vol.155 "四国美"高知ツーリング(3/終)帰途は大回り 桂浜→室戸岬→甲浦(徳島県境) | 旅ブログ Wo’s別荘

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四国美・高知ツーリング、最終回ですキラキラ

 

初回の”超強行軍”での高知入りから始まり、高知城や四万十川、足摺岬等、高知の絶景を堪能してきましたが、最終回の今作では、高知といえば有名な"アソコ"へ寄ってから^、太平洋沿いに東岸を廻り、室戸岬を経由して徳島県境までを走るルートを走ります。知られざる四国東海岸、どんな感じだったのか?ご覧下さい波

 

では最終回、スタートですDASH!
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前作は足摺岬まででしたが、その夜、高知市まで戻ってきています。最終日、再びこの高知駅からスタートしますヒヨコ
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駅前から、土佐電の桟橋線沿いに、海岸へ南下していきます左下矢印
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高知の人は、お国ことばを大切にする事で知られますが、市内あちこち、土佐弁のいろんな看板等を見受けます。

警察管理の道路電光板、↑『スマホはしのべちょきよ!』携帯

“スマホは運転中しまっておきましょう”という意味だと思いますガーン
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これから向かうのはアノ、桂浜です。

 

シリーズ初回、土佐電で市内見学した作をご覧頂きましたが、あの時に桂浜へ行ってないのは、土佐電が桂浜まで行ってない事に加え、初回ご覧の通り悪天候だったため、海岸は天候回復してから行こうという事で、最終日の帰途に寄る事にしましたDASH!

↑の青空も、"そのほうがよかった"と言ってくれてますw


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市電桟橋線終点からさらに南下すると、最終的に海沿いの道路、"黒潮ライン"になります波

朝日が照らす、↑太平洋の大海原晴れ
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桂浜駐車場に到着カメ
もし路線バスだと、高知駅から約30分程です。
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お土産屋さん街を通り抜け、まずは有名な『龍馬像』を見にいきます^しっぽフリフリ
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高知といえば、↑"土佐犬の闘犬"も有名わんわん

 

写真撮ってないんですが、ここの人が桂浜園地で闘犬を朝の散歩させているのに出会いました。普段我々が見る"飼い犬"とは明らかに違う、近寄りがたい物凄い形相でした。僕は猫とともに犬もすきですが、ナデナデしようという雰囲気の犬じゃなかったですあせる

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龍馬像は、桂浜海岸を見下ろす丘の上にあります右上矢印

丘に登ると~
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お、↑像のうしろ姿が・
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やってきました、堂々と立つ、雄々しい精悍な顔キラキラ

高知桂浜・坂本龍馬像です波
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1928(昭和3)年、地元の人々の寄付により建立された竜馬銅像、戦前からの高知のシンボルで、先の大戦の際は奇跡的に金属供出を免れ、この桂浜で今も、太平洋を見据えて立ち続けています王冠1
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ここで、龍馬についておさらいしておきますクリップ

 

1835年、現在の高知市内で下級郷士の家に生まれ、18才から2度に亘り江戸へ遊学。武術修行が主な目的だったがその傍ら、江戸で様々な人物の薫陶をうけ、国内外情勢や外国文明など多様な知識を得て一旦帰郷。

 

その後、政を志し、"土佐勤王党"に加入。さらに脱藩、勝海舟の門下に入り、次第に勤王の志士として頭角を現わし始めます。

 

勝海舟の下で神戸海軍操練所の設立に奔走。これがのちに長崎の"亀山社中"、さらに"海援隊"へと進化してゆき、その動きの中で竜馬は薩長の橋渡し等、幕末日本の激動の中で重要な役割を若くして果たしたのはご存じの通りです。

 

そんな多忙な中、妻お龍をめとり、西郷隆盛の招きで夫婦で薩摩を旅行、これが日本初の新婚旅行だとも言われていますおひなさま

 

その後も、長崎から兵庫へ向かう船の中で仲間らと、有名な"船中八策"(※議会や陸海軍創設・対外関係等国家の基礎)を練り、これが明治維新の際『五箇条の御誓文』の基礎となる等、まさに近代日本の礎を築いた人物の一人です。

 

しかし竜馬は、明治への改元をその目でみることなく、1867(慶応3)年、京都で暗殺され(※近江屋事件)、31才の若さでその波乱の生涯を終えます。

 

