8月upの三陸青森大ツーリング、その感動まだ記憶に新しい中(?)、又々ロングツーリングへ行って参りましたw
都内から800km余、四国・高知へ行ってきました
3作シリーズになります。いつもの強行軍だったんですが、その中でも、今作でご覧頂く都内→高知の往路は、空前絶後の大強行軍でした
どんな強行軍だったのか、早速スタートします
半ば無謀(?)な企画の始まりです
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東名→伊勢湾岸道と走り、お昼前には愛知県、刈谷PAに着きました。ここで昼食です
刈谷”PA”といってもここ、へたなSAに勝る大規模なもので、↑観覧車まであります
近年、高速のSA/PAのリニューアルが各地ですすんでいますが、登場しはじめている"ハイウェイオアシス型PA"です。
店舗は、上下線からどちらの店へも行けるようになっています
ここで昼食後、名港大橋や木曽三川を走り抜け、東名阪に入ります。ここまでは6月にupしたvol.144、伊勢ツーリングで通ったコースです。今年は半年の間にもう、伊勢行って東北行って今度は四国と、かなり走りまくってますw
突然ですが、当別荘初の"動画"を貼ります(※↓リンク)
Wo号に先日、最近流行りの“アクションカメラ”を取り付けてみました。伊勢湾岸道刈谷PA~湾岸長島PA間の走行風景です
(※但し長いので適当に端折ってご覧下さい。始まって11分程で名港大橋です)
http://www.youtube.com/watch?v=HiJrehTxHYw
(↑Youtubeに遷移します)
亀山JCTから新名神に入りました。
↑土山SAに寄ります(※滋賀県甲賀市)
現Wo号になってから初の関西入りです
SA開業5周年という事で、アキバ系少女アイドル(?)を呼んでイベントやってました^
親衛隊まで来ていて、アノ独特の声援をしていました^
近江土山といえば滋賀県甲賀、↑名物"信楽焼のタヌキ"がSAの壁に描かれています
信楽焼、たぬきだけでなく茶碗や皿など実用的な陶器も沢山あり、売店でも売られてます
のんびりした感じで並ぶ地元のお店
関東近郊の巨大SAとちょっと違うゆったりした雰囲気、飛び交う関西弁、はるばる走ってきた距離を感じます^
昔から東西交通の要衝として栄えてきた滋賀県ですが、それを反映するかのように、土山SAの土産物売場は地元滋賀はもとより、名古屋/三重/京都/奈良から大阪まで、府県別のコーナーになって売られています
そして草津で、従来の名神と合流、Wo号は大阪入り、吹田SAで休憩
当別荘のツーリング、震災後は東北を中心に走ってきましたが、関西へは先代のWo号で一度滋賀県へ走ったことがあるのみで、バイクでは関西はまだ未踏破ゾーンです
今回は四国目的なので、関西は"聖域"(?)として、しばらく温存しておきます
久々に寄った↑吹田SA
僕にとって田舎にいた頃の思い出がいろいろ頭に浮かぶ場所ですが、”大阪から東へ車”といえば、まず立ち寄っていた場所です。当時から便利なSAだったんですが、今回約15年ぶりに訪れて率直に思ったのが、"吹田SAってこんな小さかったかなぁ・"という事
実家にいた頃は関東へ車で行った事もなく、吹田より大きなSAは知らなかったというのもあり、子供心には"さすが大阪"という印象でした。
しかし、上京してから首都圏の巨大なSAを見慣れたせいか、久しぶりに訪ねてみると、なんか”小じんまりした感じ”というのが今回ぶっちゃけ感じた印象でした。子供の頃の記憶と比べてのギャップに、大げさに言えば少々ショックも覚えた吹田SAでした
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そんな吹田を出たWo号、さらに西へ、中国自動車道に入り、次は兵庫・加古川の権現湖(ごんげんこ)PAに寄ります
↑時既に夕刻、日も傾き、うっすらと夕焼けもみえる空ですが、実はこの日、日本に台風が接近していました
休暇も取っていたので、直前まで実行するかどうかも含めてギリギリ検討してから出発したんですが、台風の進路予想が"関東の東海上"だったので、“西へ走って逃げ切ろう”との結論に達し、当初は大阪で泊まる予定でした。
しかし、台風の進路が西寄りになってきたという最新情報をうけ、急遽、本日中に高知まで走り通す事に変更しました。
自分自身でもこれは強行軍と思いましたが、今夜中に辿り着けるのか・?
