2007年創設しました当別荘、おかげさまで100作を迎えようとしております(感謝)^
50作記念では韓国旅シリーズでを連載しましたが、今回は"プレ100作企画"として、先日行ってきた"北海道ツーリング"を、5作に分けてご覧頂こうと思います
6日間で3000km余を走破してきました。
北の大地、期待以上の爽快な走り心地でした。日本最北までの大ツーリング、スタートします^
いつも東北へのツーリングで通ってますが、今回の行先は東北を越え、北海道まで走ります
フェリーの出る青森へ深夜までに着こうという、年甲斐もない強行軍w
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東京~青森間は約700kmを約14時間かけ、青森港へ到着しました
↑は夜のとばりが降りた青森港、23:30発の函館行・青函フェリーに乗り込む直前のWo号
この走りで編み出した"計算式"があります。僕のペースだと高速に乗れば、休憩時間込みで大体《キロ数÷100×2(※単位:時間)》で目的地へ着く事がわかりましたw
フェリー窓口で、「バイクは最初に積み込むので、一番前で待っとけ」と言われ、船の前で乗船合図を待つ
フェリー乗船開始、甲板の片隅に固定された↑Wo号
横にはトラックがありますが、夜行便なので北海道へ向かうトラックが多かった印象です。
ちなみに、Wo号をフェリーに乗せるのはこれが初です
約3時間半の船旅で、未明の函館港到着
Wo号、ついに北海道初上陸です
↑に見えているのは乗ってきたフェリー、青函フェリーが運航する、船名『3号はやぶさ』です(※"はやぶさ3号"でないのがミソ)^
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まずは荷物と気持ちを整えるため、とりあえず函館駅へ^
↑夜が明けてきた黎明の函館駅前で、心の中で"出発式"w
函館から札幌へとつづく、↑国道5号を走り出します
Wo号、北の大地へ一歩を踏み出しました^
出発日/最終日の東北道縦貫を含めれば6日間の日程、過去のツーリングでは例が無い長丁場が始まりました
本日(今作)のゴールは、函館から約300kmの、札幌市です
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渡島半島、噴火湾の海岸沿いを走る国道5号を北上します
噴火湾の地形に合わせるように、国道も緩やかな弧を描いています
高速道路は現在(2011)、まだ函館市までは繋がっていません。
2011現在、道央道は函館から30分余り北へ走った落部ICまで開通しています。ここから高速の人になります
本州ではなかなかお目にかかれない、先が見えない程の直線、そして周囲の荒涼とした森に、早速雄大な北海道を実感します。だんだんと北海道を走っている実感が沸き、興奮してきたWo^
長万部IC付近まで来ました^
まだ初っ端からこんなに興奮してたら、これからもっと凄い所へ行くのにどうなるのかw
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北海道高速初のエリア休憩、内浦噴火湾PAに寄ります
PA名の通り、↑駐車場から見えるのは、波穏やかな噴火湾
そして、僕が入った時点では↑車はゼロ、誰もいませんでしたw
5分位して車が数台入ってきましたが、本州のエリアではまず有り得ない光景です^
PAの背後は手付かずの原生林、PAからの散策路もありました
空を仰げば、霧が出たり又晴れたり、しばらく見ているだけでも目まぐるしく表情を変える空模様
まだ出発序の口なのに、北海道の大地は自然な姿を惜しげなく魅せてくれます
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↑虻田洞爺湖ICで降ります
この日は洞爺湖/支笏湖を経由して、札幌に入ろうというコースです
ICを出ると、すぐに洞爺湖への道に出ます
↑洞爺湖畔の駐車場に到着しました!