わずか31年の人生でここまで濃密な生涯を生き、そして現在でも多くの人に追慕され、あこがれと尊敬の対象となっている、まさに維新の世を駆け抜けた偉人ですグッド!
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若き日の竜馬も見つめていたであろう、この土佐湾波


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銅像の丘から、桂浜の浜(?)へおりていきます右下矢印
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桂浜です宇宙人
そんなに広い事もないんですが、よく整備された美しい砂浜ですかに座

夏は海水浴客で賑わうのかと思いきや、実は桂浜は・
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この桂浜、年間を通じて遊泳禁止なんですあせる

それどころか"波打ち際にも近づかない事"との注意書きが。

桂浜周辺の海は潮流が大変早く、危険なんだそうです注意
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桂浜海岸のあちこちに、↑"救助ペットボトル"が設置されていました。

ふつうの2ℓペットボトルを3つ繋げただけの簡単なものですが、これでも成人を浮かせて引っ張ってこれるだけの浮力が得られるとの事ひらめき電球

これ、桂浜に限らず、いざという時の知識として覚えといたらいいと思いますひらめき電球
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桂浜は、竜馬像と砂浜だけではなく、有名な水族館もありますし、国民宿舎や竜馬記念館等いろんな施設が楽しめますドア

 

次は、龍王岬へ船

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龍王岬の頂上です目

登ってみるとけっこう高い位置で、途中にある祠や、桂浜が一望の下です目
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冒頭、土佐弁にチラッとふれましたが、↑土佐弁が書かれたビール会社のステ看板を高知市内でよく見かけました。

“たっすいがは、いかん!”

 

実はこの看板、高知初日から街中でよく見かけ、"どういう意味?"と気になってたんですが、桂浜で『標準語訳』が書き添えてある看板を発見!w星

それによると~

 

たっすいがとは、『自分の意見も言えないような気弱な男ではダメだ』という意味だそうですガーン

標準語で書くとこんな長くなるのに、“たっすいが”の一言で済む土佐弁、恐るべしです^

ちなみに反対語は、“はちきん”(※男勝りな女性)だそうですクリップ

 

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桂浜を出発、名残惜しいですが帰途へと走りはじめますDASH!

 

帰途はタイトルの通り、往路の瀬戸大橋/高知道ではなく、"大迂回"をして帰京する事にしましたリサイクル

 

本州への戻りは、室戸岬を廻り、徳島から四国を離れ、淡路島→明石海峡大橋経由で本州へ戻るという『国道55号ルート』です馬


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桂浜から、しばらく海岸沿いに県道を走ると、やがて国道55号に合流します。

このR55、高知市から土佐湾岸を東進、室戸岬を回って徳島まで通じる四国東岸を貫く幹線です左右矢印

桂浜から東へすすむと、高知市を出て南国市、そして次は高知県東部の中心、安芸市へ入りますDASH!
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安芸市内のR55沿いに、道の駅『田野駅屋』があります。

ここで昼食にしますナイフとフォーク
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昨今の道の駅って、ホントその土地の特徴を少しでも旅行者に感じてもらおうと工夫を凝らしていて楽しいです。道の駅を訪ねる事自体が充分観光として成り立つ時代になりました合格

お土産や食事も豊富で、前作で訪れた四万十川沿いの『あぐり窪川』、『四万十とおわ』と共に、“高知県道の駅ベスト3”に認定したい位の道の駅でした^
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ここの食堂で食べた↑土佐鶏の親子丼が絶品でした。卵が半端なくふんだん、そして濃厚^チョキ

でも地元の人はなぜか、ラーメンをよく食べてましたw

次回来たらラーメンにしよラーメン
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で、なぜこの道の駅、"駅屋"という名なのか?は、すぐ後ろに"本物の鉄道駅"があるからです。

↑写真右上のほうにチラッと見えているのが、土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の田野駅で、道の駅とも直結しています電車

 

ちなみに過去作では、2011年の北海道ツーリング"道の駅美瑛・丘のくら"が鉄道駅と一体になっていたし、昨年の能登ツーリングで寄った"道の駅わじま"は、鉄道駅廃線後にその駅跡を活かして造られました。今後さらに、道の駅と鉄道駅のコラボや融合がすすんでいくか注目です^クリップ
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その"ごめん・なはり線"ですが、安芸市の隣、奈半利町に終点があるので寄ってみましたフラッグ

 

この線、経営は前作で中村駅等が登場した土佐くろしお鉄道で、旧国鉄が建設途中で放置していた阿佐線を引き継ぎ、県中心の第3セクターで開業にこぎつけました。つまり土佐くろしお鉄道は、JR線を挟んだ県東西に分かれて路線がある形になっています。