理由は、"瀬戸大橋は強風でよく通行止になるので、台風より先に亘ってしまいたい"という事
台風情報をチェックしつつ、無理なら岡山までで宿泊する事も選択肢に入れつつ、権現湖PAを出発します
Wo号は西進記録を次々更新、日没ギリギリに岡山県・瀬戸PAに到着。急ぐといっても安全のため休憩はとります。早朝東京ICを出発してから、既に14時間近く経っています(汗)
駅やSA等を撮る時はご覧のかたにわかるよう、なるべくその名前が入った看板等が入るように撮影するんですが、この瀬戸PA、なぜか建物にPA名を示す文字がありませんでした
唯一見つけたのが、↑入口横に建つ"石柱"
瀬戸PAで、高速のかたの心遣いが感じられるものがありました。↑トイレの入口に、中古のペットボトルに水が詰めて置いてあり、"車の清掃等にご自由にお使い下さい"という事です
首都近郊ではまず見かけない細やかな心遣い、心が温かくなりました
そして台風情報を最終チェック、まだ風速が弱かったので瀬戸大橋越えの決行を決定
いよいよこれからハイライト(?)です
瀬戸PAを出て岡山市北郊を通過、倉敷JCTから瀬戸中央道に入り、夜の瀬戸大橋を無事、渡りきりました
http://www.youtube.com/watch?v=JWpcc1i238I
(※その↑動画です)
夜8時過ぎ、ついにWo号、迫力の瀬戸大橋越えを果たし、四国初上陸
四国最初の休憩、↑香川県・豊浜SAに着きました
ここから高知まであと100km強。はたして辿り着けるかどうか・
ここで食べたさぬきうどんが美味く、なぜかカラ元気が出てきました。残り100km、高知まで頑張る事にしました
このあと、川之江JCT(※愛媛にも少しだけ入る)から高知道へ。長いトンネルを10本近く越え、夜の南国土佐へ
東京IC出発から約17時間、22時過ぎ、無事なんとか高知ICへ到着
雨も降っておらず、なんとか風の弱いうちに着きました
Wo号は台風との競争に勝ちましたw
(※ちなみにですが、静岡県内と兵庫県内で一部降られました)
東京~高知間約820km、これまで一日で走った最高記録は東京~青森の約700kmだったので、記録大幅更新^
当然ですが疲れました、もう一回やれと言われても絶対できません、こんな超強行軍(汗)。まぁでも、一生一度の思い出の走りにはなりました
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一夜明け、翌日・
デジカメでは空はわりと明るく写るんですが、予報通り、台風は日本に接近していました。駅前広場には雨が降ったり止んだりしています
今回の日程、高知で3日間とってあったので、急遽計画を練り直し、この日はバイクを置いて、高知市内の街ブラに変更します
四国には今年春、観音寺・琴平(vol.141 5/7up)へJRで訪ねてますので約半年ぶりです。僕は四国4県、香川や愛媛には何かと来る機会はあったんですが、高知へはウン十年ぶりです。なので街ブラもいい機会です^
台風で風が強まってきてるので、シャッターを半分降ろしていますが、同駅で注目の構造は、線路がある高架を覆っている↑『大屋根』。
↑写真では少しわかりにくいかもですが、高架を外側から包み覆うようにドバッとかぶさっています。大胆で先鋭的な設計だと思います
コンコースの中は、↑な感じです
高知駅、周辺の駅はほとんど無人駅で、ICカードも未導入なのに、自動改札機が並んでいるのに驚きました(※2013当時)
そして、高知といえばやっぱり"はりまや橋"
駅の中にも↑”ミニはりまや橋”がありました(※この後、本物をご覧頂きます^)
改めて駅前を見てみます
高知市には、路面電車が走っています^
土佐電気鉄道(株)が市内を縦横に路線を持ち、高知駅前にも来ています。この規模の都市で路電があるのは全国的にも貴重
↑広大な駅前広場、"こうち旅広場"といい、一隅には"とさてらす"というドデカい観光案内所もあります
観光客を強く意識した駅前広場ですが、↑その一方、駅前に堂々と店を構える、ふつうなら郊外にあるホームセンターがドーンと構えています^
地元の人にも旅行者にも、便利な高知駅です^
こうち旅広場には、↑巨大な竜馬像も(※有名な竜馬像は桂浜にあります)
