約1年のご無沙汰で、関西からアノ男が、久々に上京してきました
「た」です
当別荘異色の”ブーイングシリーズ”である「た」現るシリーズですが、懲りずに続けた結果w、今作で10巻を数えました
今回はどこへ現れたのか?早速スタートです
「た」が現れたのは、JR中央線・高尾駅
ご存知、中央線通勤電車の大半が折返すターミナル駅ですが、国鉄時代の面影がそこここに残る、ひなびた駅です^
高尾駅は、長野方面から来る、↑懐しい国鉄型電車と出会える駅でもあります(※2012当時)
"中央線"と"中央本線"の境に位置する、結節点の駅です
ホームの端にある、↑ドデカい“高尾山の天狗”
近年外国人にも大人気の、高尾山への入口でもあります
神社風のつくりの、↑高尾駅舎
ではこれから、「た」高尾山へ・ではないんです。
この日、一癖も二癖もある「た」が選んだ目的地とは・
駅前には、昭和の香り漂う土産物店が並びます
駅前近く、↑国道20号(※甲州街道)を東へ曲がります
この日、「た」が選んだ目的地は・
歴代の天皇が眠る、『武蔵陵墓地」です。
爽やかな並木道の甲州街道を歩く、爽やかでない↑「た」w
この辺りは、"昭和の散歩道"というハイキングコースも設定されています
高尾駅から歩いて15分程、↑"多摩御陵入口"交差点を左折します(※高尾駅からの場合)
↑から御陵の門までの道は、"多摩御陵参道"です。
参道に入ってすぐ渡るのが、南浅川という川の↑橋。
新しく広々とした橋、昭和天皇大喪礼の時に整備されたものか(?)
↑の橋のたもとにあるのが、↑都立陵南公園です
公園のトイレに駆け込む「た」w
参道は国道から御陵に向かって、緩やかに左へカーブしていきます
御陵が近づいてくると、警視庁の青いパイロン(※皇族等の葬列警備の時に見かける色)が置かれたままになっていますが、一般車も御陵の入口にある駐車場まで乗り入れできます
↑門が見えてきました。
ここからが、御陵の領域です。
実は僕はここ、全く予備知識なく「た」に誘われるままに来たので、一般人が御陵の間近まで入れる事も知りませんでした(※入れるのは門の手前までだと思っていました)
特に皇室行事が無い限り、午前9時から午後3時半まで入域できます。
門の横には、お祀りされている方々のお名前があります。
↑は各地の陵墓で見かける、古風な"宮内庁スタイル"の注意書看板ですが・
↑の案内板には、お祀りされている4方の詳細なプロフィールや、陵内の詳細な地図もありました。陵墓内の公開と合せ、"開かれた皇室へ取り組み"の一環だと思われます。
この武蔵陵墓地に葬られている4方は、大正天皇・貞明皇后ご夫妻、昭和天皇・香淳皇后ご夫妻です。(※2012現在)
天皇家のお住まいは、明治維新とともに京都から東京へ移転しましたが、明治天皇の陵墓迄は京都につくられました。
大正天皇以降は、お墓も東京に造営する事となり、この武蔵陵墓地が設置されました。
(※ここから先、謹写)
御陵内は、太古の武蔵野を思わせるような、こんもりとした木立の中です
御陵域内の園路の途中で座り込んで小休止する、戦前なら不敬罪の↑「た」
さっき陵南公園で休憩したばかりなのに・
まず、大正天皇ご夫妻が祀られている多摩陵、多摩東陵へむかいます。
緑の木立がホントに爽やかで、気持ちも清らかになっていくようです
門を入って約10分弱、鳥居がみえてきました。
鳥居のむこうが、大正天皇・多摩陵です。
立入できるのは↑の柵手前までです。
ここから参拝します。
階段の上には、ご陵のドーム状の上部がチラッと見えます。
上円下方陵というつくりだそうです。京都・伏見にある明治天皇陵を参考につくられたとの事です。
