vol.126 くまモン微笑む街 熊本【前】天草ブラ→A列車で行こう 三角線→熊本市 | 旅ブログ Wo’s別荘

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先日、九州は熊本へ行ってまいりました飛行機

前後編2作で、熊本県内をブラっとしてきた旅をご覧頂こうと思います。早速スタートしますグッド!


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久々来ました、↑JR熊本駅です電車

10年ぶり位でしたが、駅舎・駅前はきれいに再整備されていて、すっかり様変わりしていましたキラキラ
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熊本市内を走る路面電車、今も元気に走っています。駅前の電停もきれいになっていましたキラキラ
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市電で中心部に入っていきますカメ
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中心部、下通等の繁華街から近くの・
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↑熊本交通センターへ来ました。特に西日本の都市でよくある、大規模バスターミナルです。熊本駅とともに、”もう一つの熊本の玄関”ですバス

九州はバス網が昔から発達していて、ちょっとした街には鉄道駅とは別に大抵、バスターミナルがあります合格
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↑都営のお古?のような、見慣れた色のバスも走っています^
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熊本には2日間滞在します。まず始めに、このバスセンターから天草へ向かいます。これから乗るのは熊本最大のバス会社・産交バスの"あまくさ号"ですDASH!
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そして、熊本といえば・

バスセンターを出てすぐの交差点、↑くまモンが手を振って見送ってくれます^クマ
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熊本市内を出たバスは、国道57号を一路、↑三角半島の有明海沿いを走っていきます波

対岸には長崎県・島原半島、雲仙岳もみえます目
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そして三角半島の先端までくると、バスは天草五橋を渡って、天草諸島へ入ってゆきますDASH!

様々な様式の橋を次々と渡ってゆく"天草五橋"、僕が小学校の頃は社会科の教科書にも載っていました本
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熊本から約2時間で、天草市(旧本渡市)の街が見えてきました目
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↑天草バスターミナルに到着、最近建て替えられたのか、小さいながらもきれいな建物ですキラキラ
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バスセンターから市内を歩き始めます男の子

しかしターミナル周辺は、人も車もほとんどいない"無人の街"状態あせる
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天草と言えば“天草四郎”、↑バス停にもサーチ
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天草も熊本県、ここにも↑くまモンがいましたwクマ

くまモンは県のキャラクターという事で、著作権も熊本県が持っていますが、県内企業なら簡便な手続で無料使用できるとの事で、これが知名度upや親しみに拍車をかけています^合格
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先程から人の気配が無い天草市街ですがあせる、↑なにやら人だかりしている場所を発見!

九州で家電量販店と言えば“ベスト電器”ですが、その天草店がリニューアルオープンで、記念品を求めて行列が出来ていました。

天草で初めて人間の集団に出会って、なんかホッとしましたwひらめき電球
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バスセンターから市内を15分程歩き、これから『天草キリシタン館』を見学しますドア
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キリシタン館のある小高い丘の途中にあった中央公民館、かつては郡役所等もあった天草の中心だったとの事。現在の市役所は4つ上の写真、天草四郎バス停のところにあります。
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丘を登っていくと、キリシタン墓地もありました(※謹写)

天草の島々に秘められたキリシタンの歴史、これから市立キリシタン館で勉強させてもらいます^メモ
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そして、登り坂のラストは、意外にも和風な石灯籠が並ぶ右上矢印
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この丘は、郡役所があったもっと昔、かつての『本渡城跡』です。

上写真は、天草氏と小西行長・加藤清正とのいわゆる“殉教戦”で散った人を祀る、千人塚です(※謹写)
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そろそろ丘の頂上です右上矢印
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そして、↑十字架をバックにする神父さんの像。

これは、天草最初の殉教者といわれる、アダム荒川の像です。

聖職のかたわら病人の看護等にも貢献したといわれ、地域の信頼厚かった人ですが、禁教令による迫害にも決して最後まで棄教せず、刑場の露と消えました。
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そんな歴史の舞台になった丘の頂上には、まだ真新しく見えるキリシタン館の建物が・

坂のゴールは、↑なんとエスカレーターが設置(驚)上下矢印
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なんとも開放的なエスカレーター^
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丘の上からは、本渡の街が一望の下目