雄大で、維新の志士を輩出した高知のイメージを、この広大な駅前広場であらわしています
では、街中へ^
駅前から市内へ延びる、はりまや通りを歩きます
はりまや通りは市電が並走。台風はどこを動いているのか、雨は小降り、レトロな路面電車を見ながらの街ブラは楽しい
はりまや通りをしばらく歩くと、↑高知城へ行く道があるんですが、道路標識に"日曜市"の文字が
この日ちょうど日曜、覗いてみる事にします^
↑道路を、露店が半分占用している一角が。高知名物日曜市、始まっているみたいです^
台風近づく雨まじりの天気なのに、沢山の人で賑わっています
高知朝市、はりまや通り近くから高知城前までの約1.3kmで、約400軒の露店が軒を連ねます
江戸元禄時代から300年以上つづく、伝統の朝市だそうです
当別荘で過去訪ねた朝市といえば、昨年5月upの能登ツーリング(vol.116)で輪島の朝市へ行きましたが、それを凌ぐ大規模な市です。
輪島の朝市では唐辛子やわらぞうりを売っている店が多かったですが、ここ高知日曜市の特徴は、↑"大抵の店で、しきび(榊)が売られている"という事
ただ、"しきびだけの専門店"というのは無くw、どの店も、地元の野菜とかを売ってる片隅に"榊コーナー"が設けてありました。
観光客だけでなく地元の人も大勢来ていて、しかも榊がよく売れていたので、高知の人は神棚の榊を取り換えるのがマメなのかも(?)
話横道にそれますが、↑の道路標識、交差点の真ん中にアルファベットの"W"とありますが・
これ、高知市独自の"ココ・マーク"と呼ばれるもので、目的の交差点がわかりやすいよう、市内38カ所の交差点にA~Zまでの印が付けられているとの事です(※2013当時)
でもここで、"38カ所?アルファベットの文字数より多いのでは?"と思い、後日調べてみたら、同じアルファベットの交差点が数ヶ所あるんです
観光客は勿論、地元の人でも間違いの原因にならないんだろうか?と、少し心配にもなります
そんな心配もしているうちに、街路市の区間も終わり、↑高知城の姿が見えてきました^
↑写真の右上、小さく天守が見えています。見学します
↑門の横に立つ、"国宝高知城"の石柱
これ、戦前の”旧文化財法”によるもので、戦後に改めて制定された文化財保護法では国宝の基準が変わり、現在は国重文となっています
では、高知城内へ入ります
入口となっている追手門から中に入ります
高知城の敷地内は、県立高知公園となっています
石垣を見ると、↑出っ張った部分があるのが目に付きます。
雨の多い高知、水が石垣を伝って垂れることによる石垣の傷みを軽減するため、雨水が石垣に当たらず地上に落とすよう、長い出っ張りを設けたんだそうです
↑天守に近づいてきました
小じんまりとした感もある天守ですが、後述する"現存12天守』"の一つで、貴重なものです(※国重文)
ここで、高知城について纏めます
1603年、江戸幕府成立の年に、土佐藩主山内一豊が建立。1727年の大火で一度焼失し、現在の城は1749年に再建されたものだそうです。
明治以前から残る天守は、現在全国で12城しかなく、現存12天守の一つに数えられています。
特に高知城は、本丸御殿や門、塀など附属の建造物も当初の姿でほぼ完全に現存していて、全国でもトップクラスの保存度といわれ、南海の名城とも呼ばれているそうです
↑二の丸広場から、高知市内を望む
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高知城をあとに、次は・
↑お城の南側には、大きな商店街がのびています
台風のせいか、人出は少なめでしたが、それでもほとんどの店はちゃんと営業していました
商店街の中に↑クジラが泳いでいます、さすが高知^
商店街を抜けると、先程のはりまや通りまで戻ってきました
では、はりまや橋を見に行きます^
雨がやや強くなってきましたが、↑はりまや橋です^
”がっかり名所”などという不名誉な別名もありますが、僕は全然がっかりしませんでした
高知市は、この評判を逆手にとり、↑の欄干模型やポケットパークを新たに整備。観光客が記念撮影しやすいように”逆ガッカリ名所”に変貌させたんです
元々はりまや橋は、↑通り沿いの欄干だけで、それが”有名な割には何もない”という事で、ガッカリ名所という心ない別名がついてしまったらしいです