お~、これは絶景・
洞爺湖です
(※支笏洞爺国立公園/世界ジオパーク指定)
まだ午前中、静かな湖畔でした
この日観光客もまばら、湖からは爽やかな風が吹いてきます
本州はこの時期、蒸し暑い梅雨時です。さすが北海道
湖の背後に聳える、↑羊蹄山
洞爺湖畔には公園や駐車場が散在し、いろんな位置から湖が楽しめるようになっています。↑は有珠山噴火記念公園です
同湖近くの有珠山は、1978年に大噴火を起こしましたが、近年では2000年にも噴火し、その度に近くの小学校は移転を余儀なくされているという事です。我が国有数の活発な火山との事です(※後程近くまで行きます)
噴火公園からしばらく走ると、ホテルが立ち並ぶ洞爺湖温泉街に入ります
この温泉街の湖畔にも、きれいな遊歩道が整備されていました。少し歩いてみます
↑の湖畔の貸しボート屋さんの看板、"思ったより安い"
"思ったより"の基準になる金額っていくらなんでしょうかw
絶景です
各々に名称が付けられていて、↑"洞龍の湯"に入ってみます^
朝っぱらから足湯にw
バイク乗りっぱなしで疲れていた足がほぐれます^
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足湯で疲れもとれたところで、再び湖畔を走り始めます
↑道路の右側、独特な形の山が見えてきました。
↑道路脇すぐ、噴煙を上げています
昭和新山です
1944~45(昭和19/20)年にかけ、それまで広い平原だったところが突如、隆起して出来た昭和新山。
まさに、地球の創世記で繰り広げられていたであろう地殻変動が、この近代に起りました。驚異的ともいえる火山です。
しかし折りしも、この噴火/隆起があった当時は戦時中。しかも敗色濃い終戦直前だったため、この事実は"国民に動揺を与える"として報道されず、公式な観測記録も残っていないそうです。
この時期に起こった南海地震や広島/長崎の原爆投下と同様、報道管制の下におかれ、一般国民には知らされなかった出来事でした。
しかし地元の郵便局長が詳細な記録を残していたとの事で、その記録が現在貴重な史料となっています。又、その局長は、元々畑地だった昭和新山の土地を地主から買い取って保存に努め、現在も昭和新山は同家の私有地だという事です。
間近に見る昭和新山、ホント凄かったです。
↑の地点で、湖を半周近く廻ってきた事になります
"絶景の展望スポット"があるとの事で、これから↑の坂を登っていきます(※↑の小さな看板だけが目印です)
↑展望台に着くと・
狭い道を来た甲斐がありました。たしかに、ここから見下ろす洞爺湖は絶景でした
大げさに言えば、こんな風景が日本にもあったのか、という程の素晴らしさでした
この付近からは↑有珠山と昭和新山が同時に眺望できる、数少ないスポットでもあります
(※↑右が有珠山、左が昭和新山です)
遠くには、↑2008年の洞爺湖サミットで会場に使われたホテルも見えます(※望遠で撮影)
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洞爺湖をたっぷり楽しんだ後、次は支笏湖へ向かいます。
その途中、国道230号沿線の留寿都村にある、↑『道の駅230ルスツ』で昼食にします
ここの名物、ヤマイモを練った生地でつくった↑コロッケ、物凄く濃厚で美味しかったです
↑写真でみると"ただのコロッケ定食"ですがw、コロッケ2個だけでお腹いっぱいになる程ボリューミーでした^
そして道の駅ルスツの片隅には、↑見覚えのあるお顔の銅像を発見しました
↑のお方は、"指圧の心、母心~"という名フレーズで有名だった浪越、浪越徳治郎の銅像です(1905-2000)
浪越徳治郎は香川県多度津の生まれですが、1911(明治44)年、7歳の時に家族と共に開拓移民として留寿都へ移住、その後苦学の末、1925(大正14)年、室蘭で指圧院を開業するに至ったそうです。
その後著名になり、TVでも活躍していたのはご存知の通りですが、あの名文句"母心"は、徳治郎のお母さんがこの遠い異郷の地で体調を崩し、その看護にあたる中で生まれたと言われています。
当別荘のツーリングではこれまで、各地の道の駅を紹介してきましたが、この道の駅ルスツ、なかなか良かったです
留寿都を出て、次は支笏湖へむかいます
羊蹄山の雄姿が、↑右に左に見え隠れします
走ってて意外に思ったんですが、洞爺湖~支笏湖間、地図で見るとお隣みたいな感じですが、実際走ると案外距離を感じました。
僕は途中、留寿都で休憩したので実際の所要時間は計ってませんが、両湖間の所要時間、小1時間はみたほうがいいと思います
眺めてみると、洞爺湖よりかなり広い感じをうけます(※実際、面積は支笏湖のほうが広いです)
広々としている分、上空の青空もさらに大きく見えます^
支笏湖は、洞爺湖のように湖に道路がピッタリ寄り添ってなく、洞爺湖ほど湖畔も観光化されていない感じをうけました。でもその分、手つかずの大自然が満喫できました
富士五湖に例えれば、洞爺湖=山中湖、支笏湖=本栖湖 のような印象も持ちました^
↑の写真ではわかりにくいですが、道路から水底に沈む消波ブロックが見えました。けっこう深いところに沈めてあるんですが、透き通るような水底に沈んでいるのが視認できました。
支笏湖は日本有数の"透明度が高い湖"でもあります
道南きっての2大湖、洞爺湖&支笏湖でございました
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支笏湖を出て、国道453号で峠越えすると、ダイレクトに札幌・真駒内に入ることが出来ます
都内を出てから約36時間^、北の都・札幌に到着
↑札幌市電と出会いました
↑札幌市の中心、大通に到着したWo号。東京~札幌間・約1000kmを走ってきました^
この日は札幌泊です。
翌日はさらに北へ、最北端を目指すため、まだ日没前で明るい札幌ですが、Wo号はホテルの駐車場へ
僕は地下鉄で街中へ、札幌の夜を非公開で楽しみます^
今作ここまでです!
次作・シリーズ第2回は、さらに北へ走ります。最終的には最北端の稚内市を目指すんですが、どこを通り、どこで寄り道をして稚内まで走るのか?は、次作以降をお楽しみに
(※2022.5 2024.2 文一部修正)