このあたりは、旧本渡市でした。平成大合併で天草諸島の2市8町が大同合併し、天草市となりました宝石ブルー
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↑キリシタン館、一昨年リニューアルしたばかりだそうです。

 

内部には、天草四郎が戦陣で使用した陣中旗(※国重文)など貴重な文物、史料が沢山展示されていますが、残念ながら館内は撮影禁止だったので、文で少し書きます。

 

館内は大きく分けて、天草に根付いたキリシタン信仰と文化、そして天草・島原の乱の2つが展示テーマとなっています目

特に、天草島原の乱について力を入れていました。

 

時系列を重視して乱の経過をわかりやすく理解させる事に大変配意した展示で、見学者は乱についてキッチリ理解できるようになっていますメモ

 

天草・島原の乱、ここ天草諸島の対岸・長崎県島原半島と、天草を跨いで繰り広げられた、江戸時代初期の内乱(一揆)でした。日本の歴史上最も大規模な一揆とも言われています。

 

この乱の一般的なイメージは、キリスト教弾圧による反乱と捉えられます(僕もこう思っています)が、実は勃発のきっかけはいわば”国内問題”で、過重な年貢に苦しむ農民の反乱からでした。

それが禁教令によるキリシタン弾圧と絡み合い、全国でも稀にみる内戦とも言える反乱に発展していったとの事です。

 

1637年12月から翌1638年2月までの約100日間、反乱軍と幕府軍の間で、有明海を挟み、ここ本渡城など島原と天草島での各城郭の争奪戦など、両軍は激しい一進一退を繰り返しました。

その反乱軍の指揮をとったのがご存じ、当時わずか16才だったとも言われる天草四郎です(※諸説あり)

 

しかし次第に幕府軍が各地からの援軍を増強、江戸から老中を派遣して陣頭指揮をとらせたりオランダから船砲まで借り受けて徹底抗戦、最後には四郎らを島原半島沿岸の原城に追い詰め、四郎はそこで若い命を散らせました。

 

当時は、カトリックとプロテスタントとの関係が悪く、日本のキリシタンは、ポルトガルから伝わったカトリックが主だったので、幕府はプロテスタントのオランダに援軍を求めたという訳です。

 

この天草四郎、その短い生涯はよくわかっていない部分も多いといわれます。まず名前からして、本名益田四郎だったと言われますがこれにも諸説あります。又、出身地も天草諸島の中という説の他、現在の宇土市だった説や長崎市だったという説もあり、確たる事は今も不明です。

 

それに、四郎の似顔絵というと"イケメン"のイメージですが、これも乱の記録を残した幕府側の資料にはなく、四郎が戦死して首をとられ、家族に首の見分をさせた時“色白のきれいな首だった”との言い伝えが残っていることから、現在の"イケメン似顔絵"が描かれているという事ですアート

 

興味深いのは、わずか16才で死去した四郎に"妻"がいたという説もあるとの事です。乱の記録に"四郎の舅"が参戦していたという記述があり、舅といえば"妻の父親"ですから妻をめとっていた・という証左だというんですが、はたしてどうだったんでしょう?はてなマーク
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なかなか充実した展示でした。

↑四郎さんの資料館をあとにしますパー

 

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キリシタン館の次は~
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海(港)のほうへ歩きます走る人

もう1ヵ所、博物館が近くにあるんです。
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フェリー乗り場(※本渡港)近くの、海沿いにある博物館を見学に行きますかたつむり
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↑本渡歴史民俗資料館ですビル
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入場無料、こじんまりした地元の博物館という感じなんですが、けっこう沢山の人が訪れていましたグッド!
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ここの展示はキリシタンはほとんど関係なく^、まさに館名の通り、ご当地、天草の"民俗資料"が中心です。

江戸時代~戦前あたりまでの一般の民家で使われていた品々が館内せましと並びます。

↑顔のようにも見える昔の電話機もw電話
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『おぉ~、これ、ワシの家でも昔使ことったわ!!』

↑おじいさんの団体が大盛り上がり^
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盛り上がっていた館内から一歩出ると、ひなびた港街の光景波
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有明海の堤防には、手作りのタイルに、美しい天草の風景を地元の人ならではの視点で切り取って焼き付けていました虹
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もう少しゆっくり歩きたかったんですが、バスの時間になってしまいましたあせる