でも僕は、これだけ全国的に名が知れる程有名だという一点だけでも、既に"ガッカリ"ではないと思います^
そして、ミニはりまや橋から通りを挟んでは反対側には、当地を全国に広めたヒット曲・"南国土佐を後にして"の歌手、↑ペギー葉山さんの歌碑&記念植樹(本人が来た?)がありました
商店街にあった↑記念撮影コーナー
"ガッカリ名所でごめん"のセリフ、とさでん路面電車の終点・ごめん駅と掛けてありますw
では、その"ごめん"行き電車に乗ってみます^
この後は、土佐電の一日乗車券を使って"路面電車三昧"にします
それにしても、↑電光幕と行先札ダブルで"ごめん"と大書されている電車、なんか謝りながら走ってるみたいですw
高知の路面電車・土佐電気鉄道ですが、このはりまや橋を中心として、高知市内から東西南北に総延長25km余りの路線をもっています
(※2022追記:2014年にバス部門と合併し、"とさでん交通"になりました)
停留所数70ヶ所近くを擁し、民営路面電車では広島電鉄に次ぐ規模だとの事です。
開業の歴史も古く、1904(明治37年)開通、わが国私鉄で屈指の伝統ある鉄道です。この規模の街で、長きに亘って鉄路を維持している事は、率直に凄いと思います
はりまや橋から乗り、東の終点であるごめん(後免)を目指しますが、はりまや橋から約30もの電停があるので、1時間位かかります。大変乗り応えがある路電です
↑の写真、線路にも注目
複線の片方だけ、道路からつづきでアスファルト舗装され、もう片方は専用軌道です。道路幅の関係で"半・専用軌道"になっているんです
市内から郊外へと出るにつれ、だんだんと専用軌道の区間が多くなってきます。
そして、台風の雨も強くなってきます(汗)
終点ごめん近くになると、↑な田園風景になっていきます
既にはりまや橋を出てから約1時間、ホント乗り応えある路電でした
強まる雨風の中、終点・ごめん駅(※南国市後免)に到着
駅舎はバスと共用で、近年建て替えられたと思われる比較的新しいつくりでした。待合室の隣にコンビニが併設
↑左側に見える高架は、JR&阿佐海岸鉄道の後免駅です。
後免は、高知市の東隣・南国市の玄関です
しかし台風のせいで、人影はまばら・
次は南方向、桟橋線に乗り換えます
次に向かったのは・
桟橋線、終点近くにある、自由民権記念館を見学します
高知といえばご存じ、板垣退助や坂本龍馬等、維新前後の偉人を多数輩出しています。
近代日本の基礎をいち早く考え、先進の行動力を発揮した幕末~明治の土佐の人々の生きざま・近代史を紹介する資料館です
2階建ての記念館、↑1階は吹き抜けのロビーの両側に受付とカフェや売店、図書室、貸会議室等が並んでいます
そして、2階が資料展示室なんですが、残念ながら2Fは撮影禁止でした。
2階には、板垣退助など民権運動の立志者の活動内容や、高知県全体に広がった"民権結社"という勉強会の沿革を特に中心に紹介していました。
当時、“自由は土佐の山間から”と言われたとかで、高知市はもちろん県下全域、山間部の村々に至るまで自由民権の勉強会が結成され、日本の将来について連日連夜議論を戦わせていたとの事。
この、東京からはるか離れた四国の南岸で、なぜ日本をリードする思想を学びとろうとする進取の風土があったのか、興味深いです。
板垣や竜馬ら一部の志士だけでなく、一般の人々も、土佐の市井のあちこちで、国のあるべき姿を論じ合っていたという史実。その情熱はどこから湧いてきたんだろう、ホント感銘をうけた記念館でした
この自由民権館、高知市制100年を記念してつくられ、市立ですが、現在は土佐電の子会社が運営管理しているとの事です。
自由民権館の隣には、↑土佐電の車庫があります
自由民権館見学を終えると既に夕刻。この時間あたりが、一番風雨が強かったです
街ブラはこれで終了、宿へ入ります
久々の高知市内、土佐電が動いていたおかげで、台風のわりにはまずまず廻れました。維新の歴史薫る城下町、又再訪したいと思います
今作ここまでです!
次作からいよいよ、本題のツーリングに入ります
台風一過の下、高知といえば"アノ川"、そして"アノ岬"を訪ねて走ります。お楽しみに^
(※2022.12 2024.5 文一部修正)