vol.132 色褪ない永遠のテーマ "人類の進歩と調和" 1970年 夢の跡 万博公園を歩く | 旅ブログ Wo’s別荘

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  1970年、アジア初の万博・日本・大阪で開催された、万国博エキスポ70桜

その跡地は今なお、記念公園としてその名残をとどめます。

先日大阪へ行った時、ふと思いついて寄ってみました男の子


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大阪の中心・梅田から阪急京都線で約15分程、南茨木駅へ到着走る人
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駅舎の右側に伸びる、↑モノレールの軌道ペンギン

南茨木は、モノレールとしては日本一長い距離を誇る(※大阪空港~門真市 21.2km)、大阪モノレールとの接続駅ですリサイクル
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今作の目的地・万博記念公園へは、このモノレールで行くのが定番です。南茨木駅から2駅、5分程ですヒヨコ
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日本最長のモノレール・大阪モノレールですが、実は最近まで日本一どころか世界最長距離だったそうです。しかし惜しくも2011年、中国・重慶市で開業したモノレールにその座を奪われたそうですあせる

余談ですが、懸垂式(※ガイドレールに車体がぶら下がる方式)では、千葉のモノレールが世界最長だそうです(※2011現在)星


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万博記念公園駅に着きました男の子
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この駅、↑広いコンコースを持っています。

ちなみに開通したのは1990年で、万博はとっくに終わった後なので、万博用に広く造ったのではなく、イベント時の対応用に広く造ってあると思われますロボット
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駅から一歩出ると、そこは・

広々とした、万博記念公園が目の前にクローバー
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万博公園駅、2006年に新たに開通した支線、彩都線との分岐駅でもあります。↑写真はその分岐部です左上矢印右上矢印

わが国のモノレールで"本線と支線"を持っているというのは、ここと千葉モノレール位と思いますひらめき電球
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見えてきました、↑大阪万博のシンボル・『太陽の塔』晴れ

これから万博跡地内を歩いて、1970年、この太陽の塔を中心に繰り広げられた万国博の、"昭和の栄華"と偲びたいと思います黄色い花
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約200ヘクタールもある広い記念公園、大阪万博が行われた跡地をほぼ全域引き継いでいます。

現在はその大半が"自然文化園"という囲みになっていて、この中にある日本庭園や各博物館等は、まずこの自然文化園に入園(※有料)した上で行くようになっています黄色い花
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自然文化園入口横にある、↑売店"ロキストア"

“太陽の塔グッズ”などの万博みやげが買えます^プレゼント
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ゲートのむこうには~

太陽の塔が待ち受けています晴れ

早速入ります走る人
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ゲートを入ってすぐにあるのが、↑“太陽の広場”

大阪万博に際して、鬼才・岡本太郎がデザインした『太陽の塔』が、当時のままそびえていますアップ
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万博当時は、会場中央『お祭り広場』の大屋根から、ニョキッと顔だけが上に突き出たような感じで立ってました。

塔内部には『生命の樹』というモニュメントがあり、万博中は内部見学出来ましたが、現在は閉鎖されています。万博終了後、何度か特別に公開された事があったようですが、同塔が耐震性に問題があるとの事で、近年は行われてないようですあせる
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日本が飛ぶ鳥も落とすような勢いのあった高度成長期に建てられた太陽の塔。↑翼のような"腕"を広げた塔が、まさにその頃の勢いを表しているようですが、その後日本はオイルショック、バブル景気、そしてその後の長い不景気等、停滞の時代になってしまいました汗

日本の盛衰を、静かに見つめつづけてきた太陽の塔です波


しかし岡本太郎、昭和真っ只中の1970年に、こんな今見ても前衛的と思えるデザインをよく考え付いたなぁ・と。さすがは世紀の鬼才といわれたタロウ・オカモトです。間近で観て、改めて感銘を覚えましたグッド!
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そして近年、太陽の塔近くに、実際に大阪万国博へ行った年代なら、”昭和の思い出”に感涙しそうな施設がオープンしました。