歴史を秘めた美しい島々、天草をあとにしますキラキラ

 

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帰りのバス、↑で途中下車してみました。

熊本市から天草の方向へ、一角獣の角のように突き出た半島の先、三角(みすみ)港です船
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そして、港のすぐ向かい側、↑クリーム色の洋館風の建物は・
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JR三角駅です家
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鹿児島本線・宇土駅から分岐している、三角線の終着駅なんですが、ローカル線にしては人も多く、賑やかな雰囲気です。賑やかな理由は、この後すぐわかりますウサギ
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僕この線、国鉄時代に一度乗った事があるんですが、その当時は、ひなびたローカル線の風情でした。

しかしJR九州転換後、同線は観光開発され、駅舎も見事に改装されていて『ローカル線再生のモデルケース』を見る思いです。待合の片隅にも”くまモン”が鎮座クマ
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そして、この駅で何よりの特徴は・

全国どこの駅でも基本ある、"アレ"が無いんです。それは↓
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↑が改札口です。内と外を仕切る、駅員さんがキップを切るブースがありません。改札口にあるのは『のれん』だけ!

なんとも大胆なつくりですが、列車の時間になったら、ちゃんと駅員さんが登場して改札しますチョキ
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この熊本の片隅のローカル線、三角線が活性化している理由は、設備リニューアルやフェリーとの接続PR等、多々ありますが、決め手は、これから乗る”列車”です電車

駅の壁を飾るタペストリー↑の列車、JR九州オリジナルの特急"A列車で行こう"です。これから初乗車します^
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ここに限らず、JR九州は近年、これまで優等列車とは無縁だったローカル線にも、お洒落で楽しい内装を施した特急列車を次々に登場させ、旅行会社とタイアップして旅客を積極的に誘致しているんです合格
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これから乗る"A列車で行こう"号も、天草へ従来バスのみで行っていたツアー団体客を、三角でこの列車に乗り換えるような旅行商品で誘導するほか、三角港から天草への高速船にも接続、鉄ちゃん以外にもローカル線の旅を楽しんでもらう狙いですリサイクル
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三角駅ホームに入線してきました!"A列車で行こう"号ですグッド!

なかなか豪華キラキラ
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↑の車両、新製ではなく、国鉄型の車両をリニューアルしたものです。
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内装・外装とも"A列車専用"に改装した2両編成、細かいところまで見事に化粧直しされています。JR九州御用達のデザイナー、水戸岡氏の手になるものですキラキラ
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シートの模様も数席おきに変えてあります虹
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2号車は、一部テーブルが付いたグループ席もあります(※全車指定席)
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そして、この特急ならではのウリは、客室半室を改造した、↑の設備ひらめき電球

1号車の半分は"バー"になっているんですビール

我々の世代だと『ビュッフェ』と呼んでしまいそうですがw

 

この"A列車で行こう"列車名の由来は往年のジャズ名ナンバーからで、バーや座席車のBGMにもジャズを流すという徹底ぶりです♪
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バーで、有明海を見ながら熊本特産の↑でこポンハイボールを頂きます^オレンジ
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バーの座席はフリースペースで、ややもすれば窮屈にも感じる2両編成の短い列車に、いいアクセントになっていました赤ワイン

それにしても三角~熊本間わずか1時間弱の列車に、飲食サービスを付けるというJR九州のこだわりに拍手をおくりますグッド!
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約30分後、↑宇土駅で鹿児島本線と合流して・
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約1時間弱で、時間通り熊本駅へ到着黄色い花

熊本駅のホームにも、到着に合わせてジャズが流されています。かなりのこだわりです^グッド!
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夕刻、熊本の街中へ戻ってきましたリサイクル
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熊本最大のアーケード街、下通りへ走る人
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下通、大変道幅の広いアーケード街です。

都内でなかなか無い、ゆったりと歩ける商店街の雰囲気^プレゼント

そして・
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熊本城の入口まで来ました。↑の清正公が、手ぐすね引いて待っていますが、今作(前編)はここまでです!

 

続きは次作、後編であじさい

熊本城を訪ねるほか、"アノ名所"にも行きます。鉄分も入れておおくりします。お楽しみに^クマ

 

 

 

 

 

 

(※2022.9 2024.4 文一部修正)