ごめん・なはり線は、前々作で訪ねた土佐電の終点、JR後免駅から分岐しています右上矢印
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"阿佐線"の名の通り、旧国鉄は、この先室戸岬を廻って徳島の牟岐線まで接続させる遠大な計画を立てていました。同線は、旧鉄建公団によって途中まで造られていた軌道敷を利用したものです。しかしくろしお鉄道が何とか開通に漕ぎつけられたのは、路盤がほぼ出来ていたここ、奈半利まででした。

 

プッツリと途切れている高架の終点の先は、"夢"に終わった室戸岬の方向ですウサギ
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駅前のベンチで、休憩されているお遍路さんあじさい

ツーリング中、歩いて廻られておられるお遍路さんをけっこう沢山見かけました。

 

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奈半利を出ると~
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ついに↑標識に登場した"徳島"の文字、ゴールの地に着々と近づいています。

次の街、室戸市へ向かって走りますDASH!
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室戸市へ入ると・虹
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↑広々といい景色の室戸路ですが、前作の足摺岬で感じた"風光明媚"だけで表現するには少し違う、荒涼とした、ちょっと胸にグッとくるような美しさも感じました。

 

道路脇に植わっているアロエの群生、そして右手はるかに室戸岬が見えてきます波
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室戸市の市街地を通り抜けると、岬まで民家はほとんど無くなります家
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室戸岬が近づきました黄色い花
高知市から南東へ約70km、四国さいはての地です。
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四国の数ある岬の中でも、ひときわ鋭く海に突き刺しているような室戸岬。↑道路が、岬の形通り、クルッと急カーブしている所が、まさしく岬の地点です次項
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Wo号、室戸岬へ到着フラッグ
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岬付近の海岸は緑と岩石の遊歩道になっています。

散策してみます^走る人
SF
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↑海岸からみた、↑岬の突端部です目

海ギリギリまで、山並が突き出している様子がわかります目
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岬から太平洋を見つめるのは、↑中岡慎太郎の銅像。

安芸の地に生まれ、幕末の激動期に坂本竜馬らとともに活躍した勤王の志士です。


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岬から、先程の突き出た丘上にある灯台まで道路が通じていて、途中に四国八十八ヶ所のお寺もあるので、Wo号で登ってみます右上矢印
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四国第24番霊場、最御崎寺(ほつみさきじ)、その名の通り、室戸岬に最も近いお寺です虹
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奈半利駅にもおられたように、ホント驚くんですが、遠路はるばる徒歩で廻られているお遍路さんを多く四国全域で多く見かけます。信仰心って人を強くします。

勿論、貸切バスで廻るツアーもありますし、自家用車で遍路されるかたも多いです。中には白衣でバイクに跨って巡礼する"お遍路さんライダー"もいました。僕も定年になったら遍路ツーリングやろうかなぁ^キラキラ
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最御崎寺(※真言宗)、本尊は虚空蔵菩薩との事です。

同寺は過去5回、NHK"ゆく年くる年"で除夜の鐘が中継されたそうですベル
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最御崎寺からすぐ、室戸岬灯台があります。

お寺とセットでみるのが定番コースですヒツジ
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1899(明治32)年初点、室戸台風や戦災、さらに終戦前後の南海地震で被害をうけたといいますが、太平洋の道しるべとして輝きつづけていますひらめき電球

目玉みたいな↑灯火部の大きなレンズが印象的ですが、日本一大きい灯台レンズだとの事(※現地燈光会解説板による)目
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お寺と灯台の見学を終えて駐車場に戻ると、ちょっとしたハプニングが・あせる

車で来た観光の人々がざわついているその先に、

イノシシの子供、"ウリ坊"がおうし座
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群れから外れて迷い込んだようなんですが、子供を探している親イノシシがいつ森の中から突進してくるかもわかりません。少し緊張が走った岬の駐車場でしたあせる
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ウリ坊はその後無事、森へ戻りました。

再び坂を下ってR55へ戻りますDASH!