↑看板の通り、その名も“EXPO70パビリオン”ですしっぽフリフリ
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塔から少し歩くと、木立ちの中に見えてきたコンクリートの建物、↑が『EXPO70パビリオン』、行ってみますグッド!
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↑この建物は万国博で、"鉄鋼館パビリオン"として建てられました。

万国博当時のパビリオンが、現地・記念公園内にそのままの形で残っているのは唯一同館だけ、という貴重な建物ですキラキラ

 

2011年に改装の上、当時の資料を集め、資料館として再公開されました。早速見学します目
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建物内に入ると・

 

ホール内に、なにやら聞き覚えのある音楽が流れています♪

♪こんにちは~、こんにちわぁ・

アノ三波春夫さんの歌った万博ソング、"世界の国からこんにちは"ですカラオケ
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展示室は2Fですが(※この後行きます)、1Fのロビーでは、当時万博会場で働いていた人が思い出の品を持ち寄って展示する企画展をやっていました。
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中には、↑こんなものも。

会場内の遊園地『エキスポランド』で働いていた人に、当時運営していた阪急電鉄が配った記念アルバム。エキスポランドの運営は、阪急が受託していたんですUFO

(※エキスポランドについては後述します)
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では、2Fの展示室へ右上矢印
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展示室入口の横には・

有名な日本万国博のテーマ、↑"人類の進歩と調和"についての解説が書かれていました。

この”テーマ”については今作の肝でもあるので、この後も出てきますヒマワリ

 

ご存知、大阪万国博は1970(昭和45)年、3/14~9/13の約半年間、この大阪府吹田市・千里の丘で開催されました。

前述の通り、日本初/アジア初の本格的国際博覧会でしたメモ

先の大戦で敗戦し、焼け野原から再スタートした日本が、見事復興を果たして高度成長する姿に、世界から訪れた人々は目を見張りました目

 

又、略称の"万博”という名称もこの時頃から使われ始めましたが、当時は“万国博”という言い方のほうが多く用いられ、こっちのほうが昭和チックでいいと僕は思うので、今作では主に万国博という呼び方を使っています^グッド!
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桜をかたどった、↑懐かしいシンボルマーク桜

展示室内部の照明は、桜にちなんで赤が基調になっています。


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↑2F展示室には、当時使われていたいろんな懐かしい品々が展示されています目

なお同館は、フラッシュ無なら撮影OKです。ブログ的には大変うれしいです合格
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↑当時の入場券価格表。

大人800円だったようですが、当時の物価にしたらけっこう高額だったと思われます¥
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↑誇らしげに壁に大書されていた、『入場者数6421万人』

当別荘では2010年、上海万博を訪れたシリーズをupしましたが(vol.74~79でup)、この6421万人という入場者数は、上海万博までの40年間破られなかったそうです王冠1
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開会式の華やかな映像も見ることが出来ます。

昭和天皇も期間中、何度も訪問されたそうです。
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77カ国が参加した大阪万国博、当時の各館の様子やパンフレットなどの↑資料も残されていますクリップ

 

僕は当時小学校低学年だったので(古)、記憶にはあまり残ってませんが、1回だけ親に連れてってもらった事があります。日本館に入るため、やたら長時間並んだのはうっすらと覚えています。ホントはアメリカ館で"月の石"を観たかったんですが、あまりにも長蛇の列だったため諦めたのも記憶にありますやや欠け月

 

昨年(2010)の上海万博でもそうでしたが、とにかく博覧会といえば"行列、行列"です。大阪万国博も前述の通り大変な人出だったのでどこも長蛇の列、テーマの『人類の進歩と調和』をもじって“人類の辛抱と長場”とまで言われたとかwあせる
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参加国の中には、いま現存しない国もいくつかありました。

↑世界初の社会主義国・ソ連もそのひとつです。
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次に、↑太陽の塔の写真を印刷したゴム製の入口をくぐると・
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暗くてよくわかりませんでしたが、中は岡本太郎の手になるものと思われる、太陽の塔関連の品々がありました星空