僕が注目したのは、↑車椅子等用スロープ。
真新しい、手すり付きのスロープが設置されていました。天皇陵にもバリアフリーの配慮、まさに時代です
そして、多摩陵の隣にあるのが、大正天皇の奥様・貞明皇后が祀られている多摩東陵です。
ご陵の形式は大正天皇陵と同じですが、すこし低い位置にあるため、ドーム状の御陵が近くに拝見できます。
今回は場所が場所だけに、「た」もいつもよりおとなしくて扱いやすかったですw
大正天皇陵をあとに、次は昭和天皇・皇后両陛下が眠る、武蔵野陵へむかいます。
↑昭和天皇、武蔵野陵です。
大正天皇陵よりも少し低い位置につくられているようで、ご陵のドームが大正天皇陵よりもよく拝見できます。
そして、昭和天皇陵の東側には、香淳皇后の武蔵野東陵があります。大正天皇ご夫妻の陵墓と同じ配置です。
ご陵の前の、玉砂利が敷き詰められたスペースが、広々として爽やかであると共に、厳粛さも醸し出しています。
ちなみに、"陵"という名称は、天皇・皇后・皇太后・太皇太后のみに許された呼称で、それ以外の皇族には"墓"と呼称するそうです。『陵墓』という言葉はここからきています。
大正の貞明皇后陵と同じく、天皇陵よりも少しだけ低めにつくられています。
多摩御陵の中にある全ての陵墓の参拝を終え、門に戻る途中・
「た」が、↑何か小動物を見つけた様子
「カナヘビや!」
写真には写ってませんが、小さなトカゲの一種、カナヘビがいました
僕も小さい頃によく田んぼの畦道とかで見かけたものですが、久々に見ました^
「た」もこの日ばかりは大きな粗相もなくw、無事に御陵の門をあとにしました
この日は真夏のような猛暑でしたが、路傍に咲いているアジサイが、まだ梅雨だという事を教えてくれます
御陵参道の東浅川橋のたもとにある、普通の家を改造した(?)ようなコンビニ前で休憩^
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御陵を出て、次は甲州街道を御陵参道に入る交差点の反対側にある、『旧・東浅川駅跡』を見に行きます。
この地に、大正天皇大喪礼の際、皇室専用の臨時駅が設けられ、新宿御苑からの霊柩列車が到着しました。
しかし現在では↑駐車場になっており、当時の痕跡は全くありませんでした。中央線の快速電車が通過していきます
しかし何か痕跡はないかと探すと、ひとつの小さな石碑が・
しかし、↑の碑は東浅川駅を記するものではなく、1964年の東京オリンピックで、この地で自転車競技が行われたことを記念したものでした。この前を走る甲州街道を、銀輪が駆け抜けていったんでしょう・
ちなみに旧東浅川駅、大正天皇大喪礼の後も、皇室方が多摩御陵に参拝する際に時折使われ、1960(昭和35)年まで存続していたとの事です。
東浅川駅廃止後は、皇族方の陵墓参拝は自動車が主となり、昭和天皇の大喪礼の際には、鉄道でなく自動車で葬列を組んで運ばれ、中央道経由で御陵まで、車列が組まれました。
その後、この付近にあるという石器時代の遺跡を探しながら中央線沿いを歩き・
途中からはバスに乗り・
↑八王子市の中心部まで戻ってきました。
(※冒頭降り立った高尾駅も八王子市です)
JR八王子駅から、帰途につきます
その前に・
「た」が好物の“駅そば”屋さんに寄る
↑JR東系のチェーン店ですが、なぜか八王子駅の店は、他の同チェーンより美味しい気がします(※Woの私見です)
サッサと食べさせて、粗相がないうちに関西へ強制送還させます
さて次回はいつ現れるのか?究極の気まぐれ、わがまま男「た」でございましたw
(※2022.7 2024.4 文一部修正)