「た」w

「た」が去っていくのを寂しそうに見送る、↑深川めし食堂のご主人(すみません)汗

結局入る事になったのは、↑のもんじゃ屋さんナイフとフォーク

↑材料到着、もんじゃ作りを始めます^音譜

まず具を炒めて、円形の土手をつくっていき・ドリル

次に、土手の中へ独特の“もんじゃ生地”(?)を流し込むヒツジ

再び少し混ぜると、出来上がりです^

↑早速食べ始める「た」得意げ(※向かい側で僕も食べてます)

よほど美味しかったのか、↑あっという間に平らげる「た」w

 

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腹ごしらえも済んだところで、次に訪ねるのは、↑『清澄庭園』

都内に数ある日本庭園の中でも“名園”と言われています星

当別荘過去作で多く訪ねてきた”都指定史跡”ですが、ここは『都指定名勝・第1号』だそうです王冠2

入ったばかりで、↑早速順路を外れて売店をひやかす「た」wプレゼント

「た」を順路へ引っ張り戻しw、園内を廻りますクローバー

緑のむこうに、周囲に林立するマンションが見えますビル


庭園中央には、日本庭園の必須アイテムともいえる↑”池”がありますヒヨコ

まさに、都会のオアシスという雰囲気の清澄庭園^あじさい

こういう池ではよくある光景ですが、人が近づくとエサをもらおうと寄ってくる鯉^うお座

「た」は『唐揚げにしたら美味しいのでは』と不謹慎な事を言ってました(汗)叫び

さらにこの池、↑亀も沢山いました^カメ

カサで亀をこづいている、とんでもない行動をする「た」カメ

(※まぁいろんな面でとんでもない奴ですがw)ドクロ

この亀たちの中にはスッポンと思われる種もいて、

「た」曰く『売るために都が養殖している』という説を展開ガーン

さらに奥へカエル

園の一番奥まったところにあった、↑松尾芭蕉の句碑

“古池や かわず飛び込む 水の音”カエル

有名な句ですが、この句は芭蕉が当地に一時居住していた”深川芭蕉庵”で詠まれたものと言われています。

深川は、芭蕉ゆかりの地でもあります。

芭蕉句碑の近くに、↑岩に彫られた小さな磨崖仏を見つけました。

↑日光と同じく『見ざる・言わざる・聞かざる』の猿トリオが猿


現地でもらったパンフによると、この清澄庭園は元々、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝わるそうです(※諸説あり)

 

明治に入り、三菱財閥の岩崎弥太郎が取得、社員の慰安や接客用の庭園として整備していったとの事。園内に全国から沢山の種類の石を取り寄せて置かれており、『名石の庭園』とも言われています。

 

関東大震災後の1924(大正13)年、三菱は約半分を東京市に寄贈、現在の”清澄庭園”として一般開放されたそうです。

関東大震災や東京大空襲の際には避難所として使われ、多くの命を救ったとの事です。

 

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そんな”歴史の証人”でもある清澄庭園を出てしばらく歩くと、また違った”歴史の証人”を見つけました。

↑道路端に置かれたセメントやコンクリートの塊まり、これは~目

↑は『本邦セメント工業 発祥の地』の碑レンチ

1875(明治8)年、この地で我が国初の官営セメント工場が建てられたそうですクリップ

隣接する隅田川の泥を原料として使い、外国製と変わらない品質のセメント製造に成功したとの事です。過去作でも時折書いてますが、明治維新直後の日本の激変・進化ぶりにはホント驚きますグッド!

この地にあった官営工場はその後、浅野セメント創業者に払い下げられ(※現太平洋セメント)、なんと現在でもこの地には、子会社のアサノコンクリートの事業所があります(※↑銅像と樹木の間に同社のプラントがみえます)

1875(明治8)年といえば、アノ富岡製糸場創業の3年後です。

知られざる歴史を秘めている、江戸深川です虹

セメント発祥の地からすぐ、さらに↑こんな碑も見つけましたひらめき電球

↑『平賀源内電気実験の地』

歩くほどに発見がある深川、まさに街ブラの醍醐味です走る人

隅田川のほとり、↑清洲橋詰まで来ましたみずがめ座

↑鉄感満点の清洲橋、パッと見ただけで強烈に”東京発展の歴史”が感じられるような橋です。

この清洲橋、関東大震災復興事業として、1928(昭和3)年に架けられたとの事です。

先の大戦でも生き残り、今でも現役のレトロ橋^

国重文に指定されています(※永代橋・勝どき橋と同時指定)

↑清洲橋の上から眺める隅田川、ウォーターフロントのビル・マンション群が林立ビル

 

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時間となりました、次は「た」お待ちかね、アルコール補給の時間ですビール

↑清澄白河駅から、深川をあとにする「た」叫び

この後浅草で飲む予定なのに、↑もう我慢出来ず缶チューハイを持っている「た」叫び

↑の風貌で都内を徘徊すると、ホント正体不明の人物にしかみえませんwお酒

 

又、いつかどこかでお目にかかります^ネコ

 

 

 

 

 

 

(※2023.1 2024.6 文一部修正)