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次の部屋は~
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↑当時の女性コンパニオンの制服を展示していました女の子

デザインに時代を感じます(※当時は"ホステス"と呼ばれていた)

なぜか一緒に、アメリカ館から譲り受けたNASAの宇宙服も^星
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↑貴賓が来場した時の芳名録本

1970年当時の総理は、アノ佐藤栄作でした。

現在の混迷した政治状況ではとても考えられない長期政権だった佐藤政権、当時小学生だった僕は、総理大臣ってずっとこの人がやるものなのかなぁと子供心に思ってましたwあせる
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太陽の塔が、↑お祭り広場の大屋根に覆われていた頃の、開催当時の写真がありましたカメラ

ちなみにこの大屋根に設置されていた照明は、各イベントの音楽や演出に合わせてトータルにコンピューター制御されていたとの事で、これも日本初のシステムだったそうです^ロボット
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↑は、会場に併設されていた遊園地、エキスポランドで大人気だったジェットコースター"ダイダラザウルス"とかげ

5つの違うコースを、同時に出発し同時にゴールするという画期的なもので、このエキスポランドは万国博終了後もしばらく存置され、ダイダラザウルスも5コースのうち2コースが引き続き稼働していました。

 

しかし2007年、このダイダラザウルスとは別に新設していたジェットコースター"風神雷神"が事故を起こし、休園を余儀なくされました。その後一旦再開されましたが、この事故や少子化の影響もあって客足が低迷、既に阪急グループを離れていた同園運営会社は翌年ついに倒産、閉園となってしまいました汗


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先程、"ホステスの制服に時代を感じる"と書きましたが、もっと時代の変化を感じる写真が↑ですサーチ

“情報・通信システム”として紹介されていた写真ですが、当時の電話機や端末機の形、まさに隔世の感です。しかし1970年当時は勿論、これが”最先端の姿”でした^電話
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万国博といえば現在でも、"時代を先取りする実験場、未来の見本市"として、世界各国持ち回りで開催されていますベル

↑は会場内で業務用に使われていた電動自転車ですが、これって現在実用化されてる"電動アシスト自転車"の元祖じゃないでしょうか・自転車

 

又、↑自転車の左横の壁には、会場内の各施設を簡潔なマークにして案内していた"アイコン"が貼ってありますが、こういうアイコンを我が国初に本格使用したのも大阪万国博だったそうですひらめき電球
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↑は業務用や高齢者用に使われた電気自動車ですが、現在ゴルフ場とか遊園地等で活躍しているものの元祖かもですゴルフ
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↑は惜しくも現物がなく絵だけの紹介でしたが、三洋電機が出品した『人間洗濯機』台風

これ、僕も当時子供ながら記憶にあるインパクトが強いものでした。一見奇をてらったような博覧会向けとしか思えないものですが、現在この着想が介護用入浴機器などに応用されているとの事です虹
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そして当時、↑に乗って"未来"を感じた人も多かったという、“動く歩道”しっぽフリフリ

万国博と相前後して阪急梅田駅で実用化され、その後に東京駅の京葉線のりば通路や、新宿/都庁への連絡通路等、全国で普及するさきがけとなりましたヒツジ

 

又、写真割愛しますがこの万国博で初めて出品された、国鉄のリニアモーターカーの模型も当時話題となりました。あの当時は"夢の乗り物"でしたが、現在JR東海が実現にむけ、着々と準備をすすめているのはご存じの通りです新幹線

 

このように大阪万国博では、様々な未来が提案/展示され、試作/試用されました。そして今日、あらゆる場面で実用化され、我々の日常生活に溶け込んでいますブーケ1


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↑半世紀前のものとは思えない、驚く程斬新なデザインの万国博ポスター目
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2010年の上海万博シリーズでも”スタンプラリー”が大人気だったことを書きましたが、大阪万国博でも各パビリオンに記念スタンプが置かれていました。↑同館に保存されています^クリップ
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入口のロビーで流れていた、三波春夫さん唄う"♪こんにちわ~"のテーマソングですが、↑同じ曲をいろんな人がカバーしていました耳
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博覧会といえば、↑も定番の設備『迷子センター』女の子

