本年より始まりました"東海道53次シリーズ"、年1回のペースでやる予定なんですが、何事も最初が肝心という事でw、今作で第2弾をおおくりします
年初にupした第1回は、関所の建物が現存する新居町でしたが、今回はもう少し西へ、現在の愛知県豊川市に位置する『御油宿』を訪ねたいと思います。ではスタートします
↑JR豊橋駅から始めます
しかし、これから乗るのは名鉄です^
御油宿は近くにJR駅が無く、名鉄御油駅が最寄になります。
豊橋駅には名鉄が"間借り"みたいな形で、飯田線ホームの一角に1線だけ、名鉄専用ホームへ乗入しています
全国には、JRと私鉄が共用している駅が散見されますが、この豊橋駅ほど、私鉄の"間借り感"が溢れた雰囲気はないと思います。しかも、天下の大手私鉄・名鉄がなぜ自前のターミナルを持たなかったのか?という思いもありますが、今作は東海道シリーズなので、これ以上の話はやめておきますw
JR/名鉄ホーム間にバリア改札はなく、ICカードで東海道線等から乗継ぐ場合は、名鉄ホーム口にあるタッチ機にかざして乗換えます。ホーム横には、名鉄の切符売場があります
さらに線路も、豊橋駅を出てしばらくは飯田線と共用
そんな"悪条件の間借り"の中でもダイヤは工夫されていて、特急と急行合わせて日中毎時4本程度は出しています
(※名鉄各停は豊橋駅から無く、隣の伊奈駅から出ています)
鉄分の話はこれ位にしてw、名鉄で御油へ出発します
豊橋から御油駅までは4駅ありますが、↑途中の国府(こう)駅で、豊川方面からの線と合流
なお、前述の通り名鉄豊橋駅からは普通列車が運転されていないため、普通しか停まらない御油へはここで乗換です
読み方が珍しいこの国府(こう)駅、"漢字/ひらがな/ローマ字のいずれでも2文字"という珍駅でもあります
↑赤いカラーの名鉄電車に揺られ、御油駅に到着しました
駅前には、なぜか喜多方ラーメン屋さんw
御油駅前に、↑国道1号との交差点があります(※R1はこの付近で名鉄と併走しています)
国道を渡り、旧東海道のほうへ歩いていきます
駅近くに、↑音羽川という小さな川が流れています。
川に架かる橋から、目に飛び込んできたのは・
川沿いにつづく、↑見事な桜並木
この日、ほぼ7分咲き位でしたが、見ごたえ充分でした。
素晴らしい桜並木でした
この日あいにく小雨模様で、人影まばらな平日でしたが、その分ゆっくりと、咲き誇る桜を眺めることが出来ました
桜&菜の花のコントラストが美しい川辺^
音羽川の桜を堪能した後は、今作メイン、旧東海道のほうへ
御油宿、東海道五十三次の中でも、江戸時代からの松並木が当時のまま残っていることで知られる貴重な宿場です
松並木のみならず、この御油宿はJR沿線から外れたこともあり、開発が比較的すすまなかったため、往時の街道筋の面影が色濃く感じられます
↑旧街道の近くには国道1号が走り、ファーストフード店やコンビニも沿道に林立しています。しかし↑旧街道は、時が止まったかのように静かな雰囲気を保っています
旧街道をしばらく歩き、街並が途切れると、↑松並木がスタートします
国天然記念物指定、又、日本の名松100選にも選定されています
↑松の老木が延々とつづく、旧東海道です
1604年、江戸幕府成立の翌年、早くも徳川家康の指示により整備されたとの事です。家康は国土統治のためには交通路の構築が重要な事を早くから認識し、東海道を始め全国に道路網を整備していきました
夏は強い日差しから、冬は厳しい季節風から旅人を守ってきたであろうこの松並木、今も菅笠姿の旅人が歩いてきそうな雰囲気です
小雨の中を歩いていると、往時の旅人はこうして江戸から京や伊勢まで徒歩で行っていたのか、と、気が遠くなるような感も
↑の松並木の横を、先程の音羽川が流れています。
松の間から、川沿いの桜も見えます^
この松並木の旧街道ですが、現在も生活道路として使われ、車のスピードを抑えるために所々で幅を狭くし、突起も設けられています
↑こんな看板も
樹齢400年以上の大木なので、倒木/折れた枝が落下する恐れもあるとの事
強風や病気で倒れてしまったり、予防的に伐採したと思われる↑切り株もいくつか見られました。年輪に、木の命も感じます。
経年による劣化に加え、松くい虫等、松は管理の難しい木でもあります
御油の松並木には↑1本1本、番号札が付けられています
既存の松を守るのに加え、↑新たな松を植樹する試みもされていました
貴重な歴史的景観は、地道な努力で支えられています
音羽川の反対側に目をやると、↑広がる低い山並、穏やかな光景です
約200本以上の松が並ぶといわれる、約600m程の松並木。
そろそろ終りが近づいてきました
↑天王川で、松並木は途切れていました
旧東海道はここからまだまだ西へ、隣の赤坂宿のほうへ続いています
駅への戻りには、宿場町の痕跡を示す↑案内板を探しながら歩きました
高札場や本陣跡等、かつての宿場繁栄を偲ぶいろんな跡地がありましたが、現存する施設はありませんでした
歌川広重の↑浮世絵も掲げられていました。在りし日の御油の賑いを偲ぶことが出来ます
今の姿から想像出来ませんが、江戸時代は遊女を多く置く宿場としても栄えていたそうです
↑浮世絵には、遊女が旅の男を強引に客引きしている風景も描かれていて、"飯盛り女"等と呼ばれていたそうです
月並な表現ですが、まさに隔世の感です
音羽川沿いには↑"松並木資料館"もありましたが、残念ながらこの日は休館でした
冒頭の通り、"東海道五十三次の中で一番往時の面影をとどめる"という噂をきいて訪ねてみたんですが、ホントその通りで、時が止まっているかのような、ひなびた宿場でした
小雨けむる御油の松並木を歩き、当時の旅の姿を想像してみたり出来ました。加えて行った日が桜の時期だったので、花見まで出来でラッキーでしたw
閑散とした御油の街ですが、その気になれば名鉄で便利に来れるので、一人静かに歩いてみる宿場としていいかもです^
(※2022.4 2024.2 文一部修正)