坂を降りる様子を動画(※Youtubeへ)↓

http://www.youtube.com/watch?v=2tIQmUtC7HQ

 

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室戸岬を廻りこんだ後は、徳島県境へむけて北上です右上矢印
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最御崎寺から海へおりていく時↑見下ろす海岸線と太平洋、絶景でした^虹
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室戸岬から東はしばらく、観光スポットもほとんどなく、ひたすら東に太平洋をみながら走りますDASH!
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そしてWo号、高知県さいご、そして本ツーリングさいごの街、東洋町に入りましたベル
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東洋町に入ると人家はますます少なくなり、全く家のない無人地帯が数キロつづく区間もあります。

でも僕は、こういう所を走るのが一番すきだったりします波
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この東洋町、74㎢という広大な面積に3000人弱しか住んでいない、町のほとんどが森林という大自然の街です。

一番大きな集落は、徳島との県境にある甲浦(かんのうら)です。

↑"駅"の看板があります。甲浦には鉄道が通じています。
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徳島県側から延びている、3セク・阿佐海岸鉄道の甲浦駅です。

同鉄道、高知県にあるのはこの甲浦駅のみで、隣駅の宍喰駅はもう徳島県です。海部駅でJR

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奈半利駅のところで前述しましたが、後免駅~奈半利駅まで開通している土佐くろしお鉄道は、当初の計画では"国鉄阿佐線"として、ここまで繋がる予定でした。

四万十川のところでご覧頂いた予土線を含め、“四国一周鉄道路線”を形成しようとしていた、壮大な計画だったんです波
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ちょうど↑列車が入ってきました電車

 

室戸岬からここまでの風景をご覧の通りで、あの無人地帯の海岸線に鉄道を敷こうとしてたんですから、まさに"昭和の公共事業"そのものだったのかもです。
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先程のごめん・なはり線と同様、国鉄当時路盤工事がほぼ出来ていた海部~甲浦間だけでも活かせないかと、短区間ですが3セク方式開通にこぎつけましたクラッカー

↑駅名標、サーフィンの聖地でもある東洋町をイメージしたデザインです^
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でも、楽しげな駅名標とはうらはらに、同鉄道の現状は極めて厳しいとの事。

開業時に国から受けた転換交付金がまもなく底をつくそうです。阿佐鉄、これからが正念場ですあせる
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かつては”高知の東玄関”とも言われた甲浦、その痕跡が港に残っています。甲浦港へ行ってみますかたつむり
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一見、ふつうの漁港とも思う風景ですが、漁港にしては広々とした埠頭です。

↑アスファルトには、消えかかっていますが“自2”、“大”などの文字や区画線が書かれています。

これは・
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かつて甲浦港からは、フェリーが出ていました車

車を積み込んでいた、可動式桟橋が残されていました。

2001(平成13)年まで、ここから大阪南港へフェリーが運航されていました船
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桟橋横にあった↑プレハブは、船客待合室や船会社の事務室があった建物です。
現在は廃墟となり使われてませんが、窓から覗くと待合のイスや窓口がそのまま残っていました。
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埠頭の脇には、今でも食堂など数軒の店が営業していました。

かつてはフェリーの船客で賑わったと思われますラーメン
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昭和期には、四国各地から京阪神へのトラックで需要があった航路だったとの事ですが、瀬戸大橋開通後は船客減少

経営不振に陥った船会社、何とか運航継続しようと東洋町等が第3セクターを設立、てこ入れしたそうですが、人口減少と瀬戸大橋には勝てず、努力むなしく廃止となってしまったそうです汗
 

今回の高知ツーリング、前半では、四万十川や日曜市・土佐電・足摺岬等、いわば"元気な高知"の姿をみてきました。

 

しかし、過疎化にあえぐ高知という現実の姿も、しっかり直視しておきたいと思います。前出の土佐くろしお鉄道や阿佐海岸鉄道も、国鉄(※鉄建公団)が残した路盤を生かして開業しましたが、将来的には大変だと思います。今後鉄道作でも又訪ねたいと思います電車
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甲浦の街を出て北側すぐ、↑トンネルがあります。

そこが、徳島県との県境です。

高知ツーリング、ここでゴールとさせていただきます^フラッグ


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その後2時間余走って徳島市に到着。大鳴門橋から淡路島へ、そして明石大橋を渡り、本州側へ戻りました星空

 

過去、ツーリングのシリーズで"大"と付けたのはおととしの北海道大ツーリングと、今年の"三陸青森大ツーリング"だけです。

今回の高知は3回シリーズで、僕の中での"大"の基準にギリギリで届かず(?)、あえて大は冠しませんでしたが、充分それに匹敵する位の大ツーリング級になりましたグッド!

 

高知ツーリング・全3回、これで終わります、長い間ご覧頂き有難うございました^波

 

 

 

 

 

 

(※2022.3 2024.5 文一部修正)