添付の解説文によると、迷い子より“迷い大人”のほうが多かったそうですwあせる

 

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時代を先取りし、日本の高度成長を世界に知らしめた大阪万国博は、半年間の会期を無事終えて閉幕しました。閉会式の様子を映した貴重な映像もここで見られます映画
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半年間で6000万人も動員した、わが国空前絶後の大イベントだったと言っても過言でない大阪万国博星

貴重な史料が、ここ開催の地で大切に保存されている事は、大変有意義だと思います桜
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パビリオンを出る前に入った↑トイレ。便器とかは更新されてますが、スペース的には当時のままの広さでした。当時は長蛇の列をつくって入ったんでしょうパンダ

 

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EXPO’70パビリオンを出て、再び会場跡地を歩きます。

当時の史料を見てきた後なので、一層感慨深いものがありますキラキラ
この大阪郊外の丘陵で開催された世紀の大イベント、まさに"夢のあと"という言葉がぴったりの場所です霧
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太陽の塔のうしろは、↑お祭り広場の跡地です。
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前述の"お祭り広場の大屋根"、↑一部分だけ記念に残されています。

 

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万国博の話はここで終り、ここから後は大きく場面転換しますリサイクル
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お祭り広場の横に、万国博7年後にオープンした↑『国立民族学博物館』があります。せっかく千里まで来ているので、見学していきます^ヒツジ
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"文化人類学"と言うと少しとっつきにくい言葉ですが、同館は世界中の民族の文化や社会慣習等を研究する我が国の中心との事で、その研究成果を“博物館”のかたちで一般に公開しているという凄い施設ですメモ

その研究をしている、総合研究大学院大学がこの地に併設されています。
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各展示室は、物凄い広さ目

数々の企画展示もありますが、基本は、オセアニアから順に5大陸別に部屋割りしての常設展示です波
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モアイの頭も、↑丸ごと余裕で収まっています(※モアイ像は、イースター島外への持出しをチリ政府は厳しく制限しているため、これはレプリカです)ナゾの人
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ヨーロッパの部屋で興味深かったのが、↑"陽気な墓"

ルーマニアのものだそうで、故人の生前の姿をユーモアを交え、墓標に描いてありました。(※お墓にこんな言葉いいのかと思いますが、館内の解説文にそう書かれてました)
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さらに驚く展示が、アフリカの部屋に黄色い花

バーの屋台やキオスクを一軒まるごと入手、ここ大阪まで持ってきています家
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中東の部屋には、サウジアラビア・メッカのカーバ神殿の壁に垂れ掛けられている↑"キスワ"という垂れ幕が。年に一度新調して架け替えられるそうで、↑は1966-67年に掛けられていたものだそうです。

 

カーバ神殿といえばイスラムの聖地中の聖地、しかもメッカの街自体異教徒は立入厳禁、一体どうやってこんな"門外不出"の最たるものを収集してきたのか・ドア
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アジアの部屋は、いくつかのパートにわかれていました。

フィリピン・マニラの街を実際走っていた↑ジープニー(※乗合自動車)
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勿論、日本の部屋もあります富士山

写真割愛しますが、韓国の部屋や、アイヌ民族のコーナーもありました。

 

それにしても、物凄い数/量の展示でした。世界中の国・そして民族の、生活/宗教/民俗等、ありとあらゆるものを貪欲に蒐集しているという感じです目
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ホントこの博物館、繰り返しですがドデカいです。じっくり観ていけば丸一日いても廻りきれない程ですあせる

もし行ってみようという場合は、朝の開館と同時に見学し始める事を奨めます^わんわん


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万博公園散策のラストは、↓へクローバー

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自然文化園で一番奥まったところにある、万国博当時も人気だった"庭"日本庭園ですあじさい
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庭園入口を入って正面に、庭をゆっくり眺められるロビー(※中央休憩所)がありますコスモス

冬枯れの風情だったこの日、広くて立派な庭で、静寂のひと時を過ごしましたコーヒー
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広い園内を、サクッと一周してみますカメ

人影もほとんどなく、竹薮に風が通る"ザワ~ッ"という音が爽やかです霧

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春から秋にかけ、様々な花が見頃になり、植物園の様相もある現在の日本庭園ですが、行った日は真冬、残念ながら冬場に咲く花がほとんどありません雪

しかしそんな中で元気だったのが、↑ツバキの木黄色い花

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万国博の時にはここへ外国人が大挙して押し寄せ、"日本"を味わっていった事と思います霧
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庭園の一番奥側にきました。

先程寄った休憩所が、↑池のむこうに見えます。

そのまたむこうには、太陽の塔も晴れ
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枯れ木に一つだけぶら下がっていた、↑ザクロの実コスモス

写真ではわかりにくいですが、見事にパックリ割れていました、こんなの久しぶりに見ました^キラキラ
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まぁでも、この日本庭園に行くなら、春~夏にかけてが良いと思います。各種の花が咲く季節だし、春のシーズンには、菖蒲園や蓮池も美しいそうです桜
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総面積約26haもある日本庭園。実はここが、最も万国博当時と変わっていない場所だとも言われています。

大阪にいるのを忘れそうな自然と文化に包まれた、広々とした万博公園でございました。

そろそろあとにしますカエル
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帰りは、日本庭園に最も近い、来る際に降りた記念公園駅の隣駅、↑公園東口駅から乗りますDASH!
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万国博当時は、会場内を巡回していたモノレールがありました。その時のモノレールは終了後撤去されましたが、再びこの地に開業した大阪モノレール。千里の丘は、モノレール因縁の地のようです^ウサギ
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車窓から、↑太陽の塔が手を振ってくれるのが見えました^晴れ

今も堂々とそびえる、高度成長期の残像です。

 

もう昔話となりつつある、EXPO70・日本万国博覧会跡ブラをご覧頂きました宇宙人

同万国博のテーマ"人類の進歩と調和"、この言葉の持つ重みを、今一度かみしめたいと思います。

 

高度成長期、皆が突っ走っていた1970年の日本。でもその輝かしい成長の陰では、世の中に歪みや格差、環境破壊が出はじめ、当時から問題になっていました。"公害"という言葉が登場したのもこの頃からです。

 

それらの問題を乗り越え、さらには"国家"を越えて、世界の"人類ぐるみ"で、進歩して調和していこうという崇高な理想をかかげ、アジア初の万博を開催した日本。冒頭にも書きましたが、まさに戦後復興の総仕上ともいえるイベントでしたキラキラ

 

既に1964年の東京五輪時に開通していた東海道新幹線、この万国博を機に大増発され、乗車した外国人客は、世界初の高速鉄道に驚嘆し、その完璧なまでのありさまに感銘を覚えたといいます新幹線前

 

しかし、21世紀の現在、世界の情勢はどうでしょうか?この万国博が掲げた理想通り、世界は進歩したでしょうか?

 

先程のEXPO70パビリオン中に"通信システム"の展示がありましたが、あのおもちゃのような電話機が最新だった当時から、特に通信の進化は著しく、当時想像も出来なかった携帯電話やネットが普及し、世界の距離は縮まりました。

しかし逆に、世界の"心の距離"は縮まるどころか、逆に延びてしまったのではないでしょうかあせる

 

たしかに1970年当時の"冷戦構造"は終わりましたが、それ以上に、民族紛争や宗教紛争は世界中で頻発しています。内戦で混乱に陥っている国も沢山あります。又、富めるものと貧困者との格差も広がる一方です。"人類の進歩と調和"というスローガンは、今こそ声高に世界が叫ぶべきではないでしょうか虹

 

大阪・千里の丘に広がる広大な跡地、そしてたった一つ現存するパビリオンを改装した"EXPO70パビリオン"、大阪へ行かれたら訪問必須と思います^グッド!

 

 

 

 

 

 

(※2022.10  2024.4 文一部修正)